灰色の雨に、全部消えていくの
雨は好きじゃない。
好きじゃない、だと少し語弊があるかも知れない。
雨の日はどうにも調子が出ないのだ。
ザァザァと傘を容赦無く叩く雨粒に苛立ちを覚えながら、ズキズキと無駄な痛みを主張する頭を手で押さえた。
本当に雨の日はどうしたって具合が悪い。
頭が痛くなるし、気だるくなって顔も険しくなる。
終いには吐き気まで襲ってくるのだ。
どうしても雨は好きになれない。
いつからこんな風になったのだろうか。
水を吸ったブレザーが重くて更に苛立ちは増す。
長めのスカートも傘でカバー出来ずに色が変わっていて、帰宅後に干すことを考えて気が重い。
なんだってこんなに雨が降っているのか。
『雨が降り過ぎて困ることもあるけど。降らなさ過ぎて困ることもあるんだよ』
いつだか、誰かが言った言葉を思い出す。
あぁ、あの言葉は誰が言っていたんだっけ。
避けきれない水溜まりを前に、躊躇することなく足を踏み出すのは早く帰りたいから。
頭が痛い、思い出せない、気持ちが悪い、思い出せない、ムカつく、思い出せない、具合が悪い、思い出せない。
そんな考えだけがループして、早く早く家へ家へと足を動かす。
パシャッ、と足元の水溜まりが水を跳ねさせた。
家へと一目散に滑り込んだ私は、扉の前で傘を閉じて深い溜息を吐き出す。
疲れた、頭が痛い、気持ちが悪い。
傘を下ろせば、ボタボタボタ、と勢い良く水が落ちてくる。
凄いな。
雨足は弱まるどころか強くなる一方で、見ているだけでも気分が沈んでいくものがある。
酷い二度目の溜息は先程よりも少しだけ短くて、のろのろと鞄の中に手を突っ込む。
駄目だ、鞄も濡れてる。
中身を思い出して教科書類の安否を気にしながらも、ジャラジャラとキーホルダーのついた鍵を引っ掴んで取り出す。
そうしていると足音と何か擦れるような音がして、私は鍵を持ったまま顔を上げた。
そこには姉がいて、何故か花束を持って立っている。
「何してるの?」
傘を肩に預ける形で立っている姉は、不思議そうに傘と同じ方に首を傾けた。
私からすれば姉の方が何してるの、だ。
「鍵開けようとしてたんだけど。姉さんこそ何してるの。てか、何して来たの」
「綺麗でしょう?」
ガサ、と音を立てて包装紙に包まれた紫陽花の花束を私の方へと傾けた。
淡い青紫の紫陽花は綺麗だけれど、何か――。
「まぁ、いいや。中に入ろう」
鍵を鍵穴に入れてガチャガチャ言わせていると、傘を閉じた姉が私の横に並び首を傾げた。
ノブに手をかけて捻っていると、姉が何か言うのが聞こえて手を止める。
『アンタ、昔は紫陽花大好きだったのにね』
――確かにそう言ったはずだ。
私の耳がおかしくなければ、雨音で上手く聞き取れなかった訳じゃなければ。
私が、好き?紫陽花を?
雨だって好きじゃないのに、わざわざ好き好んで雨に咲くような花が好き?
そんなことを言った覚えは。
『雨が降り過ぎて困ることもあるけど。降らなさ過ぎて困ることもあるんだよ』
『そういうものかな?でも、嫌いじゃない。……だって――』
キィ、と扉が風で開いて音を立てた。
姉は不思議そうに私を見つめていて、風が紫陽花の花を揺らす。
何で、忘れていたんだろう。
ズキズキと痛みを主張してくる重たい頭が煩わしくて、小さく舌打ちをする。
姉は静かに私の頭を撫でたが、正直それに反応を返せる余裕はなかった。
雨は好きじゃない。
雨なんて嫌い、大嫌い。
雨に溶けた名前も忘れてしまった人の背中が、溶けて消えて手が届かない。