プロローグ
もう死んでしまいたい。
そう思ったのもこれが何度目だろうか?
学生時代の自分を振り返ると、一言で言うなら根暗だったと思う。休み時間には居眠りするか、ライトノベルを読むかの二択。それか気の合う友達とバカ話に花を咲かせ、授業中は適当に先生の話を聞きながら漫画を隠れ読みしたり居眠りしたりと自由にやっていたし、女っ気は全くないが文化系の部活をそれなりに頑張って青春を謳歌した。
社会人になってからは学生時代には絡まないようにしていた人種と交流し、戸惑いつつも頑張っていけばいつかは楽になると信じて辛いことにも耐えてきた。
それでも自分の元々の性格は変えることなんて出来る筈もなく、コミュニケーション能力が圧倒的に欠如しているのが露呈していき、次第に孤立していくようになっていった。
毎日毎日、仕事を上手くこなすことが出来ずに先輩たちからは怒られ嫌味を言われ、毎年入ってくる後輩たちからは仕事ができない先輩として陰でバカにされる始末。ようやく貯まったお金を頭金として新車を購入すれば、3ヵ月も経たないうちに事故に遭う。
何もかもが上手くいかない毎日に嫌気が差して、こんなにも苦しいならいっそのこと死んでしまいたいと考えるようになっていたある日のこと。俺はその日も仕事で失敗して上司からの叱責に意気消沈して駅から家に帰ろうと足取り重く住宅街をとぼとぼと歩いていた。
その日、辛く苦しいだけの俺の人生は世界が反転するように変わってしまった。
始めに聴こえてきたのは男女が言い争うような声。それも自分が1人暮らしをしているボロアパートの方向からっていうのがなんとも嫌な予感がしてたまらない。
正直な話、他人の諍いに首を突っ込むなんてしたくない。いや、むしろそんなことができるなら人間関係でここまで苦しむことなんてなかっただろう。
それでもアパートに近づくにつれて大きくなる声に嫌だなと思いつつも歩を進めていくと案の定若い男女が、それも不運なことにアパートの前で言い争いをしていた。
なんでこんな所で言い争いなんてしてるんだよ、と本気で神を恨みたくなる気持ちを沸々と込み上げてくるのを感じつつ、その男女を見ると女性の方に見覚えがあった。それもその筈で確か先月ぐらいに隣に引っ越してきていた女性だった。隣人と関わるなんてする訳がない俺だが、ちょうど休みの日に昼をコンビニに買いに行った帰りに引っ越し業者が荷物を運び入れているところに遭遇し、引っ越してきた人物がこんなボロアパートには似つかわしくない若い女性だったから印象に残っていたのだ。
断片的に聞こえてくる会話によると、どうやら別れる別れないでの喧嘩らしい。時間的にもう遅いんだから、余所でやってくれと思う。
「もういい加減にしてよ!これ以上わたしに付きまとうなら、警察呼ぶわよ!」
「ほんとに俺ら、やり直せないのか?」
「ありえないわ!あんたの顔すら見たくないんだから、さっさと帰ってよ!」
顔すら見たくないとか、どんだけ嫌われてんだよあの男。自分があんなことを言われたら、へこみ過ぎて一週間は部屋から出られない自信がある。いや、今まで彼女とかいたことないんですけどね。うわ、自分で言ってて泣けてきた。
街灯の暗がりでアパートに入っていくタイミングを見計らっていると、さらに何かヒドイことを言われたのだろう、背中を向けている男のが俯き加減に顔を伏せ、我慢するように拳を握りしめて震わせているのが窺える。ああまで言われてあの女性にこだわる必要もないと思うのだが、所詮は他人だ。自分が嫌でも彼にとってはそれだけ彼女のことが必要であるということなのだろう。
女性の方がヒートアップしてきていてそろそろ近所迷惑も考えてほしい感じになってきたので、ここは他人である自分が出て行くことでちょっと頭を冷やしてもらおう。
意を決して一歩目を踏み出す。そしてアパートまであと20メートルもないといった所で異変は起こった。
始めはとても静かに、男がショルダーバッグに手をゆっくりと伸ばし何かを掴んで引き抜いた。暗がりのせいでそれが何かをすぐにはわからなかったが、それが光を反射したのと女性が悲鳴を上げたことで瞬時に理解した。
「おいおい、マジかよ……」
男が取り出したのは一般家庭なら常備している包丁だ。それを逆手に持って振り上げ、今にも恐怖に震えて動けずにいる女にも突き刺そうとしている。
そういえば順手に持って刺すのと、逆手に持って刺すのではどちらがより恨みを持って刺したか?という話があったな。その答えとしては逆手に持って刺すのが力を込めやすいということで罪が重くなるということを聞いた覚えがある。
「って、現実逃避してる場合じゃない……!!」
女性の悲鳴に反応して何事かと近くの住宅で窓やドアを開く音が聴こえてきたが、それであの男が止まる筈もない。そして自分はというと一瞬の現実逃避の後、カバンを投げ捨て駆け出していた。
「お前を殺して俺も死んでやる!!」
「いやぁぁぁあ!?」
女の肩を男が左手で掴み、逃げられないようにしてから包丁を握りしめた右手を振り下ろそうとした瞬間に後ろから男の右腕を抱くようにして飛びつく。
「はっ早く逃げろ!!」
「え!?」
「なっ!?離せっ、この!!」
突然の事態に女は呆けたような顔をしたが、頷いて一目散に走りだす。できればどこかの家に逃げ込んで、警察を呼んでもらえると助かるのだが。そんな思考も束の間、左腕に走った痛みに男から距離を取る。
「よくも邪魔してくれたな?お前が俺からアユミを奪った奴か?」
「奪ったも何も、あの女性と話したこともないんだけど?」
「ウソをつくな!でなければ俺と別れるなんて言う筈がない!!」
うわ~~、すんげ~自意識過剰。そりゃ別れたくもなるよな、と1人納得して切られた左腕を押さえて止血しつつ、さてこれからどうしようかと考える。左腕は最近寒くなってきていたので厚着していたので幸い傷は深くない。
「え~と、とりあえず落ち着きませんか?幸いまだ僕が傷つけられただけで、今ならまだ傷害事件として罪は軽いと思いますし、やり直すのも無理じゃないかと……」
「うるさい、黙れ!俺はもう決めたんだ!彼女とやり直せないなら死んでやるって!!」
「少しは話を聞いてくれよ……」
男が既にまともな精神状態をしていないと判断し、とにかく警察が来るまでの時間を稼ぐかあわよくば逃げ出そうと男の様子を観察する……と、そこまで思考して自分の状態がおかしいことに気付く。
なんで俺、こんなに冷静でいられるんだよ?
普通、命の危険がある状態でここまで冷静でいられる筈がない。女性を助けに走った時は、生来のちょっとした正義感からの行動であると言い訳はできる。小さい頃から悪いことは嫌いで、イジメなんかは見て見ぬ振りが出来ずに助けに入って、今度は自分がイジメの対象にされたこともあった。そんな苦い子供時代のことを思い出していると、男が不意に動揺したかのように後ずさった。
「お前、なんでこんな状況で笑ってるんだよ?」
「笑ってる?そんなバカな………」
有り得ないものを見るかのような男の表情に、そっと手を口元にもっていく。そうして口から頬にかけてなぞるようにして触れると、確かに男の言うように笑みを浮かべていることに驚いた。そのことに動揺していると、男が包丁を腰だめに構えたのが見えた。
「気持ち悪い。お前なんかにアユミを渡すものか!!」
「いや、渡すも何もちがっ!?」
体当たりするように走ってきた男を避けることもできず、腹部に包丁が突き刺さる。じんわりと熱い液体が足を伝って広がっていくのを感じ、さらには力がまったく入らずに男に圧し掛かるように倒れこむ。それを男は煩わしそうに身じろぎすると、突き飛ばすように体を押されて冷たいアスファルトに横たわる。
ああ、星ってこんなにキレイだったんだな、と現実逃避気味な思考に自嘲の笑みを浮かべる。指先は冷えて感覚がなくなっていくのに、腹は熱いまま。死ぬってこんな感じなんだなぁと思っていると、顔の近くに誰かが近寄ってくる足音が聴こえた。
「なんで笑ってるんだよ。ほんとお前、気持ちわりぃよ」
ヒューヒューと呼吸音が出るだけで声を出すことができない。いや、むしろ逆流してきた血のせいで息ができなくて苦しいだけだ。それに意識も朦朧としてきたし、目も靄がかかったかのようにもう何も見ることができない。迫り来る死の間際に思うことはただ1つ。
ああ、本当に……くそったれな人生だった。
それがこの俺、小夜鳴 颯希の最後の記憶だった。
冒頭部分の不幸話、半分くらいは作者の実話です(泣
ほんと新車買ってすぐ事故るとかマジで呪われてるのかと!
ぶっちゃけた話、一年以内に三回程事故っているのでマジで呪われている気がする……。
やべ、思い出したら気分が沈んできた。もうこの話はやめよう!
と、言う訳でこれから社会不適合者の異世界戦記をよろしくお願いします!