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シャムセイル学院 Ⅲ

 相馬とユーリは二人でユーリの部屋に向かっていた。アルル、ナタリーとは学院長室を出てから「あとで部屋に行く」と言われて別れた。

 二人の間に会話はなく、無機質な石造りの通路に足音だけが響いていた。

 ユーリの部屋は階段を一つ下りたフロアにある。そこに居住目的の部屋は一つしかなかった。特別な部屋なのだ。

 ああ、もう着いてしまう。ユーリはこれからのことで頭の中が埋め尽くされていた。とんだ災難だ。あんなところにこの男がいなかったらこんなことにはならなかったのに。

 相馬もまた現実が見えてきた。変なことになった。さっきは黙って聞いていたけれど、ひょっとすればこれは同棲ということになるのではないか。しかもこんな可愛い女の子と。まずい、緊張してくる。

「つ、着いたわ」

「お、おうっ」

 そしてついにユーリの部屋の前までやってきた。よそよそしいのは今日会ったばかりで仕方がないこととはいえ、それだけが理由ではない。お互いに嫌な緊張が隠せないでいた。

「ちょ、ちょっと待ってて。いいって言うまで入ってきちゃダメだからね。わかったわね?」

 そう言ってユーリは早々に部屋に入ってしまった。

 部屋の片付けなどもあるだろうし。相馬は一人納得して部屋の前で待つことにした。

 女の子の部屋に入るなんて初めてだ。なんとなく甘い匂いを想像してしまう。

 どれくらい待っていればいいのか言われなかったので、相馬は暇つぶしに通路の小窓から外を眺め始めた。

 そこから見える中庭では、何人かの生徒が談笑したり精霊術の練習をしたりしている。それだけ見てもここはまるで違う世界なんだ、と改めて相馬は思う。一見すると平和な風景で、学院の外に化物がうようよしているとは到底思えない。

「空気だけは変わらないな」

 誰にも聞こえない声で呟いた。風が返事をした気がした。

 少し気持ちが落ち着いてきた。とりあえずはここにいていいと言われたから世話になろう。それだけ思えば幸運なのかもしれない。もしユーリがあの時に来てくれなかったらとっくに死んでいた。その後も見放されていれば生きていたかわからない。

「ははっ」

 相馬は自嘲気味に笑った。

 生きていることに喜びを感じるなんて、もしかしたら一生ありえないことだったのかもしれない。やはりユーリに感謝するべきだろう。

 あとでユーリに改めてお礼をしようと決めて、心地よい風の音を聞きながら待っていた。

 だが、

 ………………………………………………………………………………………遅い。

 待ち始めてどれくらい時間が経ったのだろう。中庭の生徒はだいぶ減ってしまった。日の傾き加減もだいぶ変わってしまっている。

 もう夕刻が近い。

 シャムセイル学院の外壁からは長い影が伸びて中庭を覆い尽くそうとしていた。少し肌寒さを感じるほどに気温も下がってしまった。

 一体いつまで待たせるつもりだ。

 外を眺めるのにも飽きた。階段までの通路を何度往復したかわからないほど歩きまわった。

 もう、いいんじゃないか?

 もしかしたら忘れられているのかもしれない。突然の話しだったし。

 そう思い相馬は扉のノブに手をかけた。鍵は開いていた。

「お邪魔しまーす……」

 恐る恐る夢焦がれた女の子の部屋に侵入を果たす。

 そして驚愕した。相馬の夢が崩れた瞬間でもあった。

 相馬の目に飛び込んできたのは、すさまじく散らかっていた広々とした部屋だった。いや、もはや部屋と呼んでいいものかわからない。文字通り足の踏み場がないほどに脱ぎっぱなしで放置してある衣服の数々。クローゼットは開け放たれたままでその中もごちゃごちゃしていてどうなっているのかわからない。テーブルの上には何かの食べ残しがそのままでグラスがいくつも並んである。この分だと洗面所やキッチンは想像したくもない。

 どれだけ掃除しなければこれだけ散らかるのか。むしろ片付けたことがあるのだろうか。散々待たされたあげくにまだこれだ。ちょっと前はこれよりもひどかったのだろう。呆れるを通り越して感心してしまう。相馬の描いていた女の子の部屋という夢が幻のように音もなく崩れ去った。

 しかも相馬の目の前にあるのは明らかに女性物の下着だった。せめてこれくらいはしまっておいてはどうだろう。

「そっ、ゾマッ!?」

 相馬が入口で立ち尽くしていると、ユーリが慌ただしく奥から現れた。相馬の姿を見た瞬間、これから片付ける予定だったであろうヘンテコな物体を落としてしまった。

「あ、いやー、あんまり遅かったから忘れられてるかもと思って」

「あっ、ああああああんた、な、なに、何持ってんのよ!」

 ユーリは顔をこれ以上ないほどに真っ赤にさせ、わなわなと震えながら相馬を指差した。

 え? 相馬が自分の手に収められているものを見ると、それは先ほど見つけたユーリの下着だった。赤色のブラだ。別にこれで何をしようとしていたわけではない。ただ反射的に手に取ってしまっただけだ。信じて欲しい。やましい気持ちはなかった。

「ま、待て、待ってくれ! これは誤解だ! その、違うぞ! これが下着なんて気がつかなかったんだ!」

「しっかり気付いてるじゃないの!」

 とんだ失態だ。

「し、信じらんない。外で待ってろって言ったのに、か、勝手に入ってきたあげく、あ、あたしの下着まで盗もうとしてッッ!」

 違う! 決して盗もうとしていたわけじゃない! それだけは違う!

 言っても聞いてもらえそうになかった。

「こ、こんの、変態がぁ~……!」

 ユーリの周囲に風が生まれ始めた。表情は読み取れず、風に揺れる金髪が何とも怖ろしい。

「ちょ、ちょちょちょっと待て! 大体お前がこんなに散らかしてるのが悪いんだろ! 下着くらい片付けておけってんだ!」

「うっさい!!」

 やはり相馬の言葉には耳を貸さず、ユーリは右手を振り上げた。

「ま、待ったぁ!」

 相馬の叫びもむなしく、ユーリの手から精霊術が放たれた。そしてそれは相馬に直撃する。

 …………え?

 痛くもかゆくもない。何も感じなかった。なんだ、不発か。驚かせやがって。

『残念だったな!』

 相馬はそう口に出したつもりだった。だが、喋れない。声が出ない。いや、体がぴくりとも動かない。瞼すら閉じることができない。金縛りに遭っているようだった。

 その相馬に、ユーリは薄い笑みを浮かべて言う。

「さすがに部屋の中じゃむやみやたらに強力な霊術は使えないものね。自分の霊力で相手の動きを封じる初歩の風霊術よ。霊力の使い方を知らないあんたならまず動けないでしょうね。覚悟しなさい。あんたはあたしの手で直々に制裁を与えてあげるわ」

 口元は笑みを浮かべているが目が笑っていない。ユーリは力一杯に拳を握り締めた。

 殴るつもりらしい。

 動けない相馬を一方的に。

「まずはそのいやらしい顔からいこうかしら」

 い、いやだ。誰か助けてくれ!

 動けない。瞼も閉じられないのだから殴られる瞬間まで見えてしまう。せめて目さえ瞑れたら楽なのに。

 ツカツカと、ユーリが歩み寄って来る。

 く、来るなああああッ!

 相馬は声にならない叫び声を上げた。一つ知った。ああ、動けなくても涙は出るんだ。



 アルルとナタリーは途中で合流してユーリの部屋を目指していた。

「ねぇナタリー、あの二人どうなんだろうね」

 アルルはユーリと相馬のことが気になって仕方がなかった。ユーリが抱えてる悩みも知っている。

 周りの男の子はユーリに遠慮がちなんだけど、あのソーマくんはそんなことはなさそうだった。

 別にユーリと相馬が恋人同士になって欲しいと望んでいるわけではない。ただ、これでユーリにも男友達ができるかもしれないと思っているだけだ。

「どう、と言われましても。二人についてはあまり興味がないですね。私はソーマさんの合成技術だけが気になります。頭を切り開いて見てみたいですね」

「いやいや、頭の中覗いてもわかんないって。ナタリーったら、もっと女の子らしいこと言ってれば男の子と間違われることもないのに」

「それと興味のことは関係ないでしょう」

「あはっ、それもそっか」

 三人の中ではアルルが一番交友関係は広い。持ち前の明るさで周りの人間も親しみやすさを感じていた。ユーリは恐れ多くも近寄り難い。ナタリーは不思議、いや、不気味だ。周りにはそんな印象を与えていた。

 そんな三人の仲が良いのは、互いが互いを頼りにしているからであった。

 今回のようなウェアウルフ討伐の依頼など、シャムセイル学院では一般人に手の負えない獣の駆除を請け負っている。それは実際に精霊術の力が有効だということもあるが、生徒に実戦経験を積ませるという意味もある。

 その生徒の中でもユーリは主席だ。アルルとナタリーはユーリに次ぐ実力者だった。ユーリは戦況の把握能力が長けていて、精霊術の使い方もうまくリーダーの役割を果たし、アルルは火力が長けていて、ナタリーは守りに長けていた。ユーリの指示があるから三人がうまく機能する。アルルが敵を蹴散らしてくれる。ナタリーがいるから安心して戦える。共に死線をくぐり抜けてきた三人には、戦闘の中で生まれた決して切れない絆があった。それは私生活でも同じことに繋がり、性格は異なれどそれぞれを大切に思っている。

 学院内の生活ではアルルがまとめ役のような存在だ。ユーリとナタリーは実力はあるが人付き合いが苦手だ。アルルはそんな二人のことをいつも気に掛けていた。

 さて、ユーリとソーマくんはどんな感じだろうか。楽しみだ。

「ユーリー、来たよー。うわぁ、相変わらず散らかってるねーって、あ、あれ?」

 アルルが部屋に入って見たものはいつものように散らかっている様と、その中でボロ雑巾のように倒れて顔を真っ赤に腫らしている相馬の姿だった。その横には鼻息荒く興奮しているユーリがいた。

「い、いらっしゃい」

「状況が良く飲み込めませんね」

「まぁ、ソーマくんが手に持ってるもの見ると大体想像つくけどねー」

 ユーリは慌てて相馬の手にそのまま握られていたブツを奪取する。

「こ、これは! こいつが、あ、あたしの、下着を、ぬ、盗もうと、した、からっ!」

「はいはい、どーどーどー」

「あたしは馬じゃなーい!」

 アルルとナタリーは倒れている相馬を見て苦笑する。あらら、おしとやかになるなんて、ユーリには無理な話しだったかな。

「早く食事にしましょう。もう辛抱なりません」

「あっ、そ、そうね」

 そうだった。運動したら(殴ったら)余計にお腹が空いてきた。でも、この男にも食事をさせないと。ああ面倒臭い。

「ね、ねえナタリー。ソーマを回復してあげて?」

「はぁーっ。もう霊力も空っからですよ。どうせ回復させるならここまでする必要もなかったでしょうに」

「てへっ」

「うげえ。似合いませんよ」

 そう言いながらもナタリーは相馬のそばに屈み込み回復術を施す。その間も「ああ~、お腹と背中がくっつきそうです」としきりにぼやいていた。それを尻目にユーリはせっせと部屋の片付け作業に勤しんでいた。全く片付く気配は見えないのだが。

「あ、ストップ」

 もう少しで相馬の傷が癒えてしまうというところでユーリが止めた。

「それくらい残しといて」

 相馬の顔の傷はほぼなくなったが、目元にはうっすらとアザが残ったままだった。

「うわぁ、ソーマくんかわいそう」

「いいのよこれくらい。制裁の跡を残しておかないとまた何かしでかすかもしれないし」

「言っておくが、俺はお前の下着を盗もうとしていたわけじゃないからな」

「「「うわぉっ!!」」」

 急に目を覚ますな。びっくりする。

 相馬は三人が驚いた様子を見て嘆息した。しかし不思議と身体は痛くない。ナタリーの力はすごいものだ。骨がイッていた。倒れたあとも散々蹴られたし。

「では、食事にしましょう」

「俺の言うこと完全スルー!?」

「賛成」

「だね」

 アルルだけは相馬が言っていることが本当なのだろうと思っていたが、面白そうなので黙っておいた。



 シャムセイル学院の食堂は、普段大聖堂として使っているホールを食事の時間帯にだけ食堂として使っている。百人は軽く入れる広いホールの天井では煌びやかなシャンデリアがいくつか優しい光を放っていた。四人掛けほどの丸いテーブルがいくつも並んでいる。食事はバイキング形式でそれぞれが自由に食事を取ることを許されていた。ただし時間内のみの解放で、それを逃した生徒は食事抜きになってしまう。

 相馬たちが食堂に着いたときにはほとんどの生徒が食事を済ませていて、遅めの夕食を取っている生徒の姿がちらほらと見られる程度だった。

 好物はなくなっているかもしれないけど仕方ない。今日はいろいろあったから。相馬を除く三人は同じことを考えていた。

 それぞれが思い思いに並べられた料理を皿に盛り分ける。薬草のサラダに、タケトルのもも肉ソテー、木の実のスープと少し冷えてしまったパン。デザートは……後で取りに来ようか。

 相馬は訳もわからず立ち尽くしていた。

 どうしたらいいのだろう。普通に料理を取っていいのだろうか。ここにいてもいいと言われたものの、当然ながら金がない。

 そんな相馬の様子を見てアルルが声をかける。

「どうしたの? 遠慮しなくていいんだよ?」

「あの、金持ってないんだけどさ、食べてもいいのかな」

 申し訳なさそうに言う相馬に、アルルは小さく笑った。

「そんなこと気にしてたんだ。大丈夫だよ。ほら、食べて食べて」

 アルルは相馬にトレーを持たせ、自分が取っていた料理を相馬のトレーに乗せた。それから、どれがいいかなぁ、と相馬に食べさせる料理を選ぶ。

「あ、ありがとう」

「いいよいいよ。どれもこれも霊力充填と栄養を考慮して作られててさ、味もばっちしなんだよ。あ、でもソーマくんがいたところとは食べ物とか違うのかな?」

「見た感じはそんなに変わらないかな。料理方法も同じみたいだし」

「ならよかった。お腹空いてるでしょ? 好きなだけ食べても平気だからね」

 ああ、天使のようだ、アルルさん。相馬は心の中で感嘆する。ユーリに比べてなんて良い子なのだろう。ユーリからは湖に落とされるわ勝手に勘違いしてボコボコにされるわ散々な目に遭わされた。アルルは優しいし面倒見がいいし可愛い。見た目の雰囲気もどこか日本人に似ている。向こうにいるときにアルルみたいな子に出会っていたら惚れていたかもしれない。

 そんな二人のやり取りを、ユーリは面白くなさげに眺めていた。

 なぜだかわからないけど腹が立つ。なぜかは知らないが、とにかく相馬を殴ってやりたい。しかしここは食堂だ。周りの生徒もいるし、自重しよう。

 そしてユーリとナタリーが席に着き、相馬とその世話を終えたアルルが追って席に着いた。

 全員が揃うと、ユーリが目を閉じて祈りの言葉を唱え始めた。それに合わせてアルルとナタリーも目を閉じる。相馬も何を言っているのかわからないが目を閉じてみた。『いただきます』の代わりだろう。

 そしていざ食事である。

「おおっ、うまい! うまいなこれ!」

 相馬はまず肉料理を口に入れて感嘆の声を上げた。別の料理は……どれもこれも本当にうまい。こんなものをここの生徒は毎日食べているのか。なんと贅沢な。

「ちょっと、行儀が悪いわよ。おとなしく食べなさい。みっともない」

 貪りつく相馬を窘めるユーリだった。しかし普段からそんなことをいちいち指摘したりはしていなかった。現にナタリーこそがっつくように肉も野菜も口いっぱいに頬張っている。口の周りはソースだらけだ。そしてそのソースを「はいはい」と拭いてあげるのもユーリだったのだ。

 温度差が違い過ぎる。

 相馬は思う。たしかにナタリーこそ仲間だろうが、行儀のことに関してその差別はないだろう。それとも、何か機嫌を損ねてしまうことをしてしまったのだろうか。こっちは一方的にやられただけだ。

 ユーリは相馬を一瞥したあとムスッとした表情を見せた。

 ナタリーもどこかユーリの様子が変だと首を傾げるが、まずはメシだ。お腹が満たされる。幸せだ。

 アルルだけは「むふふ」と含み笑いを浮かべていた。

 なーんだ、ユーリったら。これはこれは、これから本当に面白くなりそうだなっと。にゃはっ。



 四人は食事を終えて食堂をあとにしていた。ユーリを除く三人が満足そうな顔を通路を歩いている。

「じゃあソーマくん、また明日ね」

「失礼します」

 アルルとナタリーは部屋のあるフロアが違うため、ユーリ、相馬と階段の前で別れた。

 また明日、愛想笑いをチラつかせて二人を見送る相馬であったが、ユーリにどうしようもない気まずさを感じていた。

 何もしていないはずだけど、さっきから様子がおかしい。二人にもろくに挨拶しなかったし。あの二人と特に何かあったわけでもなさそうだったし。

 アルルとナタリーが去ったあと、ユーリは一人でさっさと階段を上がって行ってしまった。それを急ぎ足で追いかけて、相馬はユーリの隣に並んだ。

「な、なあ俺なにかした?」

「…………別に」

 そうだよなぁ。相馬は口の中で呟く。

「じゃ、じゃあ何で怒ってるんだ?」

「…………別に怒ってないわ」

「い、いやしかしだな」

「怒ってないって言ってるでしょ! うるっさいわね!」

 怒ってるじゃないか! ユーリの剣幕にはビビる。おっかない。

「いいから、部屋に入るわよ」

 相馬はその背中に黙ってついていくしかできなかった。何か言えば怒鳴られそう。そんな雰囲気だ。

 それにしても、一度や二度じゃ見慣れるものじゃない。この部屋の有様はひどい。ユーリの外見からしてこの部屋の散らかりようは悪い意味でギャップがあり過ぎだった。

「あたし、先にお風呂入るから。あんたは適当に部屋片付けてて。自分の寝床くらい自分で用意しなさい。言わなくてもわかると思うけど、覗いたら殺すわよ」

 相馬は無言で頷いた。本気で殺られる。殺る目だ。

 ユーリはどこかから着替えらしきものを持って部屋の入り口の横にあるドアを開けて入った。どうやらそこが浴室らしい。相馬はその様子を見届けて、改めて部屋の中を見回した。

「とりあえずは、やりますか……」

 正直、どこから手をつけていいかわからないが、ゴミくらいは片付けよう。

 相馬は床に散らばっている服や下着の数々を手に取っては部屋の隅に放り投げ自分の進む道を作ると、また新たに歩く道を作るために部屋の隅に衣服を放り投げる。相馬が歩けば歩いた分、床の表情は露わになり部屋の隅には衣服が山を作る。一見片付いているようで片付いていないのが現実だった。ゴミらしいゴミというのは、食堂があるおかげか思いのほか少なかった。ほとんど空だったゴミ箱らしきものを見つけそこに放り込んでおいた。テーブルに無造作に並べられたグラスはキッチンへ。そこはもうキッチンではなかった。グラスを洗おうと思ったが蛇口らしきものは見当たらない。というか見えない。だから運んだだけ。あとは、わからない。

 捨てていいものかダメなものか本人にしかわからないものもあるだろう。相馬はどうやら価値のありそうなものはそのままで、一息ついた。

 服と下着は本人に片付けさせよう。まとめはしたが、これ以上手を出すとまたひどい目に遭いかねない。

「はぁ~……」

 相馬が腰を落ち着かせてすぐに、ユーリがバスローブ姿で気持ち良さそうな声を出しながら浴室から出てきた。

 おいおい、さっき持ってた服はどこにいったんだ。相馬は目のやり場に困りながらもユーリの悩ましい姿を必死に網膜の奥底に焼きつけようとしていた。

 やはりユーリは可愛い、美しい。スタイルも良さそうだ。性格さえおとなしかったら申し分ないのに。がっかりだ。でも、濡れた金髪がどこか神秘的で、女神のようだった。

「随分と適当に片付けたのねぇ」

 ユーリは部屋の隅に作られた山を見て、やれやれと溜息をついた。

「服は、その、下着も混じってたから俺が片付けるわけにはいかないと思って」

「あら、随分と殊勝な下着泥棒さんだこと」

 どうやらユーリの機嫌は少し良くなったようだ。刺々しさが消えている。湯上りで気分もさっぱりしてきたのだろうか。

「だから別に盗もうとしていたわけじゃないって。何度言えばわかってくれるんだよ。それと、ふ、服はちゃんと着てくれよな」

 相馬は自分で言いながら照れてしまい目を泳がせるハメになった。

 それを見てユーリはにんま~と意地悪い笑みを浮かべる。

「……いやらしい」

「そ、そっちがそんな格好してるからだろ! こっちの身にもなってくれよ」

「あたしは別にあんたの裸見たからって何とも思わないわよ?」

「お、俺は男なんだぞ? ったく、女らしいのは外見だけかよ。もっと自覚しろよな」

「自覚? 何を? あたしが女ってことくらい見ればわかるでしょ」

 それはそうだ。その胸のふくらみを見ると……や、そうではなく。

「お、お前は、ま、周りと比べたら、その、び、美人なんだからさ。困るんだよ、そんな格好されると、いろいろと。そ、そういうとこ自覚しろ! 美人とか、可愛いとか、聞き飽きるくらい言われてるだろうけど、それを当たり前に振る舞わないでくれ」

 ユーリはきょとんとして照れ果ててしまった相馬を見る。

 何だそれ。意味がわからない。意味がわからないけれど、また自分のことを可愛いと言った。たしかに言った。

「あ、あたしって、可愛い? 美人?」

 聞いてみた。確証が欲しかったから。

「そ、そりゃ可愛いよ。美人だよ。よく言われるだろ?」

 ユーリは思う。

 嬉しい。正直に、嬉しい。男の人に面と向かってそういうことを言われたのは初めてだ。

「…………えへへ」

 うわぁ。相馬は思わず赤面してしまう。

 照れもあった。湖の時には咄嗟だったけれど、今は違う。可愛いと思った。無邪気に笑うユーリを見てそう思った。すごく嬉しそうに笑って。褒められることが珍しいのだろうか。そんなことはないと思うが、悪い気はしない。

「あの、風呂借りていいか?」

 気恥かしさも後押ししていたたまれなくなった相馬は、風呂場へ逃げ込んで気持ちを落ち着かせようと行動に出た。

「ええ。でもあたし男物の服なんて持ってないわ。借りてきてあげてもいいわよ?」

 ご機嫌だ。案外単純なのだろうか。

「いいよ。この服着ておくから」

「そう? 遠慮しなくてもいいのよ?」

 ここまでいくと気持ち悪い。

「いいって」

「じゃあ、今日一日はそれで我慢しておいて。明日には制服を調達しに行きましょう」

「制服?」

「そ、制服。この学院で生活するなら必須なものよ。シャムセイル学院の生徒である証明になるから」

 …………ん、ちょっと待て。

 相馬は困惑する。

 たしかにここにいいと言われてそれに同意もしたし、そうするしかないと思った。制服? なんだそれは。生徒になるって? なんだそれは。ここは精霊術を教える学院なのに、通ったところで意味がないだろう。

「精霊術の勉強なんて、できるわけないよ」

「おじい……学院長はあんたに力が感じられるって言ってたわ。なら使えるでしょ。勉強すれば」

 なんとも軽々しく言ってくれる。

 精霊術なんて未知の世界だ。それは赤子が言葉を覚え始めることにも等しいことなのかもしれない。

「はぁ~~……」

 本当に、どうなってしまうのだろう。

 相馬は今日一番の深い溜息をつき、浴室に向かった。



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