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シャムセイル学院 Ⅱ

 四人の目指す先はシャムセイル学院である。創立された霊術学院では最も新しい学院だ。それでもその歴史は五十年に及ぶ。その五十年という年月には意味があった。

 ジーナ全土を巻き込んだ大きな戦。

〝境界線戦争〟

 または〝終末の戦〟と人々は呼んでいた。世界の終わりを垣間見たかのような戦いだった。

 人と人ならざる者、悪魔との戦争だった。

 その戦いが形だけであれ終結したのが五十年前だった。

 突如魔界から現れた悪魔は強大な力をもって次々と人々を蹂躙していった。逃げ惑う人々を容赦なく喰らい尽くす悪魔たち。当時、このジーナには安全な場所、安全な時間など存在していなかった。常に恐怖と共に人は生きてきたのだ。

 悪魔に対する有効な手段となれば、メイジによる精霊術のみだった。ある者は剣を取り、ある者は弓を引き、命尽きるまで戦った。愛する人を守るため、愛する世界を守るために。

 その戦は三人の英雄により幕を下ろすことになる。繋がってしまった世界の境界線を、己の命をもって封じること。それがその当時にできたジーナを守る唯一の手段だった。

 それ以来、ジーナにおいて精霊術の力を最重要視するようになった。巨獣ならば武器でどうにかなる。しかし対悪魔、そして悪魔の呼びかけに応じて現れる魔物には対抗できなかった。精霊術を使える戦士を数多く養成しなくてはならなくなった。二度とあのような惨事を招かないためにも、何もできずに恐怖から逃げ出すよりも、立ち向かう力を手にしなくてはならなかった。

 そしてそれまで健在していた霊術学院ステイチュード、霊術学院ドグマキャリア、霊術師士官学校オーバンボルグに加えて、新たに創立されたのがシャムセイル学院だった。

〝境界線戦争〟で最も被害を被ったのが大陸の南西部に位置する工業都市オイゲンである。工業に特化した都市であったため、精霊術はほとんど流用されていなかった。それは同時に精霊術を使えるメイジが都市に少数しか居住していないことを意味していた。精霊術の力は誰にでも使いこなせるわけではなく、うまく力を行使できずに精霊術以外の力に頼らなくてはならなかった人々はオイゲンに集い工業を発展させた。それは日常生活においても交易においても多大な恩恵を都市にもたらした半面、悪魔に対する抵抗力がほぼ無に等しいものとなってしまったのである。

 もっとも、悪魔による侵略はジーナに住む誰もが予想できなかったことであり、対応策を練っておく必要もない事柄だったのだから、工業都市はその襲撃になす術なく壊滅を余儀なくなれたことは仕方のないことだった。

 各地で精霊術の力を使い生活していた人々は、かろうじて悪魔の襲撃を精霊術の力で食い止めていた。かつての英雄が世界を閉ざすまで辛抱強く戦い抜き、甚大な被害はあるものの壊滅まで追い込まれていた街はほとんど見られなかった。

 終わってみると、精霊術のあるなしで被害の大小が明らかだった。

 そして工業都市オイゲンの復興に合わせて建造されたのがシャムセイル学院である。各地からメイジと修道士が招集され、才能ある者を優秀なメイジへ育て上げることを目的としていた。

〝境界線戦争〟で歴史の中に埋もれた英雄で、学院の創立に携わり、現在シャムセイル学院の学院長である男の名が学院名の由来になっている。



「で、そこに俺を連れて行くってわけか」

 四人はシャムセイル学院までの道のりを歩いていた。

 残りは平地だ。あと半刻もすれば辿り着く。

 相馬は自分の身を案じて今後のことを三人に尋ねていた。危険な目に遭わされるとは思わないが右も左もわからない場所だ。少しでも情報が欲しかったし自分がこれからどうなるか聞いておきたい。

 ユーリが学院について話し出し、アルルが合いの手を入れ、ナタリーが補足説明をする。何をするにしてもこの三人はコンビネーション抜群だった。

「そっ。とりあえず学院長にいろいろと報告しなきゃなんないのよ。あんたのことも含めてね」

「そ、そこで俺はどうなる?」

 さてね、ユーリは手の平を返して気のない返事をした。

「いろいろと学院長から尋ねられると思いますが正直に答えてください。もっとも、隠し事をしてもあの方の前では無意味ですけどね」

 ナタリーは苦笑混じりに言った。アルルも同じく苦い笑いを浮かべた。

 本当に危険はないのだろうか。相馬は二人の様子を見てついて来たことを少しだけ後悔した。

 そんな相馬の様子を見てユーリが嘆息して言う。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。命の保証は……するから」

「いや、間が空いたけど……」

 ますます不安になる。聞いた話しでは魔物に対抗するための学院らしいが、まさか要注意人物などと拷問やら人体実験やら強要されたりしないだろうか。いや、この三人も悪い奴らではなさそうだし大丈夫だとは思うけれど。多分。

「ソーマくん、見えてきたよ!」

 緊張が走る。

 しかし相馬のそれはシャムセイル学院の全貌を見たことによって驚きに変わった。

 思えばここに来てから建物らしいものは何一つ見ていなかった。地球にも世界の歴史というものがあり、それぞれの時代で文化の風潮が異なっている。こんな建物は写真でしか見たことがない。それを目の当たりにするなんて。

 シャムセイル学院。それは城塞と称するのが妥当だろう。開けた大地に高い塀によって囲まれた城。石造りの城で、突き出た塔は時計塔になっていた。よく見れば塀も城の一部になっている。

 学院と聞いていたものだから、自分の通っていた学校かそこらの大学のキャンパスを想像していた相馬は呆気に取られていた。学院と呼ぶにはあまりにも物々しい建物である。まだ遠くに見えるその城が醸し出す雰囲気には気圧されてしまいそうだ。

「あれが学院……」

 シャムセイル学院を眺めたまま、独り言のように相馬は呟いた。

「そうよ。そしてその向こうに見える街が工業都市オイゲンよ。あそこの街なら大抵のものは揃えられるわ。交易も盛んなの」

 城ばかりに気を取られていたが、ユーリに言われるままにシャムセイル学院の奥に目を向けると、そこには建物が所狭しと詰め込まれているような街が見えた。学院とは少し距離があるようだ。至るところで煙突から煙が上がり、なるほど工業都市を納得させる。そして建物はやはり石造りのようで、それでいて工業都市というのだから相馬は少し違和感を覚えた。

「さ、ぼーっと眺めてないで行くわよ」

 ああ。相馬は心ここにあらずと言った様子で生返事をして、急ぐ三人の背中を追った。

 進むにつれて忘れかけた緊張が相馬を支配していった。しかしそれは妙に心地よいものであった。

 これからどうなるのだろう、何が待ち受けているのだろう。

 少しばかりの恐怖と少しばかりの興味に板挟みされた、初めて見る料理を食べる前の感覚に近い。どんな味がするのか、冒険の幕開けだ。

 シャムセイル学院の正門前に立つと、周りの塀の高さが相馬に圧倒的な威圧感を与えた。はしごをかけたとしてもその高さを想像すると登りたくない。

 分厚い板で作られていた両開きの正門もそれに見合う大きさで、一人二人ではとても開けられそうになかった。

 相馬はほへーっと口をあんぐりと開けてその正門を見上げている。そんな相馬を見て口に虫でも放り込んだらどんなリアクションを見せるだろうとナタリーはほくそ笑んでいた。

「はい、どいたどいた。邪魔よ」

 ユーリは正門前で呆けていた相馬を肩で押しのけ、正門に手を当てた。するとそこから淡い光が漏れ、光が消えると同時に正門がゆっくりと動き出した。鈍い音を出しながら、風を通す。

「な、何? どういう仕組み?」

「霊力」

 面倒臭そうにユーリは答えた。

 そしてまず相馬を出迎えたのは中庭だった。青々とした芝生が敷き詰められており、隅の方では花が咲いていた。正面の奥に見えたのは、学院内に通じている門だ。目立つ入口としてはその門くらいしか確認はできない。

 ほへ~、相馬はまた口をあんぐりと呆けてしまう。周囲を高い塀で囲まれた中庭から唯一見える外部の景色は澄み渡る空だけで、青い空を見上げるとまるで空中要塞にでもいるような感覚にさせた。

「この建物がそんなに珍しいのかな?」

 アルルはどこか嬉しそうに笑って言う。

「珍しい……まぁ、珍しいかな」

 相馬の話しは信じられていなかったのか、地球や東京の様子を尋ねられることはなかった。正直、面倒だから、余計なことは言わずに適当に相槌を打っておく。初めて見たなどと言えば東京の様子を事細かに尋ねられそうだ。どうにもアルルは好奇心旺盛のようだから。

「早く行きましょう。私もお腹が空きました」

 ナタリーは血の気が引いて足元もおぼつかない様子だった。元々、ナタリーは体を動かすことが苦手で、今回の道のりは堪えたものがあった。残り少ない霊力を自分の回復に充てながら歩いていたのはユーリとアルルには内緒だ。栄養補給したい。

 ナタリーに急かされるまま四人は学院長の部屋を目指した。時計塔の最上階、そこに学院長室は存在する。

 シャムセイル学院内部も外壁同様石造りで、照明は光る石のようなものが各所に置かれていた。霊力を込めると一定時間光り続ける特殊な鉱石を照明として使っていた。灯篭よりも光は弱いが、鉱石が壊れない限りは半永久的に使い続けることができる。エコだ。

 学院内を歩きながら光が弱まった鉱石を見つけると、アルルが霊力を込めると光が強まった。相馬は興味深そうにその石を眺めていたが、三人がさっさと行ってしまうので慌てて追いかけた。

 学院と呼ぶ割には見かけた生徒は少ない。中庭で数人、通路を歩いている時に数人すれ違った程度だ。その生徒らはユーリたちを見かけると「お疲れ様」と声をかけていた。三人は笑顔で答えるのみで、すれ違いざまにいちいちかけられるねぎらいの言葉にわざわざ足を止めることはない。それが当然のように進むユーリたちは堂々としており、相馬から見るとそれは貫録に近いものがあった。

 しかしながら相馬は居心地が悪い。ユーリたちと一緒にいる相馬は奇異の視線を集めていた。おそらくはユーリたちと行動を共にしているからという理由ではない。原因は相馬の服だ。すれ違った生徒たちはユーリたちと同じ白いコートを着ていた。それに赤茶色のズボン、スカート。それがこの学院の制服なのだろう。多少着崩したりしている者もいるが、白いコートが特徴的だった。

 決して広くはない階段を四階分上がり、一つの扉の前までやってきた。途中で見かけた扉とは違う重厚な扉だった。その扉の上には『学院長室』と書かれたプレートが掲げられてある。しかし相馬にはそれがわからない。言葉は通じるものの文字は読めなかった。それが文字とさえ気がつかなかった。

「入りなさい」

 扉の前で少し待つと、中から声がかかる。若そうな男の声だった。

 失礼します、そう一言断りを入れ、ユーリを先頭に部屋へ足を踏み入れる。

 中には壁一面に本棚があり、それを古そうな書物が埋め尽くしている。その古い匂いに懐かしさを感じる。中庭に面している大きな窓の前には立派なアンティークと呼べる机が存在感を醸し出していた。そしてこちらに背を向け、椅子に座ったまま外を眺めている人物が一人。シャムセイル学院長である。

「ただいま戻りました」

 ユーリ、アルル、ナタリーは横に並び、姿勢を正す。相馬も戸惑いつつ三人の後ろに立った。

 シャムセイルは椅子に座ったまま振り返り、

「ご苦労だった」

 柔和な笑みを浮かべた。

 輝かしい銀髪の、見たところでは齢三十ほどの男である。柔らかい笑みを崩さずに机に肘をつき、細く伸びた目でユーリらを一瞥した。その奥には翡翠色に光る瞳があった。

 シャムセイル学院長が肘をついたのを合図とするように、ユーリが話し出す。

「報告します。討伐依頼を受けていたウェアウルフ十六体、無事討伐完了しました」

「じゅっ、十六体!?」

「ソーマさん、学院長の前です。静粛に」

 ナタリーに窘められ、相馬はバツが悪そうにうつむいた。

 聞き間違いか? 十六体って、あんなのを? なんだこいつら。

 相馬が驚愕の声を上げたことも無理がなかった。あれに遭遇する前に三人はウェアウルフを十五体も討伐していたと言うのだから。たしかにアルルの火弾二発であっけなく消沈してしまったとはいえ、精霊術を使えない人間ならば数人がかりでようやく一体をどうにかできるかもしれないほどの獣だった。数人でどうにかできるかもしれないのだから、それを三人で十六体などとは、精霊術の力とは強大なものである。

「続きがあるのではないか?」

 相馬の態度など気にも留めず、シャムセイルは続ける。

「はい、最後のウェアウルフを討伐する際にこの者に出会いました」

「難民か? わざわざ学院に連れて来ることはないだろう」

「多少奇妙なことを言うので。それに、パギアの森で紅竜に遭遇してしまいました」

「なに……っ!?」

 それにはシャムセイルも驚きを隠せなかった。この近辺で竜を見ることは珍しい。本来、竜は人が寄りつけない天に近い山で暮らしていると言われている。稀に下界を眺めるように空を飛ぶ姿を見かけるくらいだ。シャムセイルは、本当か、とアルル、ナタリーに目を向ける。ナタリーは自分の焦げた制服を見せて苦笑を浮かべた。

「紅竜か……。紅竜……。いや、よく無事だったものだ……」

 シャムセイルは深い溜息をついて、力を抜くように椅子に深く腰をうずめた。

「この男です」

 ユーリはシャムセイルから相馬が良く見えるように移動し、続けて話し出す。

「紅竜から逃れることができたのはこの男が使った精霊術のおかげでした。いまだに信じられませんが、この男は火と水の精霊術を合成し濃霧を発生させ、その隙に脱出しました」

 シャムセイルは眉をぴくりとさせ、相馬へ視線を移した。

 おかしい。ユーリはまずそう思う。このことの方が驚くと思っていたのに。相反する精霊術の合成ができないことは常識ではないか。ユーリ、アルル、ナタリーは三人とも疑問符を浮かべた。

「名は?」

 シャムセイルは相馬をまっすぐ見据えたままで聞いた。

「そ、相馬」

 不思議な目をしている。あの翡翠色の目で見つめられると心が見透かされそうだ。

「私はこの学院の長、シャムセイルだ。さっそくですまないが、こちらへ来てくれないか」

「えっ……」

 突然の危機到来。何だ、何をされるのだ。

 相馬は戸惑いながら三人に目で訴えた。そして躊躇う。

「早くしなさい」

 ユーリからは面倒そうにそれだけ言われた。

「大丈夫だよ、死にはしないから」

 アルルは快活に笑った。危険がいっぱい?

「そんなこと言うと怖がりますよ。ソーマさん、安心してください。死よりも怖ろしいことなんていくらでもありますから」

 ナタリーさん、あなたが一番恐ろしいと思います。

「お前たち、客人を怖がらせてどうする。ソーマくん、心配しなくても君の記憶を探らせて欲しいだけだ。君も今までのことをいちいち話すよりも手間が省けるだろう?」

 相馬は少なからずも安心した。どうやって記憶を探るのかは知らないが、自分のことを客人と言ってくれた。ならば危険はないだろう。

 相馬は言われた通りに机の前に立った。後ろの三人はその様子を興味深そうに眺める。

 シャムセイルは席を立ち、右手を相馬の頭の上に置いた。

「えっ、あの……」

「そのまま動かないでくれ」

 変なことをされるような雰囲気はないが、なんとなく照れ臭い。男の相馬から見ても、シャムセイルの容姿は美しかった。まともにシャムセイルの目を見ることができずに、目を泳がせる。その目にはシャムセイルが身につけている衣服が目に止まる。派手さはないが見るだけでも高級そうなローブ。控え目な刺繍が施された白いローブの中には光沢のある黒い胸当てが見える。

「トーキョーか」

 シャムセイルが不意に呟いたその言葉で、相馬は心臓が跳ね上がった。

「そ、そうだ! 俺は東京から来たんだ! ここはどこなんだ!」

 突然出たその言葉に反応して捲し立てる相馬だったが、またしてもナタリーに窘められてその口を絞った。ユーリもアルルも、やれやれと頭に手を当てた。

 シャムセイルは深い溜息をつきながら、再び椅子に腰を落ち着かせた。

「まずは礼を言おう。三人を助けてくれて感謝する」

 紳士的に会釈して礼を言うシャムセイルに対して、相馬は疑問符を浮かべるばかりだった。

 助けたとは、三人が話していたことなのか。覚えていないのだから礼を言われたところでピンとこない。悪い気はしないが多少気持ち悪い。自分が覚えてないこともこのシャムセイルという男は見たと言うのだろうか。

「礼をされる覚えはありません」

 シャムセイルは軽く鼻で笑って「そうだな」と呟いた。

「三人とも聞いてくれ。ソーマくんが異世界からやってきたということは事実だ。この世界からまるで違う世界からやってきたらしい」

 本当だったんだ。三人が同じ顔をして相馬に目を向けた。

「ソーマくん、ここはジーナと呼ばれている世界だ。君がいた地球とは次元そのものが違う。君らの言う宇宙やらそういう類の問題ではない。この世にはいくつもの世界が存在していて、それは魔界であり、幻界であり、そしてこのジーナも、君のいた地球がある世界もその一つにすぎない。我々が生きている世界などほんの一部なのだよ」

「でも、それが本当の話しだったとして、ソーマはどうしてここに……」

 ユーリの呟きにシャムセイルは少し唸り、

「私にも詳しいことはわからない。だが……いや……」

 何かを言いかけて言葉を濁した。

「俺はどうやったら帰ることができるんですか?」

 正直、世界が違うとかそういう話はもうどうでもいい。自分はここにいるのだからそれが証明している。問題はどうやったら帰れるのか。そもそも帰れるのか。観光は十分に済ませたから、あとは帰る方法さえわかればいい。

 シャムセイルは相馬を一瞥し、より深く腰を沈めた。

「悪いが、私では力になれそうもない」

 …………本当に、冗談じゃない。来れたのだから帰れる方法だってあるはずだ。そうでなくては困る。こんなところにずっといるつもりなんて毛頭ない。変な力とか、あんな化物がうろついている世界なんてまっぴらごめんだ。自分は普通の学生だ。不思議な出来事は嫌になるほど体験できた。もう現実世界に帰して欲しい。

「学院長でもわかりませんか」

 ナタリーは顎に手を当てて考え込む。ナタリーは体力がない分、知識が豊富だった。それでも相馬に関する出来事はわからなかった。この学院で自分より知識があるのは学院長しか思いつかない。その学院長ですらわからないのなら、ここではどうしようもないのではないか。

 室内には沈黙が訪れた。

 相馬は落胆の色を隠せない。帰る手掛かりは何もない。これから、本当にどうしていいものか。頼れるものは目の前の男と女三人組しかいないのに。

「ところで、君の処置だが」

 来た。懸念していたことだ。どうしようかなどと考えていたけれど、自分に自由などあるのだろうか。相馬はシャムセイルの次の言葉に身構えた。

「君には力が感じられる。しばらくはこの学院で過ごしてもらおうと思う。特別な措置はしないから自由に過ごしてくれていい。その方が君とっても都合がいいだろう? 君はこの世界を知る必要があるはずだ」

 相馬にとっては願ってもない話しだった。面倒なことが起こらないのならそれが一番良い。焦ったところでどうしようもできない問題が掲げられている。安全だと言うのならばここで少しでも手掛かりを得たいところだ。それに考えられる道は他に見当たらない。

「そうするしか……ないですし」

「まあ、そうだな」

 相馬の気持ちを汲んでかシャムセイルは申し訳なさそうに呟いた。素直に受け入れられない気持ちはわかる。帰る方法が手近にあるのならそれを与えるのが最善のはずだから。

「それで、君の世話は……ユーリに頼むとしよう。お前には特別大きな部屋を与えてあったからな。ソーマくんを頼む」

「はぁっ!?」

 美人が台無しだ。ユーリは思いっきり顔をしかめた。

 それは一体どういうことだろう。まさか、この男を自分の部屋に住まわせろと?

「お、お言葉の意味が、わ、わかりかねますが……」

「ソーマくんをお前の部屋に置いてやれと言ったのだが?」

 ユーリは固まり、何度も何度もその言葉の意味を頭の中で巡らせる。

 そして叫んだ。

「ちょっとおじいちゃん! 冗談でしょ!? 年頃の男女が同じ部屋で過ごすなんてありえないから!」

 何を言っているのだこの人は。自分は女でソーマは男なのに。しかもソーマは自分のことを可愛いなんて、か、可愛いなんて、可愛いなんて……。そんな男と同じ部屋にいたらこの身が危険だ。いや、いざとなれば精霊術で……。そんな問題じゃない!

「こ、こら。みなの前では学院長と呼びなさい」

 シャムセイルはユーリの心配を他所に気になる一言について窘めている。あくまでも柔和な笑みは崩さない。

「ぷっ……くくっ……」「……ふっ……ぶふふっ……」

 アルルとナタリーがユーリの様子を見て今にも笑い出しそうに両手で口元を押さえていた。

 顔を真っ赤に紅潮させたユーリが二人を睨みつける。

「笑いごとじゃないわよ!」

「いいんじゃないの? ソーマくん、少しかっこいいし」

 そ、そんなことは思っていない。

「これでユーリが少しでもおしとやかになってくれれば私たちも安心できますし」

 二人とも他人事だと思って……!

「こら」

 この場にいる全員に猛抗議してやろうと爆発しそうだったユーリの頭をシャムセイルが小突いた。

「あだっ。何するのよおじいちゃん!」

「が、学院長と……。お前は、彼の気持ちも少しは考えてやれ」

 三人が相馬を見ると、相変わらず落胆したままでうなだれていた。

「あっ……」

「お前が連れて来たのだから責任を取れ。突然見知らぬ世界に来てしまって何も見えずに心細いだろう。アルルとナタリーもユーリのサポートを頼む」

 アルルとナタリーは快く承諾した。

 ああ、もう逃れられそうにないな。ユーリは大きく溜息をついた。

「ソーマくん、何かあればこの三人を頼るといい。ついでにユーリのことも頼む」

「どういうことよそれは!」

 シャムセイルは意地悪く笑った。

「わかりました」

「何をわかったのよあんたは!」

 もう相馬が落ち込んでいようと知ったことではない。これから大変だ。誰かと一緒に暮らすなど、それも男と一緒なんて気が気じゃない。あれもこれも、片付けないと。

「では決まりだ。ソーマくんを案内してやりなさい」

 ユーリはもう一度、大きく溜息をついて「行きましょう」と相馬以上の落胆ぶりで扉の方へ振り返った。アルルとナタリーはシャムセイルに一礼して扉へ向かう。

「あの……」

 相馬は先程から気になっていたことをシャムセイルに尋ねようとしていた。

「何だい?」

「あなたは、一体何歳なんですか?」

 シャムセイルは意味深に笑う。

「秘密だ」



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