ドグマキャリア学院 Ⅲ
ドグマキャリア学院から少し下ったところにある宿。その沈黙が支配する一室に五人はいた。誰もかれもうなだれたままで口を開こうとするものはいなかった。
『三日後に精霊祭を控えてるの。それでアドラス学院長も気が立ってたんじゃないのかしら。よかったらユーリちゃんたちも精霊祭を見てってよ』
ソフィアはアドラス学院長の部屋から逃げ戻ってきた五人に何も聞かず、それだけ言って宿を手配した。あのまま帰るわけにもいかないユーリたちはありがたくその好意を受け取ったものの、とてもではないが祭りを楽しめる状況ではなかった。
ユーリもアルルもナタリーも、意気消沈としている。目を覚ましたアドルフはその三人をつまらなさそうに眺め、相馬はただ黙って座っていた。
状況を理解しているようで、あまり状況をよく飲み込めていないのが相馬だった。
気が付いたら寝台に寝かされていた。これももうすでに何度目の経験だっただろうか。
アドラスの部屋では黙って話しを聞いているしかできなかった相馬である。もちろんドグマキャリア学院に来た目的はわかっていたし、うまくことが進んでいないこともわかっていた。しかしあの場で口を挟むことはしなかったしできなかった。所詮、この旅には付き添っているだけなのだ。アンバーを手に入れなくてはならないことはわかってはいるが、その重要性までは理解していなかった。実感がないからだ。相馬においての旅の目的は、自分がこの世界へ呼ばれた理由を知ることと地球へ帰る方法の模索。そして強くなることなのだ。正直、アンバーのことが最重要というわけではない。
だがしかし、相馬の旅の目的を果たす手段は何も見つかっていない。そのことを考える余裕が相馬にはまだないことも事実だが、いかんせん、一人では何もできないのだ。どこに行けばどういう情報があるかも全くわからない。ユーリたちについて行くことが全ての目的を達成するにあたり最も効率が良く、最も可能性が高い。
だから、目の前のことをどうにかしなければ前には進めない。できることから片付けていかなくてはならない。
そう、まずは、この雰囲気をどうにかしなければならない。相馬が覚えているのはアドラスに吹き飛ばされるところまでだ。その後どうなったのかわからない。仲間の様子を窺えば容易に想像はつくが、ここはわからないふりをすることにした。
「な、なあ、結局のところ、どうなったんだ?」
返ってきたのは沈黙だった。ユーリが睨みの一つでもきかせてくれればまだいいものを、完全に無視されている。いや、返事をする気力もないのだろうか。
「ソーマくん……」
アルルが力無い微笑を浮かべる。相馬も精一杯に笑顔を作ってみせた。
「ダメ、だったんだ。アンバーの封印、解いてくれそうもないみたい」
「そっ、そっか……」
そしてアルルは顔を伏せてしまった。おそらく、今回のことで一番滅入っているのはアルルだろう。手に入れるはずだった、手に入れなければならなかった力が手に入らなくなってしまったから。
「あー、でもさ、アドラス学院長さん言ってただろ。あの悪魔を倒せばそれで終わりだって。ならここは諦めて次のアンバーのところに行くっていうのは……?」
それに対して小さく息を吐いたのがナタリーである。
「それはとても良い考えです、ソーマさん。ですがやはり、そういうわけにもいかないのです。アドラス学院長が言っていた、ビオムサルワがこの世界に残されていたという可能性。それともう一つ、ビオムサルワが最近、世界の境界線を越えてやってきたという可能性。そのどちらも否定はできないのです。本当にビオムサルワを倒すだけでいいのならばソーマさんの考えでもいいのですが、確実ではありません。これはそう簡単な問題ではないのです。あのビオムサルワがジーナにいたという事実が、そのまま世界が常に戦争の危機に面しているということになるのですよ」
ナタリーはそこで一度間を置いて、アルルを一瞥した。
「ですからやはり、〝幻のアンバー〟は必要です」
やはりそうなるのだろう。みな滅入ってはいるが、考えているのだ。〝幻のアンバー〟を手に入れる方法を。しかしどうしていいのかわからずに、黙っている。
「ユーリ」
ナタリーは相変わらずうなだれているユーリへ声をかけた。
「もう一度アドラス学院長のもとへ行きましょう」
ユーリはその呼びかけに答えなかった。ユーリの立場としては、シャムセイル学院の代表のようなものだ。親善大使の役目を担ってもらうかもしれないと、シャムセイルは言っていた。その結果が友好関係を深めるどころか追い返される形になってしまった。責任を感じていないわけはない。
「と、とりあえずさ」
相馬はたまらずに割って入る。いつまでもこうしていられない。息が詰まってしょうがないのだ。
「少し時間置いてからもう一度行くっていうのはどうだ? 焦ったって仕方ないしさ。なっ? ナタリー」
ナタリーへ向けて言ったのは、ナタリーがこの中では一番冷静に話しを聞いてくれそうだったからだ。
ナタリーはもう一度ユーリを一瞥し、それからアルルへと目を向ける。アルルはナタリーと目を合わせたあと、小さく頷いた。
「……そうですね。時期が悪かったというのもあります。精霊祭はシーレスト最大の祭典ですから。精霊祭が終わるまで待つというのも一つの手でしょう」
ナタリーの肩の力が抜けたことが相馬にも見て取れた。それを見て、相馬自身も深く長く溜息をついた。ようやくこの緊張から解放される。
と、思っていた。
「では、話しを変えましょう」
この流れで部屋を出て行こうとしていた相馬はナタリーの切り出しによって足止めをくらう。ナタリーがその鋭い眼差しを向けていたのは、こうなった状況を作り出したアドルフだ。
「アドルフさん、あなたはアドラス学院長とどういう関係なのですか?」
思わぬ足止めをくらった相馬であったが、これには興味があった。謎が多い男であるアドルフの謎が一つ解明される時なのだから。
アドルフを見やると、とぼけた様子で欠伸をしていた。
「話してもらえないのなら、一応あなたの持ち物である霊剣クルスをアドラス学院長に引き渡します」
これにはアドルフも顕著な反応を見せた。痛いところを突かれたように頭を垂れ、やれやれと両手の平を返した。ナタリーの勝利だ。
「やつはただのジジイだよ」
「アドラス学院長をそんな風に呼ぶのはおやめなさい。あなたとアドラス学院長の間に何があったのかは知りませんが、この国で最も権威があるお方なのです」
それを聞いたアドルフは「はっ」と小さく吐き捨てた。
「随分とえらくなったもんだぜ。だがそれでもやつはただのじじいだ。じいさまなんだよ。おじいさま。わかり易く言えば、やつはオレの祖父だ。身内なんだよ。ほら、ただのじじいだろうが」
ユーリは顔を伏せたまま眉をぴくりと反応させ、アルルは大きく振り向いて驚きの表情を見せた。ナタリーは呆れ果てた溜息をつき、相馬は納得の表情だった。
相馬はこの国に着いたばかりのことを思い返していた。アドルフはユン・ドグマの民族衣装を見て明らかな嫌悪を見せていた。昔のことも知っているような口振りだった。これで納得がいった。アドルフはユン・ドグマの出身だったのだから。そして、自分の国を嫌いになるようなことがあったこともわかる。
「なるほど、それでですか。続けて尋ねますが、学院長の孫であるあなたがどうして帝国で剣士などやっていたのですか?」
「喧嘩して家出した。んだけだよ」
ナタリーは大きく溜息をつき、続けて尋ねる。
「何が原因だったのですか?」
「そこまで話してやる謂れはねえよ」
そのアドルフの態度に立ち上がったのがユーリだった。我慢できなかったのかそこで怒りが沸いてきたのか。相馬は反射的に身構えてしまう。すごい剣幕だった。
「あんたねえ! 誰のせいでこんなことになったと思ってんのよ! 何があったのか知らないけど、身内の喧嘩にあたしたちを巻き込むんじゃないわよ!」
「オレが出しゃばろうがあいつは封印を解きはしなかっただろうよ。昔っから頭かてえからな」
「それでも説得できたかもしれないでしょ!? もう二度と話しも聞いてくれないかもしれないのよ!?」
「そんときゃそん時で黙ってかっぱらっちまえばいい。悪魔とやらを倒してあとで謝っちまえばいいさ」
「ナタリーも言ってたでしょ、そんなことしたら戦争になるわよ! あんたは何にもわかってない! ただ封印を解いてもらえばいいってもんじゃないの! もっと繊細なことなのよ!」
「何だよ、わかるように教えてくれよ」
「この旅は、あたしたちの旅は! みんなで協力して悪魔と戦うように呼び掛ける旅でもあるの! 世界が一つになって戦うのよ!」
「はっはー。そいつは理想だなユーリ。だが無理だ。帝国の奴らはおたくらの国が悪魔に襲われたって見向きもしねえぜ、きっと。自分たちに降りかかる火の粉を払うだけさ。お前こそ世界ってのをわかってねえよユーリ。国と国なんざそんなもんさ」
「そんなことない! この旅で人間同士の争いを終わらせるの!」
「終わらねえよ」
「終わらせる!」
二人の言い争いは次第に激化していった。
そしてついには、ユーリの周りに風が巻き起こり始める。
「あ、あんたなんか……ッ!」
「おっ、やるってのか?」
二人が臨戦態勢に入り、相馬は身構えた。確実に巻き添えを食う。咄嗟に逃げ場がないものか探して、ナタリーが絶対障壁を展開させていることに気付いた。その後ろに回れば安全だ。どうやらナタリーは二人のことを止める気がないらしかった。相馬も止めなければならないとは思ったが、この二人をどうやって止められよう。できることは身を隠すことだけだ。
そんな中、二人を止めに出たのは、アルルだった。
「もうやめてッ!」
叫んで、ユーリとアドルフの間に割って入る。
「アルルどいて。こいつは一度黙らせておかないとダメよ」
「オレは二人まとめてでもいいんだぜ」
「言ったわね! 遠慮なんてしないんだか――」
「わたしが話すからッ!!」
先手を取ろうとしたユーリに対して、もう一度アルルが叫んだ。ユーリは展開しようとしていた精霊術を咄嗟に止め、戸惑いの表情を浮かべた。
一旦落ち着いたユーリに向け、アルルは静かに話し出す。
「わたしが使う力だもん。わたしがアドラス学院長と話しするよ。ユーリばっかりに頼ってられないし。ほら、わたしだって、役に立ちたいし。うまく説得できるかわかんないけど、とにかくわたしの気持ちを伝えようと思うんだ」
「アルル……」
ユーリからは完全に霊力の反応が消え去った。アルルの表情には不安の色が見え隠れしているが、ユーリはそれに気付かない振りをして静かに頷いた。
「無駄だぜ」
アルルの決意はアドルフの一言で一蹴された。そんなアドルフにユーリがけしかけようとするのを、アルルは片手で制する。
「そうかもしれないね」
言いながら、アルルはアドルフに向かって歩み寄って行った。そして力強い瞳でアドルフを見上げる。
「でもやれるだけはやるよ。あなたはアドラス学院長のことをよく知ってて、あなたの思う通りになるかもしれないけれど、でも――」
パンッと、乾いた音がこだました。アルルの右手がアドルフの頬をはたいていたのだ。
「ソーマくんのこともそうだけど、わたしの大切な人を傷つけるのは許さないよ。一緒に旅してるんだから、仲間のことは大事にして」
アドルフは面食らった顔をして、アルルの力強い瞳を見下ろした。しばらく視線と視線がぶつかり合う。両者とも視線を逸らそうとはしなかった。
「ははっ」
不意に、アドルフが小さく笑った。
そして普段と変わらない口調で、おどけた様子で言う。
「悪かったよ。まいったね、雇い主に牙を剥こうとするなんざ商売者としちゃ失格だな。詫びとして、あのじじいにはオレが話しつけてやろうか?」
アルルはにっこりと笑う。
「うん、遠慮しとく」
「ははっ、そうかよ」
そしてアドルフは部屋を出て行こうとして、ユーリに止められた。
「どこに行く気?」
「ほっぺが痛いんでね、風にでも当たってくるわ。オレの出る幕はなさそうだしな」
「ふーん。そっ」
微笑を浮かべながらユーリの横を通り過ぎるアドルフ。その際に、ユーリは小さく呟くように言った。
「払った料金分、これからもきっちり働きなさい」
一度足が止まったアドルフだったが、困った顔で「へいへい」と手をひらひらと振りながら部屋を出て行った。
部屋を出たアドルフは一度部屋の扉を振り返り、ひとり呟いた。
「仲間ね。さて、おたくらは信じられるのかな」
男の影は、街の中へ消えて行く。
アドルフが出て行った部屋の中で、アルルは大きく息を吐いた。その瞬間、張り詰めていた空気が解かれる。
相馬は腰が抜けるように椅子に座り込み、背もたれに体を預け、宙を仰いだ。全身から力が抜ける。修羅場というやつだった。他の三人を見てみてもほっとした顔を浮かべている。
そんな中で相馬は、出て行ったアドルフのことを考えていた。
ドグマキャリア学院に辿り着くまでの道中、アドルフは自分には精霊術の才能がなかったと言っていたことを思い出していたのだ。そして、アドラスの言っていた〝出来損ない〟という言葉。おおよそではあるが、あの二人の過去に何があったのか想像がついていた。しかしそれを三人に話そうとは思わない。多くを語らなかったアドルフにとって触れられたくない過去なのだろう。
そして相馬はアドルフのことを決して〝出来損ない〟などとは思っていなかった。アドルフは悔しいが憧れるほどの強さだ。それは決して精霊術に長けているからというわけではない。自分の長所をうまく生かし、剣の腕を磨いた成果なのだ。過去の〝出来損ない〟でも〝最高級品〟になれる。自分の力をうまく使いさえすればいくらでも輝けるのだ。自分にしかできない力の使い方。相馬にとってそれは、アドルフを打ち負かした時のような力の使い方だ。
この世界では唯一、相馬にしか使えない精霊術による疑似拳銃。あれを自在に使えるようになれば、それはきっとこの上ない武器になる。
なんだか胸が高鳴ってきた。
「なあ、精霊祭が終わるまでは自由行動ってことでいいんだよな?」
相馬の問いかけに、ユーリはそうするしかないでしょうねと他の二人に目配せをした。それにまず応じたのがナタリーだ。
「私は少し街を見回ってみようと思います。この街には精霊のことに関してはもちろん、歴史的にも貴重な資料がありますので」
ナタリーらしいと納得して、今度はアルルを見やる。
「わたしはソフィアさんに会ってみようと思うんだ。アドラス学院長のこと聞きたいし、学院の講師ならアンバーのことももしかしたら知ってるかもしれないし。一応、アドラス学院長を説得する準備ってやつかな」
ふむ、それは邪魔できない。それでは最後に、
「あんたはどうすんのよ。何か気になることでもあったの?」
こちらが聞く前にユーリは腕組みをして聞いてきた。こちらの質問を疑問に思ったらしい。何やら勘ぐるような視線を向けられている。子供のいたずらを疑われているような心境だった。
「ユーリは暇なのか?」
「別にすることはないわね。アルルに付き合ってあげたいけど、学院に行ったらまたカナヴィナに出くわすかもしれないし、正直あそこに行くのは気が進まないわ」
「じゃあ精霊術教えてくれよ」
間髪入れずに相馬は言った。
「精霊術? あんたの特訓にはちゃんと夜に付き合ってあげるわよ。そういう話しだったでしょ?」
「いやまあ、それはありがたいんだけど、俺も祭りが終わるまではすることないし、その間だけでも一日中付き合って欲しいんだ」
「あんたの特訓に、一日中、ねぇ……」
ユーリは少しの間考える素振りを見せた。何を悩んでいるのだ。暇ならいいじゃないか。一人ではどう練習すればいいかなんてわからないのだ。
「……そうね。いいわ、付き合ってあげる」
「本当か!? 助かるよ、ユーリ」
「二人はやることあるみたいだし、仕方なくよ。でもやるからには厳しくいくわよ」
「望むところだ」
最後に話しはまとまったようだとナタリーが締め、今日の残りは相馬へのシーレスト案内も兼ねて街を散策することになった。
ナタリーは行く先々の露店で何かしらを買って頬張り、アルルはユン・ドグマの伝統工芸である髪飾りを一つ買った。ユーリの財布の中身はアドルフに賃金として払ってすっからかんだったため、ナタリーが菓子をいくつか分けていた。欲しくなるので露店に置いてあった服は見ないことにしていた。
相馬はそんな三人のあとに続きただ歩いていた。菓子をいくつかもらったがどれも美味だった。
工業都市オイゲンのような活気や華やかさはないものの、街は落ち着いていて伝統的文化の独特な雰囲気があり、散歩しているだけでも楽しめる。火山に造られた坂と階段の街。至るところにある階段は休憩所の役割も果たしているようで、顔なじみが座りこんで談笑している姿がいくつも見られる。
店もまとまってあるわけではなく、点々と散らばっていた。火山の傾斜が一定ではないためにまとまって家屋を建てられないのだ。そんな中で無理矢理にいくつかの建物を繋げて建てられたかのような建物があった。ナタリーが目的としている資料館だ。中には一般に開放されている区画と歴史的に貴重な資料を保管している保管区画がある。ナタリーは一度でいいからそこに入ってみたいと言っていた。以前は断られたらしい。
住宅地に入ると、住人は家の飾り付けに勤しんでいた。家の入口に羽飾りをつけ、屋根からは四色羽を刺繍した布を垂らしている。質素なものから手が込んであるものまで様々だった。相馬が不意に口走った「クリスマスみたいだ」という言葉にユーリが食いついてきたので、同じような祭りだと誤魔化した。説明するのが面倒だったから。
住宅地を抜けると、僅かに開けた土地を階段で繋げた公園があった。精霊術の特訓場所にするらしい。
途中で昼食を食べ、一通り街を見て周り宿に戻った。
夜になってもアドルフは戻って来なかった。
三日後に行われる精霊祭は二日間開催される。ユン・ドグマで年に一度行われる、精霊に感謝を捧げる神聖な祭典である。
その祭典の終わった先にあるもの。それぞれの思いを胸に、精霊祭へと臨む。