ドグマキャリア学院 Ⅱ
正門をくぐりドグマキャリア学院に足を踏み入れたユーリたち五人の元に、駆け寄ってくる人影があった。
カナヴィナと同じ士官服を着た、赤い髪を肩上で切り揃えている眼鏡をかけた女性だった。
彼女は息を切らしながら五人の元へやって来ると、そのままの勢いで頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! うちのカナヴィナがご迷惑を!」
それを見たユーリが慌てて言う。
「そ、そんな真似しないで下さい、ソフィアさん。毎度のことですし、もうアルルがお灸を据えてあげましたから」
ソフィアは正門に力無くしがみつきうなだれているカナヴィナを見て、深く溜息をつく。そして息を整えると、姿勢を正し、五人に向けて笑顔を見せた。
「ようこそドグマキャリア学院へ。アドラス学院長には話しを通しているわ」
その笑顔に対し五人、特にユーリ、アルル、ナタリーは安堵の表情を浮かべる。
ソフィアはドグマキャリア学院の講師だ。ユーリ、アルル、ナタリーとは面識があり、ドグマキャリア学院とシャムセイル学院の対抗戦で決勝の審判を務めた。故にカナヴィナとユーリの関係も把握済みなのだ。
「じゃあ、さっそく学院長のところに……」
そう言って歩き出すユーリを足止めするようにソフィアが立ち塞がり、一つ咳払いをして言う。
「こほん。その前に、後ろの二人は誰なのかしら? たしかさっきは生徒と講師って言ってたけれど、シャムセイル学院にそんな素敵……い、いえ、お若い男性講師がいるなんて記憶にないのだけれど」
四人、アドルフを除く四人が一つの言葉に顔をしかめた。アドルフは全員の視線などお構いなく、ソフィアに爽やかな笑顔を向けている。
「あ、あのう、ソフィアさん。後ろの小さい方は特別野外実習で同行させてまして、おっきい方は最近講師になって、アドラス学院長への挨拶も兼ねて同伴してもらいました」
「あ、あらそう。本来ならあなたたち以外はきちんと申請を出して欲しいのだけれど、こ、今回は特別に通してあげるわね。わ、私が、この私が一緒だから特別なのよ?」
そう言いつつ、ソフィアはちらちらとアドルフに視線を送っていた。
そんなソフィアのもとにアドルフがゆっくりと近付いて、自然な素振りでソフィアの手を取り、
「初めまして、アドルフです。寛大な措置、心から感謝いたします。それにしても、僕は何て幸運なのだろう。まさかこんなに可愛い方が出迎えてくれるなんて」
その手の甲にそっと口づけた。
「ま、まぁっ、かっ、可愛いなんてっ。お上手ですね」
「本心ですよ」
頬を赤く染めるソフィアと紳士的な笑みを浮かべるアドルフを見て、残りの四人は、
「「「「けっ!」」」」
吐き捨てた。
その四人の態度に気が付いたソフィアは慌てて自分の髪を撫で、場を取り繕う。
「そ、それじゃあ行きましょうか」
四人は一つ小さな溜息をついて、ソフィアのあとを追って歩き始めた。アドルフの横を通り過ぎる際にユーリとアルルが軽蔑の眼差しを送り、ナタリーが意外そうな眼差しを送り、相馬においては若干の羨望の眼差しを送っていた。
「ああいう人がお前の好みなのか?」
相馬が興味深そうにアドルフに尋ねる。
ソフィアの見た目は知的で気品が漂う美人だ。
アドルフは肩をすくめて自虐的に笑う。
「これも世渡りの術なんだよ。オレはもっとこう、色気のある艶っぽい人が好みだな」
それを聞いた相馬は、
「けっ!」
もう一度吐き捨てた。
ソフィアを先頭に、ドグマキャリア学院の奥へと進む。
正門をくぐればそこは中庭だ。シャムセイル学院とは違い、学院の外部に校庭があるために中庭は憩いの場程度の広さしかない。中央には噴水が水しぶきを上げ、その周りの花壇が中庭を彩っていた。
中庭に入りすぐ横に学院内部への入り口がある。学院内部は全てが石造りであり、雰囲気はシャムセイル学院と酷似している。ただ、最も新しいシャムセイル学院と比べて、ドグマキャリア学院は古くからあるため、ところどころには劣化している箇所が見られた。それはそれで歴史を感じさせる建造物である。学院自体の広さは火山に建っているためかシャムセイル学院の方が広い。
「それにしても大荷物ね。長く滞在するつもりなの?」
通路は狭く、横に並んで歩くにはせいぜい三人ほどしか並べない。集団の先頭には幅を取る鞄を持ったユーリが歩いていた。
「いえ、今回は少し長い任務なので」
「そう。何かわけありみたいね。親書なんて滅多にないもの。それも直接あなたたちが届けるなんて、よほど重要なことなのでしょうね。興味はあるけれど、聞かないことにしておくわね」
「助かります。いずれはソフィアさんにも協力してもらわないといけないかもしれません」
「うふふ、まだまだねユーリちゃん。そっか、あなたたちに関係がある、むしろ当事者ってところかしら。ほら、親書ならあなたも内容は知らないはずでしょ?」
「えっ! あっ……」
ユーリは恥ずかしそうに視線をうつむかせた。してやられた。しかし、これも注意しておけばうっかり口を滑らせることもなかったのだ。精霊術や戦闘のこと以外にも学ばなければならないことがあるとユーリは痛感した。
「ごめんなさい、詮索するような真似をしちゃって。それで、一つ聞いておきたいことがあるの」
ソフィアは視線を後方へ向け、ユーリにだけ聞こえるように小声で話しかけた。
「答えられることならお答えします」
ユーリも先程の失態は繰り返すまいと、心を身構える。
ドグマキャリア学院のソフィアといえば、実力者としてもだが、策士として精霊術師の間では有名だった。ソフィアは風霊術師だが、決して強大な精霊術は使えない。しかし、風霊術師ながら巧みに四属性を操り、相手の裏をかき、自分の思い通りに戦闘を進める。ユーリの戦略もソフィアを参考にしているところが多々あった。尊敬する精霊術師である。
そんなソフィアが相手だ。言葉巧みにいろいろと聞き出されるかもしれない。
「その、あのね、ア、アドルフさんって、ご結婚とか、されてるのかなぁ……なんて」
「……はい?」
「ち、違うのよ? ほら、私だってもう今年でみそ……いい歳になるんだから、そういう結婚とか? の相手の候補くらいねぇ、見つけておきたい、みたいな?」
「はあ」
「い、今ならさ、昔と違って国際結婚も進んできてるみたいだしぃ、同じ学院講師でしょ。困った時とか悩んだ時とかも、お互い励まし合って支え合っていけると思うんだよね。ね、ね、どうなのかな?」
「そ、そういう相手は、いないと思いますけど……」
「えーん、そっかぁ、そうなんだぁ。ふぅん」
「…………」
どんなことを聞かれるかと思っていれば、拍子抜けしたというのが本心のユーリだった。
そしてソフィアに対して申し訳ないという気持ちが生じてきた。咄嗟についたアドルフが講師という嘘のせいでソフィアが盛り上がってしまったのだ。講師だからなのか単純にアドルフの見た目に惹かれたのかはわからないが、申し訳なさは拭い去れない。
アドルフなど、根無し草の放浪人なのだ。しかも帝国の人間で盗人。これまでにもどんな悪事に加担していたのかわからない。金で動くような男というのがユーリの認識だった。世界中でその日暮らしをしてきたような奴に恋人がいるとは思えない。
しかし、アドルフに恋人がいないとしてもとても紹介してやるような気持ちにはならない。ソフィアのためにもだ。
「そ、そういえば、恋人がいるって話してたような……」
嘘に嘘を重ねる形になった。恋人はいないと決め付けているだけで実際はいるのかもしれないが。しかし早々に諦めてもらった方がいい。絶対にそうだ。そうに決まっている。
「……ッ!」
途端にソフィアは今にも泣き出してしまいそうなほど落胆した表情になってしまった。心が痛む。
「……そうよね、あんな素敵な人に恋人がいないなんて、ありえないもの」
それを聞いたユーリはソフィアに見えないようにうげえっと舌を出して苦い顔をした。
まったく、人の好みなんてわからないものだ。
「ソフィアさんならいくらでもいい人が見つかりますよ」
「ふ、ふふ、ユーリちゃんにはまだわからないわよ。あなたはまだ若いもの。それに出会いなんて……、私は学院に籠りっぱなし、島の男は堅い連中ばっかりで私には合わないって感じだし……」
ソフィアこそ知的で堅く見えるのだが、人は見かけによらないものだとユーリは思った。
それから遠くを見つめるソフィアにかける言葉も見つからず、寂しく歩く背中を見つめながら黙って歩いた。
通路の最奥にある扉。
そこがドグマキャリア学院、アドラス学院長の部屋である。
ソフィアが扉の前に立つと、野太い声で「入れ」と聞こえた。
ここからが本番だ。精霊信仰が深く染みついた国の霊術学院長にどれほど話しが通じるのだろうか。心構えはしてきたつもりだが、ユーリもその仲間も緊張は隠せないでいた。
「失礼します。来客の者を連れてまいりました」
部屋に入ると、そこは広い空間だった。ドグマキャリア学院の学院長室に入ることはユーリでも初めてのことだった。
部屋の奥には小さな窓が一つ。あとは壁に精霊の絵画らしきものが飾られてあるだけだった。しかしそれだけでも、精霊信仰が名ばかりではないことが推し量れた。
アドラス学院長は奥の机の横に佇んでいた。民衆とは一風違った煌びやかな装飾が施された白いローブに身を包んでいる。民衆と似ているのは、やはり装飾が精霊を象徴する四色の糸で紡がれていることだ。
風貌を一言で言い表すのならば、老人。長い白髪と長い白髭。体格も小柄で齢八十は超えているだろうか。しかしユーリらを見据えるその眼光は鋭く、ソフィアも厳しい表情で佇んでいた。
「ふむ、お主のことは覚えておる。たしかユーリと言ったな。シャムセイルの秘蔵っ子じゃな」
ユーリは一歩前へ踏み出し、会釈する。
「ご無沙汰しております、アドラス学院長。さっそくですが、シャムセイル学院長より親書を預かっていますので。どうぞこちらを」
ユーリはアドラス学院長充ての手紙を取り出し、机の上に置いた。アドラスはそれをすぐに手に取ることはせず、目を細めて手紙を訝しく眺める。
「力を受け継ぎし者が三人。中身を見るまでもなかろうが、しかしまあ、受け取らぬわけにもいかぬな。ソフィアよ、お主は外で待っておれ」
命を受けたソフィアは静かに学院長室を出て行き、それを確認したアドラスは机に置かれた手紙を手に取り、静かに目を通していく。
しばしの間、沈黙が学院長室を支配した。
みな身動き一つせず、ただアドラスが手紙を読み終わるのを待ち続けた。ただ一人、アドルフだけは暇そうに欠伸をしている。横にいたナタリーがアドルフを睨むものの、アドルフは特に気にする様子も見せなかった。
「なるほどのぅ」
不意に、アドラスの声が部屋に響き渡った。アドラスは小さく溜息をつき、読み終えた手紙を瞬時に消し炭へと変えてしまう。
そして、ユーリの緊張が一気に高まった。アドラスはどんな反応を見せるのか。嫌な汗が噴き出してくる。絶対に手にしなければならない〝幻のアンバー〟。しかしその封印を解く鍵は目の前の老人が握っている。
「ビオムサルワか。あやつを相手によく生き残ったものじゃ」
「……強大な力を持つ悪魔でした。撃退できたことも偶然――運が良かったと言わざるを得ません。その後、シャムセイル学院長からあたしたちには魔法という力が使えることを聞きました。あのような悪魔に対抗するためには――」
「ならん」
「え?」
ユーリが言い終える前に、その言葉を遮るようにアドラスは切り捨てた。ユーリは思わず唖然として、困惑の表情をアドラスに向けてしまう。
動揺してしまったのはユーリだけではない。アルルとナタリーも、相馬ですら面食らった顔をした。唯一、こうなることを懸念していたアドルフだけは動揺することはなく、そればかりか鋭い眼差しをアドラスに向けていた。
「ア、アドラス学院長、あたしたちはアンバーを手にするために――」
「ならんと言ったのじゃ。あれは封印を解くべきものではない」
懸念が絶望に変わった。こうなってしまうことを考えなかったわけではない。嫌でも頭に浮かんできたことだ。しかしそれでも、それは杞憂に終わるだろうと思っていた。なぜならば悪魔は全人類の敵だから、世界の敵だから。世界を、人間を守るためには強大な力が必要なはずだから。その気持ちはみな同じものだと思っていたから。
「で、でもアドラス学院長、魔法の力がなくっちゃ悪魔には勝てません!」
「撃退できたのじゃろう?」
「だ、だからそれは本当に偶然で! おじ――シャムセイル学院長もあいつには敵わなくって! それにあんなのがもっとたくさん責めて来たらそれこそどうしようもないじゃないですか!」
普段ならば素の話し方になっているユーリをナタリーが窘めでもするのだが、ここではそうしなかった。アルルもナタリーも、動きたいのをぐっと堪えているのだ。だからユーリを止めようともしない。是が非でもアンバーの封印は解いてもらわなくてはならないのだ。
「ビオムサルワ一体ならばどうにかなろうよ。ワシとシャムセイルが手を組めばな。もう一度奴が現れるようなことがあれば協力は惜しむまい。光魔法の使い手もおるようじゃしな」
アドラスは目を細めてナタリーを見つめ、ナタリーは逃げるように視線を逸らした。
「それは、そうかもしれませんけど、もし〝境界線戦争〟がまた起こるようなことがあれば、世界は危機に陥ります」
「今のところ、それはない」
「ど、どうして言い切れるのですか!?」
「境界線の封印はこのドグマ大陸の近くにある。何もない、海の上じゃ。その封印はワシらが監視しておるのじゃ。近年、封印に変化があったという報告は受けておらぬ。五十年前から、何の変化もなく封印はされ続けておる。世界のどこかで境界線の歪があろうものなら、こちらの封印にも何かしらの影響はあるじゃろうが、それもない。つまり、世界が交わらないということはの、〝境界線戦争〟は起こらんのじゃよ」
「それなら、ビオムサルワはどうしてこの世界にいるんですか!?」
「おそらくは、五十年前にこの世界に取り残された、もしくはどこかで身を潜めていた、というところかの。少なくともあやつは境界線を越えて来てはおらぬ」
そこまで聞いて、ユーリは言葉に詰まってしまう。
頭の中が混乱する。
アンバーを手に入れるため、力を手に入れるための旅だった。どうして力が必要なのか。それは〝境界線戦争〟に備えるためだ。悪魔に対抗しうる力、それが魔法なのだ。しかしアドラスの話しならば〝境界線戦争〟は起こらないと言う。ということはすなわち――
「倒すべき悪魔はビオムサルワただ一体、というわけじゃ」
「…………」
――魔法の力は必要ないってこと?
ビオムサルワを相手にするとして、シャムセイル、アドラス、そして光魔法を使えるようになったナタリー、十分な戦力だとは言えないが、倒せなくはないと、ユーリは思った。この三人に自分たちが加勢する。そうなれば、多分、勝てる。シャムセイル学院、ドグマキャリア学院の総戦力をもってすれば、ビオムサルワには勝てる。
「シャムセイルもこのことはわかっておったはずじゃがの。まあ境界線の封印の状態はあやつも把握できておらぬことじゃからな。お主らをよこしたのも用心のためじゃろうて。じゃが、帰って伝えるのじゃ。アンバーの封印は解かぬ。代わりにビオムサルワ討伐に尽力する、とな」
「お言葉ですが、アドラス学院長」
ユーリが半ば諦めかけていた時に、ナタリーが声を上げた。ユーリは力なくナタリーを見つめ、視線を落とす。アドラスの言い分は、正しい。必要のない力を手にしたいというのは、ただのエゴなのだ。ビオムサルワを倒して世界が平和になるのならばそれでいいはずなのだ。
アドラスは長い白髭を撫で、厳しい眼差しをナタリーへ向けた。
「光魔法の使い手よ。シリア・バンキルから受け継いだ力はどうじゃ。お主ならば、その力は復活させるべきものではないとわかるじゃろう」
「……ビオムサルワが境界線を越えて来ていないという確たる証拠はないはずです。ビオムサルワがこの世界に居続けたというのは憶測の域を出ません。世界の境界をまたぐ新たな術をあの悪魔は知っているのかもしれない。そうではありませんか?」
アドラスの眼差しが、威圧するものに変わった。
「たしかに、憶測じゃ。じゃがな、あやつが世界をまたぐ術を手に入れておるとすれば、もうすでにこのジーナは戦火に包まれておる。それが限りなく確証に近い事実じゃ」
「…………」
ナタリーもまた、口を噤んでしまう。
アルルもどうにかしたいと思っているのだが、こういう問答は不得意だ。相馬においても出る幕がない。
そしてさらに状況を悪化させてしまうのが、不測の事態で仲間になった、仲間になってしまったアドルフである。
不意に、学院長室中に盛大な溜息が響き渡った。明らかに故意でついた溜息だった。
「はあぁ~~~~っ」
ユーリもアルルもナタリーも相馬も、目を大きく見開きアドルフを凝視する。緊迫した空気をぶち壊す盛大な溜息だった。アドラスは眉間にしわを寄せ、アドルフを睨みつける。
そして、アドルフが放った言葉に、ユーリたちは口まであんぐりと開けて呆然としてしまうことになる。
「おいじじい」
空気が凍った。
霊術師学院の学院長ともなれば、当然ながらその学院の最高権力者だ。そして最高実力者でもある。精霊術が当たり前に浸透しきっているジーナにおいて、この霊術学院学院長という存在は国家においても最高権力者として肩を並べられる。つまりは国王と同等の存在であると言っていいのだ。精霊信仰が深いユン・ドグマではさらにその気質が強い。その相手に向かって『じじい』とアドルフは言った。もはやユーリは血の気が引いて顔面蒼白だった。どうしていいかわからずにただただ冷や汗がひたすらに背筋を伝う。
そして咄嗟に、
「あ、あぅ、あの、あど、アドラス学院長! あい、あいつ、あれは、あたしたちの講師ではなくてですね、えと、あの、途中で拾った拾いもので、しゃ、シャムセイル学院とは一切関係ございません!」
保身に走った。
いや、これでシャムセイル学院を守ったのだ。あとは煮るなり焼くなりアドルフをどうとでもしてくれていい。ついでに金も戻ってくる。
「おいおいひでえなユーリ。オレたちゃ仲間じゃねえか。いやこう言うべきか、オレを金で買ったじゃねえか」
「あんたはちょっと黙ってなさい!」
そしてユーリは何度も何度もアドラスに向かって頭を下げた。アルルとナタリーも同じように謝罪の言葉を口にしながら何度も頭を下げる。相馬も一緒になって頭を下げた。
「オレのために頭を下げるなんて甲斐甲斐しいねえ」
今すぐ吹き飛ばして近くの火口に突き落としてやりたい。いや、こうだ。霊剣クルスを体に巻きつけて精霊術を使えないようにして火山の頂上から転げ落としてやるのだ。
仕置きのやり方はどんどん閃いてくるユーリだったが、今度はアドラスの言葉に驚くことになる。
「ふん。黙っておれば気付かぬ振りをしておいたものを。何をしに戻ってきたのじゃ、この出来損ないが」
戻ってきた、と言った。すぐに理解が追いつかない。
「ああ? 別に戻ってきたわけじゃねえ。ソフィアから聞いたろう、オレは嬢ちゃんたちの講師なんだよ。先生だ。可愛い教え子が困ってんだから口出ししないわけにはいかねえだろうが」
「たわけが。うぬが講師などと、片腹痛いわ。帝国での所為、ワシが知らぬとでも思うておるのか?」
「あらま、オレさまって有名人」
ユーリたちをさらに混乱が包み込む。
どうやらアドラスとアドルフは旧知の間柄のようだ。それも浅い関係ではなさそうである。そして、良好な関係ではないことも明らかである。
「ごちゃごちゃ御託並べてねえでさっさとアンバーってのを嬢ちゃんに渡しちまえよ。使わなかったらまた封印すればいいだけだろうが」
「うぬが口を挟むことではあるまい。あれがどういうものか知りもせんで軽々しいことを抜かすな」
「知ってんよ。少なくとも光魔法とやらは目の当たりにしちまったからな」
「ならば黙るがよい。魔法は世界の秩序を乱す力じゃ」
「はっ、あんたは許せねえだけだろう。精霊術を越える力ってのがよ」
「馬鹿なことを。精霊術を超える力などありえぬわ」
「はあ~? あんたさっきから言ってっだろ。光魔法の使い手がいればとか、復活させるべきじゃねえとか、十分に認めちまってるよ。それに歴史が証明してるぜ。精霊術じゃ成し得なかったことをたった三人の英雄が成し遂げちまったんだからな」
「……黙れ」
そこでアドルフは勝ち誇った顔をした。にやついた顔を隠そうともしない。怒りで顔を歪ませたアドラスとは対照的な表情だった。
ユーリらは、気が気ではなかった。正直、生きている心地がしない。目の前のアドラスはいつ精霊術を放ってもおかしくはないほどに怒り心頭している。アドルフが一人でアドラスとどう言い合いをしようがやり合おうが知ったことではないが、今自分たちがこの場にいることは非常にまずい状況だった。下手をすれば国際問題になる。アドルフを連れて来てしまったのは自分たちなのだから、こうなってしまった非がないわけではないのだ。アンバーを託してもらうどころの話しではない。今はすでにこの場をどう切り抜けようかとそればかりが頭の中を巡っていた。ただ、この状況では、どうにも口出しできない。
「じじいはとっとと引退して隠居生活でもしてやがれ。オレたちがちゃっちゃとその悪魔を倒してきてやんよ。老人は労わらなきゃあよ。わかったんならさっさとアンバーの封印を解きな」
「ふっ……」
「あ?」
「ふざけるなっ!!」
ついに、アドラスの怒りが爆発した。
急速な霊力の高まり。ユーリがそれに気が付いたときにはすでに遅かった。突風。反応して障壁を張った時にはすでに壁に叩きつけられていた。ユーリ以外も同様で、相馬においては気を失ってしまった。
「立ち去れッ! 二度と顔を見せるな!」
その言葉はユーリたちに向けられたものだったのかアドルフに向けられたものだったのか。ユーリ、アルル、ナタリーは同時にアドルフを睨みつけた。言葉の真意はどうあれ、この仕打ちを受けたのは間違いなくアドルフのおかげだ。
「てめえっ! このじじ――ごはっ!?」
ユーリの風弾、アルルの回転蹴り、ナタリーの聖拳突きでアドルフは倒れた。
「し、失礼しました!」
ユーリとナタリーがアドルフを引きずり、アルルが相馬を背負い、逃げるように学院長室をあとにした。実際、逃げた。一刻も早く逃げ出したかった。
学院長室を出ると、すぐにソフィアが血相を変えて駆け寄ってきた。
「な、何があったの?」
ユーリもアルルもナタリーも、その場にへたり込んでしまう。
「あ、頭が痛い……」
問題がアンバーだけではなくなった気がした。
どうしよう……。