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道中の特訓

 ドグマキャリアへ向けた馬車旅も二日目を迎えた。

 結局、昨夜は相馬の特訓は行われなかった。アルルとアドルフの真剣な相談の結果、何も予定のない夜に順番で特訓することになった。精霊術師側の三人の師範も交代制にした。ナタリーだけは乗り気ではなかったようだが。それでもユーリとアルルが説得した。相馬は四属性の精霊術を均等に使うことができるので、それぞれが得意な属性の精霊術を教えようということになったのだ。

 そして今晩はアドルフの番だった。

 カラムニッケを出て二日目の夜。場所はドグマキャリアまであと僅かという森の中の宿。いましばらく馬車に揺られていればドグマキャリアまで着いただろうが、夜に尋ねるのは少々忍びない。非常識だと捉えられるかもしれない。こちらの印象を悪くしてしまうのは避けた方がいいだろう。ということで、日が昇っている間がいいと判断して、ドグマキャリアまで行くのは明日にした。

 相馬は一人、宿の外でアドルフを待っていた。宿泊客はすでに中で休んでいるのか外にはいない。宿の周りは森で囲まれ、月の明かりだけがその場を照らしている。アドルフは用事を済ませて来るらしく、相馬は部屋を出る時に預かっていた剣を握り締め、心をどうにか落ち着かせようとしていた。今からのことを考えると緊張の色は隠せない。

 手に持つ剣は重量感がある。試しに鞘のまま振ってみたが、片手だけではどうにも思うように振れなかった。アドルフは軽々と振りまわしていたのに。そもそもアドルフは左右に一本ずつの両手持ちだった。実際に得物を手にした今、剣を二本同時に扱うなど想像するにも難しい。両手で握ればまあまあ楽に振れる。ただ、そうすると今度は体のバランスが保てなかった。その場で一度二度振ってみるとよろめいてしまう。

「おいおい、全然ダメだなソーマ」

 宿の方からアドルフがゆっくりと歩いてきた。相馬の太刀筋を見て、失笑する。

「し、仕方ないだろ。こんなもの振ったことないんだから」

 日本からやってきた相馬には、この剣を振るという行為が照れ臭さを生んでいた。一度は憧れたことがある、物語の中に必ずと言っていいほど登場している剣士。その真似ごとを自分がやっているのかと思うと、恥ずかしくなったのだ。本当に、小説やゲームの中に入り込んでしまった感覚を改めて覚えた。そんな照れ隠しをするように、相馬は言う。

「どこ行ってたんだよ」

「ちっと食堂にな」

「食堂? なんだ、食い足りなかったのか?」

「まあそんなとこだ。それよりおら、振ってみろよ。どうせなら抜いた方が振り易いぜ」

 相馬はしばらく躊躇していたが、意を決してそれを抜いた。宵闇の中、月明かりに照らされ冷たい輝きを放つ、鉄の剣。眺めているだけで背筋が冷たくなってくる。

 相馬はその剣を縦に、横に振る。言われた通りに先程よりかは幾分か振り易いが、抜き身になったことで恐れが生まれた。下手なことをすれば自分が傷つく。それ以上に恐れたのは、手に持つ細長い刃物そのもの。これは人間を切り裂くために作られた道具なのだ。人殺しの道具。それが今、自分の手に握られている。精霊術よりもよほど現実的で怖ろしい。

「怖がるな。そいつはお前さんを襲ったりはしねえよ」

「そ、それはわかってるんだけど」

「力を抜け。剣は力任せに振るうもんじゃない。剣の重みを感じろ。そして素早く、一気に振り抜け。そうすりゃ剣ってのは驚くほど切れる」

 切れる。

 斬れる。

 殺す。

「おら、ボケっとすんな。まずは腕の力を抜いて楽に振ってみろ。その感覚に慣れるんだ」

「あ、ああ……」

 相馬は言われるままに頭上から剣を振り下ろす。それをもう一度繰り返した。

「ど、どうかな」

「力み過ぎだ。それじゃ太刀筋が狂っちまう。だが、まあいい。そいつを何度も繰り返してりゃ自然に力も抜けてくるだろ。もっとも、お前さんは時間かかりそうだけどな」

「悪かったな。才能なくて」

「いーや、いい傾向だ。お前はそいつが何なのかわかってっからな。とりあえずは、そいつは玩具じゃない。それがわかってるだけマシさ。むやみやたらに振りまわすもんでもない」

 アドルフの言葉を聞いて、相馬はアドルフと対峙した時のことを思い返した。あの戦いの中で、アドルフは一度たりともその刃の先を相馬たちには向けなかったのだ。アドルフの剣が振り払ったものはナタリーが放った精霊術だけだった。

「だがな、必要な時だってきっとあると思うぜ」

 その時のために、力を、技を身につけるのだ。

「俺は……」

 強くなる。自分を、みなを守れるように。

「俺は、お前のようになれるかな?」

 相馬はアドルフを真っすぐに見つめる。目の前の男に対して嫉妬はある。けれどアドルフの強さは憧れでもある。おこがましいことかもしれないが、ユーリたちと肩を並べられるようになりたい。

 アドルフは相馬の言葉に呆気に取られて目を丸くしたあと、声を上げて笑った。

「ははははっ! そいつぁ無理だぜソーマ!」

「そっ、そこまで笑うことないだろ! 時間はかかるかもしれないけど、俺だって!」

「ははっ、悪かった。んなこと言われたの初めてだったんでよ」

「……ふん」

 相馬は照れ臭そうに視線を逸らした。アドルフはそれを見て小さく、困ったように笑う。

「ソーマ。お前はオレのようにはなれねえよ」

 アドルフは改めて言い直す。ふざけてなどいない。真剣な表情だった。

「なら剣じゃなくても、戦い方を教えてもらえば……」

「違う。そういう意味じゃない。オレはこれまで大勢の人間を殺してきた。百や二百じゃない、千人、いや、もっとかもな。オレの剣は人殺しの剣なんだよ。ソーマ、お前に人は殺せない。見てりゃわかる。だからお前は、お前らしく強くなればいい」

「俺らしく……?」

「まああれだ。オレみたいな人間にはなるなってことだよ」

「アドルフ……」

「だがな」

 アドルフは急に表情を険しいものにして、相馬の持つ剣を一瞬で奪い取った。そしてその刃を相馬の首筋に這わせる。そして身動きが取れずに硬直してしまった相馬の耳元で、アドルフは呟いた。

「守りたいものが危険に晒されたら、迷うことなく殺せ」

 相馬は何も言うことができず、嫌な汗が頬を伝った。心臓は激しい動悸を繰り返し、首筋に当てられた鉄の刃がやけに冷たく感じられた。

 どれだけの時間そうしていただろうか。とてつもなく長く感じられたそのは、アドルフが不意に刃を引いたことで終わりを迎えた。

「まっ、オレからの助言だ。おらおら、いつまでも腰引けたままにしてんなよ。ほれ、素振り素振りー」

 アドルフは剣を相馬の目の前に突き刺し、相馬の引けた腰を叩く。思わず前につんのめった相馬は、剣を杖代わりにしてようやくまともに立つことができた。

「ア、アドルフぅ……!」

 相馬は急に突きつけられた剣のおかげで頭の中が真っ白になり、自分でも気付かぬうちに剣をアドルフに向けていた。アドルフはにやりと笑い、剣の鞘を右手に構える。

「ククッ、実戦もやっぱ必要だよなあ」

「えっ……あっ」

 すぐに相馬は我に返り、自分が生み出した状況を理解した。あろうことか、剣を人に向けている。アドルフは面白そうに笑っているがこちらは気が気ではない。先程と似たような嫌な汗が噴き出る。

「来いよ。安心しろ、お前の剣なんて当たらねえよ。坊や」

 最後の一言が頭に来た。

 ナタリーの癖が移ってしまったのかもしれない。

「このっ。絶対だな! 絶対に当たるなよ!」

 相馬は剣を両手で持ち剣を振り下ろす。アドルフは半歩身を引いただけでそれを避けてみせた。相馬はその反動で前にたたらを踏む。アドルフはその相馬の尻を蹴飛ばし、相馬は剣を握り締めたまま目のめりに突っ伏した。

「いって!」

「ははっ、そんなの誰だって避けられるぜ」

 可笑しそうに笑い見下ろすアドルフに向け、起き上がり際に横一閃。アドルフは後方へ飛び退きかわし、相馬は勢い余って一回転しつつもなんとか踏み止まった。

「だからよ、力入り過ぎなんだよ」

 わかっている。腕はおろか体中が強張っている。わかってはいるのだが、もし当たったらと考えてしまうと自然に力が入る。

 怖い。これは純粋な恐怖だ。人を傷つけてしまう、殺してしまうかもしれない恐怖。たった二振りしかしていないのに、疲労感が半端ではなかった。

「ちったあオレのこと信用しろや。万が一にもねえよ。それこそ、当てる気もなければ余計にな」

 こちらの思っていることをどれだけわかって言ったことなのか。

 アドルフの実力は折り紙つきだ。特筆すべきはその反応速度、反射神経だと言える。先日相馬の放った高速の投石にも反応して見せた。

 ならば、と。

 相馬はアドルフを信用することにした。

 そして相馬は体の力をできるだけ抜くように努めた。しかしその眼差しだけは鋭くアドルフを見据え、軽く息を吐き、柔らかく剣を握り、ゆっくりとその剣を体の前に構える。

 こうやってアドルフを見てみると、どこでも隙だらけのように思えてならなかった。アドルフは悠長に鞘を肩に担ぎ、つまらなさそうに欠伸をしている。

 ――信用したからな!

 相馬は無言で不意打ちを仕掛けるようにアドルフに斬りかかった。上段からの斬り下ろし。アドルフは慌てることなく、体を僅かによじらせてそれをかわした。

 振り抜いた相馬の目と、よけたアドルフの目が合う。

「さっきよりはだいぶ鋭かったぜ」

 完全な不意打ちだったはずだが、当然のようにアドルフはそれをかわして見せた。相馬はそれを少し悔しく思うと同時に安心することになった。

 やはり当たらない。当たるはずもない。

 気が軽くなり、肩の力もより抜けた。

 さっきまでとは違い、剣を楽に振れた。よろめくこともなければ、剣速も上がっていたように相馬は感じた。

「まだまだこれから!」

 相馬は叫ぶと同時に下段から斬り上げ、それをまた半歩でかわしたアドルフに追撃する。横に一閃すると、アドルフは間合いの外まで距離を取る。相馬はそれを一歩で追い、また上段からの斬り下ろし、かわされれば横一閃。その繰り返しだった。

「当たりはしねえが、もっと当てる気で来な。そんな単調な攻撃じゃいつまでも届かねえぞ」

「へぇっ、そうっ、かい!」

 声を上げながら、相馬は突きを放つ。それを軸をずらされてよけられ、よけた先のアドルフに向け、剣を突き出したまま横斬りで狙う。アドルフはそれをよけずに鞘で受け止め、辺りには甲高い金属音が鳴り響いた。それに驚いたのが一閃を放った本人の相馬である。

「えっ!? ちょっ……」

 驚きふためく相馬の様子をアドルフは軽く笑い、鞘を振るって相馬を弾き飛ばした。その勢いで相馬は剣を落とし、尻もちをつく。手には強く痺れが残っていた。

「当たらないって言ってただろ!」

 驚いたのはこういうことだ。全てよけられると思っていた。鞘であれ受け止められるとは思っていなかった。自分が振るう剣は全てが空を斬るものとしか思っていなかった。

「体にゃ触れてねえだろうが」

 少々呆れたような口調でアドルフは言う。 

 相馬は軽く睨みつつ、ゆっくりと立ち上がった。手に残っていた痺れもようやく治まってきた。

「そう睨むなよ。割と良かったぜ。順応性あるじゃねえか」

 アドルフは鞘を振るい、さきほど相馬が放った突きと横斬りの連続技を真似ながら面白そうに笑った。真似しているはずだが、アドルフのそれは洗練されていて鋭い。

「今晩は一発目だからこんくらいにしとくか。次からは素振りと組み手半々だな、ソーマ」

「……了解」

 相馬はふっ、と体の力を抜く。

 舐めていたわけではないが、それでもこれほど難しいことだとは思わなかった。思うように剣は触れず、体力の減りも半端ない。時間にしてみればほんの僅かだったろう。先は見えず、果てしなく遠い。

「剣を、ソーマ」

「ああ、悪い」

 相馬は剣を拾い上げ、アドルフに差し出した。

「いや、そのまま持ってろ。仕上げ忘れるとこだったぜ。せっかくこんなとこにいるんだからな」

 ――終わりじゃなかったのか。

 相馬は嘆息し、剣を構え直す。一度力を抜いたせいか、やたらと重く感じた。

「ほら」

 アドルフは懐から何かを取り出し、相馬の足元に放り投げた。足元に目を向けると、それは小さな袋だった。

「さっき食堂でもらってきたやつだ。開けてみな」

 相馬は訝しく思いつつ、その袋を拾い上げると、中身がカラカラと乾いた音を立てた。袋を開けて中を覗けば、小さな骨がいくつも入っていた。相馬は一度首を傾げるが、すぐにそれが今晩の夕食の残飯だと気が付いた。

「なんだよこれ?」

「そうならないように精々頑張んな」

 言うだけ言って、アドルフは風霊術の風を纏い、近くの木の上に移動してしまった。そのまま太い枝に腰をかけ、相馬を見下ろす。

「おい降りてこいよ! どうすんだよこれ!」

 アドルフからの返事は小さな風弾だった。それは相馬の持つ袋を弾き飛ばし、辺りには中身の骨が散らばった。

「おーい、ソーマ」

「っんだよ何しやがる!」

「ここいらな、出るんだよ」

「あ? 出るってなに――」

 不意に悪寒が走り、相馬の視線は森の奥へ向けられた。何も見えない。だが不気味だ。何も見えないが、たしかに何かがいる気配を感じる。

 じっと森の奥を見ていると、赤い点が暗闇の中にいくつも浮かび上がってきた。そして聞こえる、荒々しい息遣い。喉を鳴らす音。聞いたことがある。相馬がこの世界に降り立ち、初めて対峙したモノの吐息だ。

 ウェアウルフ。すぐにその姿が相馬の頭に浮かんだ。人間の背丈はゆうに越える巨大な体躯を持つ狼。ユーリらは巨獣と呼んでいた。

 だが、相馬の目の前に現れたのは、大型犬ほどの黒い山犬だった。おそらくは骨の匂いに釣られてやってきたのだろう。

 多少安心したが、怖いは怖い。山犬は牙を剥き出しにし、喉を鳴らし、涎を垂らし相馬を見据えていた。下手をすれば肉を噛みちぎられそうなほどどう猛だ。

 なるほどこいつを追い払えということだろう。アドルフを睨むと、緩い笑みが返ってきた。いいだろういいだろう。これくらいならやってやる。ただやはり、犬とはいえ剣で斬りつけるのは気が引けるので、剣の腹で打ち据えることにした。威嚇して去ってくれるのならばそれが最善ではあるのだが。

 そう、考えていた。甘く考えていた。

 問題は目の前の敵の大きさではなく数だったのだ。

 森の中に浮かび上がった赤い点。それは山犬の瞳がうっすらと光っていたものだ。それがいくつも見えていた。

 気が付いた時にはすでに囲まれていた。

「嘘だろ……」

 どれもこれも大型の山犬だった。それが八匹。山犬たちはこちらの様子を窺いつつ、ぐるぐると周りを歩き回っている。こちらが少しでも隙を見せればたちまちに襲い掛かってくるだろう。

 まず相馬の頭の中に浮かんだのは、ここから逃げ去ることだった。

 いくら犬とはいえ多勢に無勢だ。まとめて相手なんかしていられない。

 相馬の視線は宿の方へ向けられる。最短距離で走り抜けられる先には山犬が三匹。そこさえ突破できればあとは走るだけ。

「――ッ!」

 足を踏ん張り、行く手を阻む三匹の山犬に飛び掛かった。それと同時に剣を横凪に払う。

 三匹の山犬はそれを受け、その場から飛び退いた。

 よし、いける!

 そのまま相馬は宿を目掛けて駆け出す。しかしその前に立ちはだかったのは別の山犬だった。

 速い。人間の走る速度よりもさすがに速い。

 あっという間にまた囲まれ、相馬はその場に踏み止まることになった。

「おーい、ソーマ」

 そんなときに頭上から悠長なアドルフの声が聞こえてきた。

「んだよ!」

 山犬たちから注意を逸らすことはできず、声を荒げてアドルフに答えた。

「ここいらの奴らは群れで獲物を狩るんだよ。野良犬とは違って統率されてっからなー。あと、時間かけ過ぎるとどんどん仲間呼ばれるぜー」

 冗談じゃない。これ以上増えたら本当に餌にされてしまう。いつか日本に帰ったら犬をペットにするのはやめようと思う相馬だった。

「精霊術使ってもいいんだぜー?」

 その手があったか、と相馬は一瞬だけ安堵した。手に握られている剣にばかり気を取られて忘れていた。

 山犬たちを追い払うには、火だ。動物は総じて火に弱い。

 相馬は霊力を練り、四色の虹を見る。そして赤い帯を手繰る。

 その時だった。

 山犬の一匹が相馬目掛け飛び掛かってきたのだ。精霊術に意識を取られていた相馬は間一髪で山犬の突進をかわし、次いで、別の山犬が仕掛けてこようとしていたのを剣を振って威嚇した。

 そしてまた精霊術の準備に入ると、山犬が飛び掛かってくる。噛みつきはかわせたものの、わずかに爪がかすり、鋭い痛みと少しの出血があった。

 もしかすると精霊術の気配を気取られているのかもしれない。

 思っていた以上に厄介だった。

 剣を振るっての突破は不可能に近い。かといえ精霊術を使う隙を与えてはくれない。 

 ならばやはり打ちのめすしかないのだ。

 目的は当初に戻った。

 幸いにもこちらにはナタリーがいる。多少怪我したところで治してもらえばいい。アドルフだってこちらが食い殺されるまで黙っては見ていないだろう。……多分。

 大丈夫。大丈夫だ。どうにかなる。生き残ることだけはできる、はずだ。

「へ、へへっ……よ、よし、いいぞ、来いよ」

 相馬は剣を両手持ちに構え、囲む山犬たちを見据える。山犬たちも相馬の気迫を感じたのか、その場で足を止め、激しく喉を鳴らし始めた。

 そしてまず飛び掛かってきたのは、相馬の背後に位置取っていた山犬二匹だった。背後から襲われたことで気付くのが遅れ、一匹はかわせたものの、もう一匹に右腕を噛みつかれてしまう。

「いっで!」

 剣を落としてしまいそうになるのを必死で堪え、左手一本で剣を握り、剣の柄で思いきり噛みついた山犬を打ち据えた。その山犬は悲痛な鳴き声を上げ、地面に横たわる。偶然にも山犬の横っ面をはたけたことがよかった。

 傷口からはゆっくりと血が流れ、服を赤く染めていった。

「くっそ……ッ! 痛え……」

 痛みがひどい。とてもじゃないが両手で剣を握ることはできなかった。しかしその代わりに一匹を撃退できた。

 あと、七匹。

 仲間がやられたことにも怯まず、山犬は再び飛び掛かって来る。今度は同時に三匹だった。相馬はその場で惰性に任せて剣をぐるりと振りまわす。一匹はその剣に当たり、弾き飛ばされた。しかしそこで振るった剣が止まり、残った二匹に再び右腕と、左足に噛みつかれた。

 相馬は痛みで叫び声を上げながら右腕を激しく振って一匹を振り解き、左足に噛みついた山犬を剣の腹で打ち払った。また一匹が地面に横たわった。

 これで二匹。あと六匹。

「はー……はー……」

 極度の緊張と激しい痛みですでに息が切れてきた。右腕の痛みは極限だ。左足も激しく噛まれ、もう走ることも叶わない。

 しかしそれがかえって相馬の集中力を高めさせていた。

 もうやられまいと、視線は山犬一匹一匹に鋭く向けられる。わずかな動きも見逃すまいと、一匹一匹の挙動に気を張り巡らせる。

 相馬はこの戦いに集中していたのだ。

 身を守ること、相手を打ち据えること、何も考えていないようで、頭の中にはどうすべきかの手段がいくつも浮かんでは消えて行く。

 極限まで戦いに集中する。

 だから精霊術を使えた。

 今度は六匹全ての山犬が一斉に襲い掛かってきた。

 相馬はまず左手に力を込めた。剣を一気に振り抜けるように溜めを作る。

 右手は無意識に熱を帯びていた。

 飛び掛かる山犬の中の一匹に向け、火弾を放つ。それは見事に命中し、山犬は体毛を焦がしながら森の奥へ逃げ去って行った。

 残る五匹に向けて一気に剣を横凪に振る。今度は二匹まとめて打ち据えた。しかしそこで剣の勢いは止まり、相馬自身も左足から力が抜け膝をついてしまう。

 集中していたからできた。無意識だったとしても。

 残った三匹が噛みつく寸前、相馬は右手を地面につけ、そこから土の壁を作り上げた。一瞬で盛り上がった土は、迫っていた山犬をまとめて宙に放り上げる。しかし三匹とも身を翻して着地。相馬が次に放ったのは広範囲に及ぶ風だ。ただの風ならば、相馬でも広範囲にわたって発生させることができた。その風に吹き飛ばされ、一匹は木に打ちつけられ横たわり、一匹は森の中へ消えて行った。しかし一番大柄だった一匹は風圧に耐え、相馬に突進を仕掛ける。相馬は剣を杖に立ち上がり、迫る山犬に放ったのはまたも火弾。その火弾はかわされたが、さらに連続で放った火弾が命中し、山犬は鳴き声を上げながら逃げ去って行った。

 こうして、相馬は山犬の撃退に成功した。しばらく森の奥を見ていたが、逃げた山犬が戻って来る様子はなかった。

「――はあ~~~~……」

 急に全身の力が抜けた。

 とてつもない疲労感が襲ってきた。

 しかしながら。

「…………へへっ」

 やればできるじゃないか。

 素直に、この結果が嬉しかった。思わず声を出して笑ってしまった。

 勝利だ。

 自分自身で掴んだ、初めての勝利だった。どんなに小さな勝利だとしても、これは記念すべき勝利なのだ。

「よっ、お疲れさん」

 今のいままで高見の見物をきめていたアドルフがようやく相馬の目の前へ下りてきた。

 腕の痛みも足の痛みもひどいものだったが、こんな状況に追い込んだアドルフを憎らしくは思っていなかった。むしろ短くかけられたたった一言のねぎらいの言葉が、ものすごく嬉しく感じられてしまった。

「肩貸してやんよ。治療はナタリー嬢に頼むことにしよう。あの嬢ちゃんのことだから文句言われそうだが、憎まれ口くらいはオレが買っといてやるよ」

 アドルフは相馬が持っていた剣を自分の鞘に収め、ふらついた相馬の肩をかつぐ。

「ああ、そうしてもらうよ。ナタリーがダメだったらユーリに頼みこんでもらうからな」

「はいよ。しかしおっかねえ。下手すりゃ今日は野宿かねえ。……ところでよ、ソーマ――」

「あっ、やべっ」

 相馬は焦げ臭い匂いに気付いて振り返った。そこでは相馬が放った火弾がボヤを起こしていた。

 戦いの中でのことだったが、少し精霊術のコツを掴めたのかもしれない。

 相馬はそのボヤに右手を向け、水を放出した。初めてのことだったが、水ならばイメージし易い。霊力も感じ取りやすくなった気がした。

 こう思うのは癪だが、アドルフのおかげかもしれない。

「さ、戻ろう。もう右腕の感覚がないんだ」

 軽く笑いながら言う相馬に対し、アドルフは相馬の肩を取ったまま、鋭い視線を向けて返した。

「ソーマ。お前さん、一体何者だ?」

 しばしの間、相馬はその問いの意味を理解できなかった。ただ、その鋭い視線に問い詰められているものとだけ思った。

 そしてしばらくの沈黙が続き、さらなる問いで、ようやく相馬は気付く。

「ソーマよ、普通の精霊術師は得意な属性の精霊術しか使わねえ。状況に合わせて属性を使い分けできるのは相当な使い手だけだ。最低、ユーリの嬢ちゃんクラスのな。ましてやあんな犬っころ相手になんざ、どれか一つの属性で十分。わざわざ使い分ける必要なんてねえし、それはとーっても高度なことなんだぜ。そういや聞いてなかったが、オレを打ち負かした精霊術、あれってどうやったんだ? 詳しく説明願いたいぜ、ソーマ?」

 咄嗟の誤魔化しが浮かばなかった。

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