ドグマキャリアへ
ドグマ大陸へ降り立った五人はまず、馬車着き場を目指した。ドグマキャリアまでかかる時間は馬車でおおよそ二日から三日。途中で休息を挟むとすればそれ以上の時間がかかるだろう。時間は惜しいが、旅の途中で力尽きてしまっては事もない。
相馬を除く四人は慣れた足取りで進む。相馬だけは着いたばかりの港町を興味深そうに見回していた。
港街の名前はカラムニッケ。ドグマ大陸と他の大陸を結ぶ窓口だ。その港から内陸部を見てみれば、どこもかしこも高い山がそびえ立っていた。山脈。その山肌は多くの緑が生い茂っているわけではなく、岩肌で覆われている。今は眠っているが、かつては活火山だった山々だ。その山々のふもとで取れる作物のパミの実。それは火山のふもとでしか実らないユン・ドグマの特産品である。
目の前の大自然に感嘆する相馬だったが、それとは別に目を引くものがあった。町を歩いている、おそらくはこのドグマ大陸で暮らす人々であろう、大勢の人が頭に髪飾りをつけていたのだ。ヘアバンドのような白い帯に赤、青、緑、黄の四色の羽をつけ、その四色が使われた装飾が施されている。着ている服もどこか質素な感じで、煌びやかさはない。船から降りた人々との違いは明らかだった。それと町のいたるところに礼拝堂のようなものが見られた。
なるほど、と相馬は思う。精霊信仰が深く浸透している国。宗教国家というのはどこまでも匂っていた。頭の羽飾りの色は精霊術の属性を表す色だ。四色の虹を見ていたからわかる。
「この国に来るのは初めてなんだっけか?」
一人集団から遅れて歩いていた相馬に足並みを合わせ、アドルフが話しかけてきた。アドルフは相馬の様子を窺いながら、どことなく懐かしむような目で辺りを見ていた。
「ああ。何か、独特な国なんだな」
「まあ、この国の奴らはガキの時から精霊を崇めるように教えられてっからな。昔っからこんな感じだよ。精霊に日々感謝し、祈りを捧げよ――ってな。ご苦労なこった。あの髪飾りや服装も昔からの風習だ。伝統って言えば聞こえはいいがよ」
「……お前って、ここが嫌いなのか?」
アドルフの言い草から相馬はそう感じていた。表情こそ柔らかなものだったがその口調はどこか蔑むようで穏やかではなかったから。
「別に。嫌いになるほど興味もねえ」
そう言うアドルフだったが、露骨に嫌な顔を見せていた。相馬はやはりここでも余計な詮索はするまいと会話を打ち切る。興味はある。しかしアドルフはまだまだ謎の多い男だ。深く付き合う必要もないと相馬は感じていた。それに、いくらかは危険な香りのする男だから。
「おら、呼んでるぜ」
アドルフが指差した先には馬車着き場で手を振るアルルの姿があった。足元に大きな鞄を置いたユーリは不機嫌そうに腕組みをし、ナタリーは馬車着き場の横にある露店を凝視している。ちなみに、霊剣クルスはその効力の及ばない光魔法を使えるナタリーが携帯していた。
「待ってもらってるんだから! 早く来なさいそこの馬鹿二人!」
反射的に小走りする相馬と肩をすくめるアドルフが対照的だった。
馬車に乗り込む五人。
港町出発とあって客の数は多い。そのほとんどが国外からの旅客や商人でこの土地の衣装を着ている者は少なかった。
相馬はまたも狭苦しい車内を鬱陶しく思いながらもその身を揺れに委ねる。ユーリの荷物はここでも邪魔になっていた。
カラムニッケの港町を出て相馬を迎えたのは、広大な森だった。一応は街道らしきものが整備されてはいたが、周りを覆い尽くしているのは木々たちだった。馬車は森と森の間を一定の速度で進んで行く。旅客たちはみな、窮屈ながらも目の前の自然に感動を覚えているようだった。
分かれ道をいくつか折れ、その先にあった小さな集落を二つ経由して日が真上に昇った頃、馬車が何台か停まってある建物の前で相馬たちを乗せた馬車は停まった。そこは森が開けた場所で、その建物の横には大きな湖がある。どうやら宿を兼ねた休憩所のようで、軒先では大勢の人が食事をしていた。
ユーリたちが何も言わずに馬車を降りてしまうので相馬は慌ててあとを追った。もっとも、御者もすでに食事に向かっていたので急ぐ必要もなかったのだが。馬たちも建物の脇に用意された藁と水に貪りついていた。
相馬はナタリーに勧められるままにパミの実の料理を注文した。ほのかに甘さがあり、酸味が効いている赤いソース。それを麺にからめて食べる。相馬にとっては馴染みのある料理だったが、ここジーナではあまり食べられないものらしかった。ナタリーは口の周りを真っ赤にさせて料理にがっついていた。ナタリーの襟にかけられた前掛けの布はアルルの物で、口の周りを拭く役割はユーリだった。
食事を終えた五人は急いで馬車に向かった。カラムニッケでは乗り遅れて窮屈な思いをしたが、一番乗りならば割と良い席に座れる。良い席と言っても綿を敷き詰めた背もたれがあるだけだ。しかしそれだけでも格段に乗り心地が変わる。まだまだ先は長い。少しでも快適な旅にしなければならない。
しかしながら甘かった。同じことを考える輩は他にもいたのだ。馬車に着いた時にはすでに良席は陣取られていた。その足元には鞄が並べられている。行商の商人一行だろう。一度馬車に乗った者ならば綿入り背もたれ席に座ることがどれほど重要なことかわかっているのだ。
相馬は悔しそうに歯噛みするユーリを横目に嘆息しつつ席に着き、馬車は再び走り出した。
五人はしばらくの時間を会話もろくにしないまま過ごした。乗客が途中途中に何度か入れ換わっただけで特に際立ったこともないまま時間が過ぎ、座り続けた尻の痛みだけが増していった。
そして日が暮れかかった頃、また一つの建物の前で馬車が停まり、ユーリはそこで相馬に声をかけ、五人は馬車を降りた。
昼間に立ち寄った場所と同じような建物だった。違ったのは、相馬たちを降ろした馬車はそのまま走り去って行ったこと。
「今日はここに泊まるわよ。あの先には小さな村しかないから。明日、馬車を乗り換えるの」
最後まで残っていた乗客はこの国の衣装を着ていた人ばかりだった。あの馬車は港の町とをつなぐ定期便だったことを相馬は理解した。建物の外にはまた何台か馬車があった。どうやら停留所としての役割も果たしているらしい。
中に入り、宿泊の受付を済ませる。建物自体は言ってみればでかい小屋だった。その中に両手で数えられる程度の部屋がある。当然のように男女別の部屋になり、相馬はアドルフと部屋に入る。寝台は二つで、嫌でもアドルフの隣で寝なければならなかった。
ゆっくりと休むのはあとにし、五人は食堂に集まり夕食を済ませた。
部屋に戻るとすぐにアドルフが話しかけてきた。
「よう、ソーマ」
「何だよ。風呂なら一人で入れよな」
アドルフは面食らった顔をして小さく笑い、腰にかけてあって剣を鞘ごと引き抜き、相馬に放り投げた。
「う、うわっ」
相馬は突然投擲された剣に気後れして取り落としてしまう。持ち上げると想像以上に重かった。
アドルフはそれを見て笑う事も責めることもせずに言った。
「外に出ろよ。鍛えてやる」
しばしその言葉の意味を理解できなかった相馬だったが、昨夜のことを思い出し、ひとつ生唾を飲んだ。
「お、おうっ」
食堂から戻ってきたユーリら女性陣の中で、真っ先に風呂へ向かったのがナタリーだった。食堂にはパミの実から作った酒があるということなので、風呂上がりの一杯を楽しむべくナタリーは我先にと風呂に駆け込んだのだ。
風呂を先に譲った代わりに寝台の二つはユーリとアルルが占拠した。この部屋も寝台は二つ。誰か一人は床で寝なくてはならない。
今現在、部屋にいるのは実質この二人だった。
二人っきりになり、ユーリは妙な気まずさを覚えていた。それは船上でアルルと話した内容が原因だった。突然、相馬のことをどう思っているかなどと聞かれ、意識していないはずがなかった。どういう理由であんなことを聞いてきたのかアルルの真意はわかっていなかったのだ。
ユーリはそれについて聞いてみたいと思っていた。しかし、この時間までアルルと二人っきりになるときがなかったのだ。今しかない。今聞いておくしかないだろう。
「ね、ねえアル――」
「ねえユーリ」
先手を取られた。
アルルは少し考えた様子を見せながらユーリを見つめる。ユーリは思わず身構えてしまう。今度は何を聞かれるのだろう。また相馬についてか。ソーマについてなのか?
「ソーマくん――」
来た!
さあ来い。気構えは十分だ。もう二度と取り乱したりなんかするものか。答える台詞は決まっている。何度聞かれても同じことだ。
「――にさ、精霊術教えてあげようか」
「何とも思ってないわ」
「え?」
「え?」
お互いに顔を見合わせ、首を傾げる。冷や汗をかいているのはユーリだ。
余計なことをしてしまった。余計なことを言ってしまった。これでは先日の話題を自ら掘り返しているようなものだ。
アルルの顔がどんどん困惑したものに変わっていき、一度目を伏せ、再びユーリを見つめた。
「本当に――」
「もーっ! も、もうあたし疲れちゃったから、アルル教えてあげちゃって? そうだったそうだった、そんなこと言った気がするわ。面倒よねー、ほんと。あー、ナタリーまだお風呂済まないのかしら」
言って、体裁を取り繕っているようで恥ずかしくなった。実際そうなのだが、それをアルルに悟られたくはなかった。もっともアルルには全てお見通しなのだが。
アルルは一つ小さく息を吐き、にやりと笑みを浮かべて言う。
「にっしっしー。ユーリってばこの前のでもしかして意識しちゃったのかな? かなかな? ほれほれ、薄情するのだー」
カーッと顔面が熱くなる。面と向かって言われると堪える。頭が爆発しそうだった。
「い、いいから早く行きなさいよっ! 思いっきりしごいてやって!」
「うひゃあ、ユーリが怒ったー」
「怒ってないー!」
ウケケケと笑いながらアルルが部屋を出る。
出る間際に、小さく呟いた。
「本当に、何とも思ってないのかな?」
ユーリはその横顔を無言で見送った。
誰もいなくなった部屋で自分の荒い息の音だけが聞こえる。
「はぁーっ。まったく何なのよぅ」
寝台に腰を下ろし、盛大に溜息をついた。
船上でのことについてアルルと話すのはやめよう。絶対に反撃を喰らう。毅然としていられればいいのに、どうにもそうできない自分に苛立つ。気にしないようにすればするほど気になってくる。気にする必要なんてないのに。一緒に旅をしている男はアドルフもいるのだ。そしてあの男のことはどうも好きになれそうな気がしない。もちろん、男として云々ではなく。まったく、こんな浮付いた気持ちで旅などしていられない。しっかり気を保て。重要な旅なのだ。だが、
「何とも思ってない、か」
生まれてこの方、恋愛などしたことがないし、そういう感情もわからない。相馬のことを気にしていないわけではない。旅の仲間だ。多少なりとも信用してるし、心配もする。それだけのはずだ。恋愛感情などとは違う感情だろう。
では、相馬は自分のことをどう思っているのだろう。
そんなことまで考え出してしまった。
相馬がジーナへ来て、一番初めに出会った人間がユーリだった。一番初めに会話を交わした人間がユーリだった。
もしかしてそれはあいつにとって特別ってことじゃないの?
そう考えると、妙な感情が浮かび上がった。嬉しい。これは素直に喜ばしいことだと思えた。母親の気持ちもこれと似たようなものじゃないのか。
相馬がジーナへ来て右も左もわからぬ時に出会った。それは産み落とされた赤子が母親と出会ったと言っても過言ではない。
きっとそうだ。これは母親の気持ちなのだ。だから厳しくもするし心配もするし気にもなる。そうだ。そうに違いない。
そういうことで、ユーリは無理矢理納得した。
そういうことで、ユーリは相馬の様子を見に行くことにした。
だって気になるから。
部屋を出て、外へ向かう。
いくらアルルでも部屋の中で精霊術を教えたりはしないだろう。
部屋を出て、相馬の部屋の前を通り過ぎようとすると、中から何やら言い争う声が聞こえてきた。まだ部屋にいたことを少し怪訝に思いつつ、こっそりと中の声に耳を傾けてみた。
『だからわたしが』
『いーや、オレだ』
聞こえてきたのはアルルの声とアドルフの声だった。
ユーリはさらに訝しく思い、扉を少し開け、中を覗き見てみることにした。扉の隙間から中を覗くと、部屋の中にはアルルとアドルフだけじゃなく、相馬の姿もあった。
それが少し奇妙な光景だった。相馬を挟むようにしてアルルとアドルフが立ち、アルルが相馬の腕を引っ張り、アドルフが相馬の頭を鷲掴みにしていた。相馬は困惑した表情をしながらも苦笑を浮かべている。
「ソーマくんは精霊術師なのに剣なんて教えてどーするのさ」
「わかっちゃいないなお嬢ちゃん。男なら剣だろ剣」
「そんなの危ないよ。男だから剣っていうのも疑問」
「戦いの最前線で命を張るっていうのが男の生き様なんだよ」
「帝国だけじゃんそんなの。ソーマくんは精霊術師だしっ。シャムセイル学院生だしっ」
「精霊術が通用しないオレみたいなのもいんかもしんねえんだぞ?」
「そんなのに負けないくらいにソーマくんを強くしたげるもん」
「その前に体鍛えなきゃ話しになんねえだろ」
「精霊術で補えばいいもん」
「無茶苦茶だぜアルル。大体ソーマにはオレが先に鍛えてやるっつったんだよ」
「そんなの関係ないしっ。ソーマくんはわたしたちの仲間だしっ」
「ったくよぉ、剣を扱えるようになったら格好良いよな、ソーマ?」
「精霊術早くうまくなりたいよね、ソーマくん?」
「い、いやあ、ははは……」
しばしその様子を眺めていたユーリは、
「…………」
そっとしておくことにした。
風呂から出たナタリーは一人呟く。
「誰もいません……」
とりあえずは寝台に置かれていたユーリの鞄を床に放り投げた。