プロローグ Ⅱ
時は数時間前に遡る。
相馬は普段通り、通っている学校への通学路を歩いていた。
この日は特にはっきりとあの懐かしい声が頭に響いていた。痛みを感じるほどに強く。耳を塞いでも、それは頭の中に響くものだからどうしようもない。
道の真ん中で思わず頭を抱えてうずくまり、友人にも心配をかけた。訳が分からず立ち尽くす友人を見て、やはりこの声は自分にしか聞こえていないものだと確信した。どうせ説明しても無駄なことだ。説明のしようもなかった。友人を先に行かせ、必死に耐えた。耳鳴りではない。直接頭の中をまさぐられているような嫌な感覚だった。
『来い……来い……来るのだ……』
たまらずに相馬は答えてしまった。
「だあぁっ! 行ってやるよ! 行ってやるからなんとかしろっ!!」
刹那、自分が、空間が歪んだ気がした。
目の前の景色が歪み、世界が回る。三半規管がこれ以上ないくらいに狂い、とてつもない嘔吐感に襲われた。立っていられない。いやむしろ立っているのかすらわからない。
そして突然、闇に包まれた。
漆黒だった。
先程の嫌悪感はもう感じられない。重力から解放されてふわふわと宙を漂っている感覚だった。実際無重力を体感したことはないのだがそう言うしかない。ただ、何も見えない。何も感じない。自分の体があるのかすらわからない。闇と身体が溶け合ってしまったように思えた。
しかしそれもつかの間だった。
不意に感じた重力。
そして確信した。
…………落ちている。
重力を感じたことによって自分の体がどうなっているのか理解できた。明らかに落下している。また音は聞こえない。光も見えない。風も感じない。が、体にかかる重力は本物、落ちている。
相馬は声にならない叫び声を上げた。
うわああああああああああああああっ!!!!
「――あ?」
風が、相馬の耳元で囁いた。
たしかに落ちていたのに。
落ちていたことは間違いないのだが、今の相馬はこれ以上落下しようのない地面にうつ伏せで倒れていた。
五感が全て戻った。感じる土の匂い、草の香り、瞼の上からでも降り注ぐ光、そよぐ風の音。
戻ってきた。よかった。
ほっと安堵の息を飲み、すぐに違和感を感じた。
……草?
顔を上げてみた。
目の前に広がるのは草原としか言いようのない、広く開放された空間だった。相馬が暮らしていた都会の景色などまるで見当たらなかった。ビルもない。車もない。そして人もいなかった。
自分だけが世界に取り残されてしまったかのように、だだっ広い草原に一人っきりで倒れていた。
「は……ははは……」
突然暗闇に飲み込まれたかと思えば、目の前には見たこともない景色。
(こんな場所、日本にあったのか。いやそれより、ここって東京? 違いない。東京にいたんだし、テレポートなんて超能力は持ち合わせていない。そもそも、俺って俺?)
錯乱気味に自問自答を投げかけてみる。着ている制服は学校ものだし、薄汚れた革靴も自分のものだった。
とりあえず。とりあえずだ。
「おーーーーーーいっ!!」
呼んでみた。誰か答えてくれる人はいないだろうか。
返事はない。
それに、声を出して気付いてくれようものならこちらが先に気付いている。なぜならここは地平線でも見えようかというほどの草原だったのだから。遠くに森が見えるが近くに誰かいればおのずと気が付くだろう。
どこだ。そんなことはもう考えなかった。わかるはずもない。
ただ、暑い。
うすうす感じていた。ここは東京ではないのではないか。東京の季節はもう冬の匂いでも漂ってきそうな秋だった。ブレザーを着ていても肌寒くも感じていた。
だが今はどうだ。汗ばむほどに暑さを感じ、目の前には青々と広がる草の海。少し離れた森の木々も力強く緑葉で己の存在をアピールしていた。
どうしてこうなった。
――声だ。頭に響く声に答えてしまったから。
「おい! 来たぞ! 返事しろ!」
また呼んでみた。
が、返ってくる言葉はなく、相馬の耳には自分の高鳴る鼓動と草たちの歓談の声しか入っては来なかった。
……………………………………………………………………………………………歩こう。
このままではどうしようもない。見知らぬ土地で気がついて、持っていた鞄もない。金もなければ、食べ物も、水もない。
平和だった日常から一気にサバイバルに突入した。
水、水が飲みたい。
相馬は極度の緊張と暑さで喉が渇ききっていた。
そこで相馬は森を目指した。とにかく喉を潤したい。森ならば、川のせせらぎでもあるかもしれない。
しかしそこで相馬を待ち受けていたのは、自分の常識と想像を遥に越えた巨大な獣だった。
「嘘くさっ!」
相馬の話しを聞いてまず声を上げたのはユーリだった。疑いの目で吐き捨てるように言った。
「たしかに信じ難い話しなんだけどねー、全然信じてあげないのもどうかと思うよ? わたしはソーマくんが嘘ついてるようには見えないし」
アルルは片眉を吊り上げながらも腕組みをし、真剣に相馬の話しに耳を傾けていた。
頼れる人物を発見した。相馬は喜びに打ち震えた。
それよりも、だ。
相馬には不思議なことがあった。
「さっきの狼って、君がやったの?」
相馬は若干作り気味の笑顔でアルルに尋ねた。
「そっ」
アルルはあっさりとそれを肯定した。
「ど、どうやって?」
当然の疑問を投げかけた。見えるところに武器の類は見当たらない。ならば、手榴弾かなにかだろうか。
アルルはにんまり笑ってそれに答えようとしたが、その時にぷいっと後ろを振り返った。相馬がその先を目で追うと、先程の爆発の衝撃で吹き飛ばされたウェアウルフがうめき声を上げながらよろよろと立ち上がろうとしている姿が見えた。
「こうやってー……」
そう呟きながらアルルは右手の平を上に向けた。
相馬は驚愕する。
その手の平の上の空間が陽炎のように揺らいだかと思うと、突然、風船大の火の玉が浮かび上がった。
「だよっ!」
言うのと同時にその火の玉をウェアウルフに向かって投げつけた。それは真っすぐに標的に向かって飛んで行き、そして接触と同時に轟音を上げ爆発した。今度こそ、ウェアウルフは消沈した。
「なっ、なんだよそれ!」
明らかに、たしかに火の玉はアルルの手の平から現れた。そして投げつけた。
「何ってー、ただの火弾だよ? ふぁいやーぼおる! なんちって」
と言いながらアルルはまた火の玉を浮かび上がらせた。それは手の平の上で行き場を求めるようにふわふわと浮いていた。
「なっ、なっ、なぁっ!」
「うっさいわねさっきから。あんたなに? まさかこんな精霊術すら知らないの? 本当に辺鄙なところから出てきたのね」
ユーリが嘆息し、相馬が驚きの声を上げていると、また新たな人物が現れた。
「や、やっと追いつきました……」
木々の間から息を切らせて顔を覗かせたのは、幼い少年とも少女とも見られる赤髪のショートヘアーの
人物だった。声だけを聞くと少女のようだ。服装こそユーリ、アルルと同じものだったが、スカートではなく黒いショートパンツを履いていた。
「遅かったわね。ナタリー」
ユーリは少しだけ顔を緩めてナタリーと呼ばれた人物に目を向けた。
「すいません。二人がさっさと行ってしまうものだから道に迷ってしまいまして。さっきの爆発音でここに辿り着きました。よかったです。このままでは迷い死にしてしまいそうでした」
「まったくもう。こっちは片付いたわ。たしかあいつで最後よね」
「えーっと、そうですね。ご苦労さまでした」
「あっはっはー、まるで他人事みたいだー。ま、今回の依頼にはナタリーの出番なんてなかったしねー」
相馬は取り残された気分になりながらも三人の談笑とも言える会話を聞いていた。
「ところで、その方は?」
ナタリーが不思議そうに相馬の顔を覗き込む。
「ああ、なんかね、トーキョーってとこから来たって言ってるんだけど、どうも記憶を失くしてるみたいなのよ」
「トーキョー? 聞いたことないですね。新しくできた小国でしょうか。それとも難民で錯乱するほどの経験をしてしまったとか……」
「どっちにしたって報告しなきゃだねー。見たところ全然力なさそうだし。ほっとくわけにもいかないっぽいし」
三人が三人とも相馬の顔を覗き込んだ。珍獣のような扱いだ。
「ちょ、ちょっと待った。俺をどうするつもりなんだ!?」
目の前にいる三人は腕力でなら軽くねじ伏せてしまえそうなほど華奢な体つきだった。あんな不思議な力さえ使われなかったら力づくでも逃げられよう。しかしながら、アルルの火の力は危険なもので間違いはないし、他の二人もどんな力を持っているかわからない。
一難去って、また一難だった。
「そんなに構えなくったって、別にあんたを殺そうとかしてるんじゃないわよ。こっちは保護してやろうって言ってんの。感謝しなさいよね。あたしたちに出会わなかったらあんたなんてとっくにあいつの餌になってたんだから」
さっきも同じことを言われたような気がする。助けられたことは間違いない。それに保護してくれると言っている。ここはその恩恵にあやかろうと決めた。
ひとまず安心してよさそうだった。
相馬はここで少し冷静になれた。
本当に何者なのだろうか。手の平から火の玉を出したりするなど、人間とは思えない。人間じゃないのだろうか。そんな馬鹿な、言葉も通じているではないか。
そこで、ハッと相馬は気が付いた。
「どうして日本語話してるのに東京がわからないんだよ」
相馬のその言葉に再び三人は顔を見合わせた。
「あんた、何言ってんの? あんたが話してるのはちゃんと世界の公用語、ジーシスじゃない」
「…………は?」
混乱に混乱を上乗せするかたちになった。日本語ではないならどうして言葉が通じているのか。自分が知っている限り日本語を公用語とするのは日本だけだ。
(待て、世界って言ったか? 世界って、日本のことだよな? いやいや、日本があって外国がある世界なんて小学生でも知ってる。わけが、わけがわからん)
頭痛までしてきた。考えれば考えるだけ混乱してしまう。
「な、なんだ。お前ら、何を言ってるんだ」
「だいじょうぶ? ソーマくん。えと、記憶が曖昧だからかな。わざわざ言わなくてもいいと思うけど、わたしが話してるのはジーシス。この世界、ジーナの公用語だよ」
ジーナ?
この世界?
「ちょ、ちょっと待て! ここは、ここは地球だろ!?」
「ちきゅう? ちきゅうって、なに?」
アルルはユーリとナタリーの顔を一瞥して確認を取ったあと、問いを返した。相馬は呆れかえった顔で宙を仰いだ。
ユーリらにしてみれば、いたって真面目だ。地球? 聞いたこともない。どこの国だそれは。
相馬とアルルがお互いにしかめっ面で睨み合う姿を見て、ナタリーが窘めるように言う。
「アルル。ここで話すよりもひとまず戻りましょう。あまり遅くなると心配をかけてしまいます」
アルルはまだ納得がいかないようでまだ渋ってはいたが、ユーリもそう急かすので表情を緩め溜息をついた。
「よし、じゃあ戻る――」
その時、森の奥から何かが咆哮を上げながら空へ飛び立った。森全体の叫び声のように思えた。
一同が一斉にその方を振り向く。
「あ、あれって……。何でこんなとこにっ!」
ちょうど、見上げた姿が太陽に重なった。鳥のように見えるが、明らかに大きさが違う。影がずれてその姿がはっきり見えた時、相馬にもそれが何なのかわかった。神話上の生き物だったはずだ。
大きな翼を持つ、真っ赤な体の、竜。
その竜は大きな翼をはばたかせ颯爽と空を舞い、飛び去るかと思いきや、体を翻し四人に向かって滑空を始めた。とてつもない速さだった。
「じょ、冗談じゃないっての! あんなの相手してらんないわよ! みんなよけて!」
ユーリが叫ぶ前にアルルとナタリーは散開していた。残されたのは相馬だ。
普段、ユーリ、アルル、ナタリーはいつも共に行動していた。それぞれがそれなりの実力者であり、コンビネーションも抜群だった。巨大な体躯の突進。それに対しての回避行動は一か所にまとまらずに散開すること。指示を出したユーリだけが相馬が逃げ遅れたことに気が付いた。
「う。うわあああああっ!!」
ユーリは舌打ちして、宙に浮かぶ。長い金髪が巻き起こる風に寄って踊り、どこか神々しさを感じさせた。
そして飛んだ。竜の飛翔速度にも劣らぬ速さで低空を飛び、叫び声を上げていた相馬を抱えてその場を飛び去る。舌を噛んでいないか少し心配した。
間一髪だった。ユーリと相馬が飛び去ったあと、その場を竜が大木をなぎ倒しながら過ぎ去った。その周囲に生まれた風によってユーリの空中制御は崩れ、二人とも地に投げ出されてしまう。幸いにも大した怪我もなく、すぐにでも動けそうだった。
「ユーリ!」
すぐさまアルルとナタリーが駆け寄ってくる。
「早く森を出ましょう! 文献で読んだことがあります。あれは普通の竜ではありません。あれは紅竜! ここにいたら森ごと焼かれてしまいます!」
そんなことまったくもって冗談じゃない。
あたしの、わたしの、私の、俺の丸焼きなんて不味いって!
紅竜はまた空に舞い上がり旋回を始めていた。
この距離なら草原へ抜けられる。
その思惑通りに四人は走り、相馬が元いた草原へ抜け出した。ひとまず森ごと焼かれることはなくなった。
紅竜はゆっくりと空を舞い、息を切らせて足を止めていた四人の前でホバリングを開始した。
竜は頭が良い。滑空は逃げられてしまう。そう判断して次なる手を打ちにきたのだ。
間近で見れば、強靭な肉体がよくわかる。そこらの刃物では傷一つつけられないだろう。巨体の前では可愛げのある四本の手足。その末端には大地すら切り裂いてしまいそうな爪。長く伸びた顔には全てを見透かしてしまうように見開かれた漆黒の瞳。幾重にも重なる牙。口元には火が揺らめいていた。この姿こそが絶対強者であるが如く見せつける。
「ね、ねぇ。あれ何とかなりそう?」
ユーリは冷や汗をかきながらアルルとナタリーへ目配せする。
「あいつが吐く炎に比べたらわたしのなんてマッチ程度だね。あの翼で消されちゃう」
「対処方法は、逃げることのみです。私たちの力ではどうしようもありません」
「……そうよね」
三人が考えを巡らせている間、相馬は情けないほどに震えていた。
さきほどの狼とはわけが違う。スケールが違い過ぎる。これで死にかけたのも三度目だ。東京にいるときは自分が死ぬことなんて考えたこともなかった。
(どうして、どうしてこんなことになってるんだよ! 死にたくない!)
相馬の切望も空しく、紅竜は唸りながら顎をゆっくりと引き始めた。
「やばい! ナタリー!」
「はい!」
ナタリーは三人の前に立ち、一度両手で天を仰ぎ、その両手を前に突き出した。それと同時、紅竜が大口を開け、灼熱の炎を吐き出した。そして四人は炎に包まれてしまう。だが、ナタリーを境とし、紅竜が吐いた炎はそこから真っ二つに割れ流れた。四人の後方では岩が炎の直撃を受け融解していった。
ナタリーは水の膜を張っていた。それにより炎の直撃は防いでいるものの、炎はナタリーの髪を焦がし、服を焦がし、少しずつ蝕んで行く。
「は、早くなんとかしないと。長くは持ちません!」
炎の勢いが衰えることはなかった。しかしナタリーは徐々に、確実に体力を奪われていく。
何とかしないと。焦るほどに思考はまとまらずに何もできなくなる。
ユーリは最善の策を練っていた。全員無事に抜け出す方法を。
危険な仕事はいくらでもあった。その度に三人でくぐり抜けてきた。今回もやれる。そう信じる。
「このままでは全員焼かれてしまいます! 私の力が尽きる前に三人だけでも早く!」
「そんなことできない! もう少し! お願い耐えて!」
焦るな焦るな焦るな。
ユーリは集中して状況を分析する。ナタリーの膜がなくなればすぐにでも全員が炎に飲まれてしまう。飛び去ることはできる。そのためには炎がない空間が必要だ。空間を作れれば脱出できる。
無理をさせるかもしれない。しかし頼るしかない。
「アルル! 一瞬でいいから炎を相殺して! その隙に飛ぶわ!」
「えっ! そんなの無理だよ!」
「いいから! やるの! あなたならできる!」
信じるしかなかった。時間がない。やるしかない。
「あんた、しっかりあたしにつかまってなさい」
ユーリは相馬に目配せして言った。相馬は戸惑っていたが言われた通りにユーリの腰にしがみつく。ユーリは相馬の顔が当たっている場所に少し顔をしかめたが、すぐに集中し始める。霊力を練る。一瞬でここから全員を連れて脱出できる風を生まなくてはならない。
それと同時にアルルも集中していた。イメージを。あの炎と同等の力を。ユーリと同じだ。一瞬でもその力が出せればいい。
ユーリはナタリーの腰に手をかけた。
「アルル!」
「わぁぁかったあぁぁぁっ! うああああああっ!」
アルルは両手から炎を吹き出し、ナタリーが作っていた水の膜すらも内側から破壊した。その勢いのまま、僅かだが紅竜の炎を押し返した。
そしてユーリの周りに風が巻き起こる。
アルルが力尽き、押し戻された紅竜の炎が再び歩み始める一瞬の間、ユーリは全員を風の衣で包み込みその場を飛び立った。相馬はしっかりとユーリの柔肌にしがみついていた。ユーリの両手にはアルルとナタリー。あくまでも支えだ。少しでも霊力の消費を軽減するために。
ユーリは紅竜の背を飛び越え、振り返ることなく全力で飛翔する。
かくして、丸焼きになる危機からは脱した。
しかし紅竜は逃さなかった。すぐさま旋風を巻き起こす翼を羽ばたかせ空へ舞い上がる。漆黒の瞳はしっかりとユーリたちを捉えていた。
速く! 速く! 速く!
追いつかれたらもう対処しようがない。三人も抱えて飛んでいる。アルルもナタリーも限界だ。もう一人は役に立たない。紅竜に焼かれるのが先か、力尽きて墜落するのが先か。どちらかにしか転ばない絶望感がユーリを襲う。
「ユーリ! もっと速く!」
飛び立った時は小さかった紅竜は、もうすぐそばまで追って来ていてその姿を惜しげもなく見せつけている。
「三人抱えてたらこれが限界よ!」
歯を食いしばり、自分を叱咤した。
相馬はかろうじて意識を保っていた。しかし、目と口は固く閉じられ、腕の中のものを離さないよう必死だった。
「よけて下さい!」
ナタリーの声に振り返るユーリだったがもう遅い。紅竜は赤黒い火弾を放っていた。速度を重視し、焼きつくすのではなく破壊を目的とした攻撃だった。それでも今のユーリたちを打ち落とすのには十分過ぎる攻撃だった。
全員の脳裏に浮かぶ絶望。誰もが来るべきその衝撃に備え、ひたすらに願った。
そして相馬は、聞いた。
あの声を。あの頭の中に響いていた声を。こんなところに自分を連れてきた声を。そして、懐かしい声。満たされる感覚だった。
紅竜が放った火弾が直撃する寸前、相馬が風の障壁を張り、火弾を弾き飛ばした。それは地面へ激突し、クレーターを一つ作り上げた。
「あんた、風のメイジだったの!?」
火弾を見送ったあと安堵の息を吐くとともに相馬に尋ねた。しかし、相馬は何も答えなかった。目がうつろで、別人のような空気を纏っている。
「また来ます!」
もう一回り大きな火弾が迫っていた。しかしそれをも相馬は風の障壁によって弾き飛ばした。水の障壁で受け止めるわけではないために、ユーリへの衝撃もなかった。
「ソーマくんやるぅ! ユーリ並みの風霊術だねー!」
相馬の目はうつろなまま、どこを見ているのかもわからなかった。
紅竜は一度唸りを上げ、その巨大な体躯ごと突進を試みる。火弾が効かないのなら体をぶつける。竜は考える力を持っているのだ。
ユーリは全力で速度を上げた。とてもじゃないがあんなのは受けきれない。ここにいる全員がどんな精霊術を使ったとしてもあんな巨体の行く手を阻むことは不可能だ。
ユーリは飛ぶことで精一杯。アルルの炎は通用しない。ナタリーの障壁ではあの勢いは止められない。残るは……相馬なのだが、さきほどからユーリとアルルの呼びかけにも答えず何を考えているのかもわからない。ただ飛ぶしかなかった。運が良ければかわせるかもしれない。その程度の希望で。
そんな中で相馬は片手でユーリをつかみ、もう片方の手を宙に預けた。
「ソーマくん、何……う、嘘ッ!?」
アルルが驚愕の声を上げ、ユーリとナタリーも相馬へ目を向けた。
相馬は手の平の上に火の玉と水の玉を作り上げていたのだ。
「ありえない!」
ユーリもまたそのことに驚きを隠せず、ナタリーに至っては口をぱくぱくと唖然としていた。
相馬はその玉を空中で混ぜ合わせた。小さな爆発音が三人の耳に衝撃をもたらし、その爆発から濃い霧が発生した。それはたちまちに周囲を覆い尽くし、ユーリたち、紅竜の視界を奪い去った。
「あ、あんた、一体何者!?」
「ユーリ、今のうちです!」
ユーリは小さく漏らし、霧の中で方向感覚だけを頼りにその場を飛び去った。
濃霧に隠れるように飛んでいたのでうまく撒くことができたのか、紅竜が追って来る姿は見えなかった。
ユーリは肩の力を抜き、両手からアルルとナタリーを解放して霊力のみで体を支えて低空を飛ぶ。眼下には森の切れ間とその先に広がる湖があった。
しばらく休んで行こう。あまりに力を使い過ぎた。それに今は意識がないがこの男のことも気になる。ソーマ、だったかな。厄介事にならなければいいのだけど。
この世界はジーナ。
地球とは違う世界の理がある。
精霊力と呼ばれる力が世界を支配し、人々もその力に頼りながら生きている。
大小様々な国が己の権力を主張し、それでもただ一つの脅威に立ち向かっていた。
相馬は導かれるままに出会ってしまった。
これはまさに運命の出会いであり、四人の運命の歯車は軋む音を立てながら絡み合っていく。
境界線を越える。
世界の目的であり、世界の終わりであり、世界の始まりである。