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船路 Ⅲ

 食堂をあとにしたユーリは再び甲板へ向かっていた。

 今回は特にこれといった目的はない。ただ風に触れるという行為が心地良いのだ。自分が風霊術師だからなのかもしれない。いつだって風は自分のことを優しく包んでくれる。風と対話しているような気にもなる。話しかけるとそっと頬を撫でてくれるから。

 甲板に出ると商人たちによる喧噪が少し落ち着いていた。もう半日以上も商売を続けていればこの場所で売れるか売れないかくらいはわかってくるのだろう。まだ商売をしている商人の周りには人だかりができている。そうでない商人は店じまいの最中だった。

 その様子を横目にユーリは船首の先に立ち、海の遥か先を眺める。目に見えるものはどこまでも続いているように思える青々とした海。ただ確実にこの先に旅の目的はあるのだ。旅はまだ始まったばかり。この先にどんなことが待ち受けているのかわからない。平穏な未来か、激しい戦いか。

 ユーリは大きく息を吸い込んだ。海の匂いが鼻の奥に届く。平和だ。旅行を楽しむ旅客も、商売をする商人も、今が平穏であるから故にそういったことが出来るのだ。絶対に壊れてはならないものだとユーリは改めて思う。

「ユーリ」

 背中から呼びかけられ、ユーリは不思議そうに振り返った。誰かなんて声をかけられた時点でわかっている。大切な親友で戦友だ。声をかけられたのはここに着いてからすぐのことだった。あとを追って来たのだろうか。

「どうしたの? アルル」

 栗色の髪。柔らかい笑みを浮かべるアルル。

「なんとなく。ユーリは何するのかなあって思ってついて来ちゃった」

「船の上って、風が気持ち良いのよ」

 ユーリの隣に立つアルル。ユーリはそれを笑顔で迎えた。そよ風が二人の間をすり抜ける。ユーリが着ているワンピースの裾がひらひらと揺れた。

「わたしね、少し不安なんだ」

 突然のことにユーリは戸惑いの表情を浮かべた。アルルは力無く笑って目を伏せる。

「幻魔法、だっけ。わたしが使えるようになる力。どんな力なのかもわからないし、その力が使えたってみんなの役に立てるのかなあって、なんか思っちゃって」

「アルル……」

 ユーリには咄嗟に浮かぶ言葉が出て来なかった。誰よりも明るく、みんなのことを一番に考えてくれているアルル。こういった形で悩みのような相談をされるようなことはこれまであまり記憶になかった。どれだけ大事な旅だとわかっていても、どれだけ大切な使命だとわかっていても、やはり不安なのだ。知らないことには興味と恐怖が付きまとう。強大な力を手にすることへの恐怖、恐れ。しかしアルルの抱えている恐れはこれとはまた違うものだ。

「アルルにはいつも助けられてるわ。いまさら何言ってるのよ」

「そんなことないよ。ユーリは強いし、ナタリーだって光魔法を使いこなしてる。わたしは何もできてない」

 今のアルルの姿を、ユーリは自分自身と重ねてしまう。自信を失っている姿。無力だと感じている自分自身。アルルにかける言葉を探す。思い浮かんできたのは、ついさっき聞いた言葉だった。

「戦う力だけが強さじゃない――って、誰かが言ってたわ」

「誰か?」

「だ、誰かは誰かなのっ。あたしだってアルルと同じようなこと考えてた時があった、気がするわ。そんな時に誰かから言われたの」

「そうなんだ。ユーリもそんなこと考えるんだね。その人は、きっと強いんだろうね」

「……さぁ、どうかしら。でも、ほんの少しは楽になった気がするの」

「そっか」

「アルルはいつだって元気で明るくて前向きで、あたしたちを盛り上げてくれる。誰よりも仲間思いで、いてくれるだけでも安心できるのよ」

 正直な気持ちだった。もちろんアルルの実力だって確かなものだ。世界を渡り歩いてきたアドルフにさえ、アルルの作り上げた太陽のような火球は見たことがないと言わせた。

「みんながいてくれるからだよ」

「そうよ。あたしたちはいつだってお互いにそう思ってる、はずでしょ?」

「……うん」

 精一杯に励ましたつもりだった。だけどそれでも、アルルの表情が晴れたようには見えなかった。

「あたしはアルルが羨ましいわ。もうすぐアルルには力が手に入る。きっとすごい力だと思うわ。それが羨ましい。あたし一人だけ置いてかれちゃうもの」

 これには少し嘘が混じっていた。ここに一人でいた時なら羨ましいなどとも思ったかもしれない。しかし、今は素直に仲間が強くなることを喜ばしく思える。みんなで強くなれればいい。相馬に気付かされたことだった。

「わたしは、ユーリが羨ましい」

 思いつめたような眼差しを向けられる。

 それほどまでに、とユーリは思う。ビオムサルワとの一戦ではたしかにアルルにできることはあまりなかったかもしれない。それは相性があるから仕方がないことだ。アドルフの時も軽くいなされた。しかしそれはユーリも同じだった。だから何も気に病むことはないのに。これから強くなればいいのに。

 そういうことを、伝えようとした。

「ソーマくんのこと、ど、どう思ってる、の?」

 が、アルルから放たれた思いもよらぬ問いかけに口を噤んでしまうしかなかった。

「えっ、何?」

「だ、だから! ソーマくんのこと、どう思ってるの? ユーリは」

 困惑。

 どう答えていいものかわからずに思考が停止した。

 どう思っているのか。相馬と出会ってまだ間もない。一緒に戦ったとはいえ、一晩同じ部屋で過ごしたとはいえ、同じ旅路を行っているとはいえ、どう思っているもないではないか。

「そ、そうね。えっと、まだ戦力としては不安だけど、あいつも、ほら、成長するんじゃないかしら?」

 思ったよりも歯切れの悪い自分に多少なりとも驚いた。こういうことだろう。相馬に対して思っていることなんてこの程度のことだろう。そうだ、あとは生意気ということくらい。

「そ、そうじゃなくて!」

「えっ、違うの!?」

「お、男の子として!」

「ふぇっ!?」

 どういうことだろう。それはどういうことだろう。男の子として、男の子として、男として。つまりは男と女として? つまりはこうことなのか。こういうことなのだろうか。しかしそれは、

「そ、そんなのどうだってよくない?」

「どうだってよくないよ!? だって一緒に旅してるんだよ!? 女神なんて言われて喜んでたし!」

「えっ、えええええっ!?」

 必死だ。アルルは必死だった。アルルはこういった話しには目ざとく、恋愛事が大好きな女の子だった。しかしそれはいつもからかうように、面白がるように首を突っ込むことくらいでこんなに必死になったりはしない。それに捲し立てられても、急には答えられない。

「と、とりあえず訂正するけど、別にさっきは喜んでなんかないからね」

「嘘だね」

 断言された。

「う、嘘じゃないわよ! それにあいつ、人を性格悪いだの暴力女だの! それとまだ何も知らないくせにわかったようなこと言っちゃって! 生意気なのよあいつ! 馬鹿だし無鉄砲だし危なっかしくてあいつに守ってもらうよりもあたしが守ってやんなくちゃって思っちゃうし! 頼りたくったって――」

 そこまで言って、ユーリは慌てて口を閉じてアルルから目を逸らした。

 何を口走ろうとしていたんだろう。頼りたいなどと。本心なのかと自分自身に問い質したい。心配だとは思う。相馬はこの世界ではまだ生まれたばかりの子供のようで、目を離してはならないような危なっかしさがある。だから、頼りたいなどとは思っていないはずだ。そうに違いない。きっと。

 ユーリはそろりと顔を上げてアルルの様子を窺った。

 アルルは何とも言えない複雑そうな笑顔を浮かべていた。笑っているけれど、笑ってはいないような、そんな笑顔だった。

「あ、あの、アルル?」

「――っだよねー! ソーマくんって危なっかしいよねー」

「え? う、うん、そうよ。旅をしながらでも精霊術を教えてあげるくらいはしてあげないと」

「うんうん、それはわたしも協力するよ。それじゃあねー」

 行ってしまった。

 最後は明るく笑ってはいたけれど、変なアルルだった。

「ソーマ、か」

 アルルが去った先を見つめ、小さく呟く。

 ふと、あることを思い出して、胸が締め付けられるような思いになった。

 相馬がいつかいなくなってしまうかもしれないことを。



 三人が去った食堂で、アドルフとナタリーは二人っきりになっていた。

 アドルフは再度注文した香味茶に果実の切り身を浮かべ、満足そうにすすっている。ナタリーは木の実の果汁漬けを一粒一粒味わってゆっくりと食べていた。

 ナタリーがここに残ったのは理由がある。もちろんデザートを平らげることもあるが、より重要なのは目の前のアドルフのことだった。

「アドルフ・ベスター。あなたの目的はなんですか?」

 視線は木の実の果汁漬けに向けたまま、独り言を呟くようにナタリーは言った。

「随分と唐突だなナタリー。目的なんてものは特にないさ。あえて言うなら金だ。オレの相棒も返してもらわにゃならないしな」

 アドルフは別段驚いた様子も見せず、足を組み直しながら一つ小さく笑う。聞きたいことがあるならば何でも聞けと言わんばかりに、どっしりと構える。

 ナタリーはそのアドルフを半目で見やる。

「あなたは魔法に執着しているでしょう?」

「執着? そいつは違う。ただの興味だ。あのクルスで打ち消せない力なんだからよ、一端の剣士としてはそれは興味が沸くと思わないかい?」

「それは嘘ではありませんね。ただ少し違う気がします。興味というよりは、あなたは魔法の力を確かめようとしていた。わざわざ危険を冒してまで。手紙を読んだのならわかっていたはずです。かつての英雄が使っていた力なのですから強大なものであると」

「だからそれが興味だろう? ナタリー」

 ナタリーは大きく嘆息した。どう言ったところで真意を聞き出すことはできないだろう。このままでは水掛け論になるだけだ。

「では質問を変えましょう。あの霊剣クルスはどこで手に入れたのですか? 精霊術を消し去る霊剣など、どこの国も軍も欲しがるものです。常識的に考えて一介の剣士が持つことは許されないでしょう」

「帝国を出るときにかっぱらったんだよ。大体あの剣は精霊術師が持っていてもあまり役に立つもんじゃない。持ってるだけで精霊術を打ち消しちまうからな。簡単な精霊術ならオレのように使えるだろうが、強力なものは無理さ。それこそユーリのように全身に風を纏ったりなんかできねえし、おたくは見てないだろうがアルルのようにでっかい火の玉だって作り出せないのさ。そんなもんだから、帝国に眠ってた霊剣クルスはオレに支給された。そんでもってそのままかっぱらった。そんだけさ。言っとくがどうして帝国にあったかなんて知らねえぞ」

「ふむ、なるほど」

 言って、ナタリーは訝しく目を細めた。

「で、ではあなたは、もしや帝国に追われる身なのですか?」

 アドルフはかっぱらったと言った。盗んだのだ。どの国も軍も人も喉から手が出るほど欲しがる宝を持って、帝国からやってきたのだと。

「んまあ、そーゆーこった」

「ああ、なんという……」

 アドルフの軽い口調とは対照的にナタリーは頭を抱え込んだ。

 とんだ厄介者を仲間にしてしまったと。どうして元帝国の剣士が我が国にいたのかと気にはしていた。その理由は亡命だったのだ。いくら帝国と停戦協定が定められているとはいえ、一国の宝を持ち去った人物と共にいるのだ。場合によってはかくまっていると思われても仕方がない。ここにアドルフがいることを帝国に知られればそれが波紋を呼び戦火の火種ともなりえる。解決策としては、霊剣クルスと共にアドルフを置き去りにするのが手っ取り早い。ただ、情報を知られていなければだが。

「あなたが手紙を読んでいなければ即刻帝国に引き渡しているところです」

「使えると思ったぜ」

 ナタリーはアドルフを睨みつける。今のはおそらく本音だ。アドルフは自分たちを利用しようとしている。隠れ蓑として、あるいはいざという時の壁役として。

「おっと」

 これにはアドルフもいささかばつが悪そうな顔を見せた。

「わかっているのですか。私たちはいずれ帝国にも行かなければならないのですよ。もしその時になって私の仲間を傷つけるような真似をしたら、私はあなたを生涯許しません。必ず償わせます」

「そう怖い顔すんなって。オレもどうせそのうち帝国には行くつもりだったんだ。おたくらに迷惑かけたりはしねえよ。報酬はもう前払いで頂いたんでね。その分はきっちり働くさ」

「帝国へ? 今後のためにも隠し事は遠慮してもらいたいものなんですけどね」

「おいおい、そいつはお互い様だろう、ナタリー。あの坊やがただの実習生なんて、素直に信じると思ってんのかい? たしかに精霊術の腕前は素人だが、それだけじゃないんだろうさ」

「…………」

 食えない男だとナタリーは心の中でごちた。どうやらお互いに探り合っている状況でまるで手の内は見せていない。こちらは情報の大半を握られていると言ってもいいのだが。どうにもアドルフには謎が多過ぎる。なぜ帝国から亡命してきたのか、尋ねても本当のことを話すかわからない。そもそもこれまで聞いた話しも真実なのかどうかわからないのだ。たしかなのは、アドルフは元帝国の剣士で名を馳せたということくらいだろう。

「……まあいいでしょう。傭兵らしく働いてくれれば文句はありませんので」

「おう、そりゃいいぜ。もっとも、オレはただの便利屋だけどな」

 それはあなたにとってでしょう。

 そう心の中で呟き、ナタリーは席を立った。

 木の実の果汁漬けはきっちり平らげていた。



 相馬は空いた時間を船内の物見の時間に充てていた。船内は二階構造で二階は客室と食堂。一階はどうやら動力室と雑魚寝するための大部屋があった。特に面白いものはなかったのだが、船というものが幼少時に乗った以来で物珍しく、船内を散策していたのだ。

 夕刻までそうやって過ごし、目を覚ました部屋に戻るなりユーリに追い出された。当然ながら部屋は男女別ということだった。多少不満が残りつつも言われた隣の部屋の扉を開けると、すでにベッドに横になっているアドルフがいた。

 隣の部屋同様にベッドは四つ並んでいる。その一番奥のベッドをアドルフが占拠していた。剣はベッドの脇に立てかけられている。

 相馬は思う。忌々しい。アドルフがいなかったら、もしかするとユーリらと同じ部屋だったかもしれないのに。人数が増えたとばっちりだ。

「ようソーマ。寝床は好きなとこを使っていいぜ」

 迷うことなくアドルフとは反対側の一番手前のベッドに決めた。手荷物は何もないのでそこに腰を下ろす。

「なんだよ。男同士、仲良くやろうぜ」

 アドルフはにやけ面を隠すことなくからかうように言う。

「何でお前なんかと」

「そりゃないぜー。仲間なんだからよ、一応」 

 くつくつと笑う。相馬はアドルフの自分を小馬鹿にするような態度が気に入らなかった。アドルフは強い。おそらくは五人の中で最も強い。だからこそ余計に腹が立つ。考えてしまうと悔しくて仕方がない。仕方がないのだが、このもどかしい気持ちの正体はわかっている。嫉妬だ。ユーリたちへの感情とは違う。アドルフとは一度直接戦って成す術もなく負けたのだ。元は敵だった相手だからこそ、嫉妬する。初めから仲間だったのなら尊敬もしたかもしれない。同じ男だということも多少なりとも嫉妬心に拍車をかけていた。

「じゃあまず、仲間になった暁として親睦を深めようじゃないの、ソーマくん」

 アドルフは飛び起き、うすら笑いを浮かべながら相馬に歩み寄って来る。

 警戒する。嫌な予感がする。

「な、何する気だ」

「男同志の親睦っつったら裸の付き合いだろうが。おうりゃ」

 アドルフは驚きふためく相馬を軽々と抱え上げた。

 そうしてそのまま部屋の奥へと連れて行く。

「は、離せ! 裸っておまっ、まさかそっち系だったのかよ!?」

「あ? ったく、暴れんな。時間がねえんだからさっさと済ませるぞ」

「い、嫌だ! 初めてが男だなんて絶対嫌だ!」

 必死の抵抗も空しく、相馬は奥の小部屋へと連れ込まれた。

 そしてアドルフの手によって次々と衣服を剥かれるのだった。

「いやああああぁぁっ!」



 場所はユーリら女部屋に移り変わる。

「ユーリってやっぱ、スタイルいいなぁ」

「あっ、ちょ、ちょっとアルル。ソコは触っちゃ……」

「アルルだってこんなところとか、柔らかくってすべすべです」

「にゃはははっ! やめて! ナタリーだってしっかり女の子だし。えいっ」

「やんっ」

「きゃははっ! ユーリ! 聞いた? ナタリーがやんっ、だって」

「むむっ、不覚です」

「もう、お風呂くらい静かに入りなさいよ」

 風呂である。女三人組は狭苦しい浴槽で身を寄せ合って体を清めていた。どうしてわざわざ三人で窮屈な思いをしているのか。それにはきちんと理由がある。

「毎回思うけれど、やっぱりこれだけは不便よね。お風呂を使える時間が決まってておまけに使える水の量まで決まってるんだもの」

「それでも下の階層よりずっといいよ。前に一度だけ下の階でドグマ大陸まで行ったことあるけど、みんなで取り合いになってたし。それも女性専用って少ないんだ。わたしはそのときお風呂諦めたもん」

「そうですね。部屋にあるだけまだマシです」

 マシだとはいえ、やはり狭い。全員が膝を折り曲げ肌と肌は密着し合っていて、浴槽の中ではおおよそ身動きが取れない状態だ。こういう時にこそアルルの悪戯心が冴えわたる。ユーリとナタリーは風呂に浸かってからというもの体中をアルルにまさぐられていた。

 一度に出てくるお湯の量はきっちり浴槽一杯分。それも決まった時間内にしか使えない。三人はまず浴槽にお湯を貯め、お湯を節約しながら体を清めた。その後に浴槽の中に残ったお湯に三人で体をうずめればほどよいお湯の量になった。狭いが体を温めるだけなら事欠かない。ナタリーの精霊術では水は出せてもお湯は出せないのだ。

「ア、アルル。さっきから触りすぎです」

「おー? 女の顔になってるぞー。ここか? ここがいいのかぁ?」

「はうんっ!? も、もういい加減にしないと怒りますよ!」

 ナタリーは激昂しつつアルルの頭から精霊術で水を浴びせる。

「うひゃあっ!」

「つべたっ! アルル! あたしまで巻き添え食ってるじゃない!」

「うへへ~。次はこっちのおなごじゃ~」

「あっ、こ、こらもう! いい加減にしなさーい!」

 ユーリは力任せにアルルを抱え上げ浴槽の外に放り出した。そしてナタリーに目で合図をする。ナタリーはその意味を理解してかしないでか、浴槽の外で素っ裸のアルルに氷混じりの水をぶっかけた。

「ひゃああああああっ!?」

 こうして、仲睦まじい三人の夜は更けていく。



 男部屋の方では。

「おう実習生、もうちっと力入れろよ」

「ったく、なんでこんな……」

 相馬がアドルフの背中を洗っていた。相馬は無理矢理に服を脱がされ、無理矢理に風呂場へ放り込まれ、そして無理矢理に背中を洗われた。その見返りとして背中を洗うように要求され今に至る。

 しかし風呂でよかった。間違っていたらとんでもないことになっていた。

 相馬はアドルフの背中を洗いながら、その背中を直視できないでいた。アドルフの肉体は細見だが筋肉がしっかりとついていて、そしてしなやかだった。相当に鍛えられていることが相馬の目から見てもわかる。そのアドルフの背中には無数の痛々しい傷跡があったのだ。背中だけではない。体の至るところに傷跡が残っていた。切り傷もあれば肉がえぐれたような傷もある。獣の爪に引き裂かれたような傷跡もあった。なんとなく想像する。精霊術同士の戦いではこういう傷はつかないだろう。長い時間、剣を取り戦ってきたからこその傷跡なのだ。

「どうして剣士になんかなったんだ? 精霊術だって使えるのに」

「ふんっ、オレだってガキの時は精霊術師になるもんだとばっかり思ってたぜ。だが悲しいかなオレには精霊術の才能がないってことに早くに気付いちまってな。だから剣を握った。そんだけだよ」

「別に剣士にならなくたってよかったんじゃないのか? 仕事なら他にもあっただろうし」

「オレがガキの時は今ほど平穏ってわけじゃなかったのさ。まっ、それにオレにもいろいろあるんだよ」

「ふーん……」

 あまり過去の詮索はするものじゃないだろう。そう思って相馬は会話を打ち切った。だが正直なところは気になる。この世界の人間はどういった生き方をしているのか。してきたのか。アドルフにおいては、剣士になったことで成功したようだし、それは正しかったのだろう。相馬は戦いに身を置く人間としか関わっていない。商人たちはすでに数多く見た。いろいろな生き方があるのだろう。相馬はそれが気になっていたのだ。もしかすると、自分は地球に戻れないかもしれないから。

「おたくはどうしてお嬢ちゃんたちと共にいる? 実習生にゃ荷が重い旅だろう?」

「……学院での事件に関わって、いろいろ知ってしまったから。そしてその時に何もできなかったから、強くなりたくて、かな」

「はあん、立派なこった。だけどよソーマ、今のままなら強くなる前に死ぬぜ。お嬢ちゃんたちの旅は普通の旅とはわけが違うんだ」

「そんなのわかってる。でも、一緒に行くって決めたんだ」

「ほーう」

 アドルフはけらけらと笑い飛ばす。相馬は怒りと恥ずかしさで顔を赤くしながらアドルフの頭に手刀を食らわせた。

「ってーな。後ろからなんて卑怯だぞ」

「うるさい」

「ははっ。どうよソーマ。このオレさまがお前を鍛えてやろうか? どうせ道中暇な時もあるだろ。このオレの見立てによるとお前さんも精霊術の才能があるようには見えないしなあ」

 相馬は無言でもう一つ手刀を浴びせた。そんなの言われるまでもない。二日前に使えるようになったばかりなのだ。

「……まあ、頼むよ」

 自分が足手まといなのはわかっている。だからその申し出にはあやかろうと思った。

 アドルフは小さく笑って片手を上げた。



 かくして五人は船旅の時間を思い思いに過ごし、二度の夜を越え、船はドグマ大陸へと到着した。

 精霊信仰が深く染み付いた国。

 ユン・ドグマ。

〝幻のアンバー〟を手に入れるべく、五人はドグマ大陸へ降り立つ。

 このドグマ大陸は精霊が作りたもうたと謳われる。

 ドグマ大陸全土に広がるのは、今は活動休止している火山帯なのだ。



 




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