船路 Ⅱ
食堂には丸いテーブルがいくつも並べられてあり、旅客は思い思いに食事と団らんを楽しんでいるようだった。商人たちは仕事を忘れ安らぎの笑顔を浮かべている者もいれば、厳しい顔で紙面を睨みつけている者もいた。
その中に紛れる五人。かつての英雄の血を継ぐ三人、異世界の住人、かつて大陸に名を知らしめた帝国の剣士。他人が知れば驚くことでは済まない異色のパーティである。
相馬の右にはユーリ、その右にアルル、その右にナタリー、その右にアドルフ。つまり相馬の左の席にはアドルフがいた。
相馬は頬杖をつき、納得のいかない顔でアドルフを睨むように見ていた。アドルフは気にも留めない様子でスープに下鼓を打っている。ユーリとアルルはパンと野菜を食べ、ナタリーは肉にかじりついていた。たまに隣のアルルがナタリーの口から垂れる肉汁を拭いてやっている。デザートである木の実の果汁漬けは皿に山盛りでナタリーの前に置かれていた。
相馬はアドルフの件について説明を受け、まずは信用できないと抗議した。しかしアドルフにはすでに情報を握られていること、霊剣クルスはこちらの手にあること、仕事の契約ということで渋々納得せざるを得なかった。相馬は目の前に置かれているパンとスープには手をつけず、いつまでも訝しい目をアドルフに向けていた。
「おい坊や、食っとかねえといざってときに力でねえぞ。なんなら奢ったろうか?」
アドルフは相馬の視線に対して軽く鼻で笑い、スプーンの先を相馬に向けてくるくると回す。
「あたしのお金!」
すぐにユーリがアドルフを睨みつけた。契約金の件についても相馬はユーリから聞いていた。どうやら金は節約しなければならないことも聞かされた。しかしながら相馬はジーナの通貨価値のことがわからないので気にしないことにしていた。どうせ金は持ち合わせていない。
「おいおい、こりゃ立派な報酬だぜ? 口止め料込みって考えなよ」
「ぐっ……このっ。憎い、財布をすられた自分が憎いわ」
ユーリは悔しそうにパンにかじりつく。その様子を見て相馬は安心した。落ち込んでいたユーリの姿はもうない。これからもユーリがこのメンバーの中心になるのだ。
そして相馬はようやく食事を口にした。お世辞にもうまいと言えないパンとスープだったが骨身にしみる。一口食べるとどんどん食欲が沸いてきた。
それを見たアドルフが二つ注文していたパンを一つ、相馬の前に差し出す。少し垂れた目じりを細め、面目なさそうに笑った。
「昨日は悪かったな、坊や」
相馬は口にパンを頬張ったまま、訝しく目を細める。
「だけどな、もうちっと命は大事にしな。金髪ちゃんが来てなけりゃお前さん、死んでたぜ」
それを聞いた相馬は口の中で噛むことを忘れ、昨夜のことを思い返す。ナイフ一つを構えた無謀な特攻だった。あの時は誰もいなかったから自分がどうにかするしかないと思ったのだ。自分がどうにかしなければならないというユーリの気持ちが少しだけわかった気がした。命は惜しい。おそらくはこの中で一番臆病だ。思い返すと、背筋に悪寒が走る。ただ、相馬にとって意識のある戦いというのは昨夜が初めてに近い。慣れが必要なものだとも感じていた。戦いとは命のやり取りなのだ。殴り合いの喧嘩ではない。そういう世界にいるのだと、理解しなければならなかった。
「相馬だ」
相馬はパンを飲み込み、アドルフを睨みつけ言う。
「あ?」
「坊やじゃねえ。俺の名前は相馬だ」
言うと、ユーリも食いついてきた。
「あたしも金髪ちゃんなんかじゃなくてユーリって名前があるわ」
そしてアルルとナタリーは小さく笑う。
「それではみなさん、しがない便利屋さんのために自己紹介でもしましょうか」
「うんうん、しよしよ」
アドルフに向けて四人が自己紹介を始める。それぞれの名前。シャムセイル学院生徒であること。どうやら英雄の血を継いでいるらしいということ。旅の目的を改めて話した。相馬については新入生強化実習ということにしておかれた。手紙には相馬のことは書かれていなかったようなので、知らないのならば知られないままの方がよいと考えたのだ。
「ははっ、オレぁ実習生にやられちまったってのか?」
「期待の新入生なのよ。だから一緒にいるの」
ユーリは一つ小さな溜息をついて、ミルクを喉に流し込む。
そこでナタリーが自己紹介について補足をした。
「ちなみにユーリはその戦闘スタイルから『空舞う踊り子』なんて二つ名で呼ばれています」
「ぶっ!?」
ユーリが噴いた。アルルが慌てて布巾を渡す。ナタリーに使ったもので肉汁まみれだった。
「ちょ、ちょっと余計なこと言わないでよ! そ、それ……結構恥ずかしいんだから。うっ、生ぐさっ」
顔を真っ赤にさせうつむくユーリ。相馬は二つ名から連想してみた。
「なるほど」
「なるほどねぇ」
相馬とアドルフは唸りながら納得した。速さで相手を翻弄しつつ攻撃するのがユーリの戦法だ。なるほど舞っていると言われればそう見えると相馬はユーリを見て思う。
「なに納得してんのよ! 今すぐ忘れなさいあんたたち! いいわね!」
「ひひひっ」
「笑うなアルル! 大体アルルが学院中に広めたんじゃないの!」
「えーっ、好評だったし。にひひっ」
和やかな空気が流れる。
相馬は改めてユーリの空舞う姿を思い浮かべてみた。シャムセイル学院の制服姿である、白いロングコートを身に纏ったユーリ。風に乗り、空を舞う。相手の攻撃を軽やかにかわし、目まぐるしく動きながらの精霊術。光り輝く髪色が神々しく見える。太陽の光を受けて飛び回る姿は踊り子というよりも――
「踊り子もありだけど、女神でもいいと思うぞ」
一瞬でその場に静寂が訪れた。アルルとナタリーは呆気に取られた顔をして、アドルフは口元を緩ませ、ユーリは一度驚いた顔をしてますます顔を赤くさせてうつむいてしまった。
「えっ、何?」
相馬には戸惑いの表情が浮かぶ。きょろきょろと仲間の様子を訝しく窺う。相馬にとってはユーリをからかってやろうと言ったことだ。アルルでも便乗して笑ってくれるものと思っていれば想定外の反応が返ってきた。
「あ、あはは……」
アルルの乾いた笑い声が聞こえた。
「ソーマさんはユーリのことをそんなふうに思ってたんですね。へぇ、そうですか。女神ですか」
ナタリーが興味深そうに相馬を見やる。そしてちらりとアルルを一瞥した。それに気付いたアルルは慌ててナタリーから目を逸らした。
相馬はようやくこの空気の意味を理解し、血相を変えて弁解を試みる。
「や、ご、誤解してるぞ何か。俺が言ったのは変な意味じゃなくて! そ、それに女神って優しいもんだろ? こいつなんか傲慢で意地悪で性格悪いとんでもない暴力女じゃないか!」
隣のユーリを指差して顔を赤らめながら必死で仲間へ訴える。その指差した人差し指に不意に痛みが走った。
「な、なんですってぇ。もう一回言ってみなさい」
女神ではなく、悪魔がいた。ユーリは怒りの表情で顔を真っ赤にさせて相馬を睨む。人差し指があらぬ方向に曲げられようとしている。言ったそばからこれだ。しかし悲しいかなこういうことにはもう慣れた。いつまでもやられっぱなしではない。暴力女には屈しない。
「ご、ごめんなさい」
すぐに降参した。ユーリの髪がゆらゆらと揺らめいていたのだ。たいそう恐ろしかった。
ユーリは相馬の指を離し、鼻を鳴らして不機嫌そうに食事を続けた。だがその中に少しだけ照れ隠しがあることをアルルとナタリーはわかっていた。
そして各々が食事を再開した。アドルフだけは気がねなく食事しているようだったが他の四人にはなんとなく気まずい空気が流れたままの昼食だった。
食事を終え、店員が器を下げ、飲み物とナタリーのデザートだけがテーブルに残った。
船がドグマ大陸に到着するまでは行動できることはない。できることはこれからのことについて話しておくことくらいだ。まずはこれから向かう先、ドグマ大陸について。
「次は〝幻のアンバー〟ね。アルルが継承してる力」
香味茶をひとすすりして、ユーリが言う。表情は引き締められていて真剣だ。
ドグマ大陸にある霊術師学院ドグマキャリア。そこにアルルが継承している〝幻魔法〟の記憶が封じ込められてある〝幻のアンバー〟が封印されている。その封印は学院の長しか解くことはできないとシャムセイルは言っていた。次の目的はドグマキャリアの学院長に会い、シャムセイルから預かった手紙を渡して〝幻のアンバー〟を託してもらうこと。やって来るかもしれない戦いに備えて力を手に入れることだ。
「ドグマ大陸ってとこにはどれくらいで着くんだ?」
相馬はまだ置かれている状況をよく理解できていなかった。起きてからはユーリを探しに行ってそれっきりなのだ。気が付いたら船の中だ。
「丸二日よ。明後日の朝には着くわ。それからドグマキャリアまで馬車でまた二日から三日」
「結構かかるんだな。また馬車か。疲れるよな、あれ」
「ならあんただけ歩いて来なさいよ。帰りにでも拾ってあげるわ」
「それはもっと勘弁」
相馬は溜息を一つ、香味茶と一緒に飲み込んだ。思ったより苦みがあった。
「休みながら行きましょう。特産品も気になります。ドグマ大陸でしか実らないパミの実。あれおいしいんですよ。パミの実を使った料理はそこでしか味わえない一品で、ぜひ一度食べたいと思っていたのです」
目の前の木の実の果汁漬けを頬張りながらまたも食い物の話しをするナタリー。食べ物の話しはナタリーの表情が一番緩む話しだ。
「前に行ったときは食べてないもんねー」
アルルが果汁漬けを一つつまみ食いをしながら微笑を浮かべて言う。
「やれやれ、呑気だねぇ。オレにゃ簡単にそのアンバーとやらが手に入るとは思えないんだが」
嘆息するアドルフに、ユーリが鋭い眼差しを向ける。
「どういうことよ」
「ナタリー嬢が使う光魔法、それとおたくらもアンバーってのを手にしたら使えるようになる魔法。そりゃ異能だ。精霊術とは違う、全く違う代物だ」
ユーリは眉をひそめる。話しを聞いていたアルルと相馬も同じように難しい顔をした。
精霊術とは違う力だということはわかっている。それが強大な力だということも。それがアンバーを手に入れることが困難になる理由にはならない。それにたとえ困難だとしても手に入れなければならない力なのだ。世界の、ジーナの命運をこの三人が握っているかもしれないのだから。
「それは、ドグマキャリアだからですか?」
ナタリーだけは相馬らと違い、一つ納得したような顔をアドルフに向ける。
「わかってるみたいだな、ナタリー嬢は」
「なんとなくですが。しかし私には障害になるようなこととは思えません」
「さてね。あそこの学院長は頑固者だからよ」
「あなたはドグマキャリアの卒業生なのですか?」
「知ってるだけだよ。おたくらよりは世間ってのを知ってるわけ」
ナタリーは押し黙って考え込む。
「ね、ねえ二人とも。わかるように説明してよ」
アルルは困ったようにアドルフとナタリーを交互に見ながら言う。ユーリは黙っており、相馬はアルルの意見に頷いた。
「宗教国家だから――ってことかしら?」
ユーリが難しい顔をしたままナタリーに向けて言った。ナタリーは頷きだけで返事とした。アルルと相馬はまだ首を傾げている。
ナタリーは相馬の方を見て小さく笑った。
「ドグマ大陸はそれほど大きな大陸ではありませんが、それで一つの『ユン・ドグマ』という国です。そして精霊信仰の国であることはご存知でしょう?」
でしょうと聞かれても答えに困る。しかしそこで戸惑い口籠っている相馬の足に鈍い痛みが走る。ユーリが足を踏みつけていたのだ。しかし何度か軽く踏みつけるので相馬は気付くことができた。先程の自己紹介の時に相馬が異世界からやってきたことはアドルフに伏せられていた。だからここではドグマ大陸のことは知っていることにしなければならないのだ。ドグマ大陸全体で精霊信仰が盛んなのは相馬くらいの年齢なら知っていて当然の常識だったから。
「まあ、それくらいしか知らないけど」
当たり障りのないように相馬は答えた。ナタリーはそれに満足そうに頷いて、続ける。
「精霊信仰についてどの程度知っていますか?」
「詳しいことは何も」
何のために自分と問答しているのかと思ったが、すぐに何も知らない自分のために詳しく説明しようとしてくれているのだと気付いた。ナタリーが気を遣ってくれている。せっかくなのでその好意に甘えることにした。
「精霊信仰とはその名の通り、精霊を崇め称えていることです」
「でも、それって俺たちと何も変わらないんじゃないのか? 精霊術を使ってるわけだし」
「それは便宜上、精霊術と呼んでいるだけなのですよ。古来より、世界には精霊が存在していて私たちに様々な恩恵を与えてくれているとされています。しかし精霊の存在は現代史において明らかにされていません。伝説で神話上にだけ存在しているのです。『ユン・ドグマ』では、精霊は世界の至るところにいて常に我々を見守っていると、神に等しい存在として崇められているのです。それこそ精霊術は精霊がいるからこそ使えるものだと」
「じゃあ、ナタリーたちは精霊がいるって信じていないのか?」
「信じていないわけではありません。ただ存在するかしないかわからないものを安易に信じきってしまおうとはしていないだけです。呼んで現れてくれるのならそれはありがたく崇拝しますけど」
「神様を信じて崇めたりするのが宗教ってものじゃないの?」
「その通りです。これから向かう先はその気色が強い国なのですよ」
それがどうして――相馬が尋ねる前にナタリーは話し出した。
「魔法という力はアドルフさんが言った通りに異能の力です。それは精霊術すら凌駕してしまうほどの力かもしれないのです。つまりアドルフさんが言いたいことはこういうことなんですよ。精霊を神として崇めている『ユン・ドグマ』で、果たして彼らはその神をも凌駕しかねない力を解放させるのかと」
なるほど、としばしの沈黙が訪れる。つまり『ユン・ドグマ』で魔法の力が認められるかどうかということだ。自分たちの絶対的な信仰対象を超える力。そんなものを容易く受け入れられるのか。
「でも、悪魔は世界共通の敵なのよ。精霊術で対抗できない時だってある。あのビオムサルワにはおじいちゃんの力だって通用しないんだから」
言っておいて、ユーリは目を伏せた。ビオムサルワは確実にジーナにいる。しかしそれが〝境界線戦争〟に関係しているかどうかまでは確証が持てていない。実際にそれが起こっているのならばどうあってもアンバーの封印は解かれるだろう。しかし今はまだ可能性の段階。魔法は必要な力だ。そして異能、未知の力でもある。世界でたった三人しか使えない強大な力だ。それゆえに、忌み嫌う者も少なからずいるということ。
「いくらシャムセイル学院長の手紙があるからといえ、最終的にアンバーの封印を解くか否かはドグマキャリアの学院長次第、というわけなのですよ」
「ダメなら説得。それでもダメなら無理矢理解いてもらうわよ」
「ハァ。それをやったら確実に戦争ですよ。ユン・ドグマは世界的に中立国家ですからね。敵に回すとガラムント帝国との停戦協定の維持が危ぶまれます。〝境界線戦争〟の前に世界大戦です」
「じゃあどうすればいいのよ」
「信じるしかないですね」
ナタリーはあっさりと口にして香味茶をすする。五人の中には重い空気が漂った。
「く、暗くなっちゃダメだよぅ。まだ渡してくれないって決まったわけじゃないんだからさぁ。ねっ」
アルルは精一杯に明るく振る舞う。
そうです、とナタリーが続けた。
「私はただの杞憂だと思っています。私たちは過去の〝境界線戦争〟は経験していませんが、それは今も日々語り継がれる辛い歴史です。起こる可能性が僅かでもあるのなら備えをしておく必要があるはずです。アンバーが必要ないのであればまた封印すればいいだけの話しですから」
それにアドルフを除く三人が力強く頷いた。
「祈るしかないわね。とりあえず、船が到着するまでは休んでおきましょう」
ユーリが香味茶を飲み干し、静かに席を立った。
相馬とアルルもそれに続いた。
アドルフは茶のおかわりを注文し、ナタリーは木の実の果汁漬けに再び下鼓を打つ。
「果たして、うまくいけばいいんだがねぇ」
アドルフの呟きは食堂の喧噪にかき消されていた。