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船路 Ⅰ

 ドグマ大陸行きの客船には商人たちの賑やかな声が飛び交っていた。多くの商人は、工業都市オイゲンから商品を仕入れ、ドグマ大陸の街に売りさばく行商が目的だった。船の上でも好機を逃すまいと商売に精を出す商人の姿が至る所で目につく。もっとも、旅客の多くはニコディア大陸からの旅客のため、その売れ行きは芳しいものではなかった。

 そんな騒がしい船の上、静かな客室では静かに眠る相馬の姿があった。昨夜から目を覚ますことはなく、仕方がなく寝たままで客室へ運び込まれていたのだ。

 客室には清潔なシーツで整えられたベッドが四つ。その中の一つに相馬が、また別の一つには大きな鞄が置かれている。そして、相馬の眠るベッドの横には椅子が一つ置かれていた。

「まだ起きないのかな」

 その椅子に腰かけ、相馬の顔を心配そうに覗き込む、アルル。昨夜からユーリ、アルル、ナタリーが順番に看病しているのだ。ただ、看病と言えど相馬の傷は完全に癒えているので何もすることはない。おそらくは疲労と傷のショックで目を覚まさないのだと、ナタリーはそう考えていた。相馬が目を覚ましたときに戸惑わないように、誰かがそばにいることを三人で相談して決めたのだ。そして今はアルルの番だった。

「ソーマくん、ソーマくん、もうお昼だよー」

 小声で呼びかけてみる。目を覚まして欲しい気持ちもあるが休ませてやりたい気持ちもアルルにはあった。だから遠慮して声をかけてみる。実はこれがもう何度目かわからない。

「起きないなー、やっぱり」

 落胆の溜息をついて、もう一度相馬の顔を覗き込む。

「男の子だなー」

 アルルはまじまじと相馬の顔を見やる。黒い髪。閉じた眼。静かに息をする鼻。緩く結ばれた唇。ほどよく整った目鼻立ち。

「また……ソーマくんに助けられたね」

 アルルは立ち上がり、相馬の顔をすぐ近くで眺める。アルルの頬が紅潮しているのは隠しようがない。相馬は寝ているのだから隠す必要もない。

「起きない、ね。起きない……でね」

 ゆっくりと、顔を近付けていく。鼻先が相馬の鼻先をかすめ、一瞬の躊躇いが生まれる。アルルは一度生唾を飲み込むと、自分の唇を相馬の唇に寄せていった。

「アルル」

「うひゃあっ!!」

 飛び上がった。飛び上がって声のした方へ即座に振り向いた。

「ち、違うよ! これは違うよ! 何もしてないよ! あ、あのあの、ね、熱! 熱が出てないか確かめようとしてたんだよ!」

 アルルは両手を前に突き出して違う違うと精一杯に振りながら言い訳を口にした。その先には呆れたように溜息をつくナタリーの姿があった。

「お昼にしようと呼びに来たのですが、タイミングが悪かったようですね。アルルに悪いことをしました」

「な、何のことかなぁ?」

「しかし寝ている怪我人を相手にというのはいささか……」

「お、お昼! お腹空いたぁ! 早く食べよう! 今すぐ食べよう!」

「ええ、そうですね。そういえば私、今日はデザートも食べたい気分なんですよね」

「奢ったげる!」

「まあそれはそれは。ありがとうございます、アルル。何か慌てることでもあったのですか?」

 引きつった笑みを浮かべるアルルと柔らかい笑みを浮かべるナタリーの姿がそこにはあった。

 アルルは心に誓う。いつか絶対にナタリーの弱みを握ってやる。

「あ……れ……?」

 そんな野望を抱いていたアルルの耳に待望の声が届いた。

「ソーマくん!?」

 アルルはすぐにベッドの相馬に目を向ける。その先では相馬が呆けた顔で辺りを見回していた。ゆっくりと首を動かし、状況を確認しているようだった。

「ここは……?」

 アルルは僅かながら涙ぐんだ目元を拭いながら、優しく笑って相馬の声に答えた。

「よかった。気が付いたんだね。今はもう船の中だよ」

「アルル……」

「うん、わたしだよ。アルルだよ。ナタリーもいるよ」

 そして、アルルの背中からひょこりとナタリーが顔を覗かせる。安心した様子を隠すことなく見せる。

「おはようございます、ソーマさん。右腕は動きますか?」

「右腕?」

 相馬は首を傾げながら、毛布の中で右腕を動かしてみる。そして手の平を何度か握ったり開いたりを繰り返した。アルルとナタリーはその様子を不安そうに見つめていた。

「ああ、普通に動かせるけど?」

 それを聞いた二人は肩の力を抜くように安堵の息を吐いた。

「よかったぁ。ソーマくんあのときどかーんってなってぐしゃあってなっててひどかったんだよ。覚えてない?」

「そ、そりゃあひどそうだな。自分が吹っ飛んだとこまでは覚えてるけど」

「とりあえず、大怪我してたってことですよ」

 ナタリーがアルルの肩を掴みつつ、笑って言う。回復したのだからそれでいいと言わんばかりに。アルルは少しむっとした様子で相馬に言う。

「ナタリーが治療してくれたんだよ」

「そうだったのか。ありがとう、ナタリー。大怪我してたって思えないくらいどこも痛むところはないよ」

「どういたしまして。それよりソーマさん、お腹空いていませんか? ちょうどお昼にしようとしていたところなんですよ」

「昼……もう昼なのか。どうりで腹減ったと思ってたんだ。昨日もろくに食べてなかった気がするし」

「あはは、そうですね。せっかくなのでユーリを呼びに行ってくれませんか? ユーリも心配していたようですし」

「ああ、わかった。よっ、と」

 相馬は体を起こし、ベッドから這い出る。ベッドの脇に靴が綺麗に揃えられていて、体の具合を確かめるようにしながらそれを履いた。昨日と着ていた服が違うことに気が付いたようだったが、相馬はそれを特に気にした様子は見せなかった。

「ユーリなら甲板にいるはずです。風に当たると言っていましたから」

 相馬は甲板への道を聞いて客室を出て行き、アルルとナタリーはその姿を優しく見送った。



 通路は細く薄暗い。それで何人もとすれ違うものだから歩くのが窮屈だった。相馬は人の間を遠慮がちに進み、二人から聞いた甲板への階段を上がる。甲板の船首部分では露天商がいくつか店を出して商売をしているようで、この喧噪はそのせいだと相馬は納得した。おそらくこの船に乗っている乗客は百人を軽く超えるものだろう。この船の規模からして客室はタコ部屋もありそうだった。

 ひとまずは人混みを抜け、ユーリを探す。その開けた視界に飛び込んできたのは海。青い海だった。海の香りが届く。船の速度はそれほど速くない。帆はついていない船だった。おそらくは動力にも精霊術が使われているのだろうと相馬は予想した。

 ユーリは風に当たっていると言ったナタリーの言葉を思い出して、木柵の辺りで過ごしていた人々の中からユーリを探してみる。

 ユーリのわかり易い身体的特徴としては、白に近い輝く金髪。ただ、いろいろな髪の色がいた。ユーリほど眩しい金髪とはいかなくとも、金髪自体も珍しくはない。そこで相馬はユーリの着ていた服を思い出してみる。たしか白いシャツとベージュの革ズボンだった。まずは金髪を探して、その格好を見てみる。金髪は何人か見つけたものの、どうにも着ている服が違うようだった。

「いないじゃないか」

 一人ごちて、もう一度ぐるりと辺りを歩きながら探してみた。しかしやはりユーリは見つからなかった。そしてよくよく周りを見てみると、階段の周りから船尾側へ回れるようだった。相馬はもう一度辺りを見回して、船尾側へと足を進めた。

「あっ……」

 そして見つけた。探すという作業は不要のものだと思わせるくらいに、やはりユーリの金髪は相馬の目にはひときわ輝いて見えた。精霊術の才能よりも、何よりも誇れるもののように思えるほどにユーリの輝く髪は美しかった。

 船尾の先に一人で海を眺めていたユーリに相馬は歩み寄っていく。そして着ている服が白いワンピースに変わっていることに気が付いた。とても可憐で、綺麗で、戦いとは無縁な少女のように思えた。

「ユ、ユーリ」

 背後から、恐る恐る声をかける。相馬には声をかけることが何故かおこがましく感じられてしまったのだ。

 ユーリは驚いた様子ですぐに振り向いて、相馬の姿を確認したあと、安堵の表情を浮かべた。

「ようやくお目覚めね。まったく、心配かけて……」

「心配してくれたのか?」

「……ええ。そうね、心配したわ。腕は平気?」

 相馬は怪訝に思う。やけに素直だ。そして優しい。おかしい。ユーリはこんなに優しい奴じゃない。

「ああ。動くかと聞かれれば、ちゃんと動くぞ。何か大怪我してたらしいけど」

 そう言って相馬は右腕を動かしてみせる。ユーリはそれを見て盛大に溜息をついた。

「怪我ってもんじゃないわよ。その腕、ちぎれてたんだから」

「えっ!?」

「ナタリーに感謝しなさい。ナタリーじゃなかったら多分、治せてないわ」

「そ、そうだったのか……」

 相馬はもう一度確認するように右腕を動かしてみる。確かに動く。この腕が体から離れていたなんて信じられなかった。

「あんまり無茶しないで」

 ユーリは一つ小さく息を吐いてまた海を眺め始める。その姿がユーリらしくなく、相馬は困惑してしまう。どこか気落ちしているようで、ユーリの背中がどことなく頼りなく見えてしまった。

「どうかしたのか?」

 ユーリの背中に話しかける。ユーリは何も答えずに、さらさらの金髪だけが風になびいていた。

 空気が重い。

 アルルとナタリーから言付けを預かっているのでこのまま戻るわけにもいかない。しかしながらいたたまれない。相馬は何と声をかけていいのかわからずに黙ってユーリの背中を見つめていた。

「……ねえ」

 不意に、ユーリから声をかけられた。

「お、おう」

「あんた、何しに来たの?」

 ユーリは海を眺めたまま、相馬の方を振り向くことなく言う。やはり声にも元気がなかった。

「アルルとナタリーがさ、昼食にするからユーリを呼んで来いって」

「……そう。あとで行くわ。先に行ってて」

 相馬はますます戸惑ってしまう。どうするべきか、悩む。先に行けと言われても呼んで来いと言われたのだ。一人で戻れば二人に何と言われるかわからない。しかしここはユーリの意思を尊重するべきだろうか。いや、そういうことで悩んでいるのではない。ユーリの様子が気になるのだ。そのユーリを放っておいて戻ってしまっていいものか悩んでいるのだ。まだ出会って四日目だがユーリの様子がおかしいことはわかる。いつも自信に満ち溢れているユーリが落ち込んでいるように見えるのだ。

 相馬は息をぐっと飲み込み、ユーリの傍らに立った。ユーリはそれを気に留める様子も見せず、ただ黙って海を見つめていた。

「どうか、したのか?」

 ユーリの顔色を窺うように、もう一度問いかける。ユーリは相馬をちらりと一瞥して、溜息をついた。

「別に、何でもないわ」

 ここではもう引き下がらない。もう隣に来てしまっているのだ。

「何でもないって、そんな顔されて言われてもな。何か元気ないし」

「うるっさいわね。何でもないったら」

「何か困ってることとか悩みがあるなら言ってみろよ。力になれるならなるから」

「ハァ。あんたに言ったってどうしようもないの」

「なんだ、やっぱり何かあるんじゃないか」

 ユーリは相馬に鋭い睨みをくれる。しかしすぐにまた盛大に溜息をついた。

「あたしはね――」

 そこまで言って口籠る。遠くを見つめる瞳。寂しそうにも心細そうにも見えた。相馬は黙って続きを待った。金髪が一度、二度、大きく風になびいた。

「なんて弱いんだろうって、そんなことを考えてたの」

 相馬は思ってもみなかった言葉に黙り込んでしまった。咄嗟には何と言えばいいのか思い浮かばなかった。

 ユーリは小さく自嘲気味に笑う。

「情けないわ。あたしは、きっと自惚れていたのよ。学院で一番だったってだけで、何にだって負けないと思ってた」

「一番って、すごいことじゃないか」

「……あたしの力は、ビオムサルワにもアドルフにも、全く通用しなかったのよ。あたし一人じゃ何もできなかった。情けなくて、恥ずかしいわ」

 ここ二日間の連戦はユーリの自信とプライドをズタズタに切り裂いていた。特にアドルフに相手にされなかったことが大きかった。頼りにしてくれていた仲間の前で軽くあしらわれたのだ。戦いの中では僅かに残っていた自尊心も時間が経つと崩れ去っていた。

「そ、そんなことないって。アルルとナタリーはユーリのこと頼りにしてると思う。俺だって」

「あんただって死にかけたのよ。あたしがもっと強かったらそんなことにはならなかったのに」

 完全に自信を失っているユーリを見て、相馬は歯痒く唇を噛み締めた。ユーリは出会って間もない一人の少女だ。しかしその僅かな時間は相馬の人生の中でも濃密な時間だった。ここで別れたとしても忘れることはないだろう。アルル、ナタリーとも同じことが言える。そしてその三人はすでに、仲間なのだ。守るべきもの、守られるべきもの。大切なもの。三人を見ていてもそう思える。だからこそ、相馬は歯痒いのだ。

「俺はユーリがいなかったらもう何回死んでるかわからない。最初に会ったとき、悪魔と戦ったとき、昨日止めに入ってくれたことだって」

「そんなのたまたまよ。それにあんたがいなかったらどっちも負けてたでしょうね。その辺もっと自覚したら?」

「俺がいなかったらか。その言葉、そのまま返すよ。ユーリがいなかったら負けてた。もっと自覚しろよ」

「あんたねぇ……」

「俺は今までのユーリたちのことは知らない。けどさ、ユーリって、いつも一人で戦ってたわけじゃないんだろ?」

「そんなの当たり前でしょ。いつも三人だったわ。だから余計に情けないのよ。あたしが強くなきゃならないのに」

「ユーリはアルルとナタリーのこと頼りにしてるんだろ?」

「もちろんよ。彼女たちより頼りになる仲間はいないわ」

「だったらそれでいいじゃないか。一人で勝つ必要なんてないだろ。みんなで勝てばいいんだろ」

 ユーリは目を伏せる。そして、小さく呟くように言う。

「で、でも、あたしはリーダーとして……強くなきゃ……」

「強くなるために旅するんだろ?」

「…………」

「二人はきっとユーリのこと待ってる」

「…………」

「リーダーなら落ち込んでないで、しっかりしろよ。戦う力だけが強さじゃないと思うぞ」

 相馬の言葉にしばし耳を傾けていたユーリは不意に小さく笑い、相馬に向き直って言い放つ。

「誰が落ち込んでるって言うのよ!」

「ん? 違ったか?」

「落ち込んでなんてないわよ。ただちょっとこれからのことについて考えてただけよ。それもあんたがあんまり簡単に言うもんだから馬鹿らしくなっちゃったわ」

 強気な、緑色の瞳が相馬を見据える。

「そりゃ悪いな。俺はまだこっちのことよくわからなくてさ」

「これからいくらでも教えてあげる。さ、行きましょう。仲間が待ってるわ」

 金色の髪を翻し、相馬の横を通り過ぎる。

 相馬はその背中を強く見つめて、あとを追った。



 ユーリの先導で食堂に着いた相馬は目を丸くした。

 何事もないように席に着くユーリ。そこにはすでにアルルとナタリーの姿があった。そしてそこにはもう一人、アドルフの姿もあった。

「……どうしてこいつがここにいる?」

 しばらく、相馬はその場に立ちつくした。








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