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旅の一歩 Ⅱ

 ユーリら三人は酒場通りを真ん中、右、左と分担し、情報収集に当たっていた。

 ユーリは中央の通りを左に折れ、比較的静かな通りの酒場を巡る。ドグマ大陸からの旅行客を標的にしているバーが軒を連ねていた。

 ユーリはこれまで夜の街になど繰り出したことはない。酒は祝い事がある時にちょくちょく飲んだことがあるがどうにも苦手だった。味もそうだがすぐに気持ち悪くなる。子供だからという言い訳は悔しいからしなかった。

 一件目、多少重苦しい雰囲気のある重厚なドアを開ける。チリンとベルが鳴り、夜の世界がユーリを迎え入れた。どうやら店主らしい強面の人物がこちらを睨む。客は旅行客らしいカップルが一組いるだけだった。怯んでしまいそうになるが今は物怖じしている場合ではない。まずは店主に話しを聞くことにした。

「ごめんなさい。ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだい? うちはミルクは置いてねえぜ」

 情報収集という名目がなければ吹き飛ばしているところだった。大人に子供扱いされるのは癪に障る。実際まだまだ子供なのだが、もう十分に大人の中でやっていけると自負しているから。

「お生憎さま。お客じゃないの」

 店主はあからさまに面倒そうな顔を見せた。そんなだから客が来ないんだとユーリは心内で笑ってやった。

「人を探してるの。長髪を後ろで結んでる二十代半ばくらいの優男。腰に二本剣をぶら下げてるわ。知ってたら教えて。情報料は払うから」

 あとでアルルかナタリーが。自分の金は財布に全財産だ。

「知らねえな。飲まねえんならさっさと帰んな」

「あっそ」

 学院に帰ったら絶対ここには来るなとみんなに言いふらしてやる。そう心に決めてユーリはその店をあとにした。

 まあこんなものだろう。いきなり男の情報が見つかるなんて思っていなかった。まだ酒場の数はあるから、少しくらいは有力な情報はあるはずだ。

 そして次の店に足を踏み入れる。

 まあこんなものだろう。

 そう思っていたらそんなものだった。

 ユーリへの対応はどこに行っても一件目の店主のようで、軽くあしらわれた。居合わせた客に話しかけてみるもののこちらの話しなんててんで聞いてもらえない。出来上がっている客に無理矢理飲まされそうにもなった。

 散々だ。大人の世界とは厳しいものだとユーリは落胆する。めげそうになった。

 うなだれた様子で来た道を引き返し始める。そこでまだ入っていなかった店を見つけた。開いているのか見た今もわからない。小さな看板が扉にかけられてあるだけだった。とりあえずはこれで最後にしよう。ここでダメだったら二人と合流して相馬の帰りを待とう。実際、相馬の向かった先があの泥棒に繋がる可能性が一番高い。

 店に入ると狭いカウンターがあるだけで客は誰もいなかった。人の良さそうな男の店主が珍しそうにこちらに目を向けた。女が一人というのが珍しいのか客が珍しいのか。ユーリは店主の雰囲気もさることながら、静かな場所を見つけたと少し安心した。

「こんばんは。お嬢さんが一人でこんなところに来るなんて珍しい。ささ、どうぞ座って」

 そういうつもりはなかったのだが、店主があまりにも嬉しそうなので申し訳なく思い席に着いた。どうやら客自体が珍しかったようだ。疲れていたから一休みするのもいいだろう。注文を待っていたようだったので、一応、ズボンのポケットをまさぐってみた。そこには何かの感触があり、硬貨が二枚見つかった。今日入れたものではない。いつか街に出たときにそのまま入れっぱなしにしていたやつだ。初めて片付けない癖が幸いした。

「あの、ごめんなさい。これしか持ってないんだけど」

 ユーリはそっと硬貨を差し出す。オイゲンの街ならば果実汁くらいなら飲めるが、夜の相場はわからない。追い返されるだろうか。

「ああ、いいよいいよ。じゃあそれで、えーと、何がいいかな?」

 優しい店主だった。学院に戻ったらこの店をみんなに勧めようと決めたユーリだった。勧められる友人なんかいないけれど。

「冷たいものならなんでも。あっ、お酒はダメ」

 店主はにっこりと笑って飲み物を作り始めた。どうやら果実汁らしい。目の前に出されたそれを飲むとさっぱりとしていてほのかに酸味があった。体に染み渡る。生き返る。金はもう持ってないので大事に飲むことにした。

「旅行かい?」

「ええ。これからなんだけど、ちょっと問題が起きて。それで、一つ尋ねたいんだけどいいかしら?」

 店主はそれにまた笑顔で答え、ユーリはあの男の特徴を説明した。もう何度目かわからない。今ではあの忌々しい顔がはっきりと浮かんでくる。見つけたらかならず懲らしめる。身ぐるみ剥いでやる。

「ああ。それは多分あいつだろう」

「知ってるの!?」

 最後の最後でやっと当たりがあった。これで報われる。今までの疲れも一気に吹き飛んだ。

「ま、まあ知ってるっていうか、ちょっとした有名人だから。でもどうして?」

「何でもいいから知ってること教えて! そいつ探してるの!」

「わ、わかったよ。名前は知らないんだけど、その風貌で二本の剣を帯剣してるなら間違いないと思うよ。その男は、いわゆる『なんでも屋』ってやつさ。金をもらえば何だってするって噂だよ。それが良いことでも悪いことでもね」

「そいつどこにいるの!?」

「そ、そこまではわからないなぁ。なんでも、そういう依頼を受けながら大陸中を放浪してるって話しだから」

 僅かな情報だったが得られた。しかし肝心の居場所がやはり見当もつかない。放浪者ならなおさらだ。これでは誰に話しを聞いても居場所は掴めないかもしれない。

「そういえば、最近は盗人紛いのことしてるみたいだけどね。何でも御者と手を組んで旅客の金品を奪ってるとか。お嬢さんも今から旅に出るなら十分に気をつけた方がいいよ。関わらないことが一番だね。剣の腕も相当らしいし」

「……もうやられたわ」

 ユーリは店主に聞こえないくらいの声で小さく呟いた。改めて悔しさが込み上げて来る。あの御者もグルだったらしい。納得できる部分はあった。馬車とはいえ一応街道を走っているのだから、激しい揺れは少ないはずなのだ。それがあの男を乗せて馬車が派手に揺れた。乗客に隙を作るためだったのかもしれない。

 それならばやはり、御者の元へ行くべきだろう。問い質してあの男の居場所を吐かせるのだ。もしかすると今頃取引しているかもしれない。あの男が御者に会っている可能性も十分にある。もう少しゆっくりしていたかったが、急いで向かおう。

 そしてユーリはハッと気付いた。

「しまったッ!」

 相馬を一人で向かわせてしまったことに。

 危険だ。

「あっ、ちょっと!」

 ユーリは店を飛び出した。

 今度はあの男が街にいないことを願いながら。


 

 アルルは中央通りを突っ切って港近辺で情報収集にあたっていた。

 この辺りは静かで酒場の数は思っていたよりも少ない。早目に切り上げて他の二人に加勢した方がいいかもしれない。

 しかし酒場の数なんてどうでもいいと思えるほど、ここには長居は無用だった。

 夜の海というのはどこからともなく恋人が集まるものだ。それが旅行客が集まるクロートリノの港ならなおさらのことだった。 

 客引きがいない代わりに出歩いているのはどこを見ても恋人同士ばかり。そんな中を一人でうろうろと、寂しくもなるし羨ましくもなる。

 いけないと思いつつも目が行く。仲睦まじく腕を組んで、手を握って歩いている恋人たち。海を眺めながら何かを語らい合っている恋人たち。

「なはは~。場違いにも程があるなあ」

 思わず溜息が出る。いつか自分もあんな風になるのかなあと想像して、また溜息が出た。

 なんとなく、一人の男を自分の隣に置いて、目の前の恋人同士と置き換えてみた。

 しかしその姿がうまいこと思い浮かばない。

 自分にそういった経験がないこともある。そして、そうなってはいけないと思っていることもある。親友がいるから、いずれはいなくなってしまう人だから。

 勝手に想像して、勝手に落ち込む。

「何を……わたしは……」

 今はこんなことをしている場合ではないのだ。

 話しを聞かなくては。いつもの自分に戻れ。今はただ、雰囲気に流されてしまっただけだ。

 やるべきことをやって、いつもの生活に戻ったら考えればいい。

 自分の持ち味は明るさだ。親しみやすさだ。気持ちを切り替えて行こう。

 いっちょやってやる。

 アルルは手始めに目の前にいたどうやら恋人同士の二人に声をかけた。不思議そうな顔をされたが気にしない。空気の読めなさは一級品なのだ。もちろんわざとだ。見せつけるな。いや、気にしているわけではないけれど。

「お邪魔しちゃってごめんなさい。人探してるんですけど、髪の毛をこの辺で結んで二本の剣持ってて優しそうだけど意地悪な人知りませんか?」

 身振り手振りを交えて聞いた。返ってきた答えは否だった。

 優しく答えてくれた。いいカップルだった。ついでに一人じゃ危ないから早く帰るようにと気遣われた。うん、いい人たちだった。幸せそうだった。

 この調子でいこう。

 さて、他の恋人たちはどんな感じなんだろう。今後の参考にさせてもらおう。役に立つ。絶対将来役に立つ。

 当初の目的はもちろん忘れてはいないが、どうにもやはり好奇心の方が先だってしまうアルルだった。

 それからも次々に話しを聞いていった。

 酒場にも入った。

 しかし酒場ではまともにこちらの話しを聞いてくれる人はいなかった。子供だと見られて、飲まないとわかれば厳しい目で追い返される。そんな対応をしてくれた輩には恋人がいないと決め付けた。もっと人には優しくしないとダメです。

 そうした結果。

 最初のカップルが一番良いカップルだった。

 いや、そうではない。

 そんなことを調査しに来たわけではないのだ。

 成果、ゼロ。

 アルルは溜息をつきながらも、宿に帰ったら良い逢瀬場所を見つけたことを報告してやろうと考えていた。もちろんユーリに。この類の話しはからかいがいがある。

 そう思って、成果が上げられなかった割に軽い足取りで宿に向かっている途中、最初に声をかけたカップルを見かけた。目が合ってぺこりとお辞儀をすると、男の方がこちらに近寄ってきた。

 なんだろう、まだ夜道を徘徊していることを注意されるのかもしれない。多少身構えていたところに、思わぬ言葉を告げられた。

「ああよかった。探してたんだよ。さっき君から聞いた人、よく思い返してみたら多分見たよ」

「えっ?」

 見た。見たとはどういうことだろう。まるでつい最近目にしたような言い方だ。

「僕たちは少し遅めにこの街に着いたんだけどね、その時にそれらしい人が街に入って行ったんだ。その時は気にしてなかったけど、たしかに二本剣をぶら下げてたね。少し物騒だと思ったから覚えてたんだ」

 街の中にいるかもしれない。

 これはこの上なく有力な情報だった。

「ありがとうございます!」

 男は去り際も笑顔で手を振ってくれた。だけどやはり早く帰るように注意されてしまった。良い人だ。先々はああいう人を恋人にせねばなるまい。

 財布を取り返してユーリに渡したら喜ぶかなと思いつつ、財布と引き換えにユーリの好きな男のタイプを吐かせることを決めて、アルルは街の入り口に向かった。

 まずは行き場所がはっきりしている相馬を迎えに行くために。



 ナタリーは中央通りを右に折れ、大衆酒場が集まる通りにいた。

 何を考えるまでもなく、店から漂ってくるうまそうな匂いに釣られてあちらこちらとふらふら歩く。ナタリーの中では葛藤が起きていた。まずは腹ごしらえをしてから情報収集に精を出そうか、情報収集を一通り終わらせてから腹ごしらえをしようか。優先順位としてはやはりあの男の情報なのだが、辺りに漂うこの魅惑の匂いはたまらない。

「……ハッ」

 そしてついには気付かぬうちに店に入ってしまっていた。

 いやいや、情報を求めて入ったのだ。決して食べ物を求めて入ったのではない。

 良いことを思いついた。話しを聞きながら食べる。合理的だ。

 店内は大いに賑わっていた。地元の客か旅行客かわからないが数人で一つのテーブルを囲む集団がいくつもある。どうやら人気の店のようだ。どのテーブルにもうまそうな料理がいくつも並べられていた。喉が鳴る。腹も鳴る。空いている席がないか見渡して、カウンターに一席空いているのを見つけた。両側はむさい男だったがナタリーは躊躇うことなくその席に着いた。もはや迷いはなかった。

「いらっしゃいませー?」

 女性の店員だった。実に不思議そうな顔でこちらをまじまじと見る。

 客かどうか疑っているのかもしれない。そういえばこちらの格好は黒のローブ。修道女はこんなところに一人で来たりはしない。しかし周りのことなど気にしないのがナタリーなのだ。

「あの、この店で一番の人気料理は何ですか?」

「あ、はいっ。当店の看板メニューは千年鳥の丸焼きですっ」

 そう言って店員はしまったというような顔をする。ナタリーは一人だ。一人客に向かって鳥の丸焼きなどと、注文するはずがない。どうやらそんなことを思っていそうな顔だった。

「じゃあ、それお願いします」

「はい? あ、はいただいまー!」

 店員は慌ただしく厨房へ消えて行った。こちとら今日一日で菓子しか食べていないのだ。鳥一羽の丸焼きなんて軽い軽い。

「はっはー。坊や一人かい? ガキは帰ってミルクでも飲んでな」

 すぐに右の男が慣れ慣れしく話しかけてきた。肩に肘を置かれ、酒臭い息を吐きかけられる。うざい。とんでもなくうざかった。しかしそんなことよりもこの男のある一言にナタリーは怒り心頭した。

 目の前にあったフォークをすばやく取り、男の喉元に突きつけ、ナタリーは無表情で言う。

「私は女です。女性に対して軽々しく触れないでください。突き刺しますよ?」

 身動きが取れなくなった男は震える声で、それでも虚勢を張って言う。

「お、おいおい物騒だぜ。殺す気かよ」

 ナタリーは男を見上げ、その目の前で水の塊を浮かび上がらせた。

「安心してください。私は精霊術師です。死ぬ寸前まで苦しんだあとに治療してあげますから」

「……わ、悪かった。お、お嬢ちゃん」

 ナタリーはフォークをそっと置き、水塊も消し去った。男はまずそうに酒を一気飲みしていた。気が付けばさっきまで騒がしかった左の男も黙り込んでいた。その左の男も黙り込んでいた。

 悪いことをしたかもしれない。しかし本当に悪いのは右の男だ。自分のことを『坊や』と呼んだことが一番悪い。万死に値する。

 そうだ。そうだった。

「ところで」

「ひっ」

 ナタリーは首だけ回して右の男に話しかける。男は小さく悲鳴を上げ、それを取り繕うように酒を注文した。

「人を探しているのです。長髪で見た目は優男。髪は後で一つに結んでいます。背丈は高めです。剣を二本持ち歩いていて、雰囲気は傭兵らしき人物。あなたはご存知ないですか?」

 男は首を横に振った。期待はしていなかったが、残念だ。役立たずめ。

 次に左の男の方を見た。こちらと目を合わせようとしなかった。安心して欲しい。男と間違えない限り危害は加えない。

「もし、お尋ねしたいのですが」

「し、知らね。オレぁ知らねえ」

 ハズレだ。まあこの店には溢れるほどの人がいる。いくつか有益な情報も聞けるだろう。

 そう思って、あとは黙って料理が来るのを待った。一応仕事はした。あとは食べてからだ。

 しばらく待つと、皿一枚に焼かれた鳥が乗っかってきた。見た目からしてうまそうだ。皮はパリパリに焼かれて香草か何かが香ばしい匂いを放っている。隣の男に女性に対してうんぬん言っておいて何だが、ナタリーはさっそく丸焼きにかじりついた。

 ……思ったほど、うまくはない。学院の料理の方が幾分もうまい。それでも腹が減っているのでがっついた。いつも口を拭いてくれるユーリがいないので口の周りは肉汁だらけだ。周りから注目されている気がするが気にしない。品がないならそう思ってくれていい。でも自分は女の子だ。レディーだ。

「ぐぐ……っ!?」

 勢い余って喉に詰まらせてしまった。水。飲み物が欲しい。飲み物を注文し忘れていた。ヤバイ。窒息死してしまう。

 そのとき、不意に衝撃が背中を襲った。さっきまで怯えていた男がナタリーの背中を思いっきりはたいたのだ。その拍子に詰まらせていた肉はナタリーの胃袋へ落ちていった。

「おらよ」

 その男が飲み物をよこす。

「あ、私は……」

「安心しな、水だ。がははっ。いい食いっぷりじゃねえか、お嬢ちゃん」

 差し出された水を飲み干してふと左を見ると、そちらの男も笑っていた。

「あ、ありがとうございました」

 照れた様子でナタリーは言う。しおらしく言うナタリーのことを両隣の男はようやく女の子だと思えたのだが、それを口に出すことは絶対にしなかった。

 鳥を丸々一羽食べ終え、戸惑っている店員に代金を払い聞き込みを開始することにした。気力充填完了だ。

 ナタリーはその場にいた客に片っ端からあの男のことを聞いていった。返ってくる答えは様々で、どれもいまいち的を得ない。どこかの御曹司だとか、行方不明の息子だとか、自分の別れた旦那だとか、そんな内容ばかりだった。信用できるものは何ひとつなかった。

 とりあえず、この店で得られる情報はもうないものと外に出る。一件だけで随分と時間を使ってしまった。とてもじゃないが今夜中に目の前に見える酒場を回りきれるとは思えない。鳥一羽を食べ切ったことは情報収集に必要なことだったと自分を正当化する。しかしこのまま何も得られないままでは夕食代もユーリには請求できまい。

 次へ行こう。

 ほんの少しの情報でいいのだ。本当にほんの少しでいい。

 ナタリーの頭の中には何かが出かかっていた。思い出しそうだった。もう少しなのに、それが出て来ない。

 ナタリーは学院一知識が豊富だ。それは精霊術についてはもちろんのこと、巨獣、悪魔、魔物についても当然。それ以外にも世界情勢、政治、民の生活、文化、食材、ありとあらゆる方面の知識が豊富だった。それは有名な人物にも言えることだ。国を治めている国王、有名な領主、名が通った芸人、歌い手、聞いたものは知識として取り込んできた。

 あの男と会ったときから何かが引っかかっていたのだ。風貌については詳しく知らないが、あの腰にぶら下げていた二本の得物。聞いたことがある気がする。

 何かきっかけがあれば思い出せそうなのに。

 そんなことを考えていると、ナタリーの足は立ち止まってしまった。目の前にはまだまだ酒場がある。情報の溜まり場、人の噂の溜まり場だ。しかし自分のせいでもあるが時間がない。腹は満たされたが精神的に追い込まれてしまった。時間が経てば経つほどあの男から遠ざかってしまうのだ。一つ一つを回って有益な情報が得られるかは疑問だった。先程の店でもまともな答えは返ってこなかった。どうせ他の酒場でも同じことだろう。ナタリーはそう踏んでいた。それよりも、自分の中の記憶に頼った方がマシなのではないか。

 そこに、ナタリーへ忍び寄る影があった。そろりそろりと、足音を立てずにゆっくりと近寄る。

 そしてナタリーは軽い衝撃を受けた。

「おっとー。バーロー。んなとこで突っ立ってんなよなぁっ。ったくクソガキがよぉ」

 酔っ払いがぶつかってきたのだ。千鳥足で足元はおぼつかない。

 普段なら軽い睨みでも効かせて見送るナタリーだったが、ここでは違った。ナタリーにとって『ガキ』という言葉は『坊や』と呼ばれるにも等しいことだったのだ。

 相手が酔っぱらっているからといってナタリーの制裁は等しく与えられる。ナタリーはすぐさま霊力を練り、男の足元の地面を水で濡らした。そしてさらに霊力を練りその水を凍りつかせた。

「ぐえっ」

 ナタリーの狙い通り、酔っ払いは足を滑らせて派手に尻もちをついた。いい気味だ。

 しかしそこである物に気付いた。

 転んだ酔っ払いの横に何かが落ちたのだ。良く見てみると、それはナタリーの財布だった。ナタリーはすぐさまそれを拾い上げ、上から男を見下ろす。男からは酒の匂いはしなかった。

「酔っ払いに見せた泥棒さんですか。あなたも言葉に気をつけていれば、無事明日の朝食に辿り着けたかもしれませんね」

 ナタリーはその手にツララを作り上げ、泥棒に向けた。

「せ、精霊術師……ッ!」

「ええそうです。世間では残忍残虐で通ってるんですよ。それにこう見えても私、レディーですから。ガキなんかではありません」

「ゆ、許してくれぇっ!」

「そうですね。許してあげなくもないです。あなたが良い情報をお持ちなら、見逃してあげなくもありません」

 舞い込んで来た格好の的だった。同じ泥棒ならば、あの男のことも知っているかもしれない。

「な、なんだ? 何でも話す!」

「では、腰に二本帯剣している傭兵のような男を知っていますか? 馬車の中で私の友人が財布を盗まれたんですよ。同じ泥棒さんなら知ってるでしょう? 知ってたら運がいいですね。死ななくて済みます」

「そ、そいつは多分アドルフって野郎だ! 最近この辺りを荒らしまくってるから間違いねえ!」

「アドルフ……?」

 二本の剣を持ち歩く、傭兵のような男。生半可な身体能力ではないのは馬車の中で見ていてわかった。きっと剣の腕の方も達者に違いない。そして、その男の名がアドルフ。

 閃きにも近い形で記憶が甦った。

「そ、その男はアドルフ・ベスターですか!?」

「そ、そこまでは知らねえ。ただ探してんなら奴ぁこの街にいるはずだ。これだけだ! オレが知ってんのは!」

「ハァ……。よりによって……」

 ナタリーはツララを消し去り、宿に向かって駆け出した。下の男には水を浴びせてやった。酔っぱらいの真似をしていたからちょうどいいはずだ。

 急がなければいけない。どうしてこんな大事なことを忘れていたのか。呑気に夕食を食べていた自分が恨めしい。

 他の誰かが見つけてしまう前にみんなと合流しないと。

 財布を取り返そうにも、相手が悪過ぎる。人違いならいいのだけれど。

 できれば話し合いで解決したい。最悪、金はくれてやればいい。シャムセイル学院長から預かった手紙さえ無事ならばそれでいいのだ。

 まだ誰も見つけていないでくれ、それだけ願いながらナタリーは走った。






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