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【完結】夜空の琥珀  作者: はーこ
六章【夜空の琥珀】
32/46

2―ニゲナイ―

 

 突然聞こえた声。暗くてよく見えないはずなのに、その姿だけはすぐに捉えられる。



 息を切らせ駆け寄ってきたのは、もう帰ったと思っていた、そこにいるはずのない人。



 でも見間違えようがない――若葉くんだ。



 顔を合わせるのが辛い……それでも視線をグッと上げる。



 どうしても、言いたいことがあったから。




「若葉くんの…………バカ!」



「えっ!?」




 若葉くんだけじゃない。長谷川先輩、朝桐くん、日野くん、和久井くん、ここにいる全員が驚愕の表情を浮かべる。




「白々しいわね! なに驚いてるの!」



「ちょっと待って! そんなこと言ったらバレて……」



「そんなの、この際どうだっていいことだわ!」




 湧き上がる心の内を、力の限り、怒りに任せてまくし立てる。




「バーカバーカバーカバーカ!」



「なんでそんなにバカバカ言われなきゃいけないの!?」



「バカだから!」



「そんな! もっと別の言い方ないの!?」



「ない! 罵りたいのにバッシングのボキャブラリーが極端に少ないことに今気づいた私の身にもなって!」



「悪口に精を出さなくてもいいと思う!」



「うるさーいっ! 悪口でも言ってなきゃやってられないわよこの状況! 何しに来たのよ、このバカ―ッ!」



「何しにって、探しに来たに決まってるでしょ! 荷物はないのに靴だけあるから、おかしいと思ってれば……。


 こんな夜遅くまで残ってて、どれだけ心配したと思ってるの!」



「はいはいそれは悪かったですねぇ! ……って、え?」




 思わず、固まってしまった。



 若葉くんが怒ってる。でも、以前感じた恐怖は一向にやってこなかった。


 叫ぶ若葉くんから感じられるのは、必死さと安堵。



 探してくれていた? 私を?



 そう思うと怒りは少し引いたけど、代わりに素直になれない気持ちが満たす。




「さっ……探してたって、先にいなくなったのはそっちでしょ! 『関わるな』とか言って、こっちの気も知らずに勝手に行っちゃってさ! 私がどれだけ寂しい思いをしたと思ってるの!?」



「……え?」




 今度は、若葉くんがまばたきをする番だった。 




「気づかなかった私も悪かった! 無意識のうちにたくさん傷つけてたってわかって、すごく後悔した!


 だけど、私だって若葉くんに対する気持ちは嘘じゃなかったもの! 一緒にいて楽しいって、会えて本当によかったなぁって気持ちは本物だったもの!


 私は独りぼっちだったから、どうしても友達が欲しかったの! 子供の頃からそれだけを望んでた!


 だから若葉くんが優しくしてくれて、やっと夢が叶うって嬉しかった。それが……まさか、こんな……」




 一緒にいると恥ずかしくなるのに、傍にいないと会いたくなる。


 会えたとき、すごく嬉しいはずなのに胸が苦しくなる。


 たくさんの矛盾の狭間で、私はずっと戸惑っていた。




「私……若葉くんに謝らなくちゃいけないことがある。だから、終わるまで待っててほしい」




 正面へ向き直った私に、若葉くんが血相を変える。




「紅林さん、まさか……無茶だ!」



「若葉くんは手を出さないで! これは私の闘いなの!」



「そんなこと言ってる場合!? お願いだから早く逃げて!」



「ここで逃げたら、私が信じてきたものや、私を信じてくれたものを裏切ることになる! 私は、絶対に逃げないわ!」



「紅林さんっ!?」




 じっと正面だけを見据える。長谷川先輩は驚きに目を見開いていたが、やがてニヤリと笑みを浮かべる。




「何だ何だと思って見ていれば……ハッ! こりゃ傑作だなあ! 校内一の不良ともあろう者が、ただのチンケな女だったとは!」




 長谷川先輩はあざ笑うけれど、バレてしまったこと、後悔などしていない。




「朝桐くん、日野くん、和久井くん!」




 声をかけられ、ハッと我に返った3人を見据える。




「本当に、仲間なんかじゃないの?」



「何を……」



「城ヶ崎のこと、本当は嫌ってなんかないんじゃないの?」



「違う! 俺たちはアイツのことなんか……」



「どうでもよくなったなら、どうして長谷川先輩と手を組んだの?


 さっき、私のせいで城ヶ崎が腑抜けになったって言ってたよね。私がいなくなったら城ヶ崎が元に戻るんじゃないかって、そう思ったんじゃないの?


 本当は城ヶ崎のこと……心配してるんでしょう?」



「……っ、それは……」




 視線を伏せ、俯く3人に、長谷川先輩は苛立ちを募らせる。




「んだよお前ら。紅林さえいなけりゃいいんだろ。だったらやっちまえよ。こいつはただの女なんだぜ。お前らがかかれば一瞬だろうが」



「……けど」



「いい加減にしろよ! 俺の言うことが聞けねぇってか! ハッ、所詮お前らも城ヶ崎と同じ腑抜けだったってことか」



「彼らを悪く言わないで!」



「ほぉ、この俺にたてつくのか。ミブロの恐ろしさは知っているだろう?」



「何を言っているの? ミブロは私を助けてくれた。そんなことも覚えていないのね。


 ――やっぱりあなたは、ミブロじゃない。私利私欲のためだけに友達を思いやる心を踏みにじる人なんかが、ミブロのはずがないわ」




 憧れだった。



 強く凛とした姿に、弱い私は当然のように目を奪われた。



 でも、私が本当に憧れたのは強さなんかじゃない。



 優しい心。本当に大切なものを守ろうとする彼に、私は憧れた。



 今まで信じてきたものを、私が信じないでどうするんだ。




「少しは使えると思ったんだが……バレたもんは仕方ねえなぁ」




 不気味な笑みは真実を現す。 


 私が信じていたものは、この人にとって私をおびき出す餌に過ぎなかった。




「そんなことのためにミブロを名乗るなんて、許せない!」



「だからといって、お前に何ができる? ただの女が男に勝てるとでも?」




 そう、私はただの女。



 最凶の不良でもなければ、剣道の達人でもない。だけどね。




「ただの女で何が悪いの? 金髪だから不良だなんて、それはあなたたちの勝手な押しつけよ!」




 みんな表面の私しか見てくれなくて、大切なところは素通りしていた。


 そんなとき立ち止まって、初めて目を向けてくれた若葉くん。不良という殻に隠された本当の私を、見つけ出してくれた。



 彼が綺麗だと褒めてくれた髪。私には、恥じることなど何ひとつない。今なら言える。




「これが『私』よ! 弱い私が本当の自分よ! でも、それでもいいって言ってくれる人がいる。ありのままで充分だって、私のことを受け止めてくれる人がちゃんといる。


 だから私は、もう自分を押し殺したりなんかしない。みじめだって言われても、私自身を偽ったりなんかしない! 絶対に逃げない!」



「だったらお望み通りここで果てさせてやるよ! ははっ、残念だったなあ! お前が信じたミブロは助けに来てくれないんだぜ!」




 長谷川先輩が踏み出す。でも私は動かない。逃げないと決めたから。




「彼が来てくれなくたっていい。これは私の闘いだもの」




 もう独りじゃないと、教えてくれた人がいる。




「私を信じてくれた人がいるもの!」




 ちゃんと見ていてほしい。


 誰も傷つけたくない、自分の気持ちに素直になって、笑って顔向けできるように。


 私の勇気を認めてほしい。あなたに。



 ――若葉くんに。



 私の顔を真っ直ぐに狙う拳が見えた。


 ゆっくりと目をつむる。不思議と恐怖はなかった。


 心は静まり、闇に包まれる。感じる。ひそやかな気配、あの月の光を。



 お月さまはいつだって、私を守ってくれる。


 それだけじゃない。今の私には、心の支えになってくれる人がいるの。


 だから怖くなんかないよ。私は、逃げないから。




「食らえ!」




 拳が真っ直ぐに空を切る音。その軌道を顔面に感じる。




 ――今こそ勇気を。




 ぐっと唇を噛み締め、足の裏に力を入れた。そして――






 月明かりが、遮られた。

 

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