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【完結】夜空の琥珀  作者: はーこ
六章【夜空の琥珀】
31/46

1―カラッポ―

 

 夕暮れの光が、優しくあたたかい。



 だけど、空っぽな心には過ぎたものだった。



 めったに人が通ることのない体育館裏。何かをする気にもなれず、私は帰り支度をしたまま、竹刀と膝を抱えてうずくまっていた。


 下校時間はとっくに過ぎている。明らかな不当居残りだ。


 先生たちに見つかりたくないからって、改修中の立ち入り禁止区域に居座ってる。


 剣道場に向かうのを途中放棄したから、靴に履き替えないで上履きのままだし、本当にバカだ、私。



 ……昼休み以来、若葉くんと一度も話していない。彼から話しかけてくることもなかった。




「ははっ、嫌われてるなぁ……」




 ずっと傍にいたから、近すぎたから、遠いことがこんなにも辛い……。




「……あれ? これ、なんだろ……」




 頬を冷たいものが零れ落ちる。雨? でも空は晴れている。




「おかしいなぁこの雨。前が見えなくなってくるし……それに」




 視界がボヤけ、胸がギュッと締め付けられる。




「何だか、苦しいよ……」




 雨の正体に、いい加減気づいていた。



 拭っても拭ってもとめどなく流れる涙は、おさまることを知らない。



 ……ひどいことを言ったのは、私が弱かったからだ。若葉くんのせいじゃない。


 彼を傷つけた私に、傷つく権利なんてない。




 ――――パキリ。




 小枝の折れる音に、反射的に顔を上げる。


 とうとう夕陽にまで見放されてしまったのか。優しい光は跡形もなく消え去り、夜の更けてきた視界では周りの様子もわからない。




「なんだ、あの眼鏡と一緒じゃないのか。まぁいい」




 ゆっくりと歩み寄る足音。目の前で薄気味悪い笑みを浮かべた人物には、見覚えがあった。




「長谷川……」



「先輩、だろ。礼儀のなってない後輩はきちんとしつけてやらねえとなぁ。――おい」




 長谷川先輩が声をかける。と、暗闇の向こうから3人の男たちが姿を現す。




「お前たちは、城ヶ崎と一緒にいた……」




 朝桐くんに日野くん、そして和久井くん……で、確か合っているはず。城ヶ崎と違って、部活中それなりに見かける顔だから。


 その3人は、無言で長谷川先輩の後ろに立つ。とっさに竹刀を手に立ち上がった。




「何をするつもりだ……!」



「聞いてなかったのか? 礼儀をわきまえない後輩をしつけるんだよ」



「城ヶ崎は! アイツはどうしたんだ!」



「あんなヤツ、もう俺らとは関係ない! 城ヶ崎はすっかり腑抜けになっちまった。それも全部、お前のせいだ!」




 悲痛な叫びで私を突き刺したのは、朝桐くん。




(私が、城ヶ崎を腑抜けにした……?)




 意味がわからない。それに、この3人が長谷川先輩と手を組む理由も見当たらない。




「長谷川、コイツらに何を言った!」



「何? 何ねぇ」




 長谷川先輩は、わざとらしく首を傾げ――




「別に変なことは言ってないぜ? 一言だけだ――そう、俺がミブロだってな」




 ――嗤った。



 何を言われたのか、理解できなかった。


 ゆっくりと言葉が思考回路を通過し、やっと繋がる。




(長谷川先輩が、ミブロ……?)




 空耳だとするならタチが悪い。今まで憧れてきたもの、それが……こんなものだったなんて。


 信じられない……信じたくない。




「その気色悪い髪にはいい加減吐き気がしてたんだ。もう拝まなくて済むなぁ」




 愉悦に満ちた笑い声。



 信じ、られない……。



 3年前、私を助けてくれたのはなぜ? 気持ち悪いと言うなら、どうして助けてくれたの?



 竹刀を持つ手が、ガタガタと震えを増した。



 怖い。……足が動かない。



 情けない。伊達に剣道をやっていないのだと、どの減らず口が言ったのか。私1人では、何もできないじゃない……。




「おい、やれ」



「…………っ!」




 声も表情もなく近づいてきた3人は、私の腕をひねり上げた。その拍子に竹刀を取り落としてしまう。


 手首に鈍い痛みを感じながら、ゆっくりと視線を上げる。



 ……私は今、空っぽだった。



 衝撃、混乱、恐怖。



 色んなものが混ざり合い、ぐるぐる回って境目がわからなくなって、考えるのもバカらしいと、糸がちぎれたように思考が途切れてしまった。


 不服そうに近づいてきた長谷川先輩は、グッと私の髪を引っ張る。




「誰に向かってデカイ態度を取ってるのか、わかってんのか」




 ……そんなの、わかるわけない。


 あの日、あの夜、私を助けてくれた人の強く優しい手が、今、私を貶めようとしている。


 あの手のぬくもりは覚えているのに、背筋を這うのは強い嫌悪だけ。



 私はこの3年間、何を思ってきたの? 何に憧れて、何を目指してきたの?



 ……答えがわからない。そんなもの、なかったんだから。



 私が憧れ目指してきたものは、理想と遠くかけ離れていた。


 その人がどんな人なのか知ろうともせず、自分の中で決めつけて、ほかのことなんか気にしないで。



 ――若葉くんを、傷つけた。




『僕が今までどんな気持ちで紅林さんと一緒にいたのか、わかる?』




 目先のことばかりに気を取られて、すぐ傍のことにさえ気づかなかった。彼がくれた笑顔に偽りなどなかったのに。



 ……私は、何をやっているの?




「……せ」




 腹が立った。




「――放せッ!」




 腹が立った。情けない自分に。




「コイツ……!」




 長谷川先輩や朝桐くんたち3人が手を離し、後方に飛びのく。


 すぐさま竹刀を拾い、睨みつけてくる長谷川先輩に向かって構える。




「やる気か? さすが血の気の多さはウワサ通りといったところか」




 交錯する視線。息を吐く。今どうしたいのか、それを考える。迷ったときに戻るところはいつも同じ。


 そう、お月さまのところ。


 懲りないな、と自分でも呆れる。でも深く信じてしまったものはそう簡単に絶やせやしない。


 あの声、背中、手。私が覚えているのはほんの少しだけ。でも、確かなことはある。




『調子に乗るなよ。妄想はテメェの脳内満足だけにしとけ。――失せろ』




 ……ごめんね若葉くん。またあなたの気持ちを考えないで行動しちゃうかもしれないけど、これだけは証明させて。



 心を決め……私は竹刀を下ろす。




「……何の真似だ」




 眉をひそめる長谷川先輩を、真っ直ぐ見据える。




「私は、暴力は振るわない」



「この状況下でもか? 頭がイカレてんじゃないのか?」



「何と言われようが、私は決して暴力は振るわない」




 冷酷かもしれない。彼ほどの人なら、あのときあの男を打ちのめすことなど造作もないはずだった。


 暴力で相手を打ち負かすのは簡単なこと。


 でも彼は力に頼ってなんかなかった。ただ強い言葉だけを相手に返す。


 怖がられてもいい。怯え、逃げ出してくれたら上等じゃないか。理不尽な暴力で傷つかずに済むのだから――。


 冷酷でも何でもない。それは相手を傷つけないための、優しさだった。


 その優しさこそが本当の強さで、私が憧れたものなんだ。




「ナメてんのか」



「違う。――私の信じていた人が、そうだったからだ!」




 太陽と違って、月はいつでも姿を見せてくれるわけではない。


 でもいつだって夜空に浮かんでいて、孤独な闇を照らしてくれた。



 月は私の道標。母が言ったように、いつだって私を見守ってくれている。



 強く、凛と輝いていた。その輝きはこんなに曇ったものじゃない。



 あの人は、むやみに人を傷つけたりしない。



 ……そうだ、疑う必要がどこにある。ずっと信じてきたじゃないか。



 私の信じてきたものは、間違いではない。




「――紅林さんっ!」



 

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