5―キレツ―
「『そうだね』って、言って欲しいの?」
予想とはまったく外れた答え。
いつもの若葉くんだったら、こんな、相手を推し量るような言葉は言わない。
不安が芽生えた。彼は薄く笑う。
「……僕には言えないよ。言ってあげられない」
その言葉は、思考を完全に停止させた。呆然、といった表現が正しい。
なんで……どうしてこんなときに笑ってるの。
「僕は……」
「もういいよ! ごめん、私間違ってたみたい。聞かなかったことにして」
困っている友達がいたら助ける。何も間違ったことなど言っていないはずだ。
それなのに、若葉くんの反応を見ると大きな間違いである気がしてならなくなった。
私たちが友達であることが、否定されたようで……。それが耐えられなくて、私は俯いて若葉くんの横をすり抜ける。
「紅林さん!」
必死で聞こえないフリをする。
真っ直ぐ入口までやってきて、ドアノブに手をかける。
……私がバカだった、ちょっと仲良くしてくれたくらいでいい気になって。
友達だなんて、勝手に思い込んで。
「紅林さんっ!」
なのに若葉くんは私の手首を掴む。
突き放すようなことを言ったのに、追いかけてくる。
悲しい思いをさせるのに、すぐに安心させようとする。
「どうして追いかけてくるの? 私たちは友達じゃないんでしょ。私がどうしたって、若葉くんには関係ないことじゃない!」
ヒステリックな声が出る。
若葉くんが立ち止まった。
ああ――
「ごめん、自意識過剰だったみたいで」
――泣きそうだ。
「勝手に友達だって思い込んでバカみたい」
胸の中がぐちゃぐちゃすぎて、涙も出やしない。
……嫌だ、こんなの。
「……若葉くんなら、私の友達になってくれるかもしれないって思ってた。でも、独りよがりだったみたいだね。もう私のことなんか気にしないでよ」
ひどいこと、言いたくないのに、溢れて止まらない。
「紅林さ……」
「もう本当にいいの! 追いかけてこないで!」
若葉くんを振り払って、逃げたかっただけなのに。
――パンッ!
若葉くんの手を、叩き払っていた。
でも、茫然自失したのは私のほう。
若葉くんが、唇を強く噛んだ。
「――冗談じゃないっ!」
背中に衝撃が走る。
私は、一瞬で壁に押し付けられていた。
「わか……」
「本気で言ってるの? ふざけないでよ! そんなことできるわけがないじゃないか!」
背中に走った痛みや、ものすごい剣幕で怒鳴りつけてくる若葉くんに、畏縮するしかない。
長谷川先輩に向けられた厳しい声。それよりもすごいものが、今、私に向けられている。
目の前にいる人物は、若葉くんではないようだった。
怖くて身がすくむ。涙がじわりと浮かぶ。
若葉くんの表情が、大きく歪む。
「……僕が今までどんな気持ちで紅林さんと一緒にいたのか、わかる?」
心の内の何かを抑え込むように、彼は声を絞り出す。
答えられなかった。
それこそ、私が知りたかったこと。つまり、知らなかったことだ。
「前に、憧れの人が助けに来てくれる夢を見たって言っていたよね。それは、ミブロのことだったって思ってもいいのかな。……全然、面白くなかったよ」
静かだけど、その中に抑えきれない怒りが内包されている。
私を閉じ込めた腕、その両拳が顔の横できつく握り締められた。
「その人も、同じかもしれない」
こんな場所でこんな状況なのに、不敵な笑みが現れる。
「その人もほかの人と一緒なのかもしれないよ。紅林さんに辛い思いをさせて」
「ちょっと……!」
「だってそうでしょ。一番辛いときに傍にいてくれないんだよ。それで満月の夜に現れる最強の男? バカじゃないの。
自分のせいで紅林さんが狙われているかもしれないっていうのに、姿も現さないで逃げ回ってばかり。そんな人のどこがいいの?」
……脳内の何かが、プツリと切れた。
「彼のことを悪く言わないでっ!!」
若葉くんが黙り、視線だけが交わされる。
やだ……。
「おかしいよ! ……こんなの」
若葉くんが、おかしい。
……どうして、こんなことに。
見るだけで心が温かくなるあの笑顔は、どこに行ってしまったの。
今ここにいる人は、感情を切り捨てた暗い目をしている。
あのレンズの奥にある綺麗な緑色の瞳が、私を無表情に見つめている。
それも光に隠されて、目の前にあるのは深い闇色の瞳。
「若葉くんが、怖い……」
消え入りそうな声でやっと口にすることができたのは、たったこれだけ。
ひどいことを言った。だから顔を逸らした。
痛いくらいの沈黙の後、若葉くんがゆっくりと身を引く。
「わかった」
淡々とした声が、嫌でも耳に届く。
今度は若葉くんが私の横をすり抜ける。表情が見えないから、余計に不安を増幅させる。
「今の僕を怖いと思ったなら、もう僕に関わらないほうがいい。そうしなければ……きっと後悔する」
キィ、とドアの開く音がした。
彼が去っていく。それがわかったのに、私は動くことができない。
若葉くんは追いかけてくれたのに……私には彼を追いかける勇気が、なかった。




