4― ゴメン―
朝会えば、「おはよう」って言ってくれる。
休み時間は、気さくな笑顔で話しかけてきてくれる。
放課後は、部活へ行く私にエールを送ってくれる。
でもそれは、若葉くんの1日のよりすぐりに過ぎない。
たとえば朝、私に挨拶をする前、彼は1人で登校している。
休み時間に何の繕いもなく会話ができるのは、素で話せる2人の間だけ。
そして放課後、私を応援してくれた後は部活生の脇をすり抜け、1人で校門を出る。
この数日間、彼に近づいて行った人は1人もいなかった。彼も誰にも近寄ろうとはしなかった。
そのどちらも、私を除いては。
……そんなことに、今更気づいた。
――……
教室の喧騒。談笑が聞こえるその隅に、ぽっかりと穴の開いたような空間があった。
周囲のにぎやかな風景とはまるで別世界。水を打ったように静かな……そこだけ忘れ去られたような空間。
そこにはやっぱり、若葉くんがいた。彼は、自分の席に座って窓の外をぼんやり眺めている。辺りの楽しそうな声など、全然耳に入っていないみたいに。
彼も独りだった。でも彼の場合は、私とは違った。独りなのに全然悲しそうじゃない。そう気づいて、私の胸は痛み出す。
「……若葉くん」
振り向いた彼は、ふんわりと笑う。
お陽さまみたいだった。すごくまぶしくて、その光は誰にも隠しきれない。
心に恵みを与えてくれるのに、いつも独り、ポツンと空の真ん中に浮かんでる。
与えるばかりで、自分から何も得ようとはしないんだ。
「何してたの?」
「んー、空を見てた」
そこには、いつもとまったく変わらない笑顔。
今は若葉くんが普段通りに接してくれるから笑える。彼のあんな姿さえ目にしていなければ、無条件で笑い合える。
「ねぇ若葉くん、一緒にお昼にしない?」
「いいけど、急にどうしたの?」
「話したいことがあるの」
――もしものときは真っ先に話すから。
私が言ったことを思い出したのだろう。
「……少し待って。準備するから」
果たして、ちゃんと話せるのか。
不安を抱えながら、席を立つ若葉くんを見つめていた。
☆ ★ ☆ ★
私たちがやってきたのは屋上。いささか天気が良すぎるためか、この季節、私たち以外の姿はない。
だからこそ、人目を気にせず話ができるようにこの場所を選んだのだ。
昼食を摂るのに適当な場所へ腰を下ろし、単刀直入に話を切り出す。
「――僕が?」
一通りの話を聞いた若葉くんは、予想外の話題に戸惑っているようだった。
「早くに気づけなくてごめん。私、若葉くんと話すことしか頭になくて……」
このまま気づけなかったら相当なバカだった。
若葉くんはどんどん身近な存在になっていったけど、私たちを取り巻く環境は何一つ変わっていないのだ。
私の知らないところで彼が理不尽な思いをしていたら……それを考えると、自分の愚鈍さばかりが目につくようで、嫌になる。
「平気。紅林さんが心配してるようなことはないよ。編入初日から全然変わってない。それ以上のことはない。だから安心して?」
そんなことを言って、彼はまた、私だけに笑うんだ。それ以下のこともないっていうのに。
「でも若葉くんに友達ができないし、放っておくわけには……」
「別にいいんじゃない? いつまで経ってもこの状況が変わらないのなら、どうしたって僕の友達にはなりえないんだから」
「そんなこと言われたって全然嬉しくないっ!」
「……紅林さん……?」
「友達ができなくてもいいって……まるで、友達なんていらないみたいな言い方……」
ずっと気になっていた。彼が時々見せる、寂しそうな表情。一瞬だけ見せたその後には、何事もなかったように笑っていた。
思い詰めている事実を隠しているようだった。さすがの私でも、何かがあると気づく。
「もし、若葉くんがみんなのしていることを平気だって思っていたとしても、避けられて嬉しい人はいないよね?」
私が見ていないところで彼が独りだったこと。
何があっても、彼自身のことは話してくれなかった。
「避けられて平気って言うのはやめて。……独りは寂しいよ。それに慣れてしまうのは、もっと寂しい……」
下を向いた拍子に、涙が零れ落ちた。
「おかしいよね。若葉くんに何もしてあげられてないのに。でも……」
もどかしくて情けなくて、乱暴に涙を拭う。
「何もできなかった自分が許せなくて、悔しいの……!」
「――っ!」
風が吹いた。
ふわり、と包み込まれる感触。
何が起きたのかわからなくて。
「……君は、どうしてそんなに優しすぎるんだろうね……」
困ったような声が聞こえた。それも、耳のすぐ傍で。
顔を上げたくて、上げられなかった。なぜなら、若葉くんに抱き締められていたから。
「……まいったな。泣かせるつもりはなかったのに。でもこれは僕が悪かった。ごめん。心配をかけたくなかったんだ」
今までにないくらい優しい声をかけられて、涙が溢れそうになる。
「心配……かけたくなかったん、なら、言ってほしかった……言ってくれなかったから、悩んでるんだって、すごく、心配、した……」
「うん、ごめんね……」
我慢も限界に達した。せきを切ったように、大粒の涙が頬を伝う。
泣き顔を見られたくなくて若葉くんの胸に顔をうずめると、抱き締める力がいっそう強くなった。
全然迷惑そうな顔ひとつしないでこんな風に泣かせるから、ホッとして、止まらなくなっちゃうんだ。
「……ありがとう」
少しだけ、抱き締める腕が強張る。若葉くんは、どうしてお礼を言われたのかわからないようだった。
「城ヶ崎から聞いた。ミブロのことを知ってて、私を守ってくれようとしてたんだよね」
「――!」
「でも大丈夫だよ。ミブロは悪い人じゃないし、私もそう簡単に誰かにやられたりしない。伊達に剣道やってないんだから!」
黙って守られているのだけは、嫌。自分にもできることはあるのだと言ったつもりだった。
若葉くんは腕の力をゆるめ、それから私の肩を掴んで、自分から引き離す。
不思議に思い見上げた先で、彼は見たことのない真剣な表情を浮かべていた。
「君がそう言う限り、僕が安心することはない」
「え……?」
「だって僕は……」
若葉くんは何かを言おうとする。けれど口をつぐみ、逡巡する。
「……僕は、君が思うような人間じゃない。隠していることだってたくさんある。それなのに、君の気にかけてもらえるような資格は、ない」
私を真っ直ぐに見つめるのは、強い輝きを秘めた瞳。なのに、奥に底知れない何かがあった。
「……そ、そんなことないよ。資格があるとかないとか、そんなの関係ないじゃない。だって私たち、友達でしょ? 友達の心配をするのは当たり前でしょ?」
若葉くんは口角を上げた。ほら、わかってくれた。彼はきっと笑顔でうなずいてくれる――




