1―ヘンカ―
鍵が開けられたばかりの昇降口。私は朝一番に、背が高くて、仏頂面の彼と対面した。
「おはよう……城ヶ崎」
「…………」
城ヶ崎は私と視線を合わせたまま、黙り込んでいる。いつも逸らされる瞳が、交差している。
向けられているのは……敵意じゃない?
そこで私はハッとする。
城ヶ崎から少し視線をずらした先、彼の肩の向こうに、細長い黒の包みがあることに。
「城ヶ崎、それ、竹刀……じゃあ!」
「今日から出る」
「ホントっ?」
「ぎゃあぎゃあやかましい女に助けられんのは、シャクに障るからな。勘違いすんなよ。お前に気を許したわけじゃない」
そうしてしかめっ面のまま、私の横をすり抜けるんだけど。
「礼は言わん。――借りだ」
……城ヶ崎の姿は、廊下の向こうに消えていく。その背を見つめながら、心がほっこりと温かくなるのがわかった。
彼が新たに背負ったものは、竹刀だけじゃない。優しさと強さ。それがあれば、どんなものだって守ることができる。
いつもと変わらない時間は流れる。その中で少しずつ、色々なことが変わり始めていた。
☆ ★ ☆ ★
現在地理の授業中。ちゃんと集中しなきゃいけないんだろうけど、耳がちくわになってしまう。
今度テストに出すからと、先生が黒板に貼られた世界地図とか雨温図とかを指し示しても、私のノートは真っ白なまま。
(遠い……なんでこんなに遠いのかな……)
席は近い。だって隣だし。距離にすると50センチもないくらいなんだけど……遠かった。
ボーッと視界の端で若葉くんを見る。私と違って真面目だから、黒板とノートを交互に見ながらせかせかと手元を動かしていた。
(字が綺麗だなぁ。わ、先生が言ったことも書いてる、すごいなぁ)
なんてことを考えていると、ふと視線が合ってしまう。
さすがに見すぎた。変に思われたかな?
でも若葉くんはにっこり笑って、またノートへと視線を落とす。ホッとひと息。
できるだけ授業に集中しよう……いくら自分に言い聞かせても。
『紅林さんが僕の目を綺麗だと思ってくれてる以上に、僕は、紅林さんの髪を綺麗だと思っているよ』
あのときの真摯な瞳が、頭を離れない――
☆ ★ ☆ ★
変な疲れが溜まりに溜まって、気分転換にと教室を後にした休み時間。とある少女を見つけて足を止めた。
「剣道場事件」のとき、城ヶ崎たちに囲まれていた子……赤い襟とリボンから察するに、1年生だ。
だけど様子がおかしい。
彼女は階段の脇にある掃除用具入れに張り付き、手を伸ばしている。小柄な彼女ではてっぺんには届かない。
私は少女のところへ歩いて行くと、同じように手を伸ばした。
少女が動揺した様子で振り返る。
(あ……怖がられてるの、忘れてた)
だけど、ここでやめてしまうのは良心が許さない。
伸ばした指先に神経を集中させる。少しだけ触れる布地。たぶんこれが、彼女の求めるもの。
あと少し、あと少しなのに――
「これを取ればいいの?」
ビックリして手を引っ込める。隣には、それを事もなげに取り上げる若葉くんがいた。
手元へ視線を落とした表情が険しくなる。無言で差し出してくる彼からそれを受け取り、私も顔をしかめた。
「ご、ごめんなさい!」
引ったくるようにそれを掴んだ少女が、抱え込み、俯いてしまう。まるで、見られまいとするように。
でも、目にしてしまったものは見過ごせない。
少女が手にしていたのは、学校指定のバッグ。それが、信じられないくらいボロボロになっていたのだ。
いくら使い込んだって、そんな風になって卒業していく人は見たことがない。
「そのバッグ、どうしたんだ。自分でやったわけじゃないだろう」
訊ねるけれど、返ってくるのは怯えた表情だけ。そこではたと気づく。顔をしかめたままだった。
「大丈夫だから、話してごらん?」
ぶっきらぼうで低い作り声じゃなく、素に近い高い声で。
城ヶ崎にバレて、吹っ切れた部分があったのか……思ったんだ。
今大事なのは、私の素顔がどうとかじゃなくて、この子が悲しそうな理由を知ることだって。
「よくあるんです。こういうこと……わたしは気が弱くて、口下手だから、誰かに相談もできなくて……」
言葉の最後は、消えてなくなりそうなくらいか細い。
目に見える仕打ち。その奥に潜み、私たちをあざ笑う目に見えない感情。
だけどドス黒く渦巻くその感情は、私には何よりもよく見える。
「……馬鹿タレ共が」
面白半分で罪のない人をこんな目に遭わせるなんて、許せない……。
そこで我に返る。少女が固まっていたのだ。凄みのある声に身がすくんでしまったのだろうか。
「あ、違うんだ。怖がらせたかったんじゃない。どうもいけ好かなくてな!」
慌てて釈明するけど、少女のまなじりにじわりと涙が浮かぶ。え……えっ!?
「大丈夫だよ。見て」
半分パニックな私は若葉くんに促され、再度少女を見やる。そして驚愕する。
泣いているのに、笑ってる……。
私が対応に困っていても、若葉くんはにこにこしながら見守っているだけ。
「わたしは平気です。ありがとうございます」
「え……」
お礼を言われた? 私が?
「ずっと言わなくちゃって思ってたんです。……助けてもらったから」
そう言う表情に、恐怖なんてものは欠片もなかった。
「前に助けていただいてわかったんです。みんなが言うみたいに、怖い人じゃないんだって。
……紅林先輩がいると、ホッとするんです。だからつい、気が抜けちゃって」
少女は、笑いながら涙を拭う。
「わたし、言い返したりとか全然できないんですけど、紅林先輩みたいに強くなりたいです」
『――紅林さんの魅力に気づいてくれる人はきっといる』
思わず視線を向けた私に、若葉くんは優しすぎるくらいの微笑みをくれた。
……どうしよう、胸が熱いよ。




