3―セイロン―
「おい」
とっさに涙を拭って振り向く。そこにいたのは、ごく普通の男子生徒だ。
「お前が紅林だな」
私を見据える男子生徒。やがてその表情に、怒りの炎が灯る。
「……お前のせいだ」
「は……?」
「お前のせいで亜貴が怯えてるんだよ! ちょっと陰口叩かれたくらいで、キレやがって!」
事情を掴めないけど……男子生徒の言い分から察するに、遠藤さんが休んだのは、やっぱり昨日のことが原因で?
「コイツ、何言ってやがる」
「こっちの話だ!」
苛立たしげな城ヶ崎へ簡潔に返答し、男子生徒へ向き直る。
「私もムキになったところがあったが、彼女も言い過ぎだった。他のヤツらのことまで悪く言ったんだから」
「本当のことを言って何が悪い?」
そう吐き捨てた男子生徒の矛先が、城ヶ崎に向けられる。
「地味なヤツは地味、不良は不良。見たままを言っただけだろう。誤解だと言うならそんな風に言われるヤツらが悪い」
「テメェ……っ!」
「よせ!」
「お前の指図なんか、誰が受けるか!」
「落ち着け! 殴ってしまえばお前の立場が悪くなるだけだろうが!」
暴力沙汰になれば厳しい処分が下される。最悪退学になるかもしれない。だから私は、城ヶ崎を止める。
「――私は、城ヶ崎が学校に来てくれて嬉しかったんだよ」
小声で囁くと、城ヶ崎の動きが止まった。
「部活に来てくれないのは寂しかった。でも話しかけてきてくれたとき、私すごく嬉しかったのかもしれない」
口は悪いし、会えば口論突入。仏頂面で怖いし、全然合わないって思ってた。
だけど私はどこかで、心を許していたのだ。
――ならば私は、そんな彼を傷つける人に立ち向かわなければならない。
「誤解されるのが悪いだと? それはあんまりじゃないか?」
「事実を口にしたまでだ」
事もなげに言ってのける男子生徒。
……この人も、遠藤さんたちと同じか。
「正論だと思うなら、何を言ってもいいのか? そんなのは言葉の暴力だ!」
「生意気言ってんじゃねぇ!」
直後、視界が大きく揺れた。
髪を引っ張られているのだとわかったのは、少し経ってからである。
「友達の悪口は許さないってか? 腐れ人間のクセに、よく善人顔ができるもんだ。
お前みたいなヤツのの正論なんて、信じられるか!」
髪を強引に引っ張られ不自然に顔が下を向く。気管をふさがれ、息も抵抗もできない。
「く……ぅっ!」
「どうせこの髪だって染めてるんだろ? 自分で目立とうとしてんじゃないか。それに何を言われたって自業自得だろ。
休むなら、お前が休めよ。亜貴は悪くねぇ」
この人は遠藤さんが休んだことを心配しているんだ。それは、思いやり。
だけど、こんなやり方間違ってる!
「……腐ってる人間なんか、いない」
少ない酸素。話せばもっと逃げていく。だけど私は。
「城ヶ崎……手ぇ、出す……なよ」
顔も動かせないし、目を合わせることもできないけど、私は城ヶ崎に笑いかけた。
「そりゃあ、性根の悪いヤツらはいるがな……そいつらも、そいつらなりに生きてんだ」
私が先生に叱られたって知って、どうして言わなかったんだ、そんな筋合いはないって怒った。
本当は優しいのに、不器用で強気な口調でしか人と接することができない。
だから、独りを選んでいく。
独りにならざるをえない寂しさを、私はよく知っている。
「人ってのは……全員が全員、誰とでも仲良くなれるわけじゃねぇだろ。周りと打ち解けられないヤツだっているんだ……!
そいつらの生き方を否定する権限があるほど、お前らは偉いのかよ!?」
「コイツ……!」
「私のことはどうとでも言え! だが腐った人間はいなくてもな、腐った心を持った人間なら、世の中腐り果てるほどいるんだよ!
本当の意味で腐ってんのはどっちか、しっかり考えろっ!」
「調子に乗るんじゃねぇっ!」
男子生徒の拳が振り上げられる。
「おいっ、紅林っ!」
私には、抵抗するだけの体力がない。酸欠でフラフラする。ぼやける視界で振り下ろされる拳を認め、目をつむった。
「クソッ!!」
城ヶ崎の声が聞こえた。それと、彼が駆けてくる音も。
(ダメ。殴っては、ダメ……! お願いだから、来ないで!)
一心に祈ったそのとき、屋内を一陣の風が吹き抜けた。




