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【完結】夜空の琥珀  作者: はーこ
四章【茜に染まる暗雲】
20/46

1―ナツノツキ―

 

 2人だけの図書室。私の葛藤も、ついに終わりを告げようとしていた。




「助動詞『べし』の文法的意味は、推量・意志・仮定・勧誘・婉曲・適当の6つ。文脈から考えて推量。


 で、こっちは完了の助動詞『ぬ』の連体形だ! できたー!」




 シャーペンを置き、書き上げたばかりのノートを目の前に掲げてみる。




「解説すっごくわかりやすかった! ありがとうね、若葉くん!」



「お役に立てたなら何よりです」




 今度お礼をしなくちゃな……と考えながら教材を片付けていたときのこと。


 クリアファイルから覗くノートの切れ端が目に留まった。




「それは……枕草子?」



「うん。懐かしいなぁ。中学のときに授業でやったんだけど、ここに入れてたの、すっかり忘れてたよ」



「大事に持ってたんだ?」



「えへへ……。清少納言って、四季の表現が綺麗だから好きなんだ。特に好きなフレーズがここに書いてあるの」




 手元に視線を落とすと、まだあどけない文字が罫線に沿って書かれている。




「『夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛び違ひたる――』」




 たった3行の短い文。これに、私は感銘を受けた。




「私ね、月を眺めるのが好きなの」




 ノートの切れ端を覗き込んでいた若葉くんが、視線を上げる。




「月?」



「そうだよ。夏の満月が好きなんだ。


 ……ウチね、両親が仕事でよく家を空けるの。仕方ないんだって子供心に理解していても、やっぱり寂しかった。


 夜みたいに暗くて静かな場所にいると、心細くなるんだ」




 真っ暗な中にただ独り。長い長い夜の記憶は、今でも鮮明に残っている。




「でも、夏の満月って明るいうちから見えるでしょ。だから見てると安心するの。


 ――それに、夏の満月には大切な思い出があるし」



「前にも言ってたね。その思い出って、憧れの人との?」



「……うん」




 ミブロと出会った夜も満月だった。だから、待ち遠しくてたまらなくなる。簡単に会えないとわかってはいても。




「紅林さんに想ってもらえるなんて、その人は幸せだね。妬けるなぁ」



「はいっ!?」




 若葉くんを見るけど、目の前には微笑みがあるだけ。



 う……何なんだ、この気まずさ。



 すっかり忘れてたけど、若葉くんと2人きりという状況。


 若葉くんはいつも通り笑ってるから、冗談だっていうことは一目瞭然なんだけど、私は違う。


 恥ずかしさのあまり、机に突っ伏してしまう。




「ずいぶんとお疲れですね?」



「今度行われる試合に向けての、連日の調整によってもたらされた疲労のせいです……」




 というのは嘘に決まっている。


 昨日あれだけ休養を取ったのに、何を言っているのだか。




「まさか、まだ調子が完全に戻ってないんじゃ……学校に来てもよかったの!?」



「だ、大丈夫! 私、回復が早いのがチャームポイントなの!」



「治りが早いのが長所なんて……いつ怪我や病気をしても平気みたいな言い方……」




 若葉くんの表情が明るくなるどころかどんどん暗くなっていく。もう頭を抱え込みたくて仕方ない。



 突然、若葉くんの右手が伸びてくる。


 脊髄が反射の信号を出そうとする頃、その手はすでに私を捉えていた。


 長い指が私の前髪を掻き上げ、手のひらが額に触れる。同じようにして、若葉くん自身の額にもう一方を当てる。




「熱はないみたいだけど……」




 私はといえば、額に感じる手のひらの、予想以上の大きさと温かさに固まっていた。


 顔が熱くなってきたのを、若葉くんは律儀にも見逃さなかった。




「頬が紅潮してる。これから熱が出るかもしれない。早めに休んだほうがいいよ!」




 ガタリと椅子を揺らし、立ち上がる若葉くん。このままでは有無を言わさず保健室に連れて行かれそうな勢いだ。




「いやいやいや! 気のせいだって! 見てほらピンピンしてるでしょ!」



「今は平気でも、後からキツくなってくることもあるだろうし……」




 本気で心配してくれるから、冗談抜きで胸が痛くなった。




「ごめん、嘘ついた! さっきのため息、部活疲れなんかじゃない」



「じゃあどうして……」



「それは……言えない」



「どうして? 迷惑になるから?」



「ち、違うよ! 若葉くんを頼ってないわけじゃないの。どう言ったらいいのかわからないだけ。


 もしものときは真っ先に話すから、今は気にしないで?」



「……うん、わかった」




 若葉くんは渋々、といった様子でうなずいてくれた。




「そうだ紅林さん、ひとつ……いいかな」



「えと……何?」



「ほら、今朝言い合いしてた人がいるでしょう。確か」



「……ああ城ヶ崎? 彼、何か恨みでもあるの? ってくらいケンカふっかけてくるの。私、嫌われてるのかなーあははっ!」



「そうかな。仲が良さそうだったけど」



「えぇ! どこを見たらそうなるの?」



「自分の感情を他人にぶつけるっていうのは、なかなかできないことだよ。


 紅林さんは、なんだかんだで彼に心を許しているんじゃないかな」



「心を、許してる……」




 意識はしてなかったけど……話す機会は若葉くんの次に多いと思う。


 口が悪くても、よくよく考えれば乱暴をされたわけでもない。意外と律儀で親切な面は、ちらほら見え隠れしていたような。



 ……案外、悪い人ではないのかな。



 心の中でそう思っていたのだと気づかされる。


 けど、いきなり「仲良くしてください」とも言えないよね。




「紅林さん、今すぐ僕とケンカしてって言ったら、できる?」



「……えっ、出来ないよそんなことっ!」



「だから、今はそれでいいんじゃないかな。どうやら僕には、紅林さんを怒らせることはできないようだし」



「えっと……?」



「人っていうのは、いつも笑っているわけにはいかないでしょ? ときには怒ったり、泣いたりすることも必要なんだ。


 だから紅林さんが本気で怒れる相手がいることは、大切なことだと思う」




 そこで、若葉くんは目を細める。




「……本当はそういうのも全部、僕がしてあげたいけど、紅林さんにとっては、違う誰かとコミュニケーションをとることも大事なんだから」




 呟く表情が寂しそう……。



 そういえば最近、彼はこんな顔をする。


 いつも笑っている若葉くんが真剣な表情をしたから、違和感を覚えただけなのかもしれないけど。


 そう納得しているのに、どこか腑に落ちないような気持ちが拭えなかった。






 ――このときの私は、何も知らなかった。


 この先に待ち受けるものの、重大さを。

 

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