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僕の、1.17

作者: 浅川太郎

できれば思い出したくはない、反面、どうしても忘れられない、そして報道されることのなかった光景です。

阪神・淡路大震災を僕は経験している。


ただし、被害額は数万円程度であり、被災者という意識はない。


最初に余りに個人的なことだけど、どうしても記しておきたいことがある。


ちょうど震災の1ヶ月前、僕は長年の友人と新長田の居酒屋にいた。

友人との会話で、「あと1週間でクリスマスですねぇ」と言った記憶があるから、12月17日の忘年会だったと判る。


実は新長田に早く到着し、駅を南に降りて大正筋を散策してみた。初めて見る町であった。

その名の通り、建ち並ぶ商店も裸電球を点けて営業してる風情で、ノスタルジーを覚えるより、むしろ時代にとり残されたという感覚が強く、何とはなく悲しいムードになったことを鮮明に覚えている。


そして、当日。




まだ暗い時の地震で、瞬間に目が覚めた。寝ぼけた頭で、名古屋、東京は壊滅状態では、と思った。それ程、関西に地震は絶対に起こらないと聞かされてきてたのだ。



先ずは電灯を点けようとしたが、停電してたし、情報を得る方法がない。



やがて白々と夜も開け、夏の間野球中継を聞いていたラジオを探しだし、スイッチを入れた。



ABCの道上アナ(阪神ファンのアナウンサー)が、京阪神は大変な事態だから、できるだけ動かないほうがいいと言っていた。


この時すでに火災は数件認められていたようだ。

家屋が崩壊してしまったという情報はABCには着々と入っていたようだったから、死者は千人は出たに違いないと直感で判った。


だが道上アナは遅々と、5人の死者が確認されました、7人の死者が確認されましたと言ってたから、これは照合、確認されて初めて死者としてカウントされ、報道されるのだなぁと合点した。

合点はしたのだが、納得はできなかった。素人の僕でさえ、千人の死者は確実に思えたのに、死者が十人とか刻々と発表されても、それは何の実態も示してないのだ。妙な違和感しかなかった。勿論、どのような報道なら得心するかも定かではないのだが‥‥





自宅の被害としては、部屋の中が滅茶苦茶になったりもしてた。



酷いものだと直後は思ったのだが、とにかく筆舌に尽くせぬ被害が既に発生していたし、とてもじゃないが「被害」という言葉を言うのも憚られるほどのものであった。

確かに、その日の夕刻には、止まっていた電気も水道も復旧してた。



夜、久米宏がキャスターを務めるニュース番組の冒頭、自転車が盗まれたと絶叫する被災地の若者の姿から開始されたように記憶しているが、あんなに「そぐわない」場面からニュースを始めるセンスの無さに呆れたりもした。



それから番組は、新長田を始めとする火災の模様のヘリからの中継になっていくのだが、あれは本当に悲しかった。僕もそれまでは、どちらかと言うと、対岸の火事を好奇心で眺める一面もあったのだが、生まれて初めて、対岸の火事も無きに越したことはないと思った。


当時も既に株の世界にもいて、翌18日に受け渡しの預り証を市の中心、三宮の証券会社に届ける必要があった。



そういった事情もあって、18日の午前中、三宮に行くことにした。


住んでいたところから須磨までは、どうにか交通機関を利用して着くことができた。



そして、須磨の変貌に度肝を抜かれた。


JRの曲がったレール。止まった各停の青い、無人の車両。高速ランプの巨大な柱の、むき出しになった、グニャリと湾曲した鉄筋と、鉄筋の中に積まれた石ころ。

普通に豪邸もあって、その土塀が無残に崩れ、脇に駐車していたベンツが完全にひしゃげてる。


通行人は、ほとんどいなかったように思う。


完全に倒壊した家屋は、家財道具が散らばり、昨日のあの時刻まで、普通の生活をしてたことが手に取る様に解る。


最も感慨深かったのは、時節柄、年賀状が何枚も散らばっていたことだ。

確か15日に当選番号が決まり、16日に発表してたのではなかったろうか。

家族で年賀状を持ち寄り、当選を笑いながら確認した翌日の未明、それら平和だった団欒を捨てざるを得なかった巨大地震。


諸行無常‥‥


自分の性格はむしろドライかなぁとそれまで考えていたのだが、鼻の奥がしょっぱくなってきた。


レール沿いに三宮まで歩こうとJRの線路の南、須磨の海側に移ったのだが、こちらからは高さ1メートル前後の防波堤が続いていて、誰か暴走族がその防波堤の壁面にカラースプレイで「夢幻(むげん?)」と落書きしていたのだが、身に沁みた。あんなに身に沁みた落書きは、以前にも以降にも、ない。



それからひたすら東を目指して歩いたのだが、やはり前日テレビで見た新長田は目撃しなくてはならないと、妙な使命感もあった。



おそらく、消火された訳ではなく、燃え尽くして鎮火したといったほうが正しいのであろうが、町内の全ブロックが焼けてしまってた。その隣のブロックも同様の惨状であった。


学生の頃から野坂昭如は好きな作家で、氏が、自身を戦後の「焼け跡派」と称していたのは知っていたが、「焼け跡の臭い」を初めて実感した。

おそらく氏は、神戸の灘区か東灘区の空襲による火災を経験し、焼け跡の臭いを嗅いだのであろうが、1945年の終戦からまたしてもちょうど半世紀が経過した95年に神戸の新長田が焼け跡になってしまうという偶然も思った。



焼け跡を歩くうち、ちゃぶ台を思わす、焼け焦げ、いまだ煙を上げる小さな机の上に、焼けて(ただ)れた湯飲みがあり、湯飲みには、黒く曲がったスプーンが一本と箸が一膳、活けてあった。それを見た瞬間は涙が止まらなかった。誰だって、こんなふうに罰せらていい訳はないはずなのに‥‥



ちょっとしたマンションやアパートも倒壊し、各部屋の内部も(あらわ)になって心が痛んだが、グニャリと曲がり、先端が切り取られたようになってた十本以上のガス管の先端からは青い炎が吹き出していて、もしも震災の直後に都市ガスを止めていれば、防げた火事もあったのではないかと頭をかすめた。

おそらくは、アパートのビルの内部崩壊によりガス管が多岐に切断され、引火して火災となり、鎮火はしたもののガスの供給は止まらず、放置しておくとガスが充満して二次災害になるので、

端末には関係者が火を点けたのが実情だったのかも知れないが、倒壊したビルの中の暗い空間で、青い炎が揺らめく光景も、決して忘れることができないでいる。

数週間経って、神戸市内を歩いていると、貼り紙に曰く《バイクなどのイグニションで引火しますので、離れた場所で発車してください》とあった。

かなりの間、ガス管から噴出されるガスは危険だったようである。




三宮に近づいても惨状は続くばかりで、例えば、細長いビルが倒壊すれば90度倒れると思うのが通常の感覚だが、中には、180度、つまり上下が逆になってしまっていたビルもいくつかあった。すさまじい破壊力であったと充分過ぎるほど理解できた。



本当は、決して思い出したくはない光景の連続だった。



その間、はるか頭上、報道機関の数機のヘリが、不幸なシーンを探すことをやめなかった。

その騒音のため、救助の機会を逸したケースも少なくはなかったと、あとで聞いた。


また、救急車のサイレンも常に複数、響いていた。


ヘリの轟音も、救急車のサイレンも、半年は続いていたようにも思う。



僕らは、戦後、空前絶後の大災害を経験したと思っていた。

だがそれが誤りであったことを、昨年思い知らされた。

東北では「復興」という宣言が何時なされるかも覚束ないのではないか‥‥




僕があの日味わった何倍もの悲しみが福島に、今も絶対にある。阪神・淡路大震災の当時、村山首相は自らの手におえぬと、はやめにギブアップし、責任はとるからと適任者に復興の音頭取りを任せたという。



民主党政権には不満しかない‥‥




最後になるが、「地鳴り」と、震災直後のスーパーについてついて記しておきたい。





震災後、一年前後は地鳴りの音を深夜、よく聞いた。

ゴン、グーンといった表記になろうか。



でも、あの無気味な音はそんな表記では間に合わない。


奈良の大仏を、もしくは、それより大きい金属の土管を富士山の頂上から放り投げた音を、横浜あたりで聞くと、かなり近い音になるのではないか‥‥


何回となく聞いた地鳴りであるが、いつも、遠くで大仏さんが転がされてるような幻視を思った。



また、震災の夕方、近くのスーパーに立ち寄ったのだが、あの日の客の目、これも忘れることができない。


先ず、棚に商品は既にほとんどなかった。


カップ麺なんか、売り切れではなかったろうか。


それでも何かを買おうと客はうろうろするのだが、その視線は「(うつ)ろ」としか言い様のない視線であった。


茫然自失を絵に描いたような‥‥




あれから17年が経つ。

どこまでも進む景気後退に苦しみ、スーパーを行き交う人々の視線は、あの日の虚ろな視線とどこか、似通ってる‥‥


国民は既に長期にわたり経済的な被害者なのである。


そこを決して理解しない為政者には腹立ちは越え、恐怖すら覚える。

この作品が何かの参考になるとは思いません。ただ、記憶を記述した、そんな気持ちです。

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― 新着の感想 ―
[一言] ふむふむ
2012/01/17 14:19 退会済み
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[一言] 浅川 太郎様、こんばんは。小野 大介です。 阪神淡路大震災……あれは忘れられませんね。 突き上げられるような衝撃で目覚めて、ひどい揺れの中、ベッドの上でなにもできずにいました。 テレビ…
2012/01/06 19:06 退会済み
管理
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