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「妹もお前を嫌っている」と殿下は仰いますが、王女殿下は今日も私の部屋でお昼寝しています ~お兄様、お姉様を返してほしいなら、まず私に謝って~

作者: アクア
掲載日:2026/10/18

「妹もお前を嫌っている。父上も母上も、王家の誰もお前を望んでいない。婚約は破棄だ」


 夜会の壇上で、王太子殿下はそう仰った。


 楽の音が止み、広間の燭台の火だけが揺れている。


「国を代表する妃には華やかさが要る。子供の相手ばかりのお前は、王宮から出ていけ」


 王家の誰も? 妹君も――――?


 胸の奥で、その言葉だけが冷えていく。けれど私の足は、いつも心より先に動く。


「承知いたしました。では、王女殿下に直接お伺いしますわ」


「……は?」


「妹君はあちらですわ」


「行くな!」


「殿下がお決めになったのは婚約の破棄ですわ。王女殿下のお気持ちは、王女殿下のものです」


 招待貴族の視線を連れて、私は壇を降りる。絹の裾が階段を擦り、人垣が割れる。


「王女殿下、私のこと、お嫌いですか?」


 壇の下で、十歳の王女殿下が菓子を頬張ったまま手を挙げた。


 お口が空くのを待つ。三年、いつもそうしている。


「嫌いなのはお兄様よ。お姉様は好き。今日からお姉様の部屋で寝るわ。ふふっ」


「マルゴ! お前……」


「決めたの!」


 張り詰めた広間のどこかで、ぷっと息が漏れる。咳払いが続いても、笑いを隠すには少し遅い。壇上の殿下は耳まで赤くなっておいでだ。


 私はエレーヌ、十九歳。侯爵令嬢で、王妃教育の傍ら王女殿下の遊び相手を三年務めている。


 二十二歳のエドゥアール殿下のお隣で、赤褐色の巻き髪が揺れる。新たな妃に選ばれた男爵令嬢ポーレット、十八歳。その声が、壇上から私たちの間へ割って入る。


「『お姉様、嫌い』と仰ったと、殿下にお伝えしたのです!」


「お菓子の前の手洗いで、ですわね?」


 思い当たるのは、手洗いの躾(しつけ)を嫌がられた時のこと。王女殿下が、あの時とそっくりに唇を尖らせられる。


「あれは、『手を洗うのが嫌い』って言ったの!」


「はい。私も、そう伺いました」


 殿下のお顔から、勝ち誇った色が薄れていく。つい先ほどまで私を見下ろしておられた目が、妹君と隣の令嬢の間を行き来する。


 国王夫妻は公務で忙しく、王女殿下を幼い頃から育ててこられたのは王弟殿下だ。


 両陛下は別室で賓客をお迎えになっている。姪をお待ちの王弟ヴァンサン殿下は二十八歳。壇の下の影から、騒ぎの輪へ黙って歩み出てこられる。


「侯爵令嬢、水でも飲んで……」


「私に、ですか?」


 私と王女殿下の間を空けて、杯を渡してくださる。杯が小さく見えるほど大きなお手に、つい目が留まる。頬の熱を隠すように王女殿下へ向き直り、水を含む。冷たさが喉を通って初めて、自分の指が震えていると気づいた。


「……嬉しいです。役目がなくても、私がよろしいのですか?」


「お姉様がいいの!」


 小さなお手が、私の袖をきゅっと掴む。絹に残る、白い菓子の粉。いつもなら払うそれを、今はそのままにしておきたい。離してほしくないのは、私も同じだ。


         ◇


 その夜、枕ごと王女殿下を居室へお迎えする。王妃教育のために与えられた部屋で、向かいは王女殿下、廊下の先は王弟殿下のお部屋。見慣れた寝台に見慣れない枕が収まり、知らせを受けた陛下までお越しになる。


「私、ここに住む!」


「マルゴがそう言うなら」


 婚約の処理を待たず、陛下は遊び相手として私の滞在をお認めになる。明け渡すはずの部屋に、今夜も私の灯りがある。膝の上で固く重ねていた指が、ようやくほどけていく。


「陛下、殿下のお言葉では、私は王宮から出る身なのですけれど……」


「余は娘の望みを聞いたのだ! 息子の望みは、まだ聞いておらん」


 翌日から、王女殿下は本当に私の部屋で昼寝をなさることになる。


 翌日の昼には、荷物も届く。寝室とは別の客間の小寝台に、王女殿下が昨夜の枕ごと収まっておいでだ。窓からの光が蜂蜜色の髪を透かし、枕に淡い影を落としている。別棟からお越しの殿下は、扉の外。


「俺が迎えに来たんだぞ!」


「王女殿下のお支度が先ですわ」


「お支度だと? 昼寝に支度など要るか!」


「要りますわ。殿下も、お手を洗ってからお入りくださいませ」


 侍女の前で、そっと扉を閉じる。取っ手から手を離すと、窓際の寝台からお招きがある。伸ばされたお手には、やはり菓子の粉。


「王女殿下、お昼寝の前に、お手を洗いましょうね」


       ◇


 二日目、昼前。扉の向こうから、殿下の靴音が近づいてくる。廊下に響く足取りは、今日もよく通るお声に負けていない。


「お祝いのお迎えですわ」


「お兄様の誕生祝い? 行かない。お姉様のお茶会に行く」


「俺の誕生日だぞ」


「知ってる。行かない」


 寝台から伸びるお手は、迷わず私へ。扉のほうへは、指先さえ向かない。


「なぜだ!」


「お姉様のお茶会のほうがお菓子が多いもの」


 王女殿下は菓子の皿を指し、小さな顎をつんと上げられる。まだ言い足りない、とばかりのお顔だ。


「お誕生日はもう済んだもの。今日はお祝いするだけでしょ?」


「な、何を言う! お祝いが大切なんじゃないか!」


「それでもお姉様のお茶会!」


「王女殿下、お菓子は三つまでにしましょうね」


 殿下が扉口から皿を覗き込まれる。並んだ菓子を確かめるお顔があまりに真剣で、私は唇を結ぶ。


「ほら、三つって言ってるぞ! 俺の誕生会の方が多いぞ!」


「三つでも、お姉様のところがいいの。あっち行って!」


 差し出されたお手を取り、予定どおり庭へ向かう。薔薇の垣に囲まれた席は、朝のうちに整えてある。近づくにつれ、花の甘い香りが濃くなる。その後ろから、殿下の靴音もついてくる。


「ちょっと待てよ! 俺より菓子か? 本気か?」


「殿下も、順番をお待ちくださいませ」


「お菓子も順番だもの。お兄様も待って」


「兄にまで順番だと! もういい!」


 殿下は広間へお戻りになる。遠ざかる靴音にも、まだお声の勢いが残っているようだ。


 薔薇の香りを運ぶ風に、遠くの楽の音が混じる。あちらでは今ごろ、主賓の席が空いたままだろう。こちらの菓子皿は、まだ無事だ。


 王女殿下は侍女を通じて、ご両親へ行き先をお伝えになっている。広間から庭にお越しの陛下は、娘のお顔をご覧になるなり、頬をお緩めになる。


「おぉ、マルゴ。マルゴのいる席が良いな」


「陛下のお席もこちらへ」


 王妃様も、薔薇の下で静かに頷かれる。


「わたくしもマルゴの席で……」


「まあ、王妃様まで!」


 ご両親を呼び戻しにいらした殿下の前へ、私はお茶を差し出す。湯気が、そのお顔をふわりと横切る。お茶の香りで和らぐには、眉間のしわが少々深い。


「俺の祝いなのに!」


「息子の言い分は聞いていません」


 王妃様はそのまま私へお顔を向けられる。杯を持つお手は、少しも揺れない。


「私もここでお茶を。明日はエレーヌのお部屋で」


「王妃様、私の部屋は、その……狭うございます」


「狭いほうが、息子は入れませんわ。ふふっ」


 王妃様のお口元だけが、わずかにほころぶ。私は茶器へ目を落とす。今、殿下のお顔を見たら、いけない気がする。


 広間を見てきた侍女によれば、殿下の誕生祝いは、主賓の妹が欠席。


「両陛下のお席も空いてございました」


「……侍女、その報告はもういい!」


「立派に空いておりました」


 庭口には、毛布を携えた王弟殿下のお姿がある。私が手を差し出すより早く茶席までお運びになり、私の杯も席へ置いてくださる。給仕をしていて空いたままの、私の席へ。


「茶が冷めるからな」


「……私の分まで、ありがとうございます」


 自分のお茶から上がる湯気に、頬の熱が重なる。三年、戸口で姪をお待ちになるお姿を見てきた方。そのお手が私の杯も運んでくださるのを、もう少し見ていたかった。昼過ぎには、毛布も寝台へ収まる。


「毛布、ふかふか!」


「気持ちよくお休みになれそうですね」


「叔父様は、私の毛布を持ってきたのに、お姉様のお茶まで持ってきたのね」


「王女殿下、それは……そうですわね」


 扉越しに抗議のお声が響くと、王女殿下は毛布へすっぽり潜られる。私はその端を整えながら、まだ熱い頬を冷ます口実を探す。


       ◇


 三日目の昼前。居室で王妃様とお茶をいただく席へ、ポーレットが割り込んでくる。扉が開ききるより先に、濃い香水の匂いが紅茶の香りを覆う。


「王女殿下は私に懐いてますから。ね?」


「でしたら、ご本人にお尋ねくださいませ」


「王女殿下、私、お友達ですよね?」


「嫌い」


 顔を寄せられるぶん、王女殿下はお顔をそらされる。近づく距離と離れる距離が、ぴたりと同じだ。


「え」


「お兄様の隣に座らないで。臭い」


 王女殿下は鼻を覆ったまま、王妃様の袖を引かれる。小さな指に、布のひだが寄る。


「あの男爵令嬢、嫌い。お兄様の隣に座らせないで」


「王妃様、私、お友達なんです! ほら、王女殿下、ね?」


「尋ねたのは娘です」


 私は王女殿下を香水の匂いからお離しし、窓を開けてから目の高さを合わせる。頬に触れる庭の風はひんやりとして、こもった匂いも、菓子の甘い香りも薄めていく。


「王女殿下、『嫌い』ではなく『今日はご一緒しません』と申し上げましょうね」


「……今日は、ご一緒しません」


 言い終えた王女殿下が、私を見上げられる。これでいい、と確かめるような目に、つい手が伸びる。柔らかな髪を撫でながら、私も小さく頷く。


 王妃様がお戻りになった後、昼過ぎには殿下が扉へお越しになる。抗議のお声で、静かになったばかりの客間がまた賑やかだ。


「俺が招いたのに、別卓へ、と父上が!」


「お席をお選びになるのは王女殿下ですわ」


 王女殿下は寝台を降り、兄君へ深くお辞儀をなさる。寝台の縁で揺れていた足が、きちんとそろっている。


「今日はご一緒しません」


 殿下はお口を開けたまま、しばらくお声が出ないご様子。丁寧なお返事ほど、兄君には効くらしい。


「マルゴ、お前……誰にそんな言い方を習った?」


「お姉様。お兄様も、お姉様に習えばいいのに」


 扉が静かに閉まる。最後まで、殿下のお返事は聞こえない。


「お菓子があるから、ここがよろしいのですか?」


「手を洗えば食べていいって、お姉様は教えてくれるもの」


 差し出されたお手には、もう粉もない。きれいな指先が私に触れ、胸の奥に残っていた冷たさが、少しずつほどけていく。嫌がられても伝えたことが、この小さなお手に残っている。


「王女殿下は、お菓子が目当てだとばかり思っておりました」


「お菓子も目当てよ。両方」


 晩餐から戻られた王妃様によれば、殿下の隣は、空席。


「陛下にお伝えしたら、あの方を別卓へ。マルゴは叔父の隣に。息子は、こう申していました」


「お席をご覧になって、何と?」


 王妃様が、すっと顎を上げられる。続くお声は、耳に馴染みすぎているほど殿下そっくりだ。


「なぜだ!」


「……お声までそっくりですわ」


「ふふ。生まれた時から聞いてきましたから」


 王妃様がお帰りになると、着替えを携えた王弟殿下が扉へお越しになる。私自身へのご用でいらっしゃるのは、初めてだ。廊下の灯りが濃い褐色の髪を縁取り、伏せがちなお目元に影を落としている。


「姪の躾を頼みたい」


「まあ、私に? 王弟殿下のお話も伺いたいです」


 思いがけず、声が弾んでしまう。役目を頼まれたからか、この方が私を選んでくださったからか。どちらかに決めようとすると、かえって頬が熱くなる。王女殿下は午睡に使った寝台に腰掛け、届いた着替えを抱えておいでだ。


「エレーヌ嬢、用はそれだけなのだが」


「私はまだ、お話ししたいのです」


「……何を?」


「王弟殿下が三年、戸口で見てこられた王女殿下のお話を」


 扉にかけておられたお手が、ゆっくり離れる。その動きに胸が弾むのを、今度は役目のせいにできない。お引き留めした方の背後で、王女殿下があくびを一つ。


       ◇


「エレーヌ! 妹を返せ!」


 四日目の午前。扉を開けるなり、そのお声が廊下に響く。差し込む朝の光まで、びりっと震えた気がする。


「返す? 殿下、王女殿下は物ではございませんわ。ご自分でお伺いになっては?」


 殿下が妹君へ向き直られる。私はそのお顔を見ながら、扉に添えた手を動かさずにいる。


「……マルゴ、戻ってきてくれ」


「やだ。お兄様が先にお姉様に謝って」


 殿下の視線が私へ戻る。続く怒声が、目の前に叩きつけられる。


「俺よりお前を選ぶ妹など嫌いだ!」


「王女殿下へ、そのような言い方はおやめくださいませ!」


 自分でも驚くほど声が通り、廊下の端まで響く。言い終えた喉が熱い。王女殿下が私の袖を引かれ、その弱い力に、すぐ目を落とす。


「陛下に言う」


「私も参ります」


「お姉様、手」


「はい。離しません」


 包んだお手は、まだ震えている。いつも私を引っ張ってくださるお手が、すっかり掌に収まる。私の手のほうが大きいのだと、初めて思う。力を込めすぎないように、けれど隙間ができないように握り直す。


 手をつないで玉座の間へ向かう。謁見の刻で、王妃様と王弟殿下もおいでだ。高い天井の下に足音が響いても、つないだお手の震えのほうが、私にははっきり伝わってくる。


「陛下、お兄様がお姉様をいじめたの」


 陛下は近侍に命じ、殿下をお呼び寄せになる。私は王女殿下のお隣で背筋を伸ばし、握ったお手に指を添える。


「娘が泣いているぞ」


「父上、あれは嘘泣きで――」


「泣いているのは事実だ。謝れ」


 言い返しかけた殿下のお口が止まる。妹君の目を覆う手巾(ハンカチ)は、まだ乾いている。その端と、小さな肩を見比べ、私は膝を折る。


「王女殿下、嘘泣きはいけません。本当のことをお話ししましょうね」


 手巾がゆっくり下がる。兄君へ向いた唇が、言葉の形になる前に震える。


「私まで、嫌いなの?」


 本当の涙が頬を伝い、私の指が強く握られる。小さな爪が掌に食い込むほど。胸の奥が痛み、息を吸うのに少し時間がかかる。それでも、このお声だけは曖昧に流していただきたくない。


「私を選んだ妹君を嫌いと仰ったのです。どうか、ご本人へ」


「マルゴ、嫌いなどと言って悪かった」


 妹君へ下げられた頭が、上がりかける。その途中で、王女殿下がお口を開かれる。


「お姉様にも謝って」


「なぜだ!」


「先に嫌いって言ったの、お兄様だもの」


 殿下の視線が私を通り越す。すぐ目の前にいるのに、その目に映るのを待たなければならない。胸に残る冷たさの形が、少しわかる。


「殿下、私の顔を見てお話しくださいませ」


「エレーヌ、王家の誰もお前を望んでいないなどと言って、悪かった」


 王妃様と近侍の前で、初めて私へ頭を下げられる。三年、いつも見上げてきた頭。そのつむじは二つある。こんな時にそんなことに気づく自分が、少しおかしい。固くなっていた肩から、ふっと力が抜ける。


「エレーヌ嬢、君はどうしたい?」


「私は、私を望む方と結ばれたいです」


 口にしてみれば、願いはそれだけだった。陛下のお声が低くなり、玉座の間に静かに通る。


「この婚約は解消する。非はエドゥアールにある」


「父上!」


「余は娘の話を先に聞いた。次は、そなたの番ではない」


 解消、という言葉が胸に落ちる。三年の王妃教育が終わる音は、思っていたより軽い。その軽さに、かえって喉の奥が詰まる。これからを自分で望んでもよいのだと、つないだお手の温もりを確かめながら思う。


 帰り道は、王弟殿下も私の歩幅に合わせてくださる。廊下を渡る風が、熱の残る頬に心地よい。何か言わなくては、と急がずに歩けることが、こんなに楽だとは知らなかった。


「王弟殿下は、何もお尋ねになりませんのね」


「答えは、聞いた」


 短いお言葉を胸の中で繰り返しながら、扉で礼を交わす。王女殿下はお昼寝の寝台へ。枕に蜂蜜色の髪が広がるのを見て、やっといつもの部屋に戻った気がする。


「手巾、乾いたよ」


「午後は、ゆっくりお休みくださいませ」


「お姉様も、お顔が疲れてる」


「……ええ。少しだけ」


 広げてくださった乾いた手巾を、枕の脇へ置く。指から離れた布は柔らかく、もう濡れたところもない。その白さを見ていると、私まで目を閉じたくなる。


       ◇


 五日目の昼。扉にお越しの王弟殿下は、手ぶらでいらっしゃる。毛布も着替えもないお手に目が留まり、その先のお顔を見上げるまで、妙に胸が落ち着かない。


「私からも話がある」


「はい。伺いますわ」


 そこへ、ポーレットを連れた殿下が割って入られる。私の名をお呼びになった後、お声の勢いが、ふいに弱まる。


「戻ってきてくれ」


「……私をお呼びなのですか?」


「妹も父上も母上も、俺の話を聞かん。妃の教育を受けたお前も要る」


「殿下ご自身は、私を望むと仰いませんのね」


 殿下の視線が、私の肩の上を泳ぐ。昨日、私の顔を見てほしいと申し上げたばかりなのに。お返事を待つ間に、胸の中だけが静かになっていく。


「……要る、と言っている」


「要るのは、王妃教育ですわ。私ではなく」


 謝罪は昨日、いただいている。けれど、王女殿下のお気持ちは、まだ置き去りのままだ。私だけが返事をして終わらせる話ではない。


「王女殿下が、お兄様は先にお姉様に謝って、と」


「昨日、謝っただろう!」


 次は王女殿下ご本人へ、と私は道を空ける。寝台の王女殿下が兄君を見上げられる。今度は手巾でお顔を隠すこともなく、まっすぐに。


「私の名前を勝手に使ったことは?」


 殿下が指を折りかけ、途中でお止めになる。謝ることを数えておられたのだろうか。王女殿下は、そのお手よりお顔をご覧になっている。


「お兄様、お姉様を返してほしいなら、まず私に謝って」


「マルゴ、気持ちを聞かずにお前の名を使って悪かった」


「……許してあげる」


 王女殿下は、今度は王弟殿下を指される。その指先を追った私は、続くお言葉に息を止める。


「お姉様は叔父様にあげる。お兄様には勿体ない」


「王女殿下、人をあげる、と言ってはいけません。ご本人に選んでいただきましょうね」


「じゃあ、お姉様が自分で決めて」


「はい。私が選びます」


 答えた途端、自分の言葉に頬が熱くなる。王弟殿下を見上げると、今度は私が目をそらしたくなる。それでも視線をとどめているうちに、遮られたお話が続く。


「姪の返事を待つうちに、口数が減った。三年、迎えの戸口で君を見ていたのだ。姪のわがままを叱らず、そのままも通さない。その君と、私が暮らしたい」


「……私が、いいの?」


 整える前の言葉が、口からこぼれる。その方は急かさず、私の返事を待ってくださる。三年、姪のお返事を待ってこられたのと同じお顔で。うまく言わなくてもよいのかもしれない。そう思うほど、言葉が喉につかえる。


「姪が『お姉様』と呼ぶ人は、私にとっては――妻になる人だと思うのだが」


「王女殿下のご用がない日にも、お会いしたいです」


 お受けすれば、明日から午後の相談とお茶は、王弟殿下の客間で三人。長椅子でお眠りになる王女殿下と、その向かいにお座りになるこの方。そんな午後を思うだけで、頬の熱が引かない。私の居室は、そのまま。私の返事は、もう決まっている。王女殿下にお伺いしたいのは、明日からの過ごし方だ。


「……王女殿下、よろしいのですか?」


「いいわよ。叔父様なら毎日会えるもの」


 私は王弟殿下へ向き直る。胸がいっぱいで、息を吸うだけでも精いっぱい。それでも、今度はこの方のお顔を見て伝えたい。


「はい。ヴァンサン様と結婚いたします。私が、お側にいたいのです」


「エレーヌ。ありがとう」


 初めて、名だけで呼んでくださる。静かなお声なのに、自分の名が胸の奥まで届く。三年ぶんの戸口が、一度に開いた気がする。その先へ、私の足で進んでよいのだ。


 王家で私を望んでいなかったのは、殿下お一人だった。


 扉のところで、ポーレットが殿下をつつく。私たちを見比べる目が、殿下のお顔で止まる。


「殿下、今のは?」


「……妹の機嫌の話だ」


「殿下の機嫌のお話に聞こえましたけど!」


 侍女が今日初めてのお茶を運んでくる。温かな香りが広がり、茶器の触れる音が客間に戻る。ポーレットが王女殿下へ差し出すのは、一つ目の菓子だ。


「これ、お好きでしょう?」


 王女殿下の目が、菓子をじっと確かめ、それから差し出した手の主へ移る。お返事までの間が、菓子を前にした時にしては長い。


「ちょっと好き」


「今、好きって!」


「よかったですわね」


「隣に座るのは、まだだめ。でも、お菓子はまた持ってきて」


 寝台では、王女殿下が枕を抱えておいでだ。私はヴァンサン様へ近づく。戸口で待つお姿しか知らなかった方の隣に立つと、肩の近さにまた頬が熱くなる。明日からの午後は、この方の客間で三人。お茶が冷める前に、私も席に着こう。


「では王女殿下、明日からは叔父様のお部屋でお昼寝ですわ」



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