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大麻大国日本

作者: 佐久丸。
掲載日:2026/03/28

プロローグ:今日も合法的な朝


『ここには、違法なものは何一つない。ネットがない世界。この焚き火を感じながら、また明日……』


目が覚めると、YouTubeの「十時間の焚き火動画」がまだ流れていた。


「夢か……」


スマートフォンを手に取ると六時十七分で、アラームが鳴るまであと三分あった。空腹の僕はそのまま天井を見上げて、特に何も考えなかった。


重くなっている体をゆっくりと起こしながら、ようやく洗面所へ。歯を磨きながら、今日のスケジュールを頭の中で並べる。

九時から会議、十二時に昼食、十三時から報告書、十八時に定時。定時に上がれた試しは一度もないけれど、毎朝それを頭の中に並べるのは、一種の呪文みたいなものだった。


朝食は昨夜コンビニで買っておいたおにぎり二個と、「野菜」と書いてある緑色のジュース。裏面の成分表を読んだことは一度もない。禁止されていないものを、禁止されていない量だけ飲んでいる。それだけで十分だと思っていた。



電車の中で、僕は鞄の中の缶を確認した。アルコール度数九パーセント。今飲むわけじゃない。今夜の自分への小さな約束として、朝のうちに鞄に入れておくのが習慣になっていた。禁止されていない。だから問題ない。


隣の男性がイヤホンなしで動画を見ていたけれど、音量は小さかったので、たぶん法律には触れていないと思う。僕は窓の外に目を向けた。


ホームに並ぶスーツ姿の人たちが、整然と電車へ吸い込まれていく。誰も押さず、誰も騒がず、決められた場所に決められた順番で収まっていく。


──きれいだな、と僕は思った。




第一章:永田町の朗読劇場


僕の休日の楽しみは早めの晩飯、晩酌だ。

だいたい、十六時頃に支度をする。冷蔵庫から鶏もも肉三〇〇グラムと生姜、レモンを取り出す。


キッチンに観葉植物のように立てかけてある長ネギを一本取り、それを三センチ幅に切る。鶏ももは一口大に切って、長ネギと一緒に鍋へ。あとは水を入れて茹でるだけだ。生姜は薬味としてすりおろし、味付けはレモンを絞って醤油を入れるだけのシンプルなタレ。


鍋が沸いた頃に、冷蔵庫にあるキンキンに冷えたストロング酎ハイを取り出す。


「いただきます」


いつものように、ソファに座ってさっそくテレビをつけた。

画面に映ったのは、見たことのない場所だった。

天井が高くて、照明が明るくて、広い部屋にびっしりとスーツ姿のお年寄りが並んでいた。みんな背筋が伸びていて、いかにも由緒正しそうな雰囲気だった。壇上に立った一人が、手元の紙を見ながらよく通る声で何かを読み上げている。別の席から別の誰かが立ち上がって、また読み上げる。


僕は鶏肉を口に運びながら、しばらくその画面を眺めた。


「へえ」と声が出た。「永田町って、こんな立派な朗読劇場があるんだな」


誰もいない部屋に、その言葉は静かに溶けた。


画面の中では、また誰かが立ち上がって、原稿を読み始めていた。照明が明るく、マイクの音がよく響いて、客席の人たちは手元の資料に目を落としている。なかなか様になっていると思った。チャンネルを変えようとしたけれど、なんとなくそのまま見続けた。


鍋がちょうどなくなった頃に中継が終わったので、僕はリモコンを手に取り、ようやくチャンネルを変えた。特に何も感じなかった。今日も、いい一日だったと思う。



第二章:今日の実験


その夜、僕はスマホでYouTubeを見ながら皿を洗っていた。

おすすめに出てきた動画のサムネイルに、大きな文字で「一日一食が最強の理由」と書いてあった。再生回数は六十万を超えているので、僕はそのまま再生した。


すると、白衣を着ている中年男性が自信に満ちた表情で淡々と語っていた。

要は、一日一食にすることで内臓が休まり、集中力が上がり、体脂肪が落ち、メンタルが安定する。結果 ”人生が変わる” とのこと。


コメント欄には「三ヶ月実践しています」「毎朝体が軽くて気分もいい」「もっと早く知りたかった」という言葉が並んでいた。


なるほど、と僕は思った。


次におすすめに出てきたのは「四毒抜きで体が蘇る」という動画だった。小麦、砂糖、乳製品、植物油。この四つをやめるだけで、あらゆる不調が消えるらしかった。再生回数は百万越え。コメント欄はさらに賑わっていた。


その次は「空腹こそが最高のサプリ」。その次は「お酒をやめると〇〇になる」。その次は「水だけで三日間過ごしてみた結果」。


気がつくと一時間が経っていた。


僕はスマートフォンを置いて、少し考えた。でも、こんなにたくさんの情報が、無料で、誰でも、いつでも、好きなだけ見られる。試したい人は試せばいい。やめたい人はやめればいい。何も禁止されていない。



翌日、僕は一日一食を実践してみた。


決意というものではなく、ただ、試してみたくなった。それだけのことだった。

昨夜はご飯を食べたので、朝は何も食べないようにした。


いつもは朝食を摂っているせいか、お腹が空いてなかなか気分が上がらない。それに気力が出てこない。とにかく水道水をたくさん飲んで夕飯まで凌ぐことにした。


「一日一食……」


これは、健康な人が皆そうなのかと一瞬思ったけれど、そもそも僕の中の「健康」ってなんだろう、とぼんやり考えた。


健康診断で異常がなければ、健康なのか。でも、数値に問題がなくても、表情が暗くて、覇気のない人を見ると、この人は健康なんだろうかと思うことがある。


逆に、検査なんて何年も受けていなくても、いつも笑っていて、顔色がよくて、お腹が空いたら食べて、眠くなったら眠る、そういう人のほうがよっぽど健康に見える。

一日一食が体にいいのか悪いのか、結局よくわからなかった。


夕方になって、空が橙色に染まり始めた頃、僕は早足でコンビニへ向かった。


動画の中で一日一食を推奨している人たちが口を揃え言っていた「その一食は何を食べてもいいんです。だから我慢してみて」と。


「何を食べてもいいんだ」


自動ドアが開いた瞬間、温かい揚げ物の匂いが鼻をついた。まるで長い砂漠をようやく抜け出して、オアシスに辿り着いたような気分だった。


(なんでもいいんだ……)僕は棚を一周した。


カップ麺、焼肉弁当、サラダ、ブリトー、たまごサンドイッチ、シュークリーム。それから冷蔵コーナーで糖質ゼロのビールを二本と、アルコール度数九パーセントのストロング酎ハイを一本カゴに入れた。糖質ゼロのビールにしたのは、健康を意識したからだった。


レジを済ませて袋を受け取った瞬間、今日一日で一番気力が湧いた。


部屋に帰って、買ってきたものを机に広げた。壮観だった。朝から何も食べていない自分への、正当なご褒美だと思った。まず焼肉弁当の蓋を開けると湯気が上がって、体の奥から何かが満ちてくるような感覚があった。気力が戻ってきた。表情が戻ってきた。イライラしながら水ばかり飲んでいた自分が、遠い昔のことのように思えた。


「はぁ……たしかに。そういうことか」


なんとなく気分がいい気がした。


「一日一食、大変だけど体に良さそうだ」



第三章:無法地帯の画面


週末の昼過ぎ、特にやることもなくてソファに寝転がりながら、僕はショート動画のアプリを開いた。


最初に流れてきたのは、猫が段ボールに入る動画だった。次は、知らない女の子がダンスを踊っている動画。その次は、どこかの海岸の夕焼け。それから、昨日放送されたらしいバラエティ番組の切り抜きで、芸人が罰ゲームを受けている場面が三十秒にまとめられていた。


僕は笑いながら、次の動画へ進んだ。


人気のお笑い番組、トーク系の深夜番組、あるあるネタの漫才、ドキュメンタリー番組の見どころだけを集めたもの。全部、誰かが切り取って、タイトルをつけて、流している。便利だなと思った。テレビを持っていなくても、見たいものが見られる。


僕は次にYouTubeに切り替え、元お笑い芸人でいまはトップYouTuberのトーク番組を見ることにした。

ゲストの若いインフルエンサーが登場し、MCが「テレビは見ますか」と聞くと、インフルエンサーはすぐに「テレビはTikTokで見てますね。いまの人は多分みんなそうだと思います。好きな番組の切り抜きがどんどん流れてくるんで」と、平然と答えていた。


司会の男性は「はぁーなるほどねえ」と頷き、隣のMCも、へえ、時代だねえ、と合いの手を入れていた。


僕はその動画がつまらなくなり、スマートフォンを置いた。代わりにテレビをつけた。画面では、ニュースキャスターが真剣な顔で原稿を読んでいた。

「——インターネット上における動画の無断転載や著作権侵害が深刻な問題となっており、権利者側からの訴えも年々増加しています。専門家は早急な対策が必要だと——」

僕はリモコンを持ったまま、しばらくその画面を見ていた。


ふと窓を見ると、外はもう夕方になっていて、部屋の中が少し暗くなっていた。


「……今日もたくさん情報を得たな」


充実した午後だったと思う。



第四章:四十九歳の夢


その夜、僕はネットニュースを眺めていて、あるトピックが目に入った。


そこには”四十九歳の男性が医師国家試験に挑んでいる”という見出しが。十一回浪人して、八回留年、国家試験には五回落ちている。「それでもまだ諦めていない」という内容で、ネット上では賛否両論が巻き起こっているらしかった。動画配信サービスのトーク番組でも取り上げられたようで、その切り抜きがいくつか流れてきた。


僕はそのうちの一本を再生した。


画面の中で、リモート出演しているコメンテーターの男性。いつもはヘラヘラしているがいつになく真面目な顔で発言していた。


「他の職業ならまだしも、人の命に関わる仕事です。本人はそれでいいかもしれないけど、診察される患者さんはたまったもんじゃないですよ。人には向き不向きがある。本来こういうのって、国がもっと規制を厳しくしないといけない」


スタジオの出演者たちは、難しい顔で頷いたり、でも夢を諦めないことは素晴らしいとフォローしたり、それぞれ好き勝手なことを言っていた。


僕はしばらく画面を見てから、スマートフォンを置いた。


そういえば、と思った。ストロング系の缶チューハイは、何本飲んでも誰にも怒られない。コンビニの揚げ物を毎日食べても、誰も止めない。残業を月に六十時間しても、会社は「法律の範囲内です。次の月は減らせば問題なし」と言う。YouTubeでは怪しい健康法を何百万人が見ていて、ショート動画のアプリでは誰かが著作権ごと切り取った番組が今日も流れている。


でも、四十九歳が医者を目指すことは、こんなに大きな問題になる。


僕はなんとなくそのことを考えて、それからやめた。難しい話は、あまり得意じゃない。


冷蔵庫から缶チューハイを一本取り出して、プルタブを開けた。アルコール度数九パーセント。禁止されていない。


テレビをつけると、また別のワイドショーで別の誰かが、別の何かについて激しく議論していた。僕はソファに深く沈んで、缶を傾けた。


今日も、合法的な夜だ。



エピローグ:青い惑星


それから数週間が経ったある夕方、テレビをつけると、どのチャンネルも同じ映像を流していた。


NASAではない、どこかの国の宇宙機関が、太陽系外に新たな惑星を発見したという。しかも衛星による生中継ができるほどの距離に、知的生命体らしき存在が確認された、と興奮気味のアナウンサーが言っていた。世紀の大発見、と画面の端にテロップが流れている。


僕はチューハイを片手に、なんとなくその映像を見た。


画面に映っているのは、青みがかった光の中で暮らす人々の姿だった。映像は粗くて、輪郭がぼんやりしていたけれど、確かに人の形をした何かが、野原のようなところを歩いている。数人が集まって、何かを分け合っている。一人が倒れると、近くにいた別の誰かがすぐに駆け寄った。


アナウンサーが説明を続けていた。この惑星には、貨幣に相当するものが存在しない。労働という概念も確認されていない。通信網のようなものも、今のところ観測されていない。住民たちは小さな集落単位で暮らし、食料や資源を互いに融通し合いながら生活しているらしい、と。


そして、この惑星では、地球上で規制されているいくつかの植物に相当するものが、日常的に儀式や療養の目的で用いられている様子も確認されている、とアナウンサーは少し言いにくそうに付け加えた。


僕はその映像を、黙って見ていた。


野原を歩く人影が、立ち止まった。空を見上げているように見えた。その顔は映像が粗すぎてよく見えなかったけれど、急いでいる様子はなかった。誰かに何かを命令されている様子も、なかった。ただそこに立って、空を見ていた。


画面の中では、スタジオのコメンテーターたちが喋り始めていた。地球外生命体の倫理的問題、安全保障上のリスク、経済的な影響、宗教観との摩擦。みんな少し興奮した顔で、それぞれの言葉を重ねていた。


僕はテレビを消して、静まり返った部屋でぬるくなったチューハイを一口飲んだ。


網戸にしていた窓の外では、どこかで救急車のサイレンが鳴り、遠ざかる。帰宅する学生の声。


僕はしばらく、暗くなった画面を見ていた。


すると、どこかの家から夕飯の匂いがして、遠くで子供が笑う声がした。窓へ寄り、空を見上げると、夕焼けと街の光が、空を塗りつぶしていた。


あの惑星の夜空には、何が見えているのだろうと思った。

答えはすぐに出なかったけど、その問いを持ったまま、僕はしばらく風を感じていた。


頭の中が、珍しく静かだ。通知も、広告も、おすすめ動画も、何も流れてこない。ただ、風だけがある。


やがて窓を閉めて、早めに寝ようと布団に入った。

スマートフォンには触らず。その夜だけは。


「一週間、デジタルデトックスしてみよう」と決意し、目を閉じた。

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― 新着の感想 ―
 法に優しく自分の胃に厳しい、無茶な主人公なんでしょうかね。  他の会議参加者に害を特に与えずに働き、等身大に動画を観て楽しむけどもキャラが、七味唐辛子として使われてると聞く麻の実以上に臓器へ負担かけ…
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