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 いつからだろう。

 夢や希望を持てなくなったのは。

 学校に行き、勉強して、就職して、結婚——世間では、それが()()だという。

 マスメディアでは成功者が語り、SNSには輝く日々が並ぶ。

 親は、()()()()()と言いながら、その()()を押し付けてくる。

 そんな世界が、ひどく空虚に思えた。


 昼過ぎに起き、朝方までゲーム。親に嫌味を言われる毎日。それが俺の日常だった。

 部屋のカーテンは閉めきり、外の光はほとんど入らない。時間の感覚も、季節の移り変わりも、この部屋では意味を持たない。

 ゲームの中では現実を忘れられる。だが、画面を消せばそこには何もない。空っぽの自分だけが映る。


 深夜、ふとテレビをつける。アニメが映った。

 主人公が光に包まれ、異世界へと召喚される。そこは剣と魔法の世界。運命に選ばれた少年が、仲間と出会い、困難を乗り越え、成長していく——。


 小学生の頃、大木に登り、頂上にたどり着いたときのことを思い出す。

 学校にある一番大きな木に挑んだ。

 幹は太く、枝は複雑に入り組んでいた。

 何度も滑り落ちそうになりながら、必死に登った。

 頂上に着いたとき、風が吹いた。

 見慣れた町が、まるで知らない場所のように思えた。家々の屋根、遠くに見える山。心臓が激しく高鳴った。

 恐怖と達成感が入り混じり、胸の奥が晴れた。

 あの頃は、まだ何かを求めていた。

 世界は広く、その中で何者かになれると信じていた。

 ……だが、すぐに現実へと引き戻される。


「ふっ」


 思わず口元が緩む。一瞬でも、希望を抱いてしまった自分が恥ずかしかったからだ。



 季節は晩秋を過ぎた頃。日暮れとともに冷え込みが増していく。

 モニターの青白い光だけが、暗闇を照らしている。深夜、いつものようにゲームをしていた。が、その夜だけは何故か、異様に蒸し暑かった。


 夜にこの暑さはおかしい。エアコンの温度を確認――正常に動いている。

 それなのに、じっとりとした熱気が部屋に満ちているような。まるで、重い空気に全身が包まれているような、そんな感覚。

 息苦しさで、胸が締め付けられる。


 暑い……。


 気分転換に散歩に出た。

 久しぶりに外に出ると、冷たい空気が肺に流れ込んでくる。予想に反して、外は寒い。あの部屋だけが異常に暑かったのか。


 靴を履いて歩くのは、変な感覚だ。見慣れない建物が増えている。


「タイムスリップかよ……」


 思わず呟く。自分の時は止まり、周りの人間は未来へ進んでいるという現実を、突きつけられた気分だ。


 静まり返った住宅街を歩く。

 街灯の間隔が長く、闇が深い。遠くで犬の鳴き声が聞こえる。


 その瞬間——

 ドォォォン!!


 衝撃音が響いた。

 空気が震え、地面がわずかに揺れる。反射的に身を屈める。

 何だ、地震か? 事故か?

 直後、耳をつんざくような金属音が夜を裂いた。

 キィィィィン——!!


「あぁっ!?」


 この世のものとは思えない音だった。鼓膜が痛い。頭の奥まで響く。

 空を見上げると、火花のような光が見えた。そしてその中心に、二つの影。

 影は空中で激しく動き、ぶつかり合うたびに光が爆ぜる。

 何かがこちらに向かって飛んでくる。

 気のせいかと思ったが、風切り音が迫ってくる。

 逃げないと——頭では理解しているのに足が動かない。

 次の瞬間——胸に鋭い痛みが走った。視界が白く染まり、息が止まる。

 身体が宙に浮いた。

 電線の向こうに、かろうじて屋根が見える。


 星って、こんなに光ってたっけ……


 俺はなにも理解できないまま、穴の中に落ちていた。周囲の景色がねじれ、光が飲み込まれていく。

 痛みと混乱と、理解不能な現象だけがある。




 これは罰なのか。




 そこにあった夜の空は、もう見えなかった。







 ドボン——鈍い音が響く。

 冷たい水が全身を包み込んだ。

 一瞬で意識が戻る。冷たさが全身を刺す。


 ……息ができない


 必死に水をかき分け、岸へと這い上がる。

 ゴホッ、ゴホッ!

 激しく咳き込む。水と一緒に、何かが込み上げてくる。

 体が重い。呼吸をするたび喉の奥が熱く、鉄の味が広がった。胸が焼けるように痛い。

 視界がぼやけ、力が抜けていく。


 ……あぁ、ここで死ぬのか。


 不思議と恐怖は感じなかった。

 死が迫っているという実感はある。だが、それを恐れる気力すら残っていない。


 それよりも、ほんの手の届くところに()()()()()()()()があった。あったのに、届かないことが、ただ悔しかった。

 もしかしたら、ここがその世界なのかもしれない。さっき見たあの光——あれは確かに、現実のものではなかった。

 でも、俺は動けない。





 ポタ……ポタ……


 水滴の落ちる音だけが響いている。風も、声も、何もない。この静けさが、妙に不気味で、そして懐かしく思えた。

 ゆっくりと目を閉じる。

 この場所が、何かを待っているような気がした。そう思った瞬間、意識が暗闇に沈んだ。


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