【コミカライズ化】爵位をよこせ、さっさとよこせ、今すぐよこせ~戦女神は爵位が欲しい~
ファレス王国とミリンシャ公国とは先代国王の時代から一触即発の緊張状態が続いていた。
それは些細な小競り合いを繰り返しながらも決定的な勝敗はつかぬまま時が過ぎ、今世のミリンシャ公王に代わってから、一気に戦火が取り巻くようになる。
ファレス王国とミリンシャ公国の軍事力はほぼ同等ゆえに、決着は中々着かず、長らく戦争が続くことになった。
長期間に渡る戦争は兵士を疲弊させ、国力をも低下させていく。
一進一退の状況が進む中、ブリジットというまだ年若い女性の存在により、戦いの矛先は変わり始めることになる。
彼女は臆することなく誰よりも先頭に立って敵兵を切り捨て、道を切り開いていく。
その姿は、味方に希望を灯す。
強く美しいその女性が戦う姿は雄々しくも優美で、まるで戦場に舞い降りた女神のようだと、彼女を戦女神と呼ぶ声が広まっていった。
それに従い鼓舞された兵士の士気は高まり、彼女の存在で勢いづいたファレス王国は、一気にミリンシャ公国の首都まで踏み込んで、公王の住まう城を制圧。自国の旗を掲げた瞬間、ファレス王国の兵士達が雄叫びが空高く響いた。
***
「ぐふふふふ」
「おい、その笑い方やめろ」
兵士の間では戦女神などと心酔する者も多い、ブリジットの不気味な笑いにツッコみを入れたのは、ファレス王国の王太子、シリウスだ。
「だって、これだけ功績をあげたんだもん。きっと王様も特別報酬くれるはずでしょう? それを考えただけで……。ぐふふふ」
「だから、やめろ」
気味悪そうに見るシリウスが注意しても、ブリジットの笑いはしばらく収まらなかった。
ブリジットは平民だ。本来なら王太子などという雲の上の存在と目を合わせるどころか、このように気安く話せるような身分ではないのだ。
しかし、シリウスはその至高の身分にもかかわらず、平民、貴族と分け隔てなく接することができるまれな人物であった。
ブリジットはこの戦いの中で、戦女神とまで呼ばれるほどの功績を上げ続けてきた人間だ。
戦の象徴となっていったため自然とシリウスと接する機会も多く、平民でありながら、シリウスや他の貴族将校で行われる作戦会議に連れ込まれるということも、珍しくなかった。
むしろ出席しなかったら、どうして来なかったのかと、シリウスどころか他の将校にも文句を言われるほどである。
自分は一兵卒なのだけど……。と何度伝えても今さら何言ってんだ? という顔をされてしまうのは解せない。
しかし、それほど自分の戦いを評価してくれていると思えば、嬉しさが勝つ。
それに、ブリジットには野望があった。
「ブリジット、君のこの戦いでの功績は誰もが不満を口を挟めないほど確かなものだ。父上からも今回一番活躍した君へ褒賞を与えたいと言っている。……が、本当に父上に褒賞としてあれを頼むのか?」
「もちろん!!」
ブリジットは食い気味で肯定した。
「そのために頑張ってきたんですから、陛下を脅してでも手に入れます! そして、カルトル様に……きゃあぁぁ!」
ブリジットは頬を染めて身もだえる。
ブリジットが数年前から焦がれてやまないカルトルという人は、公爵家の子息だ。
まだ一兵士の一人でしかなかったブリジットには、女のくせにとよく周囲から侮られていた。
もちろんただ言われたままでいるはずはなく、教育的指導をして黙らせていたが、やはり兵士の中で女性は少ない。
貴族の中には王族に仕えるためにと女性の騎士も珍しくはなかったが、平民出身の女性兵士は本当に少なかった。
需要がないからとも言えるが、男より力が弱いからと思われているのも要因だろう。
ブリジットはそんなことはないと実力で黙らせていき、次第に一目置かれるようにはなっていたが、それはあくまで一部の者からだ。
ブリジットを侮る者はまったく減らず、嫌がらせは日常茶飯事。
そんな時に声をかけてくれたのが、公爵家のカルトルである。
『大丈夫? まったく酷いことをするね』
そう言って、泥水をかけられて汚れたブリジットに嫌な顔をせずハンカチを渡してくれた優しい人だ。
「あれで恋に落ちるなって方が無理な話でしょうがっ!」
ぐっと拳を握り締めて、その時のカルトルの顏を思い出して噛みしめるブリジットの姿に、シリウスは不満そうにふんと鼻を鳴らす。
「あんな優男のなにがいいんだか」
「あなたのいとこでもあるのにそんな言い方するなんて。しかも私の前でなんて、喧嘩売ってるの? それに、そこがカルトル様のいいところでしょう!」
カルトル様の悪口は許さんとばかりに、シリウスを睨みつける。
普通なら王太子相手に平民がそんな態度をしたら即首が飛んでいるが、いまやブリジットは王太子ですら簡単に罰せられないほど、兵士や民衆の英雄と化している。
女神に例えられるほどだ。いかに戦場において兵士達から頼りにされているかが窺える。
「君はああいうのが好みなのか?」
「そりゃあ、普段からゴリマッチョに囲まれてたら、スラリとしたカルトル様が神々しく感じるわよ。けれど、そうでなくともカルトル様はその心根が美しいんだから。だからカルトル様がゴリマッチョでも愛せるわ」
うっとりとカルトルを想うブリジットは、不穏な空気を放つシリウスに気がつかない。
「ふーん。それはそうと、君って俺のことは呼び捨てなのに、カルトルのことは様をつけるんだな」
「敬称は不要だとおっしゃったのは王太子殿下ではありませんか。ご不満でしたら今から直しましょうか? シリウス王太子殿下」
嫌みのように「殿下」を強調する。
「そもそもただの平民が公爵家のご子息を呼び捨てになどできるはずないでしょう? 不敬罪で首が飛ぶわよ。シリウスのことだって最初は嫌がったのに、敬称も敬語もなしだって、強要されたんじゃない。どうします? 元に戻しましょうか? で・ん・か?」
「いや、いい。今さら君に丁寧に接せられても背中がむずむずする」
本当に嫌そうな顔をするシリウスに、ブリジットもクスクスと笑う。
「それはよかった。私も今さら戻せと命じられても無理そうだもの。でも、あなたじゃなかったら、どうあっても断っていたわ。あなたを信頼しているから、私も対等に接しようって思ったのよ」
ぱっと花が咲くように満面の笑みを浮かべるブリジットには、身分を越えたシリウスへの信頼があった。
シリウスは見惚れるように見つめてから、さっと視線を逸らす。
その顔はどことなく照れているようだった。
***
そして、とうとう、ファレス王国へ凱旋する。
多くの歓声に包まれる中、王都の大通りを通って城へ。
これまでの着ていたもっとも格下の――平民の兵士が着る服ではなく、王の目に入っても問題ない質のいい服を着せられたブリジットは、玉座の前で膝をつく。
「こたびの戦いでもっとも功績を上げたブリジットに、アーカスの称号と勲章を与える」
「ありがたき幸せにございます」
玉座の間には他にも多くの貴族の姿もあり、この日のためにシリウスによって厳しいマナー特訓がなされていた。
平民であるブリジットに貴族のマナーなど持ち合わせているはずがないのだから、多少目を瞑ってくれるのではないかと甘く見ていたのだが、そんなわけにはいかないと、それはもうハードだった。
戦場を駆けまわっている方がましなぐらい、手を抜かないシリウスに何度怒鳴られたことか。
それでも我慢して特訓を受け続けたのは、まさにこの日のためである。
「そなたには勲章以外に褒美を取らせよう。なにか望むものはないか? なんでも言ってみよ」
キター!! と、心の中でガッツポーズをするブリジットは、少し悩んだ素振りを見せてから口を開く。
「それでは、私めに爵位をいただけませんか?」
「ふむ。爵位か。まあよかろう。では、そなたに男爵位を――」
「足りません」
王の言葉を遮った不敬な態度に、王もぽかんとする。
「た、足りぬのか? では子爵位――」
「もう一声!!」
まるで野菜を値切る主婦のような言いようで、王に要求していく。
不敬罪だと咎められてもおかしくはないのに、戦場で敵兵に向けていた修羅のごとき表情で詰めていくので、周りも委縮していしまって声を出す者がいない。
ただ一名、玉座の隣に座るシリウスだけが笑いをこらえていた。
「えと、じゃあ、伯爵位でいい?」
最初にあった威厳はどこかに落としてしまった王が、ブリジットの顔色を窺うように問う。
王が平民のご機嫌を窺うとはこれいかに。
しかし誰からもツッコミは入れられなかった。
それほどの迫力を有したブリジットは、ようやくにっこりと微笑んだので、王もほっと胸をなでおろす。
「では、爵位の授与は後日――」
「遅い!」
またもや王の言葉を遮ったブリジットに、王も涙目だ。
「今ください、早くください、とっととください!」
ずいっと身を乗り出すブリジットに、王は逆に身を引く。
と言っても玉座に座っているので逃げようがないのが憐れだ。
代わりとばかりに居並ぶ貴族は一歩後ろに下がった。
「い、いや、しかし、手順を踏まないと他の貴族からの反発もあるし……」
その王の言葉を聞いた瞬間、ブリジットは周囲の貴族をギッと睨みつけた。
文句がある奴がいるなら出てこいや! と語るように殺気を飛ばしている。
戦女神と例えられるブリジットの眼力を前に文句を言える勇者はおらず、ほぼ全員が怯えながら首をブンブン横に振っていた。
貴族達の反応を見てにっこりするブリジットは、再度王へ視線を戻した。
同じように睨まれては心臓が止まってしまうと、王は即座に決断する。
「よし、ではそなたに伯爵位を与える。たった今よりそなたはブリジット・アーカス伯爵だ」
「ありがとうございます!」
両の手の平を組んで喜ぶブリジットは、先程までの鬼神のごとき迫力は消え、頬を染めた愛らしい少女のような微笑みを浮かべた。
そして、みごと伯爵位を勝ち取った――いや、カツアゲしたブリジットは、居並ぶ貴族の中から初恋の人を見つける。
一目散にカルトルのもとへ向かうと、カルトルの周囲にいた人々がさっと道を開けていく。
悲しくもブリジットにロックオンされたために逃げられなかったカルトルは、引きつった顔でその場に立ち尽くしている。
そんなカルトルの前で、ブリジットは膝をついた。
キラキラとした眼差してカルトルを見つめる。
「カルトル様。私、伯爵位をいただきました!」
「そ、そのようだね。おめでとう、ブリジットさん」
カルトルに褒められて頬を染めて喜ぶブリジットは、浮かれすぎてカルトルの引きつった笑みに気がついていない。
そして、カルトルの視線の先にいるとある人物にも。
「伯爵の身分なら公爵家でもギリギリ釣り合うと思うんです。そのために今日まで頑張ってきました。これでお約束を果たすことができます!」
「え? 約束?」
「はい! 以前にカルトル様がおっしゃったじゃありませんか。私が伯爵ぐらいの爵位を持っていたら求婚していたのにって」
そう、幾度か会う間に、カルトルはブリジットに対して、好意を持っているかのような甘い言葉をかけ褒め殺していた。
伯爵位ならカルトルを結婚できると考えたブリジットは、爵位を得んがために比喩ではなく死ぬ気で戦場で成果を上げ続けてきたのである。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
「幸せにします! 結婚してください、カルトル様!」
一点の曇りもないキラキラと輝いた瞳は、次の瞬間一転する。
「も、申し訳ない。私にはすでに婚約者がいるんです。なのであなたの求婚には応じられなくて……」
「へ?」
まさに空気が凍り付いた。
「冗談……」
「ではないです」
「でも伯爵位なら求婚しているって」
「あくまでリップサービスです。貴族では挨拶の代わりのようなものです」
「え、じゃあ、求婚は」
「お断りさせていただきます」
「…………」
まさに絶句。
周囲も憐憫を含んだ眼差しでブリジットを見ていた。
その一方で、ひじ掛けをバンバン叩きながら爆笑している者がいる。
「あはははっ! 腹がよじれる!」
しーんと静まり返る玉座の間の中、シリウスの馬鹿笑いだけが虚しく響いた。
***
伯爵位を与えられたブリジットは、新しく王都に屋敷を与えられた。
特に土地を持つでもない名ばかりの貴族だ。
しかし、功績によって与えられた報奨金はかなりの額で、一生暮らせるぐらい懐は温かかった。
そして、屋敷とともに与えられたのは、エルドウィンという有能な執事と、数名の使用人だ。
これまで城の寮で生活していたので、一気に大きな屋敷に住むことになり、どこにいたらいいのか分からず居心地は決してよくはない。
けれどそれ以上に、カルトルにフラれたことに傷心していた。
そんなブリジットを甲斐甲斐しく世話をしてくれるエルドウィンとは早いうちに打ち解けた。
エルドウィンは元は男爵家出身の生粋の貴族である。
平民上がりの、名ばかり貴族の世話など屈辱だろうに、貴族の世界のことを知らないブリジットに、いろいろと貴族社会の常識や知識を教えてくれている。
ただいま絶賛傷心中のブリジットには、いい気分転換になっていた。
「エルドウィン、もし嫌になったらすぐにやめていいからね?」
「それは解雇通告でしょうか? なにか不服なところがあるのでしたら改善いたします」
「そういうことじゃなくて、ちょっと前まで平民で、兵士の中では最底辺にいた人間を主人として扱わないといけないなんて嫌じゃない? エルドウィンは貴族なんだし。しかもすんごい優秀。引く手あまたでしょう?」
「そのような評価をいただけて恐縮です。ですが、嫌などと思ったことは一度としてございませんよ。むしろ王太子殿下に志願してここにいるのですから」
「え? 初耳」
「私だけでなく、他の使用人達もです」
「どうして、私なんかに?」
聞くところによると、他の使用人も貴族出身の者ばかりだ。
まあ、後継ぎではなく、爵位も持たない者ばかりなので、跡取りと結婚しない限りは貴族ではなくなってしまうが。
しかし、間違いなくブリジットより高貴な生活をしている人ばかりだ。
どちらかというと、世話をする側ではなくされる側の人達である。
「志願したのは、ブリジット様に戦場で家族を助けていただいた者ばかりなのですよ。かくいう私も、弟を戦場で助けていただきました」
「そうなの?」
正直ブリジットの記憶にはない。
先陣を切っていたので、周りを気にしていられる状況ではなかった。
けれど、これまで何人も助けた覚えはある。ありすぎて誰のことだか分からないほど多くの命を、ブリジットは救ってきた。
だからこそ、戦女神などと呼ばれ、心酔する者が出てきたのだが。
「家族を救ってくださったあなたが元はどんな身分かなど関係ありません。ただ、可能であればあなた様の恩に報いたいと、勝手に志願しただけです」
「別にそんな立派なことをしたわけじゃないから気にしなくていいのよ? むしろ邪心ばかりで頑張ったんだし……」
自分から話題にして思い出し、落ち込むブリジットは、カントルのことを思い出してしまった。
「うわーん。カルトル様と結婚するためにあんなに頑張ったのにぃぃ。貴族のリップサービスってなによ!? 婚約者がいるなら気のある素振りなんてしないでよぉぉぉ! そしたら最初っからあんな人前で求婚なんてしなかったのに。末代までの恥だわ」
テーブルに突っ伏して嘆くブリジットを前に、エルドウィンは言いづらそうな顔をする。
「悲しんでいらっしゃるところ申し訳ありませんが、実は最近変な噂が……」
「噂?」
すっと顔を上げたブリジットは半泣きだが、涙は零れていない。
そのことにほっとた様子を見せつつハンカチを渡すエルドウィンは、躊躇いがちに話し始める。
「ブリジット様が大衆の前で逆プロポーズをされたことで、ブリジット様はカルトル様とその婚約者様との仲を裂こうとしている悪女だと……」
「悪女ぉ!?」
寝耳に水である。
「そもそも婚約してるなんて知らなかったし、相手が誰かも知らないんだけど!」
「え、いまだにカントル様のご婚約者がどなたかご存じないのですか?」
「私にこれ以上傷口を広げろと?」
公爵家の子息の相手なら、きっと深窓のご令嬢に違いない。
張りぼてでつくられたブリジットとは真逆の女性だろう。
あくまで憶測だが、どんな令嬢かを知って、カルトルとお似合いの人だったら余計に辛くなるだけではないか。
なので、ブリジットはカルトルの相手が誰なのかを積極的に知ろうとはしなかった。
それなのに、知らない二人の間の邪魔者扱いとは、さすがのブリジットも怒りが込み上げてくる。
「国のために頑張ったのにこの仕打ち、ひどすぎる!」
「カルトル様のためではなかったのですか? まあ、そこまで気にされることはありませんよ」
「このまま悪女として生きろと?」
じとーとエルドウィンを睨む。
「そうではなく、あくまで一部の貴族の間で流れている噂話です。そして、先程も申しましたが、戦場であなた様に助けられた者は多い。新しくブリジット教なんてものができそうな勢いで、貴族・平民問わず心酔している者がいるので、その者達が積極的に火消しに回っているようです。すぐに鎮圧するでしょう」
「それはありがたい限りだけど、このまま噂が消えずに悪女扱いのままだったらどうしよう……。婿に来てくれる人がいなくなるかも」
爵位をもらった以上は、家を存続するために結婚は必須だ。
「もし誰も現れなかったら、その時は私が婿入りいたしますよ」
「エルドウィンの優しさが染みる……」
感動するブリジットだが、さすがに痛い目を見たので、これもあくまで貴族の言葉遊びだと察する。
せっかく爵位をもらったのに、貴族の世界でやっていけるか不安でしかなかった。
***
この日ブリジットは、平民の時から常連だった居酒屋へ向かっていた。
そこはいつものように賑わっており、見知った顔ばかりだ。
ブリジットの来訪に、店中がテンションを上げて迎え入れてくれ、もう随分長い年月来ていなかった感覚に陥る。
最近気落ちすることばかりだったので、久しぶりに気分が高揚していくのを感じていると、店の奥の方に見慣れた顔を見つける。
「シリウス?」
シリウスは軽く手を振って、隣の席を叩いた。
こっちに来いと言いたいらしい。
仕方なく隣の席に座る。
「こんなところでなにしてるの?」
「君の行きつけと言っていたからな。どんなところか一度見てみたかったんだ」
「ほんとフットワーク軽いわね。馴染みすぎてて怖いわ」
とても王太子とは思えないが、店内に注意を払って見てみると、ちゃんと護衛は控えているようだ。
まあ、シリウスに護衛が必要とは到底思えないが。
なにせ、先陣を切るブリジットの隣で一緒になって敵陣に突き進んでいったのは、他ならぬシリウスなのだ。
本当なら守られる立場のシリウスは、形だけの指揮官では収まらなかった。
剣の才能も他を圧倒し、天は二物も三物も彼に与えたらしい。
どれか一つ誰かに分けてあげればいいのにと思うほど多彩だった。
「それはそうと、見事に玉砕したな」
ニヤリと笑うシリウスが、フラれた現場で爆笑していたのを忘れていないブリジットは、こめかみに青筋を浮かべる。
「あなた、知っていたでしょう?」
「さあなぁ」
「しらばっくれないでよ。いとこなんだから知らないわけないじゃない! ちょっと一言言ってくれれば良かったのに」
「俺なりの優しさだろ?」
「どこが」
ブリジットは注文した度数の高いお酒でやけ酒しながらシリウスを睨む。
「言っただけで諦めきれたか?」
「それは……」
言葉が続かないのは、玉砕したことで、傷心してはいるが、思いのほかスッキリしているからだろうか。
ブリジットの中で、仕方ないと過去の思い出へと変化しつつあった。
「だいたいなぁ、敵軍に単身で突っ込んでいって敵将軍の首をさくっと狩る奴を、あの気弱なカルトルがちゃんと制御できるはずないだろう。手に余って泣きついてくるのが目に浮かぶ」
「そんなことないわよぉ~」
だんだんお酒が回ってきたブリジットはしくしくと泣きながら酒をあおった。
「あんな見え透いたリップサービスを本気にとる方が悪い。あいつはどこでも似たようなことしてるぞ。他の貴族だって、とりあえず最初に相手を褒めるのが基本だ」
「貴族の常識なんてあの時は知らなかったんだから仕方ないじゃない……。うわーん!」
泣きながらさらにもう一杯。
「おいおい、もうそれぐらいにしておけ」
「私から夢と希望を奪っておいて、お酒まで取るの!?」
完全な言いがかりかつ、酔っぱらいだ。
シリウスが止めるのも聞かずしこたま飲んだブリジットは、いつのまにかテーブルに突っ伏して寝息をかいていた。
そんなブリジットを優しい目で見つめるシリウスは、そっとブリジットの頬を撫でる。
「あんな奴より君には俺がいるだろう? 早く気づけ」
***
翌朝、どこかの宿の一室で、隣には上半身裸のシリウスがいる状態で目が覚めた。
「え? え?」
戸惑うブリジットが回らぬ頭を必死で動かそうとしていると、シリウスも目覚めて起き上がる。
すると、チュッとリップ音を立てて唇にキスを落とした。
思考停止するブリジットに、シリウスはこれまで見たことのない色気漂う眼差しで見つめてくる。
誰だ、これは?
「既成事実ができたな」
一転してニヤリと笑うその顔は悪魔に見えた。
「ままままさか」
激しく動揺するブリジットは毛布をはいで自身の状態を確認したが、乱れた様子はない。
まあ、寝ていたので多少の乱れはあるものの、ブリジットが思っているような状況とはいなかった。
ほっとするブリジットだが、ここからシリウスが畳みかけていく。
「安心しているところ悪いが、同衾したのは他の護衛達が確認している。寝ている女性に手を出すような躾けはされていないが、十分既成事実になるぞ」
「え?」
「さて、さっさと準備をして親父殿に結婚の許可をもらいにいくか」
「は?」
ブリジットは「え」と「は」しか言わない間に、部屋に城の侍女が入って来てブリジットの身なりを整えていく。
そしてそのまま城へ向かえば、嫌な記憶しか残っていない玉座の間で、シリウスが王に詰め寄っていた。
「報告は上がっていると思いますが、そういうことなんでブリジットと結婚しますから。ブリジットは戦女神と呼ばれ国民からも貴族からも受けがいいので、多少の反対意見なら押し通せるでしょう?」
当たり前のように話しを進めていくシリウスに、ブリジットはついていけずにぽかんとしたままどうしていいか分からずにいる。
その間も話が進められていく。
「いや、しかしだな。伯爵になったばかりの元平民を王太子妃にするわけには……」
難航を示す王の意見は至極まっとうだ。
しかし、それまで温和に話していたシリウスが豹変して、王に詰め寄る。
「だったら王太子妃に見合う爵位をとっとと寄こせ」
「はい!」
なんともいい返事をする王に、これではどちらが王か分からないなと、王と王太子の力関係を垣間見た。
そうした話し合いの結果、いつの間にやらブリジットはなんとカルトルの公爵家の養女となっていたのである。
ついこの間フラれた相手が今や義兄になっているのだから、意味が分からない。
ここまで置いてけぼりを食らっているブリジットは、シリウスに抗議する。
「ちょっと、なんで? どうしてこんな状況になってるのよー!」
憤慨するブリジットに、シリウスはじっと見つめる。
「伯爵という高い身分を持ったにもかかわらず、貴族社会の常識も知らない君なんて、貴族達からしたら格好の餌食になるぞ。カモがネギを背負ってやってくるようなものだ」
「だからって、どうしてそれがあなたとの結婚に繋がるのよ」
「分からないか?」
「なにが?」
「まったく、ここまで意識されてないとは、さすがの俺でも傷付くぞ。せっかく君を手に入れるために、カルトルに婚約者を決めて、邪魔者を排除したのに」
「はい?」
いまシリウスはなんと言ったか。
邪魔者の排除?
シリウスはゆっくり手を伸ばし、ブリジットの手を握る。
「いつから君のことを好きだと思っているんだ? 急に横から来た奴に君を簡単に渡すわけがないだろう?」
混乱するブリジットの様子に微笑むシリウスは、握るブリジットの手の甲にキスを落とした。
上目遣いで向けられた目は痛いほどに真剣で、ブリジットを捉えて離さない。
「必ず好きと言わせて見せるさ。カルトルなんて忘れるほどにな」




