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3.

 桃子は小学校へ行き、勇悟も会社へと向かった。


 桃子は今年の四月に小学校へ入学したばかりらしい。そのわりには、非常に大人びている。


 勇悟は学生時代に友人たちとソフトウェア開発のベンチャー企業を立ち上げた。企業や行政のシステム開発や運用支援を行っている会社だと、新聞で読んだことがある。


 そもそも勇悟は、火宮家の跡継ぎではなかった。だから会社を立ち上げたわけだが、本来の跡継ぎであった彼の兄が不慮の事故で亡くなったために当主となったようだ。それもあって、会社では第一線を退いているらしいが、創設者ということもあり週に何日かは顔を出しているとのこと。


 火宮の屋敷に残された花梨は、肌触りのよいワンピースに袖をとおし、サロンでぼんやりとしていた。


「あっ、あっ」


 先ほどから、桃子の弟の柚流(ゆずる)が、電車のおもちゃで遊んでいる。柚流は二歳になったところだと聞いた。だが、ぱっと見た感じは成長が遅れているように思えた。なにより喋らない。「あ」しか言わない。


 そんな柚流から見れば、花梨は見知らぬ人間だ。朝食の場で紹介されたものの、彼は警戒心丸出しだった。だから花梨も、不用意に柚流に近づくようなことはしなかった。


 だけど桃子も勇悟も不在となり花梨しかいないのであれば、ここはしっかりと柚流をみておく必要があるだろう。なによりも、書類上は彼の母親になってしまったのだから。


 といっても、今は本当に見ているだけで、声もかけない。警戒されているからなおのこと存在を消すかのようにして、花梨はそこにあるソファにぼんやりと座っていた。


 普段は、使用人たちがかわるがわる柚流の様子を見守っていると、使用人頭の佐伯からそう聞いた。佐伯は、昨夜、結婚届を持ってきつつ桃子を迎えに来た人物だ。年は三十歳前後に見えるが、眼鏡をかけ髪の毛をすっきりと後ろになでつけている。


 そうやっていろいろと思案していると、このサロンの気持ちのよいあたたかさが、花梨を居眠りへと誘う。


 のんびりとした時間。穏やかな空間。まろやかな空気。

 園内の家にいたときには考えられないような贅沢な時間だ。


 勇悟は花梨の荒れた手に気づき、屋敷を出る前に女性の使用人に命じて、ハンドクリームを用意させた。それを塗り込んだ手は少しだけヒリヒリとするものの、ふわっと花の香りがして心地よい。


 うとうとと瞼が重くなり、頭もあっちにいったりこっちにいったりと不安定になる。思いっきりソファに寄りかかって頭を固定させたところで、すぅっと夢の世界へと導かれる。


 何度そうやって意識を手放したかわからない。ふわりとしたあたたかな空間が、夢のような世界なのだ。

 そんななか、ぺちぺちと足を叩かれた。


「あ~あ~」


 柚流が電車のおもちゃを花梨に向かって差し出していた。

 あれほど花梨に対して警戒心を抱いていた柚流のほうから寄り添ってきてくれたのだ。


「あっ」


 柚流がしきりに電車のおもちゃを受け取れとアピールしてくるので、花梨は驚きつつもそれを手にする。


「あっ、あっ」


 何かを花梨に訴えている。


「もしかして、動かないのかしら?」


 その言葉に、柚流は大きく頷いた。しゃべれないだけど、こちらの言葉は理解できているようだ。


 電車のおもちゃは電池式。動かないのであれば、電池を交換する必要がある。

 テーブルの上にはベルがあり、これを鳴らせば誰かが来てくれるらしい。昨日までは、花梨は呼ばれる側だった。


 だからおそるおそるベルを手にしてチリリンと鳴らしてみる。


「お呼びですか? 奥様」


 そう言って現れたのは佐伯だ。だが、奥様と呼ばれるのはどこかくすぐったい。


「佐伯さん。こちらのおもちゃ、電池がきれてしまったようで。電池の交換をお願いしたいのです」


 だが佐伯は、今にも眼鏡がずり落ちそうなほど目を見開いた。


「佐伯さん?」

「いえ、失礼しました。柚流ぼっちゃまが、誰かに心を開くのは珍しいことでして。実は、勇悟様ですら、手を焼いております」

「そうなのですね?」

「いったい、どのような魔法をお使いになったのでしょう?」


 佐伯は電車のおもちゃを預かると、どこからか乾電池をもってきて新しいものと交換した。スイッチを入れると、音を立てて車輪が回り出す。


「あ、あ、あ……」


 柚流は佐伯に向かって手を伸ばす。


「どうぞ、柚流ぼっちゃま」

「あっ、あっ」


 しゃべれないものの、柚流が喜んでいる様子は伝わってきた。そして花梨のスカートの裾を掴んで、一緒に遊ぼうとても言うかのよう。


 花梨はどうしたものかと、佐伯と柚流の顔を交互に見る。


「どうか柚流ぼっちゃまと一緒に遊んでくださいませんか?」

「は、はい」


 柚流のことは気にはなっていたが、花梨がなれなれしくしてもいのかどうかと悩んでいたのだ。それを佐伯によって背中を押されたことで、素直に柚流と向き合える。


「あ、あ」


 柚流は「あ」しか言わない。しかし、その「あ」で何を伝えたいのか、なんとなくわかった。

 言葉が出ないだけで、きっと柚流の中にもたくさんの気持ちがあるのだ。


「ありがとう」


 電車のおもちゃを受け取った花梨は、それのスイッチを入れ、レールの上においた。電車はあっという間に走り去っていく。


 この電車のおもちゃだって立派なものだ。レールが楕円に置かれているだけではなく、のぼりおりのコースがあって、立体駐車場のようにぐるぐるまわるところもあり、電車だけで十個以上はあるだろう。


「あ~」


 電車がくるくるとコースをまわりながらおりてくると、柚流はぱちぱちと拍手をする。そんな彼の姿を見れば、花梨の顔も自然とほころんだ。


 高校卒業後は幼児教育を学び、幼稚園教員免許と保育士資格を取りたかった。しかし、進学できないのであれば、そのような夢もはかなく散り、叶わぬものだと思っていた。


 それなのに、柚流の存在が失いかけた夢の欠片を取り戻してくれたような、そんな気さえする。ぽつっと心が疼く。


「あ~あ」


 スピードが出すぎて、電車はコースから外れてしまった。花梨がそれを追いかけて柚流に手渡すと「あっあっ」とまるで「ありがとう」でも言うかのように声を発する。


「どういたしまして」


 花梨の返事に、柚流はにかっと笑う。


(かわいい……)


 柚流の無邪気な笑顔に心が打ち抜かれた。


「そろそろ、休憩になさいませんか?」


 しばらく遊んでいると、お盆に飲み物とお菓子をのせた佐伯がやってきた。


「柚流さん、休憩しましょう? 喉が渇いたでしょう?」


 花梨の言葉に反応して、柚流は手にしていた電車のおもちゃのスイッチを切る。


「あ~あ~」


 佐伯がテーブルの上に飲み物とお菓子を並べると、柚流はちょこんと花梨の膝の上に座った。


「奥様、柚流ぼっちゃまに何をしたんですか?」

「あっあっ」


 柚流はテーブルの上のマグに手を伸ばしている。花梨はそれを取り、柚流の手にしっかりと握らせる。


「何って……ただ、このソファに座って見ていただけなのですが……あまりにもこの場所が気持ちよくて、眠ってしまいました」

「なるほど。だから柚流ぼっちゃまも、心を許したのですね?」

「え? どういう意味ですか?」

「柚流ぼっちゃまのように警戒心の強い人間は、自分のテリトリーに無理矢理入られるのを嫌います。ですが、奥様はそうなさらず、ただ寄り添って、挙げ句、寝てしまったと。敵を目の前にして眠るような人がいますか? 目の前に妖魔がいたとして、それでも眠れますか?」


 そこまで言った佐伯は、ふふっと笑って部屋を出ていった。


 とにかく、あの居眠りで柚流の警戒心がゆるんだのであれば、うたた寝も悪くはないというものだ。


「あっ、あっ」

「このクッキーが食べたいの?

「あ~あ~」


 クッキーをとって柚流に手渡すと、もしゃもしゃと食べ始める。


「おいしい?」


 尋ねればこくこくと頷く。柚流と触れ合っているところがあたたかくて、じんわりと満ち足りた気持ちになる。


 窓から入り込む日差しも心地よい。


 そこで花梨ははたと気がついた。


 昨日は暗い中ここまで来てしまったから、この家の周辺がよくわからない。よくわからないといえば、この建物の全容も把握していない。


「柚流さん。おやつを食べたら、お外にいきませんか? お散歩、しましょう」


 散歩をするのは柚流の成長にとっても悪くはないはず。そして花梨の好奇心も満たされる。


 だが、勝手に外に出てもいいのだろうか。


 そういえば勇悟は、仕事に行く前に「おとなしくしていろ」と言ったかもしれない。だけど散歩くらいは許してもらいたい。


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