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五話目「左回りの時計をひとつ、人は持つ」


 ロベルト老父の自室。リビングから出て右手に進みすぐのところ。そこが、寝床でもありこれまでの思い出と、共に過ごしてきた場所である。

 扉も年季の音色を奏で、開かれた先には一風も変わらない。何の変哲もない。ありふれて、ありきたりで、素晴らしくも安心できる。そんな景色があるのだ。

 床板だって変わらない。廊下とほぼ一緒。扉の向かいには大きな窓があり、その右隣には書棚が誇らしげに立っている。

 様々な蔵書。小説から神話。辞書や草花の図鑑。それだけではなく、動物に関しての著書まである。

 そして、女神のことを記した、いわゆる聖書とやらも。


「ここが儂の部屋でな。お見苦しい様子ではあるが、この通り、歩けない頃は本ばかり読んでいましてな」


 ロベルト老父へ手を貸しながら、アルトラン神父はゆっくり部屋へと入っていく。二人だけ。

 エリー少女は、墓周りの清掃に出掛けた。彼女は何かあれば、大声で呼んで欲しいと言っていたが、アルトラン神父はそもそも呼ぶつもりはなさそうであった。

 少しばかり、彼の鼻を刺激する匂いも漂ってきて、思い返した記憶が今現在の景色へ切り替わる。

 しかし、よくある話ではある。むしろ、健全ではあるだろう。生きている証である。


「いいですね。読書は人としての経験にもなりますし、女神様も勧めていますし。かくいう、私も気になる本がいくつかあるのですが」


「はは、良かったら気になったのを持ち帰ってもいいのですぞ」


「では、また後で見させていただきますね。……とりあえず、ベッドに横へなってください」


 ゆっくり、ロベルト老父がベッドへ腰掛けるのをそばで待つアルトラン神父。ギシッと、固い木材が悲鳴をあげ、ロベルト老父は座ってすぐに大きな息を吐き出す。


「すみませんな。体力なんぞ、なくなってしまったようで」


「医者から歩けないと言われて、ここまで歩けているのですから、それだけでも凄いことですよ」


「そうかの? それだったら、儂よりも悪魔のお陰かもしれんが」


 悲しく笑うロベルト老父。

 即座に、アルトラン神父は否定しようとしたが、喉の奥で言葉が立ち止まる。

 考えたのだ。

 ロベルト老父は、本当に歩けなかったのか、と。

 医者を疑っている追求になってしまうものの、それほdに、ロベルト老父の歩行に問題があるとすれば、それは心の持ちようでもあるような気もしていた。

 しかし、骨を折っていたとすれば、今現在のフラフラとした足取りは仕方ないものである。完治まで歩けず、完治後に医者が見れば、また別の答えが出てきたのかもしれない。

 だが、そのどれかであったとしても、アルトラン神父の想像でしかなく、憶測でしかない。

 ロベルト老父のベッド近くの、椅子に腰掛けながら、それを念頭に置くアルトラン神父。

 答えは知らない。

 もしかすると、悪魔が知っているかもしれない。

 ロベルト老父に聞けばいいかもしれない。

 だが、結局は先送りにしてしまいそうにもなる。

 なにせ、ロベルト老父はこうして必死に歩いている。

 これからも、そうかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。

 どちらにせよ、神のみぞ知る。

 いや、神でさえも分からないかもしれないが。


「さ、ロベルトさん。朝早くに起きて申し訳ないのですけど、横になって目を閉じていてください」


「あぁ……」


 横になり、凹んだ枕に頭をつけるロベルト老父。

 長年の重みに耐えてきたのだろう。

 やれやれと、項垂れているようでもあったが、瞼の落ちた老父へ向け、アルトラン神父はできるだけ落ち着けるよう優しい声をつくる。


「安心してください。て言っても、緊張しちゃうと思います。私だって、誰かに見られながら寝たことなんて、小さい頃か乳飲み子だった頃くらいなものです」


 アルトラン神父は、念の為にと持ってきたブレスレットを取り出す。金色に輝くそれは、何の変哲もないものであった。

 しかし、ロベルト老父は目を閉じているため見ることはできないものの、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「まずは、そうですね。意識を集中するようにしましょうか」


「……意識?」


「はい。私の言っていることを頭の中で描いてください。いいですか? 実際に体を動かしてはいけません。あくまで、意識を集中するのですよ。

 では、まずは足の指先。そこへ力が集まります」


 ロベルト老父は、なんとなくでも足の指先を思い描き、そこへ力が集まる想像をする。

 外反母趾(がいはんぼし)の親指。親の遺伝からか、指はまんまるとしていたので、他の人よりも長くない。靴のサイズも小さめになるし、足の平へ筋肉がつけば指先よりも横っ腹が気になる年頃となってしまう。

 そんなことを掠め、ロベルト老父の愛くるしい、しわがれた指先は確かな意識が集まる。


「では、力を抜いてください。集中していた意識が、フッと飛んでいきます」


 その言葉通り、ロベルト老父の指先から力が飛び去っていく。

 そのことに、僅かな感動があるものの、アルトラン神父は間髪入れず、次なる試練を与える。


「次は足の平、ついでに踵にしましょう」


 そうやって、踵からふくらはぎ。ふくらはぎから膝。

 膝から太腿。そして、足の先から頭の先までを意識が旅したお陰か。

 ロベルト老父は、ゆるやかな息をたて始める。

 このまま、夕方まで寝てしまうのではないかと思うほど、安らかな様子にアルトラン神父は安堵する。

 だが、これからだ。

 ここからが、彼の役目である。


「さ、出てきなさい。どうせ見ていたのでしょう? 悪魔さん」


「はいはい。分かった分かった」


 心底、どうでもよさそうで。

 心底、面倒くさそうに悪魔と思われる女性の声が響くものの、姿はどこにもない。

 だが、アルトラン神父がロベルト老父の体を見ると、僅かに心臓から黒いモヤが出始めていた。

 火事の煙よりも不吉で、野焼きよりも風情もへったくれもないモヤ。明らかな異常でもあり。異変でもあるその現象を、アルトラン神父はただ黙って眺めていると、次第に黒みが増していく。

 そして、天井まで昇っていきそこから壁を伝っていく。更には、部屋中の至る所までを覆い隠すと同時。

 件の人物はなんの音もなく、ロベルト老父の頭上。そこで胡座をかいて座っていた。

 空気の上で。

 空間に座っていた。

 真っ白な髪に、額からは黒山羊の角。蝙蝠の羽が背中から飛び出している。顔立ちは綺麗だが、瞳だけはロベルト老父の証言通りに、人とは違っている。

 真逆の色をしている。

 それだけでも充分なほどではあったが、それ以上に異質なのが、服装である。


「…………なんだい」


「いや、服くらい着ましょう?」


 全裸であった。清々しいくらいに、素っ裸である。


「悪魔に、服を着ろなんて。聖職者に聖書を売りつけるのと同じくらいの暴挙だ」


「聖書はいくらあっても困りませんよ。まぁ、着ないのでしたら、それはそれでいいです。相変わらずなのだと、諦めますから」


 アルトラン神父の溜息に、悪魔は薄く笑う。

 長年の付き合いでもあるかのように。

 悪魔が、神父を許しているかのように。


「久しぶりだ。元気だったか?」


「えぇ、貴女が助けてくれてから今まで風邪すら引いていませんよ」


 その返答に、悪魔はケタケタと笑う。

 骨が転がるような笑い声のはずが、どうにもそれは演技臭く。まるで、嬉しいことを隠しているようでもあった。

 そう。

 彼女は――アルトラン神父の目の前で浮かんでおり、ロベルト老父に憑いた悪魔とやらは、かつて教会で凍死しかけた男を助けた者であった。

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