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三話目「人種、性別、人かそうでないかは関係なく、優しき者を神は愛す」


 ロベルト老父は、一口、紅茶を味わうことで話し始める。隣に座っているエリー少女も、少しだけ冷めたものを飲みことで、ようやくアルトラン神父も連れ立って喉から胃袋へと落とす。

 甘い香りが、そのまま雫になったようで、アルトラン神父は思わず、いい紅茶だと言いそうになった。それを制すために飲み込んだのに。

 そうなってしまっては、本題にいつまで経っても入らなくなってしまう。

 それもいいのだが、あくまで――悪魔の話をしなければいけない。そういう思いでいるからこそ、アルトラン神父は座りを正し、ロベルト老父へ向き直る。


「それで、ロベルトさん。悪魔はどの姿をしていたか、覚えていらっしゃいますか?」


 まずは、容姿。

 彼が真っ先に問い掛けたことは、悪魔との契約でもなく、代償でもなく、見た目の話からであった。

 そこに、多少なりとも確信を持ちたいが為に。


「姿……姿か。お姉ちゃんみたいではあったの。蝙蝠の羽が背中から生えて、頭にも角が二本立派なのが生えておった。後は……尻尾もあったが、それは触ったら怒ると言われたので、本物かどうかは分からなかったが」


「髪色はどうでしたか? 瞳は」


「髪……真っ白じゃった。瞳も、そうじゃな。人の目じゃないことは確かだ。儂らの白目が真っ黒じゃった。逆に神父様の蒼い瞳があるじゃろ、そこが真っ白じゃった」


 そこでアルトラン神父は、確信をえる。

 ロベルト老父の話を聞きながら、自身も記憶を遡っていたのだ。

 その記憶とやらは、昔――というほど、古びた思い出ではなく、このブラン村へ来た時のことだ。

 彼は、教会で身心そのものを震わせながら、大寒波の過ぎ去りを望み、そのまま凍死するはずだった。

 しかし、とある者の来訪によって、その窮地を脱し、翌朝にはブラン村の人々から文字通りの手厚い保護を受けることができた。

 そのとある者の特徴、そして、アルトラン神父が大体の話を聞きアタリをつけた相手。会いたかった相手とやらの、特徴と合致するのだ。

 だから、一際興奮した心の内をできる限り落ち着け、悟られないようにし、何よりもの安心感を与えるために平静を装う。


「ちなみに、顔は覚えていますか?」


 これでは犯人探しのようではある。

 しかし、必要なことだ。

 必須なことだろう。

 その質問に、ロベルト老父は顎に指を添え、考え、思い出す。何秒かの辿りが目的に着いたようで、パッとアルトラン神父を捉える。


「あぁ、そうじゃ。可愛いかった」


「おじいちゃん……神父様が聞いたのは、そうじゃないと思うけど」


「いえ、エリーさん。私が聞いたのはそのくらい大雑把な特徴ですよ。なにより、悪魔はその方の理想の異性に姿を変え現れると言います」


「それは、騙しやすいからですか?」


 エリー少女の質問に、アルトラン神父は頷く。

 ただ、そのまま補足せず進めてしまえば、恐らく悪魔を嫌い、女神を信仰する盲目的な信徒ができたろうに。

 そんなことを女神は望んでいない。

 そんな詐欺師同然の手札では、この村での地位を得る前にアルトラン神父の心労が、目も当てられないようになってしまう。

 人を(だま)すことも。

 人を(かた)ることも。

 苦しむ過程を踏んで、虚実な椅子に座ってしまう。

 そんな尽くし方では、神の御前に立つ資格もない。


「しかし、悪魔というのも人間同様、色々います。私が前年の冬に出会った悪魔も、世間一般に知られ尽くしている悪魔とは全く違っていました」


「そ、それは……」


 ロベルト老父は、少しばかり瞳孔の開く。

 そして、僅かばかりの不安が彼を包んでいる。

 だから、アルトラン神父も優しく音色を奏でる。


「私はここの教会にやって来てすぐ、大寒波にあいました。それも村人の皆さんが外に出られないほどの、猛吹雪を連れてきて。

 その中、暖炉に薪をくべることもできず、毛布はくるまっても全くあたたかさを与えてくれない、そんな状態でした」


「あの冬は、規格外でした。まるで世界の終わりが始まったのかと思うほどに」


 どうやら、エリー少女もその被害の一端に、身体を掠めていたようだ。

 重苦しく呟いているのは、自分だけの被害に収まっていないからだろう。

 その冬とやらは――大寒波とやらは、たった一日で全てを凍らせ、あらゆる家々の出入口を封じた諸悪の根源でもあるのだ。


「今まででも、凍える季節があった。しかし、去年の冬は儂が見てきた中でも最悪なものじゃ。なにせ、一夜で人丈の雪を積もらせたのじゃから。あれでは、雪をかこうにもかけん。それで難儀していた者も多かったしの」


 ロベルト老父は、思い出したくもないほどの辛さを口にする。そう、思い出したくないのだ。


「私はその襲いかかる寒さで、死にかけ。そこを悪魔に助けてもらいました。命を救ってもらったのです。神に命を捧げる者としては、非常に面目ない宣教師ではありますけど、その時に悪魔とある契約をしまして」


『契約』。

 その言葉に、エリー少女も反応をするが、一番大きな素振りを見せたのはロベルト老父である。

 それだけでも、不安に思っている原因は掴めそうであったものの、アルトラン神父はそこに信頼を置かない。

 たった、そのひとつを追求するのではなく、ゆっくりじわじわと原因の特定をしなければいけない。

 なにせ、これはアルトラン神父の問題ではない。

 アルトラン神父の不安事でもない。

 かといって、エリー少女のものでもない。

 ロベルト老父のだけの、不安なのだ。

 それを優しく、丁寧に扱わなければ本人にとって、なんの解決もならない。

 だから、彼はあくまで――悪魔との身の上話をするのだ。


「契約内容は単純でしたが、やはりその悪魔はなんと言いましょうか……悪魔、らしくないと言いますか。

 なにせ、私の命を助ける代わりに、対価として()()()()()と頼まれまして」


 そこで、ロベルト老父は目を見開き。エリー少女は、ポカーンと話がよく分からない表情をする。

 相反するような様子に、アルトラン神父は理解の土台を整える。


「悪魔祓い。つまり、その悪魔は自分自身を祓って欲しいと願ってきたのです。

 もしくは、私が悪魔祓いできないのを知っていて、あえて煽るようにその対価を要求してきたのかもしれませんけど」


「そんな……危ないことをするのですか、悪魔は」


 エリー少女の疑問は当然であろう。

 しかし、自分が一人だけなら、他はいないのと一緒で。似たような人間がいようと、完全な同一人物は存在しない。

 とすれば、奇想天外で、奇抜で、奇怪で、不思議なことを真っ先に思いつき実行する者だっているのだ。


「悪魔は時として契約の代価を対等なものしません。欲に塗れ、権化とした存在は、大金を与える代わりに食べかけのパンでもいいとさえ言ってのけるのです。

 つまり、その時の気分機嫌次第で決めてしまうのです。自分が楽しく、面白おかしく生きられて、満足した死を迎えられるのなら、それでいいのです」


 なんとお気楽な思考だろうか。

 なんと、羨ましいほどの生き方だろうか。

 だが、同時に悲しいものだろう。


「彼ら、彼女らはそれで名を轟かせました。様々な人種、性別問わず誑かし、神々の怒りを買ってしまったために、二度と天界へ昇ることもできなくなってしまいました。地に落とされ、安寧もなく、ただ欲望のままに生きていく。

 ですが、その過程の中で、様々な人と出会ったことで、より効率的で合理的な考えに至る悪魔が生まれたわけです。

 それが、私と契約した悪魔でしょうし、恐らく、ロベルトさんが出会った悪魔でしょう」


 今まで、悪感情と悪事と共に千里を駆け抜けた存在である。その中に、己の根幹を揺るがす出来事があったに違いない。

 なにせ、人間は多種多様であり、悪魔ですら及ばない思考の極地にいる者だって存在する。

 悪魔がいるのなら、悪魔のような者だっている。

 その逆もまた然り。

 とすれば、アルトラン神父が出会った悪しき根源は、その前提条件を覆すに足るだろう。


「ロベルトさん。契約内容を全て話してください、とは言いません。悪魔から封じられているでしょうし、そんな危険なことは神父である以上、推奨することもできません。

 ですので、良ければ聞かせていただけませんか?」


「………………………………………………………………………………………………………………………………」


 長い。

 長い沈黙が、その場に居座る。

 アルトラン神父も無闇矢鱈に、心の内を無造作にまさぐる真似もせず、ただただ、待つ。

 沈黙の重さも、軽さも、自分のこれからを繋ぎ止めるものを大事に思うからこそ、彼は穏やかに、まるで春を待つ草花のように、木々の揺らめきのように、在る。

 また、エリー少女も純真無垢に、ロベルト老父を逸る気持ちで促すこともせず、任せている。

 彼女もまた、聡明であった。

 そして、彼女がそうであるなら。

 祖父のロベルト老父も、そうである。


「……儂も、去年の大冬に迷惑を受けた者でな。この足も、そのせいで怪我を負って、医者からは二度と歩けないとまで言われたのじゃ」


「そうですか……お辛かったでしょう。配慮もなく、不躾にお聞きして申し訳ありません」


 アルトラン神父は、深々と頭を下げる。

 しかし、配慮がなかったというのは嘘だろう。だから、ロベルト老父も慌てて否定の手を挙げる。


「いやいや……! 神父様はここに座るまでを支えてくれたじゃろ。それで配慮がないと一蹴するなら、二度と歩けないと告げた医者の方が不躾じゃと叱咤せねばならん」


「医者も、事実を告げねばいけない使命がありますから。ある種、優しい方々ですよ」


 アルトラン神父がそう見知らぬ医者のことへ、気遣いしたことで、ロベルト老父も湧き上がりかけた怒りも鎮まる。

 紅茶に写った自分自身の顔を見ることで、ロベルト老父はポツリと吐き出す。


「怪我をしてからしばらくは、安静にしていたんじゃ。しかしのう。日に日に、歩くのが辛くなってしまって。酷い時にはずっと寝床に居続けなければいけなくなった。

 神父様は儂の仕事を何か知っているかの?」


 突然の質問に、アルトラン神父も多少の動揺が波打つ。しかし、そんな大したことではない。

 むしろ、知っているのだから焦ることでも、変に気を遣うものでもない。だが、なんとなくロベルト老父の状態と悪魔との契約を察することができるとすれば、それは大きな波になってしまう。

 だから、彼は努めて。

 その憶測事をしまい込む。


「墓守。私はそう聞いています」


「そうじゃな。正解。この山の近くには、ブラン村で生涯を終えた人を埋葬する墓地がある。そこの手入れじゃったり、時には墓が荒らされないようにするのが儂の仕事だった」


 だった。

 過去形というのは、そういうことなのだろう。

 そこでエリー少女が、慎ましくも緊張した面持ちで前へ出る。


「今は私が墓の管理をしています」


「お若いのに、大変ではありませんか?」


「大変ですけど……この村の人は手伝ってくれますから」


 墓守は、何も墓地の雑草を抜いたり、野犬野獣が墓を荒らすことも防ぐだけではない。

 棺に入った方達を、安らげる場所に安置させる必要がある。

 棺が土の中に勝手知ったる所作で埋まっていくわけでもない。

 わざわざ、墓守が棺を抱え墓所へ埋葬する。

 だから、大変なのだ。

 神父はそこで天へと迷わず迎えるように、安らかに召されるように祈り、説教を行う。

 たった五十程度の村であっても、人々が生きているとすれば、命があるのならば、無下にするのは望ましくもなく、女神だって許さない。

 墓守のエリー少女の抱えた棺を、複数の男達が共に支えるようになった。


「お優しい方々ですからね。この村の人は」


「皆、口々に言うのです。『おじいちゃんには、死んでも足を向けられないからな』『おじいさんのお陰で、皆安らかだと』」


「素晴らしいお爺様ですね。そういえば、私も聞いたことがあります。お金もなく、簡素な棺しか用意できないと聞くや否や、ロベルトさんがいい棺を用意してくれた、と。確かに、棺代も高いですからね」


 褒めることで、ロベルト老父の頬がほんのりと紅茶色に染まる。

 それを見て、アルトラン神父もエリー少女も、微笑ましい気分となる。


「せめて、そんなおじいちゃんの為に、手伝えることは手伝うって」


「も、もう……勘弁してくれ」


 手を挙げるロベルト老父。

 どうやら、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうになったのだろう。

 今や真っ赤である。

 だからだろう。

 そのままの勢いでもって、話すのだ。


「そ、そこでだな。エリーに仕事は譲った。だから、儂も老い先短く、やることを決めねばいけなかった。

 それが、妻の墓参りでな。それさえ、墓に手を合わせることができればそれだけでも良かったのに。この足では、歩くことさえできなかった」


 咳払い後、ロベルト老父の顔色は真剣なものとなった。いや、悲哀を含むようになった。


「そんな時に悪魔が現れ、さっき言った通りの姿で、こう言ったんじゃ。『歩けるようにしてあげよう』とな」


 

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