悪役令嬢、魔法使いになる
――ピッ、ピッ、ピッ
(ああ、私死んじゃうんだ)
私は自分の死を悟った。
私の命はもうまもなく尽きると。
(もしも生まれ変われるのなら、次は健康で丈夫な身体だといいな)
(それに魔法なんて使えたら楽しそう)
――ピッ、ピッ、ピッ
朦朧とした意識の中でそんなことを考えた。
死ぬことは怖くない。ずっと覚悟していたから。
ただ心残りはある。
(…お父さん、お母さんごめんね。先に逝く娘を許してね)
――ピッ、ピッ、ピッ
きっと今も父と母は私のことを見守ってくれているだろう。
(今までありがとう、そして、さようなら…)
――ピッ、ピーーーーー…
そうして私の意識は暗闇に沈んでいったのだった。
◇◇◇
「んっ…」
なんだか身体中が熱い。さっきまでは身体中が冷たくて、そのあとすぐに冷たささえも感じなくなったはずなのに…
「はっ!」
私は自身の身体に異変を感じ慌てて目を覚ました。そして覚える違和感。
(え?)
そもそも私はなぜ目を開けることができたのか。
(私、死んだはずじゃ…?)
もしかして死んだというのは自分の勘違いかと一瞬頭を過ったが、やっぱりそれはあり得ない。死ぬのは初めてだったが、間違いなく私はあの時に死んだはずだ。
(どういうこと?)
どうやら私はベッドの上で仰向きの状態で寝ているようだ。私はこの不可解な状況を少しでも把握しようと不思議と動きそうな身体に力を入れて起き上がる。先ほどまでは指一本動かせなかったのに。ベッドの上ということはやはりここは病院なのだろうか。だが病院のベッドにしては寝心地がよすぎる。そう疑問に思いながら起き上がった途端、頭に強い痛みを感じた。
「痛っ!」
痛いところを手で押さえるとなんだかゴワゴワする。
「…これは?」
――ガチャ
すると突然部屋の扉が開いた。
「っ!」
あまりに突然のことで私は動くことができない。それになぜか扉を開けた人物も目を見開いて動かない。
(だ、誰!?え、そ、それにあれはメイド服!?ここ病院でしょう!?)
私はさらに混乱した。なぜか扉を開けた女性はメイド服を着ていたから。いや、ベッドの上の住人だったので実際に見たことはないが、あれは『お帰りなさいませ、ご主人様♡』とか言ってくれるカフェのメイドと同じだ。テレビで見たことがある。そんな服を着た人がなぜ病院に?と私は混乱して動けずにいると、先にそのメイド服を着た女性が動き出した。
「だ、旦那様!奥様!お、お嬢様がお目覚めになりました!!」
そう言ってメイド服を着た女性が扉の前から走り去っていく。私は呆然とその女性を見送ることしかできなかった。それに…
(お、お嬢様?え、待って。それって私のことを言っているの?)
私は間違ってもお嬢様と呼ばれるような家柄ではない。両親には失礼だが父は普通の会社員で母はパート勤めの一般的な家庭だ。お嬢様というのは社長や病院長のようなお金持ちの家の娘のことを指すのではないか。だから私がお嬢様なわけがない。しかし今いるこの病室を見回してみても私以外誰もいない。それに私がいた病室は個室ではあったがこんなに広くなかったし、なんだか部屋全体が眩しい。
もしかしたらここは病院ではないのではと思い始めた矢先、沢山の足音が響いてきた。
――バタバタバタッ
(こ、今度は誰!?)
私は身体を強ばらせた。すると開いたままの扉から現れたのは大人の男性と女性、それに幼い男の子だった。
(え、誰?それに髪と目の色が…)
見覚えのない男女に子ども。しかしそれよりも驚いたのは彼らの髪と目の色だ。男性は燃えるような赤い髪に灰色の瞳、女性は輝く金髪に青の瞳、そして男の子は男性と同じ赤い髪に灰色の瞳と見たこともない色をしていた。
(なんか急にファンタジーなんですけど!?)
そしてそんなファンタジーな彼らが私に駆け寄ってきた。
「アリステラ!目が覚めたんだな!」
「あぁ、私の可愛いアリー。もう大丈夫よ」
「アリー大丈夫?」
次々と話しかけてくるのだが、アリステラやアリーとは誰のことなのか。
(私のことなの?でも私の名前は……っ!)
そこまで考えて私は自分の名前が思い出せないことに気がついた。いくら考えても全く思い出せない。それに不思議と先ほどの名前がしっくりくるのだ。すると肩から流れる自分の髪が視界に入った。
(髪が赤い?それに手も小さい…?え、まさか?いや、そんなの現実にあり得るの…?)
私は戸惑いながらもひとつの可能性にたどり着いた。常にベッドの上での生活だった私は、暇でよく本を読んでいた。お母さんが「これ人気らしいよ」と本を沢山買ってきてくれて、その中にあったライトノベルに私ははまった。
現実世界ではあり得ないような世界観に剣や魔法など、あり得ない設定だからこそはまった。思うように動かせない身体でも想像することができたから。
そのライトノベルでよくある設定だったのが、小説の主人公がヒロインやヒーローそして悪役令嬢に転生するというもの。私が思い浮かべたひとつの可能性。それは異世界転生だ。
(異世界転生…。もしそうだとしたらここは何の世界なの?)
「…」
私が一人考え込んでいると、赤髪の男性が再び声をかけてきた。
「アリステラどうしたんだ?もしかしてまだ額の傷が痛むのか…?」
「え?」
(額…?あ、このゴワゴワは傷の手当てを…)
私は手を額の傷に当てた。男性の言葉を聞くにどうやら私は怪我をして意識を失っていたようだ。しかしなぜ怪我したのかは分からないし、そもそも私は一体誰なのか。
突然不安が押し寄せてきた。私はこれからどうなってしまうのかと。
「…わたしはだれ?」
「え?」
「わたしはだれなの?ここはどこなの?」
「なっ!アリステラ、記憶が…?」
「それに、からだのなかがあつい…!」
「っ!」
言葉を発してみても今までの私とは全く違う声。上手くしゃべれないし、それに目覚めた時から身体の中が熱くて熱くてたまらない。
「誰か空の魔石を持ってくるんだ!急げ!」
部屋の中が突如として騒がしくなる。しかし私は
(魔石って本当にファンタジーみたい…)
なんてことしか考えられない。次第に頭がボーッとしてきた。
(やばい…なにも考えられなくなってきた…)
身体の熱によって意識を失いそうになる直前、私の額に何か冷たい物が当てられた。
(なに、これ?冷たくて気持ちいい…)
額に当たっている何かが冷たくて気持ちいい。それに身体の中の熱がどんどんと収まっていくのが分かる。
「きもちいい…」
「ふぅ、間に合ったか…」
「あなた…」
「ああ。急ぎ医者と魔力測定器も手配しよう。さぁアリステラ、疲れただろう?今は少し休みなさい」
「…はい」
身体の中の熱が収まると不思議と先ほどまでの不安がなくなり、急に眠たくなってきた。寝ている場合じゃないと思いながらも睡魔に勝てそうにない。それに目の前にいる男性も休んでいいと言う。それならお言葉に甘えて今は休ませてもらおう。
「おやすみなさい…」
そうして私は何も分からぬまま眠りに就いたのだった。
◇◇◇
あのあと目覚めた私は不思議と気持ちが落ち着いていた。そして改めて赤い髪の男性、お父様と話をした。そこで分かったことがいくつかある。
まず私の名前はアリステラ・ルーズベルト。ルーズベルト公爵家の娘だそうだ。
ルーズベルト公爵家という名前を聞いて思い出した。ここが前世で読んでいた小説『聖なる花の咲く頃に』の世界であること、そしてルーズベルト公爵家は『魔法のルーズベルト』と呼ばれていたことを。
『聖なる花の咲く頃に』の世界では魔法使いは大変貴重な存在だが、そんな中でもルーズベルト公爵家は代々必ず魔法使いを輩出している家柄だ。しかし今代には例外がいた。それがアリステラ・ルーズベルトだ。アリステラはルーズベルト公爵家の血を継いでいながらも、唯一魔法を使うことができない娘だった。そもそも魔力がなかったのだ。だが家族はそんなアリステラを差別するでも見捨てるでもなく、一つ年上の兄同様に可愛がった。公爵家の使用人も同じだ。
しかしそれは家の中だけの話で、一度外に出れば沢山の人からお荷物令嬢と呼ばれていた。そのことがアリステラの心に影を落とす。『家族も使用人も本当は私のことをそう思っているのだろう』と考えるようになるのだ。
そんな時アリステラは運命の出会いをする。アリステラが五歳の時に王宮で開かれたお茶会で、第一王子であるジルバートに一目惚れするのだ。そしてそのことを知った両親は公爵家の権力を使い、アリステラをジルバート王子の婚約者にした。アリステラは喜んだ。かっこいい大好きな王子様と結婚できるのだ。しかしジルバート王子の態度は冷たく、決してアリステラを受け入れなかった。それでもアリステラはめげずにジルバート王子のために勉強もマナーも頑張った。けれどアリステラの努力は報われず、十五歳で入学する王立学園でジルバート王子は一人の女子生徒と恋に落ちるのだ。それが小説の主人公のヒロインである。
二人の親密な様子を目の当たりにしたアリステラは絶望した。そこからヒロインに対して陰湿ないじめが始まり、最終的にはヒロインを暴漢に襲わせようとするが失敗に終わり、ジルバート王子から婚約破棄を言い渡されるのだ。そしてアリステラを排除したジルバート王子とヒロインは結ばれハッピーエンドを迎える。アリステラは国外追放され、またルーズベルト公爵家はそんなアリステラを野放しにしたとして取り潰しとなった。
小説の途中で判明することなのだが、小説の主人公であるヒロインは実は魔法使いより貴重な聖魔法を使える聖女なのだ。どんな優秀な魔法使いでも聖魔法だけは使えない。だから国はルーズベルト公爵家ではなく、聖魔法を使えるヒロインを選ぶのだ。だから実際に罪を犯したのはアリステラであってもルーズベルト公爵家も厳しい処分を受けることになったのだ。
これが小説『聖なる花の咲く頃に』の大まかなストーリーである。
そして私はアリステラ・ルーズベルト。小説に登場する悪役令嬢に転生してしまったのだ。
他に分かったことは私の今の年齢は五歳だということ。五歳というとジルバート王子と出会う年齢であるのだが、どうやら私は王宮で開かれたお茶会に参加していないそうだ。いや、できなかったと言うのが正しいだろう。お茶会当日に階段から落ちて怪我をして参加できず、そして目が覚めたら私がアリステラとなっていたからだ。なのでアリステラはジルバート王子に出会っていない。
それとどうやら私は転生する前のアリステラの記憶を失った代わりに魔力が宿ったようだ。あの身体の中の熱は魔力だったらしく、あの後魔力測定器なるもので測定してみると、とてつもない数値を叩き出した。だけど今まで魔力がなかった身体に突如として大量の魔力が宿ったことにより順応することができず、あのような状態になってしまったそうだ。今は大量の魔力を魔石に吸いだしたことにより落ち着いている。そして体調が落ち着き次第魔法の訓練を始めることになった。
私はお父様の話を聞いて決めたことがある。
『聖なる花の咲く頃に』は好きだったが、私は悪役令嬢になんかなりたくない。それにこうして死ぬ間際に願った健康な身体を手に入れ、魔法まで使えることが分かった。さらには不幸中の幸いとでも言うのか、怪我のおかげでジルバート王子とは出会っていない。恋愛に興味がないといえば嘘になるが、ヒロインと結ばれるジルバート王子には興味はない。それに今は恋愛より魔法を使いたくてうずうずしている。
前世では魔法が使えたらあんなことやこんなことがしたい!とよくベッドの上で考えていたものだ。それがもしかしたら実現できるかもしれないのだ。そんなワクワクとヒロインと結ばれる王子など比べるまでもない。だから私は決めたのだ。
「私、魔法使いになりたい!」
と。
◇◇◇
あれから月日は流れ十年が経つ。
私は十五歳となり、この度王立学園に入学することになった。家族は別に学園に行く必要はないと言ってくれたのだが、私は前世でほとんど学校に通えなかったので、世界は違うが学園生活を経験したいと思い入学することに決めた。
王立学園の入学は小説の本編の始まりでもあるが心配はしていない。そもそもいまだにジルバート王子と顔を合わせたことがないのだ。
しかしジルバート王子にはいまだに婚約者がいない。もしかしたら小説でよくある『強制力』があるのではと考えたが、私の今の実力ならそれすらもはね除けられる自信がある。
私はこの十年でお荷物令嬢という不名誉な呼び名を消し去ってみせた。今の私は『歴代最強の魔法使い』と呼ばれるほどになったのだ。これも前世で魔法が使えたらな~と色々想像していたおかげである。
この世界の魔法で大切なのは魔力量と想像力だ。私の魔力量は多いし、想像力に関しては先ほど言ったとおりだ。だから私はほぼ自由自在に魔法を使うことができる。もし学園で何か不測の事態が起きても対処することは可能だろう。
それよりもせっかくの学園生活だ。前世で作ることのできなかった友達ができたら嬉しい。でも恋はまだいいかなとも思っている。私は家族が大好きだから、お父様やお母様から早く結婚しなさいと言われるまでは家に居続けるつもりだ。それにお兄様も私をとても可愛がってくれている。お兄様の婚約者との仲も良好だ。だから私は前世でできなかった親孝行するために、まだまだ家にいる予定である。
私は王立学園の門の前に立った。
学園生活に心が躍る。
「今日から新しい生活!うんと楽しまないとね!」
そうして私は学園という新たな場所へと足を踏み出したのだった。