マレの事情
「留学って年単位だったよね? 長期休暇?」
海外の学校は入学式が九月だったり、単位制だったり、六年・二年・四年制だったり、日本とは色々と違う。
ましてバレエの学校となったらわたしの理解している学校制度とは全然違うのかもしれない。
「実はさ、軽く怪我しちゃってしばらくレッスンできないんだよね。もう痛みは無いし、日常生活は問題ないんだけど、やっぱり本場のプロ養成学校はそういう意味でも厳しくて」
え、全然知らなかった。大丈夫なの?
軽くって言ってるし、過剰な心配は必要ないのだろうけど……痛みは無く日常生活にも支障のない怪我ということだから、大した怪我ではないけど、身体を酷使し、且つシビアな精度が求められるプロやプロを目指すようなレベルのダンサーにとってはケアが必要ということなのだろう。怪我は癖になると良くないって言うし。
平気そうに振舞うマレの様子を見て、わたしも安心した。
でも、それはわたしの価値観か。日常に影響がなければ軽い、というのは。
技術の粋を極めようとしているひとたちからすれば、日常を失うことよりもパフォーマンスが落ちることの方が忌諱すべきことなのかもしれない。
まして、選手生命が絶たれるような事態なんてなろうものなら、その絶望感や喪失感はわたしに想像することなんて不可能だ。
「バレエ学校って言っても、それだけやってるわけじゃなくて、普通の学校と同じカリキュラムもあるんだよ」
当たり前だけどね、とマレは笑った。
「それに、見学したり、指導者に話を聴いたり、演目の理解を深めたり。フランス語だって現地にいた方が身に付くし、レッスンできなくてもやれることはたくさんあるんだけど」
ちょっと、しんどくなっちゃって、と。マレはあまり見たことの無い寂しそうな笑顔で笑った。
「ほとんどの留学生は親元離れてひとりで来てるんだよ。親が子どもの留学に合わせて仕事の場所を変えるなんて異常だとわたしも思う。そんな人たぶんいない。だから、わたしの環境は格別に恵まれてるってこと。それなのにこんなの、甘ったれてるって、充分にわかってるんだけど……」
そんなことない。なんて安易に言えるほどその世界のことも、マレのことも理解しているわけではない。
それでも、マレが今、そうしたい、そうする必要があると思ったのなら、それは優先順位を高くして良いのではないだろうか。それすら許されない世界なら許容量が低すぎる。もしそんな世界なら、適者が少なすぎて衰退の一途を辿るのだと思う。
「お父さんとお母さん独占しておいて、勝手に帰ってきて、今度はのんの居場所土足で踏み荒らして、申し訳ないと思うよ……」
こと、わたしに関しての内容になら明快に言える。
「わたしはお父さんやお母さん奪われたなんて思ってないし、色々状況あって無神経なこと言って申し訳ないけど、マレが家にいて、こうやって話せること自体はわたしは嬉しいと思ってる!」
少し療養が必要なら。
いっそ頭からもすっかりバレエを抜いて、リフレッシュする、なんて瞬間もあっても良いのでは?
苛烈な世界に身を置いていないわたしの呑気な発想かもしれないけれど、それが再起のための再構築を少しでも容易にするデフラグの役割を果たせたら良いと思った。
のんは相変わらずだなぁとマレが笑っている。




