蕎麦語り
いのりちゃんが思いの外蕎麦の味わい方の深淵に到達しているようで、少し嬉しく、少し誇らしかった。
そう、おそらく世の中的にそんなイメージは持たれているだろうが、事実、蕎麦の奥は深い。
麺のありのままが問われるのだから、それも当然と言える。
麵料理はその形状の性質上もつれあっているものだが、箸でひとつまみすれば、つまんだ数本のみが束の中からすっと抜き取れ、腕を目一杯延ばさなくては器から離れないほどの長い麵は途切れたりはしない。太さが揃っていて麺の角がきちんと立っているのは、職人の包丁の技術によるものだし、それが見た目の美しさや取りやすさだけでなく、茹で加減という味に直結する要素にも影響が出る。
素材の良さを損なわせない技術によって打たれた蕎麦は、つやのある深い色合いをしている。美味しく在れるよう技術によって仕上げられた創作物は、見た目にも美しい。工業製品などと同じく、高い技術による生産物には「機能美」が宿るのだと思う。
蕎麦粉は顕微鏡で見ればスポンジのような空きがある。その細かい空きにしっかりと水分を含ませた生地は、長時間茹でることができる。しっかりと茹で上げられた蕎麦にはでんぷんの甘みがたんぱく質の旨みに乗り味わい深くなるのだ。また、固形物として安定しているため、伸びにくく水が切れやすい。蕎麦の劣化が起こりにくく盛り付けしやすくなるという特徴も付与される。
味わい深くなるよう仕込み、打たれ、切られ、茹でられた蕎麦は、結果として「長くて切れず」「数本つまんで抜きやすく」「面の密度と重量感が程よくあり」「見た目に美しく」「盛り付けがしやすく」「のど越しが良くなる」のだ。
美味しいを追求した結果の、完成された蕎麦が、結果として見た目やコシの強さといった特徴にも繋がってくる。
料理は化学と物理学だが、正しい知識と理解があっても、理論を物理の世界で実現させる智慧と工夫と技術が必要になる。
創業者が実地と経験で築き上げた業をおじいちゃんは受け継ぎ、磨き、追究し、展開している。そんな蕎麦だから、おばあちゃんは心底ほれ込み、多くのひとに食べてもらいたいと広めているのだ。
「良いものは広まるものだけど、良いものが必ずしも自然に広まってくれるとは限らないよね。良いものであることに胡坐をかいて、広まる努力を怠ったために滅びてしまうものもあると思う。そういう意味では、より善く在ろうとするおじいちゃんと、善いものを広めるおばあちゃんって、理想のパートナーなんだね」
いけない。ついつい語りすぎてしまった。めがみちゃんがたくさん頼んだファミレス料理を目の前にしながらも「あー、お蕎麦食べたくなっちゃった!」なんて言っているのを見ると、わたしにはおじいちゃんのような職人としての技術は無いけど、おばあちゃんみたいにお蕎麦の魅力を広める側の力はあるのかもしれないなんて思った。
「でも、覚えててもらって嬉しい」
覚えてなかっためがみちゃんへの嫌みみたいにならないよう、「あんな昔で、しかも一瞬しか関わっていないのに」と、覚えていなくて当然であることを加えておく。わたしだってめがみちゃんの名前のお陰で思い出しただけで、覚えていたわけでは無かったのだし。
「私も覚えててもらって、会いたいって言ってもらって嬉しかったよー。また遊びたいねぇ」
わ、嬉しい。いのりちゃんの場合、社交辞令じゃないっぽいところが嬉しい。




