【幕間】 祷の空白11
退院後は日常生活を送るには問題はない。
ただし二週間は飲酒や激しい運動は控えた方が良いと言われていたため、主治医の強い指示と治樹の念押しもあり、祷はサンバ及びそれに関わる活動への復帰は運動やアルコール解禁と同じタイミングを予定していた。
祷にとっては手痛い足踏み状態だった。
さすがに反省もあったため、活動再開と同時にフルスロットルで予定を詰め込むなんて真似は控えていたが、遅れを無理なく取り戻し、今必要な動きを十全に実施できる計画を立て、こなしていった祷。
そんな中、やおらチーム内に消費カロリーの高そうな案件が発生しつつあった。
『ソルエス』の発足時、キーマンとなる日系ブラジル人がいた。
『ソルエス』は駅を基点とした南北の商店街が中心となって発足した『エスコーラ』だ。
『エスコーラ』とは、簡単に言えばサンバチームのこと。
かつて、駅の南に伸びる『サンロード商店街』と、駅の北に伸びる『スターロード商店街』の商店街は、客を奪い合う関係性だった。
同じエリアに新駅開発の話が持ち上がり、新駅を中心としたショッピングモールなどの経済圏の計画が持ち上がるに際し、人の流れの変化への危機感を覚えた両商店街は、協調路線へと舵を切る。
その象徴として、両商店街総出で土日をフルに使う盛大な『サンスター祭り』を開催することにした。
お祭りの盛り上げ役として、両商店街から選出された七名の代表が、意見を出し合い、それぞれの商店街の太陽と星の名を冠すサンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』が立ち上がった。
パフォーマーの団体を立ち上げる主旨としては、お祭りを盛り上げられればなんでも良かった。
たまたま、商工会議所のメンバーの中に日系ブラジル人が経営する自動車整備工場があり、その伝手で経営者の息子がサンバの指導をしてくれるということになり、サンバならお祭りを盛り上げるのに適しているだろうとの順番で発足したという経緯を持つ。
その後、日系ブラジル人が経営する自動車整備工場は閉じることになり、指導をしてくれた経営者の息子の青年も母国ブラジルへと帰っていった。
主に発足当時の立ち上げメンバーを中心に、SNSでは緩やかに彼との関係は続いていた。
彼は現地での仕事が落ち着いたのか、数年ぶりに日本を訪れることになった。
彼の滞在期間中は、ダンサーも打楽器隊も指導を受けたり、浅草サンバカーニバルにメンバーとして出演してもらったりしていた。
彼を知らない新しいメンバーも、このタイミングで『ソルエス』創設時の指導者による技術とイズムの教示を得て、チームは一層強固なものになっていった。
以降、帰国した彼との交流は、これまでよりもやや活発になっていた。
今はブラジルにいる彼から、連絡が入ったと代表の治樹から伝えられた。




