おばあちゃんち
うちにとっての「おばあちゃんち」は、子や孫が言う呼び方というだけではなく、実態を伴った「おばあちゃんち」だ。
名義がどうとかそういう話ではない。家のコアがどうなのかって感じの話。
おじいちゃんは蕎麦職人で、今も現役でお店に立っている。それだけでなく、跡継ぎ候補の叔父さんの他、弟子が五人くらいいるし、近年は会社にするとか、フランチャイズがどうとか、そんな話が上がっているらしい。
自宅の近くで営業している蕎麦屋は先々代から続いているそうで、もう十年くらいすれば創業百年にもなる老舗と言える店舗ではあるが、駅からは離れていて、商店街からも少し外れているので決して立地が良いとは言えない。それでもわざわざ予約して食べに来てくれる人がいるくらい評価されている。
営業年数が長いと言うだけで、有名店というわけでもないのに足繁く通ってくれるお客様がいるのは、お店の力ではなくおじいちゃんの職人としての腕に依るものだと思う。実際、おじいちゃんの蕎麦はすごく美味しい。
立派なおじいちゃんだ。孫としても誇らしい。
腕が良く寡黙な職人だったおじいちゃんを、営業面でも経営面でも支えたのがおばあちゃんだった。
作務衣をびしっと着こなし、いつも背筋が伸びていて、ホテルマンみたいにきびきびと接客や給仕を切り盛りしていたおばあちゃんはとても格好良かった。
いくら味が良くても見つけにくいお店や行きにくいお店は、知られなければその味を試してもらうことすらできない。
創業時は駅もなく、選択肢も少なかった近隣の住人がお客様になってくれて、生活できれば良いといった感じで、その後も近隣の馴染みのお客様が来てくれればそれで充分といった営業スタイルだった。でも、おじいちゃんの代になると、人の流れは駅周辺の商店街に向かうようになっていた。多分そのまま流れに任せての営業をしていたら、どこかでお店を閉じる決断が必要になっていたかもしれない。
おばあちゃんは接客でお店の付加価値を上げた。評判という口コミによる広報で地に足のついた新規集客に繋げていった。
また、おばあちゃんは数字にも強く、コストを一円単位で割り出し、原価を常に見直して品質を落とさずに利益率を追求し続け、コンビニとかのPOSみたいな機能の無い昔ながらのレジを使っているのに、売上だの人件費だのの分析もしていたらしい。
最近では経営に特化するため店内の事務や運営は叔父さんの奥さんに任せ、店舗に立つこともほとんどなくなっていたが、フランチャイズの話なんかもまとめているのはおばあちゃんだ。
おじいちゃんもおばあちゃんのことは頼りにしていて、一職人として腕を揮い続けられるのもおばあちゃんのお陰だと言っている。
だから、うちに関しては、あの家はやっぱり「おばあちゃんち」なのだ。
このままおばあちゃんちに向かえば、お店に寄ることもできるが......。
昼のピークは過ぎているけど、きっとお店は未だ忙しい。店舗には寄らず家に向かう。