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序章 ひとつもない夢

 わたしには何も無かった。


 人が持つ、夢や目標や大志や大望や願望や、とにかくそういった類のものを、わたしは持っていなかった。

 それを残念に思う気持ちもない。欠乏しているとも思わないし、無いことに焦ったりもしない。


 親から「(のぞみ)」という名を与えられたわたしがなんの望みも持っていないなんて皮肉が効いているが、そもそも名前なんて単なる識別記号だ。意味なんて重要じゃないし、人生を決めることも導くこともない。どんな名前だって生き方は自分が決めるのだから。

 名前の音は気に入っている。それで充分。


 そして、わたしが決めた生き方は、無理に夢や目標なんて持つ必要はなく、日々を一生懸命生きたら良いというものだ。


 

 夢があるから偉いの?

 志を持っていれば立派なの?



 ご大層な夢を持っていてもなにも為せないより、語れるような志なんてなくても為すべきことを為していれば、それで良くない?


 もっといえば、夢があっても不幸せより、夢が無くても幸せの方が絶対良いでしょ。


 目標が無くても毎日楽しくて充実していたら、それはいい人生だと思うのだけど。



 進むことのみが正しいわけではないと思う。

 停まっていたって、どこにも向かっていなかったって、どこにも辿り着けなかったとしたって、今この場所が目指すに値する場所なら、進まなくったっていいわけじゃん。

 今この場所を、目指すに値する場所に変えられるなら、それか、目指すに値する場所だと思えるなら、既にゴールしてるってことになんない?



 なんでもかんでも「夢を持て」とか「志を抱け」とか「諦めなければ叶う」とかって、一見それっぽい価値観の押し付けになっちゃうんじゃないかな。


 夢にとらわれ過ぎて、やり直すことのできない人生を、取り返しのつかない状態にしてしまった人だってきっといる。



 夢でも目標でも、自分が見出し、自分の中から湧いたモチベーションで、自分の意思で追うも追わないも常に判断しながら挑める人、要はきちんと考えられる人なら目指しても良いと思う。

 そういう人なら、仮に人生のすべてを費やして尚及ばなかったとしても、きっと悔いなんて抱かない。


 でも、考えなしに言葉に踊らされた人は、後悔し、自分を、場合によってはだれかを、きっと恨む。



 戦時中、戦後、高度成長期、バブル期、バブル崩壊後、就職氷河期、ゆとり世代、Z世代……。

 時代時代の価値観によって掲げられるスローガンや人々に浸透する意識。


 内容によっては真逆みたいになっているものもあると思う。

 それはどちらかが間違っていたということではなくて、そのものに良い悪いがあるのではなく、その時代、その環境を生きる人が、どう捉えてどう考えてどう生きていくかを決めないとダメなんだと思う。

 言葉に振り回されるんじゃなくて、言葉を自分に取り入れて考える。

 世の中が口を揃える言葉に踊らされちゃダメなんだよ。



 なので!

 わたしには夢とか目標とかなにもないけど、全然構わないし、毎日楽しく生きるので何の問題もないのだ。

 誰が何を言おうとも。


 わたしの人生の評価は、わたしがするのだから。




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