一度はフラれた僕だけど、あなたともう一度付き合えるかな?
短編です
高校時代に出来なかった青春をもう一回出来たらな、と思い書きました
「ごめんなさい。もうあなたとは付き合えない」
「………へ?」
彼女と付き合ってわずか10日足らずに、僕はあっさりとフラれた。理由も言わずフラれたから、僕はせめてと彼女に理由を訊こうとする。そのせいか、去り際の彼女の言葉が今でも耳に残る。
「は? しつこいよ」
その時の彼女は嫌悪が入った蔑みの目で僕を見ていた。
◇◇◇
僕は霧島省悟。25歳。地元の役所に勤めて3年になるが、気になる相手もおらず未だ独身。
最近夢であの頃の思い出を頻繁に見るのは、これが家に届いてからだ。
城北高校同窓会の案内はがき。
僕が初めて彼女が出来、そしてあっさりフラれた高二の夏。あれ以来僕は恋人が出来ずにいる。
僕は布団へ横になりながら、ハガキの文字をジッと眺める。
母校の名前を見ていると高校時代のあんなことやこんなことを思い出す。そして目線を下に移すと出欠欄になる。
僕は思わずドキッとした。
彼女もこのハガキが届いてるんだろうな…。
苦い思い出。彼女の蔑みの目。今でも思い出すと落ち込む。
出席するか悩む。出席をしたらあの子に会うことになる。
会いたくない、会いたくない。でも………、
「あの子は今どうしてるんだろ?」
気づけば僕はハガキをポストに投函していた。その日から僕は彼女のことばかり考えている。
高校卒業後、僕は地元から離れて都内の国立大学に行った。地元からは遠く、高校の同期はいなかった。
だから友達がどこの大学に行って、どこに就職したかなどまったく知らない。ましてやあの子がいま何をしてるかなど知るよしもなかった。
彼女も25歳だ。もう結婚してるかもしれない。そう思うと少し心が締め付けられるが、それ以上に僕はあの時の彼女の心の真意を知りたかった。
そしてあっという間の2ヶ月、市内のホテルで母校の同窓会が開かれた。僕は黒のスーツを着て、会場に向かう。心臓がバクバクと言っている。というかそもそも友達に会うこと自体に緊張した。
久しぶりにあって友達の顔が分かるだろうか?いや、そもそもちゃんと名前を言えるだ………。
「おい、お前霧島じゃないか!?」
見ると、久しぶりの友人達だった。スーツを着て大人の格好をしていたが、全然昔と変わっていなかった。
「上村、佐竹……?」
「そうだよ~。久しぶりだなー!!」
相変わらず髪の毛ツンツンの上村と、つり目で高身長の佐竹だった。
「お前まったく連絡よこさねーから、佐竹といつも心配してたんだぞー!?」
「そうだぞ。東京に行って東京もんに染まってしまったのかとばかり心配してた」
「お前、今どこにいるんだ? なんの仕事してるんだ!?」
二人は興味津々な目でこちらをじっと見る。答えるまでは逃がすまじといった目つきだったので、僕は今の現状を二人に話した。
「なんだよ~。実家に戻ってこっちで就職してるのかよー。お前それ早く言えよー」
「そうだぞ? そうすればそこまで変な想像しなくてすんだのに」
「いや、どうなってると思ったんだよ?」
「東京で大手に就職してるか、いやいや逆に闇バイトして危ない橋を渡りながら食い忍んでいるか」
「いや、なんでだよ!?」
久しぶりの親友たちと嬉々と雑談しながら、ホール内をキョロキョロする。しかし一向に彼女の姿が見えない。
「? どうした?」
「……え? いや、別に?」
「……?」
佐竹が察したのか上村にこそこそと、
「多分、今池さんのことじゃ……」
「……あ」
「!」
僕はその言葉が耳に入る。目を泳がす。二人は僕をじっと見てなにかを感じとったのか、
「おい、今回は今池さん来るか聞いてるか?」
「いや俺、幹事じゃねーから……」
と、二人が話す。地元にいる二人でも彼女のことは知らないらしい。少なくとも2年前の同窓会には来てなかったそうだ。
そう、そもそも彼女が同窓会に来る保障なんてどこにもなかったのだ。
僕はいったい何を期待してしまったんだろ!?
羞恥心とその淡い気持ちにめちゃめちゃ恥ずかしくなる。穴があれば、入りたい………。
とその時だった。
「ごめん、遅くなって」
一人の女性が髪を整えながら、はっきりした声で部屋にささっと入ってくる。
一瞬で分かった。彼女─今池怜だった。高校の時から変わらず綺麗………否、大人びてより一層綺麗になっていた。
高校の頃はショートだった彼女も今では背中まで伸びるロングヘアーで艶々とした綺麗な黒髪だ。目はぱったりとした二重で鼻筋は伸び、顔の造形は変わらずがしかし、化粧でより美しさを際立たせている。
ここのホールにいるほとんどの男達が彼女に見惚れていた。当然だろう。当時から彼女はクラスのアイドルだった。
同じクラスで同じ委員会で、ときどき話す地味な僕とよく付き合ってくれたと思う。
それはそれで不思議な話だし、逆にあのフラれ方も未だによく分からない。あそこまで嫌われることはしてないはずだし、いやそもそも10日足らずでお互いのことなんてほとんど分からなかった。
しかしあの侮蔑の目は本気でそう思ってる人の目だった。
いったい僕はなにをしてしまったんだろう?
そうして同窓会が始まり、色々と昔の友人達と会話をする。地元の企業に就職した友達、それにともなう会社の愚痴。他にも県外に就職したが、久しぶりに帰省した友人。結婚、恋人の有無。積もり積もった話題で色々と話が飛び交った。
男子とばかり話すやつもいれば、女子と仲良く話す奴らもいる。その又又聞きで今池怜のことが耳に入ってくる。
なにやら彼女─今池怜はいま名字が氷川になってるらしい。
初めそれを聞いてかなり動揺したが、どうやらご両親の離婚で母方の姓になっているそうだ。そして今は地元の大手企業の事務職をしているらしい。
恋人はいるのか、逆にまだいないのか頗る気になるが、さらに魅力的でより遠くになった存在に僕は声すらかけられなかった。
僕はただ彼女を眺めるだけだった。ため息まじりでビール片手に目線をしばらく料理に移した。
少しピリ辛の棒々鶏に、しっかりソースに絡んだカルボナーラ、ボラの煮付けとさまざまな和洋中の料理があり、食欲をそそられた。
そして遠くからなにやら目線を感じて見ると、彼女がこちらをじ~っと見ていた。
しかし僕と目が合うや否や、さっと目線を逸らした。僕はガ~ンとショックのあまり、なかば自暴自棄で料理を食べた。
食べるに疲れ、話に疲れた僕は気分転換にベランダに出でた。先には見事な海が見え、恋人同士だろうか二匹のカモメが気持ちよさそうに飛んでいた。
ふー。
ガチャと扉が開く音がした。
「あ……」
振り向くと、今池……否、氷川怜が驚いた表情で扉を開けて固まっていた。はっと我に戻ったからか、そそくさとホールに戻ろうとする。僕は考えるより先に言葉が出る。
「少し……話さな……話しません……か?」
「……」
僕とは少し距離を取りながら、静かにベランダに来る。しばらく僕たちは黙ったままだ。
「あの……さ」
「あの時はごめんなさい!」
突然、彼女が頭を下げた。いきなりのことで僕はあっけにとられる。
「あの頃ウチの中はかなりゴタゴタしててさ、彼氏と付き合う余裕なんてもう無くなってたのよ」
「……」
「だからいきなりだったけど、あなたとは別れてもらったの……」
なるほど。確かに家庭内で異変が起きたのなら、恋人とゆったりする暇なぞないのはよく分かる。
が、しかしだからといって僕にあそこまで侮蔑の目を向けることがあるだろうか?
僕にはまだ疑問が残る。しかし心にあった昔年の重しが消えたのか、彼女の顔はいくらか晴れやかになった。
あれからどうしたのか、どこの大学に行って今はなにをしてるのかと彼女は色々と僕に訊いた。
モヤッとしたものはありながらも彼女との会話は楽しくて、高校卒業から今に至るまでの話を事細かに言った。
「えー? H大行って、いま県で働いているの!? 凄……」
「いや、別に凄くはないさ……。ただひたすら勉強だけしてたんだから」
そう、より魅力的な男性になるために。………否、そんな綺麗な理由だけではない。彼女に見返してやろうという気持ちもどこかにはあった……。
「じゃあ、いま恋人はいないの?」
「うん……まあ、ね。彼女になったのは後にも先にも君だけだし」
彼女はギョッとした顔をする。
「な、なんで? 良い人いなかった?」
「……」
良い人というか……気づけば、いないまま来たという感じに近いかな…?
すると見る見る彼女の眉が下がっていく。
「……私が変なフリ方したから?」
「あ……いや! そういう訳……では………」
僕は即座に否定をしようとしたが、やはりどこかでそう思ってるんだろう。強く否定できなかった。
「……」
彼女は口をへの字してしばし考える。
「………私の両親が離婚したのは…聞いた?」
僕はこくんと静かに頷く。
「実は……うちの父、パパ活してたの」
「!?」
そのことが発覚したのはどうやら付き合い始めて3日後のことだったらしい。父親は父親で開き直って、母親をけなしたり、家に帰る頻度も減っていたらしい。
「それからしばらくの間、男の人が信じられなくなってしまって……」
それからの今池家は大変だった。親権だの離婚だの慰謝料だのと色々な裁判を執り行ったそうだ。
それのせいで3歳下の妹は2年間引きこもっていたらしい。
高校卒業後は大学に行かず、色んな会社の事務職に勤めていたそうだ。
それで僕も積年の疑問だったあの時の真意がようやく分かった気がする。
「あの頃はその……私もどうかしてたの………」
「いや、それはそうだよ。一番信頼している親に裏切られたんだ。僕も母親がそうなっだったなら、かなりの傷になっていたさ」
「霧島くん……」
彼女は少しだけ涙が溢れている。
「けど不思議ねえ……。こんな話、今まで誰にも話したことがなかったのに……」
僕はその言葉にドキッとした。
まだ僕に好意が残っていて、もしも……もしももう一度彼女と付き合えることが出来るのなら、僕は………、
「あー。なんか話してスッキリした~。外も涼しくなってきたし、そろそろホールに戻ろっか」
「あ、ちょっと待って……」
僕はバッと彼女の腕を掴む。
「い……氷川さんが嫌じゃないのなら、僕ともう一回付き合う………」
彼女は怪訝で少し険しい表情になる。
「ちょっと離して……!」
ばっと僕の手を払いのける。
え………?
「男の人なんて碌でもない人たちばかりだから、私は付き合わないわよ!」
そう言ってさっさとホールの中へ消えていった。
◇◇◇
僕はしばらく仕事が上の空だった。仕事しようにも彼女の最後の言葉で頭が真っ白になる。
「霧島先輩大丈夫ですか?」
心配そうに言う後輩・山瀬美奈が資料を持って、僕の近くで立っていた。
「山瀬君……」
「すごいぼ~としてますけど」
「は、ごめんごめん!市内の県道修理の資料だね」
「いえ、北山町の橋の老朽化に対する修復資料です」
「………」
「昨日から変ですよ? 一昨日なにかありました?」
「え? いや……?」
「そ……うですか……。でも気をつけてください」
「?」
「課長が渋い顔になっていますので」
「おっ、あ、ありがとう……」
そして彼女のことを忘れて、しばらく仕事にまい進した。
それから数日が経つ。気持ちも少しはましになり、いまや仕事一筋人間となっている。
17:15のチャイムがなる。今日は珍しく残業がなく、同僚たちも談笑している。僕が帰ろうとすると、山瀬君が僕に声をかける。
「先輩。皆さんと話してたのですが、この後1杯どうです?」
彼女は嬉しそうに手首をクイッとする。どうやら今からみんなと吞みに行くらしい。
僕は申し訳ないと断って、そそくさと帰路についた。
自分の部屋に入り、ひとりビールを飲む。
─男の人なんて碌でもない人たちばかりだから、私は付き合わないわよ─
あれは、まだどこか男性を毛嫌いしている様子だった。他にも男に対して嫌なことがあったのかもしれない。
「はあ、1%も望みはないのかな……?」
それから数日経った日のこと。僕は定時に仕事を終え、玄関ホールから出て行くと、ベージュのコートを着た一人の女性が立っていた。
「い……氷川さん?」
コクンと彼女は頷く。
「ど、どうし……」
「少し一緒に歩きませんか?」
そう言われて僕は彼女と一緒に近くの喫茶店まで無言で歩く。そして二人で喫茶店に入って、メニューを注文していた。
お互いまだ喋らない。目はときどき会うが遠慮……というか、お互いの探り探りをしている。
しかしこのままじゃ埒があかないし、せっかくまた彼女に会えたのに会えなくなるのは嫌だから、僕から話をする。
「ここはね、入庁してから僕がよく行く店なんだ」
「!」
「仕事でヘマして落ち込んだ時に先輩によく連れられて来てたんだ」
「……」
「今は逆にこの雰囲気が好きで一人で来る。クラシックな雰囲気で落ち着くし、ここ結構老舗なんだ。もう70年になるとかかな」
「へえ……」
興味が湧いたのか、彼女は店の中をきょろきょろと見る。
「まんがも充実しててさ、何時間もここにいてしまう」
「ふふ」
「居心地良すぎて、まんがばかり読んでてさ、気づけば大遅刻やらかして。上司に大目玉くらったよ」
「も~、何してるのー?」
彼女は嬉しそうに笑う。せめて僕といる時は男性嫌いを忘れてほしい。
そう僕が仕事での失敗談を話していると、彼女が神妙な顔をした。
「あれから、ずっとあなたの最後の言葉がよぎるの。だから少し考えてみた」
「……」
「やっぱり嬉しかった……んだと思う。まだ私のこと好きなんだって。私もこうしてあなたに会いに行ってるし」
「じゃ、じゃあさ……」
「けどごめんなさい。やっぱり付き合えない」
「……」
「あなたも気づいていると思うけど、やっぱりまだ男性不信がある」
「……」
「あの時は多分どこか贖罪の気持ちがあったのよ。だから自分の暗い話も話せたんだと思う」
僕は何も言わなかった。ただただ彼女の話を聞く。もう僕にはそれぐらいしか出来なかった。
「……だから、その……あなたはあなたで新しい恋人と明るい未来を作ってください」
そう言って彼女はさっと立ち上がり、机の上にあった領収書を持ってレジへ行く。僕は立ち上がって、振り向いて浮かばない言葉を精一杯振り絞った。
「その……待ってるから! 何カ月でも、何年でも、ここでまた君とコーヒーを飲めることを……!」
「……」
彼女はこっちに目を見開きながら、ゆっくりこの喫茶店から出て行った。
それから僕は仕事終わり必ずここに来るようになる。来るあてもない相手とまた会うために。
「雪ですねえ」
マスターが声をかけてくれる。
「うん。そうだね」
「いつも来て下さるのでサービスです」
ことっ、とコロンビアコーヒーを1杯くれる。
「ありがとうマスター」
「また寒い季節が来ますねえ」
「うん……」
そうして春を迎え、気づけば緑が生い茂る蝉の鳴く夏にさしかかろうとしていた。
僕は相変わらずここの喫茶店に来ている。
「……」
「あー、また先輩来てるー」
振り向くと山瀬君だった。
「あれ山瀬くんだけ? 他のみんなは?」
「みんな飲み会に行きましたよー?」
そして彼女は向かいの椅子にボスンと座る。
「最近、ここに毎日来てるって課の中で結構有名ですよ~」
「そうか。まあ事実だから仕方ない」
「飲み会も毎回断るし、つれないですよ!」
少し機嫌が悪い。というか、
「少し吞んでる?」
「吞んでは……!……吞んでます……」
やはり……。やたらグイグイ来ると思った。
「それぐらいしないと、ここに来れません……」
「ん?」
「私には見当がついてるんです! 誰かを待ってるんでしょ!」
「……!」
「図星ですねえ。しかもかなり好きな人だ!」
「………」
僕は口をへの字にして、それ以上は言わなかった。彼女は机の上に倒れる。
「やっぱりそうなんだ~。いいなあ、先輩に好いてもらえてー」
彼女にしては珍しくグズグズ言っている。
「どんな方なんですか?」
「曲がったことが大嫌いな、真っ直ぐな人かな」
「へ~」
そう言いながら彼女はオムライスを注文した。
「え? しばらくいるの?」
「はい、腹が減っては戦が出来ませんので」
「?」
そしてオムライスが来て、彼女は一言も会話せず、がむしゃらに食べる。あっという間に完食する。
「ご馳走さまでした」
そしてまっすぐこっちを向いたと思ったら真剣な目で、
「私は先輩のことが好きです」
「え……!?」
「教育係の時から好きでした。仕事が出来て優しい先輩のことが大好きです!」
「でも……僕は………」
「分かってます。だから先輩が私のことを好きになるまで離れませんから!」
そしたら彼女が僕の隣に来て僕の腕に抱きつく。
「お、おい! 離れろよ!」
「ヤです!」
「もしあの子が来たらどう言ったらいい………」
その時バタンと大きな音がする。顔面蒼白で氷川さんが鞄を落として立っていた。
「氷川さ………」
彼女はさっとここから走って出て行く。
僕は後輩をぐいっとのけて、急いで彼女の元に走る。追いついた時には彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「嘘つき! 嘘つき、嘘つき、嘘つき!」
彼女は子どものように泣きじゃくる。あの状況を見られてはどう説明したら納得してくれるだろうか。
僕は途方にくれる。
そしたら後ろから山瀬君が来る。
「先輩。先輩の待ち人はもしかしてこの女性ですか?」
僕はコクンと頷く。
彼女はふ~んと言って、氷川さんに近づく。そしてしゃがんで氷川さんに面と向かって、
「あなたみないなヤンデレ、さっさと先輩のそばから消えればいい」
「山瀬く……!」
彼女はピッと手を伸ばし、僕を静止させる。
「過去に何があったかは知りません。知りたくもない。でもね、先輩はあなたを想って、毎日ここの喫茶店であなたを待ってたんです。で、あなたのその体たらくは何ですか? 先輩が他の女といただけでそのような醜態を。先輩を好きな一人として私は情けなくなりました」
「……」
「あなたみたいな女を好きにいる先輩が不憫でなりません。先輩があなたを好きであることを良い事にあなたは先輩に甘えきってます!」
「……」
「それでも変わらないのなら、私が絶対に先輩を取ります! あなたといて先輩が幸せになるとは到底私には思えない!」
しばらく互いの顔をじ~と見た後、氷川さんはすくっと立ち、山瀬君をきっと睨み、僕をじっと見て無言でこのまま去って行った。
それからまたしばらくこの喫茶店に彼女は来なかった。時折、山瀬君が来るぐらいだ。
いつもニコニコして対面に座っている。好意を向けてくれるのは嬉しいが、どうしたものかと僕は眉を下げる。
そして閉店になり、僕たちは外に出る。
「はあ~、今日も来ませんでしたね~」
「ん? まあ……ね」
「そろそろ私に乗り換えませんか?」
「やだね。音を上げるにはまだ早い」
「むー」
そしたら目の前から黒のスーツを着たショートヘアーの女性がこちらに走ってきて、
「!?」
「氷川さん!?」
息を切らしながら、ドアの前に来る。
「また二人で喫茶店?」
彼女がキッと僕たちを睨む。僕は苦笑い。
「まだ二人は付き合ってない……?」
彼女はまっすぐ僕を見る。真剣な表情にどこか不安が見え隠れする。
「うん。僕はまだ独り身だ」
「じゃ、じゃあ………」
「いや、僕から言わせてくれ」
僕は彼女の手を優しく持って、
「前から君のことが好きでした。僕ももう一度付き合ってください」
「ふふ、前とおんなじ言葉なんだから」
彼女は一筋の涙を流す。
「はい、こちらこそ宜しくお願いします」
僕たちはあの頃のことを思い出し、あははっと笑いあった。そしたら隣がブスッとした顔で、
「あ~あ、こんなの公開処刑ですよ。こんなフラれ方されたの始めてです~」
「あ、いやごめん、山瀬くん! そんなつもりは……」
そして山瀬くんはふふっと微笑みながら氷川さんに近づき、
「でも油断して足元すくわれないようにして下さいね。気を抜いたら私が先輩を取りますから」
「……ん。ご忠告ありがとう。じゃあ私からもひとつあなたに教えてあげるわ」
「なんですか?」
「彼、昔からショートヘアーが好きみたい」
◇◇◇
いま僕たちは彼女の実家の近くのマンションで同棲を始めた。あの時行けなかった大学に行くため、僕が仕事が終わってから、彼女に勉強を教えることになる。
ここ最近彼女はずっとショートヘアーだ。ロングはロングで大人っぽくて良かったのに、どうしたんだろう?
数学の勉強をしながら、さりげなく訊いてみた。
「最近ショートヘアーにしているね」
「ん? まあ、そうね」
「もうロングにはしないの?」
「うん、しばらくは……ね?」
「へえ。ロングはロングでとても綺麗かったと思ったけど」
んーっと考えながら、顔をポリポリして恥ずかしそうに、
「またあの頃みたいにあなたと過ごしたくて」