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殿下、あれは出来心はあってもあくまでも窮地を脱するためです

作者: kisa



 フェリシアは目の前の男の胸倉を掴むと、思いきり引き寄せた。

 

 辺りを警戒していた男は、突然のその行動にされるがままだった。

 フラリと彼女に向かって傾く。

 


 二人の視線が交わった。

 


 男の目は驚愕からゆっくりと見開かれていった。

 そして、何か言葉を発しようとしたようだったが、彼女が口角を上げると、ハッと息をのんだ。


 

 フェリシアは男に噛みつくようにキスをした。




***




「フェリシア様、陛下よりお花が届いております」

 

 窓辺でゆっくりとアフタヌーンを楽しんでいた彼女は、従者のその言葉に片眉を上げた。

 

「……そう。何の花?」

「ラベンダーでございます」

「ラベンダーねぇ……」


 ラベンダーの花束が届いたということは、彼女の伯母でもある女王陛下からの仕事の依頼である。

 花言葉は――期待。

 随分と重い花束だった。


 プレゼントは丁寧に生けられると、目の前のテーブルに置かれた。

 彼女はそれをじっと見つめる。



 

 不意に、外から暖かい風が吹き込んで来た。

 ふわりと彼女の黄金色の髪が舞い、ラベンダーが小さく音を立てる。落ち着くような優しい香りが辺りに広がった。

 

 しかし、そんな安寧を誘う光景とは裏腹に、彼女の胸の鼓動は激しくなっていく。

 期待、緊張、不安――。

 たくさんの感情が入り交じって、指先が軽く震えた。


 

 フェリシアは自身を落ち着かせるように、細長い息を吐いた。


(とうとうこの国に来たのね……)

 

 そして、そっと目を閉じると、これまでのことを振り返った。





 彼女の名前は、フェリシア・マクレガン。

 亜麻色に輝く髪を腰まで垂らした、美しい女性である。瞳の色は鮮やかな薄紅で、彼女の流し目に射貫かれた男性の数は両手を合わせても足らない。その肉づきのよい体も、世の男性たちを虜にしている。

 一言で表すなら「妖艶」――フェリシア・マクレガンとは、そういう色っぽい女だった。


 また、彼女には「現・マクレガン公爵」という肩書きもあった。

 美貌だけでなく、強大な権力も持ち合わせているのだ。


 

 マクレガン公爵家の歴史は浅い。

 先代の王子だった父が降下する際、与えられた爵位である。

 その父はフェリシアが成人して早々、爵位を彼女に譲り渡した。そして現在は、自分の仕事は終わったとばかりに夫婦で国内を旅行して回っている。たまに帰ってきては大量のお土産と惚気話をプレゼントしていくので、彼女は辟易していた。


 

 公爵家の仕事は、王都からそう遠くないところにある領地の管理だ。

 しかし、それは表向きにすぎない。

 実態は、女王直属の特殊組織だった。

 潜入・偵察・情報収集等々、秘密裏にこなしている。女王は公爵家のことを「私の可愛い番犬ちゃん」とよく揶揄するが、正にその通りだった。



 

 さて、そんな特殊な家に生まれた彼女だが、実のところ、彼女自身もまた特殊な存在だった。

 

 前世の記憶を持っているのである。


 輪廻転生という言葉通りに、彼女は一度死に、そして新たにフェリシア・マクレガンとして生まれ変わった。

 その際に、何の因果か、前世の記憶を引き継いできてしまったのだ。

 記憶はおよそ三年かけてゆっくりと彼女に浸透していった。そのおかげで、彼女は三歳児にしてはすこぶる達観した子どもとなってしまったのだった。

 ちなみに、これが前公爵がさっさと爵位を引き渡した要因の一つでもある。


 

 前世の記憶は彼女にとって人生の教訓書のようなもので、かなり役立った。

 なぜなら、前世の彼女は、酸いも甘いも経験したアラサーOLだったからである。

 おかげで、幼いながらに自分の立ち位置をよく理解し、それに見合うような振る舞いを行った。幅広い交遊関係を築き上げるが、その一方、人との距離感も程よく保つ。社交界を渡り歩くにはそれが一番だった。

 もちろん、勉学や教養にも励んだ。残念ながら特別天才とまではいかなかったが、それなりの知識を身につけることができた。公爵家を率いる身としては十分の素養である。

 

 結果、フェリシアは求婚書が何通も届くような女性へと成長した。

 そうすることが一番自身にとって得策だと考えていたからだが、彼女は上手い具合に事が進んでニヤリとほくそ笑んだ。


 

 彼女は自身の容姿もすこぶる気に入っていた。

 だからこそ、その美貌に合うような素晴らしい中身を身につけようと努力したのだった。


 

 彼女は確信していた。

 

 これなら、最高のハッピーエンドを手に入れることができる――と。



 

 

 しかし、そんな順風満帆な人生が脅かされる可能性があった。

 

 それは、この世界が前世で遊んだ、とある乙女ゲームの世界であることが原因だった。


 





「お世話になります」


 そう言って深く頭を下げる少女に、フェリシアは「任せてちょうだい」とにこりと微笑んだ。

 目が合った少女は薄く頬を染め、小走りでお仲間たちの方へと戻って行く。

 フェリシアがその背を眺めていると、お仲間たちの一人と視線が交わった。そこで、再び彼女は微笑む。大袈裟に肩を揺らすその姿に、少しだけ気持ちがざわめいた。


 

 少女は特別な女の子だった。

 この“物語”の主人公だ。



 

「フェリシア様、いかがなさいましたか」


 そう言って現れたのは、彼女の従者のルディだった。

 

 ルディは彼女が幼い頃、父親がどこからか連れてきた孤児だった。そのため、正確な年齢は分からない。

 父親は愛娘の手駒にするために彼を用意したようだった。そして期待通り、彼は従者としても、公爵家の一員としても、十分な働きを見せている。


 また、ルディは容姿が良かった。それも、公爵令嬢の側に置くのにふさわしいと判断された理由だった。

 

 キラキラと太陽の光を反射する銀髪、透き通るようなブルーグレーの瞳、すっと通った鼻筋、薄い唇。細身のようでいて服の隙間から見える、しっかりとついた筋肉。

 襟足の長い髪がさらりと揺れる様は、とても美しかった。しなやかな動作も相まって、さながら銀狼のようだとフェリシアは思っていた。

 

 フェリシアと二人並んでいると、まるで美しい絵画のようだった。すれ違う人々は老若男女問わず、みなほうと恍惚の溜め息をもらす。

 二人は髪色と瞳の色がちょうど対のようだったので、彼女はそのカップル感も気に入っていた。

 そのため、二人そろって鏡前に並んでは、彼女は一人自己満足に浸ることを好んでいたのだが――。

 

 ある日、ふと気がついた。


 

 ――あれ、これ見たことある。


 

 そうして、彼女は新たに生まれたこの世界が、乙女ゲームの世界であることを理解したのだった。




 

 フェリシアとルディは、ヒロイン――主人公一行が旅の途中で出会ったモブキャラクターだった。

 

 主人公一行はヒロインと攻略対象者たちで構成されるグループだ。

 悪役を倒すため、世界各地に散らばる特別な宝物を集める旅に出ている。旅中、攻略対象者たちと距離を縮めつつ、宝物をすべて集め、悪役を倒し、最終的にお好みの攻略対象者と結ばれることができればハッピーエンドだ。魔法や魔獣等ファンタジー要素もありの、初心者でも取っつきやすいゲームだった。


 

 そのなかで、フェリシアはお色気やり手お姉さん枠で登場する。


 乙女ゲームでありがちの、綺麗なお姉さんがヒロインを可愛がるような、困った時には助けてくれるような――。

 そんな、“ヒロインは女性からも愛されてますよ”アピールに使われるような、モブキャラクターだった。




 ストーリーはこうだ。

 旅の途中、探し物の宝物がとある国のとある組織にあると噂を聞いた主人公一行。そこで、その国の女王陛下に助力を依頼し、フェリシアたちが駆り出され、全員で協力して宝物を手に入れるために奮闘する――。

 

 だからこそ、フェリシアはラベンダーで城に呼び出された。

 そして先ほど、一行と顔合わせを済ませ、家に帰ってきたところだった。



 

 決戦は今夜だ。

 ひとまず、組織が運営するカジノに情報収集として潜入することになった。スチルとしては、イケメン攻略対象者たちが正装でびしっと決めた姿を拝める。カジノで一儲けできるようなミニゲームもあった。

 

 ゲームとしてはまだ序盤なので、倒せないような強大な敵や恐ろしいトラップに遭遇することはない。恋とスリルのドキドキのため、ちょっぴり危ない目に合うくらいだ。




 

 

「フェリシア様」


 頬にルディの手が添えられ、彼女はハッと気がついた。

 随分と長い間思考の渦に飲まれていたようだった。自室に帰ってきてそのまま、立ち尽くしていた。


 見上げれば、眉を下げて心配そうにブルーグレーを揺らす彼が目に入った。

 そこで初めて自身の状態を察し、フェリシアは苦笑いした。



 緊張しているのだ。

 ゲームのフェリシア同様、うまく立ち回ることができるのか。

 

 無論、ただのモブキャラクターがストーリーに大きく作用することはない。ヘマをしたとしても、影響は微々たるものだろう。

 あくまでも彼女の立ち位置は助っ人だ。ストーリーを進めるのはメインキャラクターたちで、今回の場合、彼女は潜入のためにちょっとした後押し――カジノの招待状の手配――をすればいいだけだった。


 とはいえ、緊張するものは緊張する。

 正直言って、これまでこなしてきたどんな仕事よりも緊張していた。

 

 今回のイベントで人が死ぬことも、怪我をすることもない。

 なんなら、今夜は招待状を彼らに渡して一緒に潜入するだけで仕事は終わりだ。後は適当にカジノで遊んでいれば、彼らが勝手にストーリーを進めてくれる。

 

 それでも、とてつもない重役を押しつけられているようで心がざわざわした。

 筋書きが始めから決められているからだろうか。自身のミスでそこから逸脱してしまうことが恐ろしかった。

 



「……ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたものだから……」

「任務のことでしょうか」

「そうね。今回はお守りもあるし、気を引き締めないとね」

「……」

「ルディ?」


 フェリシアが首を傾げると、ルディは逡巡したのち、目を細めた。口をへの字に曲げて呟く。


「……今回は嫌な予感がします」

「そう?今回も大丈夫よ。何事もなく終わるわ」

 フェリシアがにこりと笑いかけると、ルディの眉間にシワが寄った。

「……いや……。……とにかく、気をつけてください。……私には貴女がすべてなのです」

「ええ、分かったわ」


 ルディはフェリシアを抱きしめると、彼女の頬にすり寄った。

 いつ頃からだろう。彼がそうやって触れる機会が増えていた。フェリシアも狼のような彼に求められることが嬉しかったので、特段それに対して注意することはなかった。彼が飽きるまで好きなようにさせていた。

 

 彼女は甘える彼の頭を撫でながら、約束の時間まで、ぼんやりと今夜の計画を思い浮かべていた。



 





 きらびやかなシャンデリアが辺りを照らす。ここは地下にひっそりと存在する空間なので、そのシャンデリアの明かりだけが光源だった。ただ、客たちの宝飾品やビジューが散りばめられたドレス、配られたワイングラス等がその光を四方に反射しているため、室内は暗いという印象はなかった。むしろ熱気も相まってギラギラとしている。

 

 壁と床は闘争心を煽るためか、真っ赤だった。効果があるのかどうか、人の入りは多い。

 程よくあちこちから歓声や嘆きの声が聞こえ、人々がかなり熱中している様子が窺えた。老若男女問わず、様々な人が訪れているようだ。


 

 

 フェリシアは空になったグラスをウェイターに渡すと、ふうと一息吐いた。

 既に何杯飲んだかは分からない。緊張を誤魔化したくて酒の力を借りたのだった。

 途中、ルディから非難めいた視線が飛んできたが、小言を貰う前に仕事を与えて追いやったため、回避した。おかげで彼女は悠々と酒を楽しんでいた。



 

 結論から言うと、何の問題もなくカジノに潜入できた。

 攻略対象者たちの生スチルも堪能した。カジノもそれなりに楽しんだ。


 ということで、あと残すはシナリオ通り、“彼”と一緒にカジノ奥へ侵入し、退散するだけだった。



「そろそろ行きましょうか」

 

 そう言ってフェリシアは、彼――サイラス王子にしなだれかかる。

 慣れていないのかびくりと体を揺らす彼に、彼女はくすりと笑った。


 

 

 サイラスは、乙女ゲームの攻略対象の一人だ。

 暗めの赤髪に、黄金色の瞳を持った、かなりがっちりとした体格の男だった。ちなみに、ヒロインたちの国の第三王子である。

 

 顔の美醜は攻略対象という点より、特に説明する必要はないだろう。端的に言えば濃いめの美形だ。

 性格は生真面目で、清廉潔白という言葉がよく似合う。短く切りそろえられた髪は清潔感があって、とても彼らしかった。

 こういった場所とは対照的で浮くかと思いきや、王家としての風格か違和感はなかった。上下黒の高級スーツがやけに似合っていて、どちらかといえば威厳のある悪役のようだった。サングラスをかけたら確実にそれだ。


 

 さて――。

 

 彼が今、この場所にフェリシアと二人でいるということは、残念ながら今回は、ヒロインに選ばれなかったということだ。

 

 ここでのイベントは、二人一組になり、情報収集をすることである。

 ゲームではお目当ての攻略対象をペアに選択し、イベントを通して好感度を上げる仕様になっていた。

 

 余りもののフェリシアとサイラスは、シナリオ通りカジノ奥に侵入し、途中、情報をゲットしたというヒロインたちからの連絡を受け、カジノを後にすることとなる。

 ちなみにヒロインたち以外のペアは、ゲーム内では明かされない。

 

 フェリシアとしてはどうせヒロインたちが情報を見つけるのだから最後まで遊んでいたかったが、生真面目なサイラスがそれを一刀両断した。

 そのため、二人は立ち入り禁止スペースへと足を踏み入れたのだった。



 


 薄暗い廊下だった。

 カジノの騒音は聞こえない。

 そこを二人、周りに注意しながら進んでいく。

 

「殿下、そんなに距離をとられたらカップルに見えないでしょう?」

「……しかし」

「ほら、手を腰に回してください」

「!?」


 フェリシアはサイラスの手を引き寄せると、無理やり自身の腰に添えさせた。そんなことをしたのですぐに離れるかと思いきや、彼はなんだかんだ力を入れてくる。

 そっと彼の様子を窺えば、口を真一文字に引きしめながら顔を真っ赤にさせていた。どうやら嫌ではないらしい。


「ふふっ」


 フェリシアとしては面白いオモチャを手に入れた気分だった。もちろん、酒の力もある。意気揚々と体をサイラスに寄りかからせた。


 

 

 二人の足並みは潜入中にも関わらず、かなりのんびりとしたものだった。サイラスが自然と歩幅をそろえてくれている。こういったことには慣れていなさそうだが、そこはやはり王子教育の賜物だろうか。


「……その、ここでわざわざカップルのフリをする必要があるのか?」


 ペアが決まった際、フェリシアは彼にカップルを演じることを提案した。男女ペアの場合、その方が自然で怪しまれないからだ。

 

「えぇ、もちろんですわ。誰かに見つかった際、二人きりになれる場所を探して迷い込んだ……、と言い訳ができるでしょう?」

「なるほど……」

 

 そう言って素直に頷くサイラス。

 

(可愛い……)

 

 フェリシアはそれを目を細めて眺めると、口元を緩めた。

 彼女が口にした理由は嘘ではなかったが、本音は違う。

 ――サイラスで遊びたかった。

 ただ、それに尽きた。


 


 随分と奥まで来た。

 立ち入り禁止スペースは入口からずっとただの廊下が続いていた。分かれ道こそ数ヶ所あったが、扉らしきものは見当たらない。やはり、ここはハズレなのだろう。

 そう判断したフェリシアが戻りましょうと提案しかけた、その時――。


 

 ――カツン。


 

 向こうから足音が響いてきた。


 二人、顔を見合わせる。次いで辺りを見渡すが、ここはただの一本道でどこにも隠れる場所はなかった。用意していた「二人きりになれる場所を探して」の言い訳も、あまりに奥まで来てしまったため通じるか否か――。

 そもそも、フェリシアとしては、モブである自分がこんな危険な目に合うとは思っていなかった。そのため、安全策はその安い言い訳しか用意していなかったのだ。


(何とかしなければ……)


 彼女の頭は焦燥感でいっぱいになった。

 サイラスも逃げ場のないこの状況に、必死に頭を回転させている様子だった。


 

「……」


 

 と――、ここで焦りのあまり頭がおかしくなったのか、ふと、とあるお決まりの展開が降りてきた。


 それは、前世であれば、「ありえない」と笑って捨てていたようなものだった。

 だが、それと同時に彼女が「やってみたい」とも思っていたことだった。

 

 こういった潜入系の話でありがちの、アレ――。

 なぜだかそれが、ふっと、まるで天からの啓示であるかのように降ってきたのだった。


 

 フェリシアはサイラスを見た。


 

 そうして――。

 フェリシアは目の前の男――サイラスの胸倉を掴むと、思いきり引き寄せた。

 

 辺りを警戒していた彼は、突然のその行動にされるがままだった。

 フラリと彼女に向かって傾く。

 


 二人の視線が交わった。


 

 彼の目は驚愕からゆっくりと見開かれていった。

 そして、何か言葉を発しようとしたようだったが、彼女が口角を上げると、ハッと息をのんだ。


 

 フェリシアはサイラスに噛みつくようにキスをした。






 

 始め、サイラスは現状を理解しきれず、ぼうっとそれを受け入れていた。

 次第に自分たちが何をしているのかに気づくと、指先が震えた。体中を何か得体の知れないものが駆け巡り、くすぐったくなった。

 体は、まるで風邪を引いたかのように熱を帯びている。頭は大きな鍋で煮込まれているような感覚さえあった。

 ぼんやりとしているが、彼はこの感覚が嫌ではなかった。


(息ができない……)


 そう思ったのは彼だけではなかったようだ。彼女の拘束がゆるみ、二人の距離が離れた。


 しかし、離れたというのに彼の唇には未だ何かの感覚があった。

 じんじんと痺れるような感覚。それは、彼が初めて味わうものだった。

 恐る恐る指でなぞる。

 けれども、後に残ったのは指の感覚ではなく、先ほどまで触れていた彼女の柔らかい唇の感触だった。


 

 ――ゾクリとした。

 

 

 フェリシアは顔を俯け、肩で息をしている。

 サイラスは彼女の顔がどうしても見たくてたまらなかった。ただひたすらに彼女と視線が合うのを待った。


 

 そして、いざ再び彼女と視線が合った途端――。

 頭上から雷が落ちたかのような錯覚に陥った。



「……っ!!」

 


 一つの強い衝動に襲われた。



 それから彼は、半ば獣のように彼女の唇に噛みついたのだった。



 

 勢いよく腰を引き寄せ自身に密着させた。

 皮膚という皮膚すべてが彼女と触れ合いたいと思った。数センチほどの距離がもどかしかった。彼女のすべてを閉じ込めたいと思った。


 それは、彼女の濡れた瞳が扇情的だったからか――。

 赤く染まる頬が食欲をそそったからか――。

 肩を揺らすその姿に刺激されたか――。


 とにかく、彼は本能に従った。



 彼女が、欲しい――と。

 


 唇を重ねる度に甘い味が濃くなっていく。

 毎回擦れる互いの鼻が自身たちの距離を如実に表していて、胸が締めつけられる思いだった。そしてその擦れる感覚ですら愛おしい。

 必死に舌を絡ませれば、快感に体が打ち震えた。苦しそうにしながらも、自身に応える彼女を確認すれば、より感情が昂った。


 

 サイラスはただただ、本能に従った。


 何回口づけても足らない。

 何回口内を味わっても足らない。


 最初はままならなかった呼吸も、回数を重ねるごとに少しずつコツを掴み始めた。

 ただ、彼女はいつまで経ってもうまく呼吸ができないようだった。サイラスは彼女の様子を見ながら少しずつ呼吸させた。

 しかし、その待っている間がもどかしい。結局、彼女の唇を舐めたり、耳を舐めたり、時には首筋を舌で冒険して時間をやり過ごした。

 

 特に首筋から鎖骨まで下りた際の彼女の反応が可愛らしく、サイラスは心臓が潰れるかと思った。興奮した彼は、その勢いのまま、再び彼女の唇に噛みつき中を蹂躙した。


(……?)


 さすがに体力に限界が来たのか、唇を閉じて抵抗するフラフラのフェリシア。だが、そんな小さな抵抗はむしろ彼には逆効果だった。


(……可愛い)


 自然と彼の眦が下がる。

 その表情に彼女も察したのだろう。眉間にシワを寄せ溜息とともに力を緩めたので、彼は大きな尻尾を振って彼女の唇をべろんと舐めた。

 


 

 

 そんなこんなで、二人は、“盛り上がった酔っ払い迷惑カップル”として、窮地を脱することとなった。

 そして、その後も滞りなく事は進み、フェリシアのモブキャラクターとしての仕事は済んだのだった。




 

 

 それから一年後。

 のんびり暮らしていたフェリシアの元に、赤い薔薇の花束と共に、サイラスから求婚書が届いた。

 しかも――。


「貴女結婚する気ないでしょう?」


 と、女王がそれを承諾。

 もちろん、王族の結婚であるからして、女王が関わるのは当然だが……。


 

 おかげで、フェリシアとサイラスはあっという間に夫婦となった。


 

 

 なお、それを知ったルディが「……私との子を跡継ぎにすると言っていたのに……」と、静かに薔薇を握り潰していたとか。



 

 乙女ゲームは終わったが、彼女の人生はまだまだこれからが本番である。

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