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朝の不幸な襲撃者

「にゃっはっはっは! 観念するがい~!!」

 高らかに笑いながら前に現れる一つの影、それを目にして固まる一同。

 黒いフードを目深にかぶっているため顔は見えないが、声からしてきっと若い女性だろう。

 この唐突に現れた不審者への対応に二人の人間が困っている中、肩に乗っかっていた小さな竜は退屈そうに欠伸を一つしただけだった。


 * * * * *


 リオンは目を覚ますと起き上がりながら欠伸を一つ。

 寝るために解いていた、男性にしては長めな髪をうなじで一本に縛りなおして寝袋から完全に出る。

 夜明けの日差しが地平の彼方より顔を出した頃合い。

 すっかり夏の訪れた朝はカラッとした涼やかなものであるが、これからどんどんと暑くなることを考えると少しだけウンザリする。

「おう、おはようさん」

「おはようございます」

 起きてきた事に気がついた様子の老人が手を上げて挨拶した。

 彼の前にあるのは即席のかまどに乗せられた鍋。まだ火はつけられておらず、どうやら具材のあく抜きを行っているところのようである。旅路においては近くに川などの水源があるからこそできる贅沢な水の使い方だ。

 老人は口笛を吹きながらナイフで具材を切り分け、ぼとぼとと水の中に落としていく。

 まだしばらく時間が係りそうな雰囲気なのでリオンは自然により作られた緑に覆われる土手を降り、清流の流れる穏やかな川へと向かった。

 そして水を掬い顔に勢いよくぶちまけた。その程度の事ではあるが、ヒンヤリとした水を受けた事で眠気が吹っ飛び一気に覚醒するものだ。

 乾いた布で水滴を拭きつつ川面に映る自分の顔を見てみる。

 すっかり起きたと感じたのだが未だ眠そうに半開きの目、右は見慣れた翡翠色だが左は見慣れない赤色となっており、つまりは左右の瞳の色が違う。本来はこのような見た目ではなかったのだが、これを説明するには些か余白が足りないので割愛しよう。

 それと、村を出る前にだいぶん伸びてきた髪を切るべきだったと少し後悔する。

 なぜ、こんな平原のど真ん中にいるのかと言えば、端的に言えば追い出されたからだ。

 アーティファクト、異界の扉、火山の大噴火、謎の白い炎……とにかく色々とあって、現地に到着した冒険者ギルドの人員が精密な調査を行うために魔法協会へ応援を要請した。

 これを受けてかねてより報告内容に頭を抱えていたクリフが、遂に「お前がいるとややこしいことになるから、暫くどっか遠くに行っておけ!」と命令を下したのである。

 クリフはリオンの勤め先――今は休職中となっている――であるリベリオ魔法学院において、先達の教員に当たる高齢の女性である。もっとも、今は既にやめてしまっているが。

 そんな先輩からの無理難題を受け、村唯一の交易商であるへカルトの縁を頼り今に至る。

 リオンが土手をあがって戻ると、欠伸一つで赤々とした炎を吹き上げる小さな生き物が目に映る。老人はその火に怖気づく様子もなく、逆に利用しかまどに日を灯していた。

 老人はオーリアという名前で、へカルトに商売を教えた師匠に当たる人物らしい。

 そして小さな生き物、緋色の美しい鱗に覆われた翼をもつトカゲのような存在は言わずと知れたドラゴンである。本来はもっと大きな姿なのだが、今は他人からの目もあるので驚かせないよう小さい姿をリオンの頼みで取っている状態だ。

 ドラゴンことミュールは、戻って来たリオンに気がつくと直ぐに肩に乗っかって来た。

 クワッと欠伸をすると火が噴き出して少し熱い。

 彼女――性別は最近になって判明したのだが――との関係も説明が中々に難しいものであるが、こうして共にいるのはリオンがミュールに気に入られたからという事ともう一つ。彼女の父親であるアルバシーヴァに頼まれたからである。

『あの愚かな竜、我が愛しき娘を頼む』と。

 山のように巨大で七色のウロコと超常的な力を持つ竜に頭を下げられては、一介の一般人であるリオンに断る事など出来ようはずもない。

 もっともリオンとミュールが一緒にいるというのはクリフにとっては好都合だったようである。彼女の頭を何よりも悩ませていたのは何を隠そう、このミュールの存在だったからだ。

 リベリオ魔法学院の座す町に大量の冒険者が集っていたのは近隣で報告されるドラゴンを討伐する為であったと聞く。このドラゴンこそがミュールであるから、もしも知られることになればどんな大騒ぎになるかは分かったものではない。

 そんな頭痛の種の二人組が向かう先は、オーリアがよく訪れている遠方の町ルヴィスタ。

 村から馬車で通常十日もかかる街で、今日で村を出てからその長と十日目。予定よりも増えた荷物が原因で馬の休息時間が増えているのが遅れの原因であるが、今日中にも町に辿り着けるだろうと行き慣れた道をみて老人は語っていた。

「おう、そろそろ出来るぞい」

「毎日すみません」

「構わん構わん。金は貰ってるし、兄ちゃんたちが乗ってくれてると不思議と魔物が近寄って来なくて楽に進めて助かってるくらいだ」

 ありがたや~、と拝むオーリアにリオンは苦笑いを浮かべる。

 魔物たちが寄ってこないのは、本能的にミュールを恐れているからなのだろう。

 差し出された熱々のスープに満たされた器を受け取り、リオンは口を付ける。

 ――やっぱり、熱いけど火傷はしないな。

 本来ならば悶絶しながら水を求めるであろうスープを一口飲んでリオンは考える。この左目に関してクリフから色々な可能性を聞かされていたが、こんな身近なところでそれを感じる事になるとは最初は思っていなかったものだ。

 竜の炉心。

 古きドラゴンが体内に持つ生命の源にしてあらゆる熱を取り込むことの出来る器官。

 紆余曲折の末に変質させられているとはいえそんなものが、今のリオンの左目となってしまっている。通常の目としての機能もありながら炉心としての能力は殆どそのままなのであるから、驚き以外の感情を抱きようがない。

 本来であれば溢れるほどの熱をも内包しているのであるのだが、リオンの左目に関してはその熱を全て吐き出しているのでドラゴンのように火を吹き出すなどは現状できない。

 もしかしたら大量の熱、例えば溶岩の海などに飛び込めば可能になるかもしれないが、命を賭けた実験は今しばらく遠慮したいところである。

 スープの味は塩気が強い。

 理由は塩漬けした肉を入れているためであろうが、寝起きの頭をハッキリさせるには悪くはない味である。ただ贅沢を言うならもう少しだけ火を通しておいて欲しかった。噛んだ肉が少し生焼けの感触だったので、それはミュールにこっそり回す事にする。

 ミュールのエネルギー源は陽光やら炎などの熱なので、実のところ何かを食べる必要はまったくない。しかしリオンが食べている物を自分も味わってみたいとの好奇心から所望するようになったので、度々わけているのである。

 何はともあれ平穏な朝だ。

 こういう時間がずっと続くと良いのだがとしみじみ思う。

 ――そして、そういうふうに思うと、だいたい壊してくるのが現実というものだ。


「にゃっはっはっは! 観念するがい~!!」


 妙に間延びした語尾と共に現れた一つの影。

 真っ黒な外套に、付けられたフードを目深にかぶってしまっているので表情は伺えない。

 唐突な奇人変人の登場に呆気にとられポカンと固まるリオンとオーリア。

「そこのイケメンなお兄さん? 割るいけど大人しくついて来るか、この場で死ぬかの二択を選んでくれるかにゃ~?」

 変人はただの変人ではなく、その手に細身の剣を煌めかせてリオンの方へ切っ先を向け、脅すとともに要求を告げる。

 リオンは我に返ると即座に頭を働かせた。

 この謎の人物は何の目的で自分を狙っている? まさかクリフが心配したような面倒な連中というのが、何らかの情報を得て追いかけてきたのだろうか?

 しかし、それにしては人数が足りない。

 本当に自分の事を調査して捕まえに来たのなら、少なくとも一級の兵士を百人単位で用意していなければ不自然だ。

『なんだ、敵か?』

 ミュールが肉をようやく飲み込んで鬱陶しそうに謎の人物へ首を向ける。

「わお、もしかしてお兄さん召喚士? なら確かに警戒されるのも当然か~」

「いえ、違いますが」

「にゃふふ、可愛らしいトカゲちゃんを肩に乗っけといて知らんぷりは通用しないぜ?」

『我をトカゲ風情と思い込むとは、なんと見る目の無い』

 気分を害するどころか哀れむような視線がミュールから向けられる。

 しかし謎の人物はそれに気がついた様子はなく、剣をフラフラと動かしながら脅迫を続けた。

「でもでも、この距離ならその子が動くよりも私の剣が心臓貫くの早いんだよね~。だからさぁ、大人しく一緒に来てくれると嬉しいな~?」

 そう言ってリオンが瞬きをする間に直ぐ眼前まで迫る影。

 あまりのスピードに目を見張る。恐らくは“あの冒険者たち”よりも早い。

 剣の刃が少し頬に当たって血が流れる。それを見てニッと笑みを覗かせつつ、トントンと飛ぶように距離を取った。どうやら「自分の言は嘘ではない」と実演して見せたらしい。

 ――しかし、その一連の行動は明確に間違いだ。

 殺意が無いからこそ放置していたミュールは、リオンが傷を負わされた事実を前に雰囲気を一変させた。

 瞳孔が針のように細くなり、体から猛烈な熱を放ちながら“本来の姿”へと戻る。


「へ?」

 今度は影が目を丸くする番だった。

 太陽の輝きを宿す真紅の体躯を持った一匹のドラゴン。

 自分の五倍はあるであろう体長の絶対強者が、赤き炎を纏いながらリオンの後方頭上にあらわれたのである。

 全身の毛が逆立ち、恐怖に竦み上がり、本能が即座に死を告げた。

 どんな手段を用いても勝ち目はない。

「にゃ、にゃはは~」

 即座に結論付けると、ソロリソロリと後退り始めた。

 野生動物や魔物から丸腰の人間が逃げる時の常套手段である。

 しかしドラゴンは許さなかった。

 既に最高潮に気が立ってしまっている以上、刺激をしないようにという努力は無駄以外の何物でもなかったと言わざるを得ない。

 一瞬、ドラゴンの姿が完全に視界から消失した。

 え? と思った次には天と地が回転し遅れて体が空を待っている事を送れて認識する。

「ミュール、ストップ!!」

 クルクルと気分の悪くなる光景を目の当たりにしながら、遠くで誰かの叫ぶ声が聞こえる。

 受け身も取れずに頭から地面に叩きつけられ影は意識を完全に失った。

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