一章 エド・ゲインの憂鬱 第七話
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「辰、いる?」
古ぼけた内装の店内、ほのかに香る苦みばしった薬の香りと、いぶした木の目に優しい茶色。ここが裏社会であるということを忘れそうなほど温かみのある店内に、私の声は深く響いた。
昭和一桁の風情を残す、情緒ある雰囲気の店内。
店の奥のレジ、その向こう側の暖簾がわずかに動く。
「おう、いらしゃ――って孤実か」
ぼりぼりとだらしなく首元を掻きながら暖簾の向こう側から顔を出したのは長身の青年。短髪、日焼けした肌、細身ながらも引き締まった腕、微妙に素人離れした雰囲気など、全体的な印象としては更正した不良のものに近い。
………まあ、実際のところは『近い』んじゃなくて、そのものなんだけど。
来客の眼前だというのにだらけた態度で、その少年はカウンターに肘を着いた。
「どうしたんだよ、まったく……。延命剤ならこないだ渡したやつがあるだろ。それとも、もう使い切ったってのか?」
「いいえ、そっちはまだ残ってるわ。頼みたいのは別件」
「まったく………また面倒ごと持ってきやがって。こっちの身にもなれってんだ」
「悪いわね、毎度毎度」
憎まれ口を叩きながら、その青年――辰は身を起こし、今度はカウンターにもたれかかる。
「んで? 別件って何だよ、一体」
「大したことじゃないんだけど………これ」
ブレザーの胸ポケットをさらい、手に触れた硬質なプラスチックの感触――《十三剣》から渡されたカードキーを取り出した。
辰のつりあがった目線が、カードキーを射抜いた。
「………カードキー……か?」
「ええ。それも磁気タイプじゃない思いっきり特別なやつよ。私の雷でも壊れなかったから」
最初から《十三剣》がこれを内側に保持していたのだとしたら、そうでなければ説明がつかない。あのコートが絶縁体だったとしても、確実に空気中には磁気制御の精密機器であれば破損するほどの強力な磁気が流出していたはずだ。
辰の眼が、わずかに開かれる。
「……お前ので、壊れなかった……か。――はっ、なるほど。確かに一級品らしいな」
「でしょう? だから、分析をお願いしたいの。思いっきり特別だってわかってるなら、ね」
「……ったく、本職でもない俺に頼るなっての」
言いながらもカウンターの木椅子に座り込み、下から取り出したノートパソコンを起動する。立ち上がりまで約三秒、さらに引き出しから取り出したスリット付きの周辺機器のコードをUSBケーブルへ繋ぎ、
「ほら」
「ええ」
二つ返事でカードキーを手渡した。
周辺機器のスリットへ、カードを挿入する。
CPUファンの回転、周辺機器に灯る青色のランプ。カウンターに回りこんでディスプレイを覗き込んでみれば、そこには黒い背景に白い文字が次々と躍っていた。
まったく理解できない。
「今日は随分表が騒がしいな」
「ええ、みたいね。ここ来るまでに何人か見たわ。誰かでかいことでもやらかしたのかしら」
原因は私なんだけど。
「だろうな……。《DDD》の連中がかなり騒いでやがる。NASとしちゃどうだ? その辺。こっちが騒がしいと仕事も増えるだろ。ただでさえ今は『ギロチン』がどうとかでにぎやかなのによぉ」
「ふふふっ、何? 心配なの?」
「勘違いすんじゃねぇ。知人の死体見んのが気分悪りぃだけだ。んで、銃ぶっ放されでもしたらやかましくてしょうがねぇだろ」
「ふふっ。そうね。そういうことにしといてあげる」
「……気にいらねぇな、どうも」
不機嫌そうに眉根を寄せる辰。うん、今はご機嫌らしい。随分と瞳孔が狭まっている。
「まぁ、お前ぇのことだ。やられそうになるってこと自体滅多ねぇだろ」
かちゃかちゃ、とキーボードに手を伸ばし、いくつかの操作を行う。画面が急にスライドを始め覗いているだけでは何がなんだかよくわからなくなった。
「残念ながらそうでもないわよ。今日も――ちょっとね」
「………おい、ちょっと、どうした?」
辰の動きが硬直する。寄せられていた眉根がさらに寄せられる。
それらの動きに気付かない振りをしながら、私はいつも通りの笑みを浮かべた。
「別に、たいしたことじゃないわ。ちょっと脇腹刺されただけだし、もう治ってるわ」
「ちょっと刺されただけだし………じゃねぇだろ。見せてみろ」
語気をわずかに荒げ、これ異常ないほど敏捷な動きで首が振り返る。
「さっきも言ったと思うけど、もう治ってるの。心配ないわ」
「っ、別に、心配なんかしてねぇ。店を血で汚されんのが気に入らねぇだけだ」
「はいはい」
軽くあしらうように微笑を浮かべて壁にもたれかかる。
そう、辰は一見不良に見えて、その実ただ素直じゃないだけ、かつて不良となっていたのも世間と自分の主張が真っ向から相反し、そのまま自分の信念を貫き通しただけという、つまりはただの素直じゃない不器用なのだ。
ついでに言うと、かなりの照れ屋でもある。
だから初対面の人は辰にかなり怖い印象を持つらしいが、慣れてしまえばそんなことはなく……むしろこの界隈では『ヨメにしたい人』という印象で、名前が通っている。
まあ、本人は気に入っていないためおおっぴらに言いはしないが、それでもそれなりに付き合いがある人間にとってみれば常識的なこととして認識されているのは確かである。
ちなみに私との間柄をいうなれば、幼馴染。
それもただの幼馴染ではなく、私のいた『夜陵』の本家が惨劇に巻き込まれる前に私に許されていたわずかな時間、屋敷に忍び込んできてまで遊びに来てくれていた、某ジャンルのゲームであれば恋愛関係に発展していなければおかしいレベルの、幼馴染である。
惨劇に巻き込まれた後あたりからちょっとずつ距離は開いたけど、ここの店主みたいな位置に収まった後も私のために延命剤用意してくれたり、こんな風にいろいろと相談に乗ってくれたりと、私からすれば非常に助かっている。向こうも私が来て割る息はしていないみたいなので、お互い様といったところだろうか。
「ったく………。で、これ何なんだ? 解読準備はできたが――暗号化がとんでもねぇ。方針決めなきゃ到底読めねぇぞ」
「読めないの?」
ぐる、っと全身で辰が振り返る。
「見てみろよ。そうなってる」
言われてノートパソコンの画面に目を映す。目に映ったのは黒を背景とした中に羅列された白の文字列。英単語のようなものに数字に記号、意味を持った文字列が示すのは……
「………どうなってるの?」
生憎と私の持ってるスキルでは、この画面に表示されている文字列がただの記号の羅列にしか見えない。アルファベット……って言うのはわかるけど……これ、英語発音? だとしたら意味は……?
画面を延々と占領する文字列を、しばらく考え込むように眺める。
「……すげぇだろ? 既存の理論での暗号化、じゃねぇぜ? もっと高度な……そう、それこそ根っこから違う理論でも持ってこなきゃ、ここまでやれるわけもねぇんだ。――見てみろ。どこでどう区切られてるのかさえわかりゃしねぇ」
「え、ええ……みたいね」
目線を画面に釘付けにしたまま、生返事。……確かに、どこでどう区切られてるのかさえわかんない。普通なら――ちょっとマシぐらいには理解できるのに。
「それに……見てみろ。ほら、ここ。……マジでわけがわかんねぇ。どこをどう言う風に見たらこれが解読できんのか、俺にゃ理解不能だ」
「私にも理解不能よ……これ」
げんなりとした表情で、指差された一点を見つめる。
……どうでもいいが、このアルファベット、妙に「w」と「m」が目に付く気がする。wmmwmwwwm、とか。
「ついでに言えばこの辺も…………って、おい孤実。お前、何してやがる」
「何って、どう見たって理解不能だから諦めムード。私の手には負えないわ」
「だとしたって別の視点ってのは重要なんだ。お前も解読の手伝いぐらいしやがれよ」
「って、言われてもね。そもそも既存のプログラミング言語すら解読できないこの私に、応用を極めた《十三剣》の暗号化言語が解読できると思う?」
「あぁ? ………って、ああ、そうだったか」
何かを思い出したように、はっとした表情で辰が画面から顔を上げた。
「悪ぃ――お前、ど素人だったな」
「残念。私はど素人以下よ」
もともと《夜陵》がローテクな家(夜間照明ですら行灯だった)だったこともあるが、それ以上に私が病弱だったことも大きい。育った孤児院で叩き込まれた戦闘術も、それを心配してかナイフ格闘術ばかりだったのだ。お陰で銃の命中精度は特待生では最悪、学生NAS相手でも、銃撃戦なら敗北するだろう。突破線では負けるつもりはないが。
「……まあ、壊滅素人なりにわかることを言わせてもらうとしたら、wとmが結構多いこと、カードキー表面の数字に意味がありそうってことね」
角? とスリットに挿入されているカードキーを辰が一瞥する。
「……どこだ?」
「今刺さってて見えないところよ。読み取り箇所の辺り」
「……マジか?」
怪訝な目を向けられた。
「……ええ。嘘なんてついても、しょうがないでしょう?」
見間違いでもない。スラッシュタイプのカードキー、表面に情報部分以外の装飾はなく、ただ上端に43とだけ書き込まれているだけ、となればその部分、唯一書き込まれた「43」に印象が残るのは当然だ。
辰が腕を組む。
「……と、すると……やっぱ妙だな」
口元に手をやった。
「なんでそんなところにナンバリングされてんだ、これ…? ――おい孤実、これなんて渡されたんだ?」
「『これさえあれば少なくとも目標まで到達できる』、だって……」
「これさえあれば……か…………」
考え込む辰の傍ら、なんとなしに思考をめぐらせる。
上端につけられたナンバー、は別にいい。ナンバー自体は識別のためにマンションの鍵にも付いてるし、別段珍しいものでもない。重要なのはその番号の意味するところ、つまるところ、それが識別以外に何を意味するか、だ。
ぱっと考えて思いつくのは……分類番号、様式、目的といったところ。どれもこれもありうる。が、どれもこれもが到達するまでに程遠い。スキャンしてみたらわかるかも……と思っては見たけど、中身も難解すぎて……私には理解できないし、暗号化が激しすぎて専門家の辰にさえわからない有様。何がヒントだ、これじゃあ到達するどころかその尻尾すらつかめない。せめて何か取っ掛かりがもうひとつでもあれば……
「………ん?」
辰が、怪訝な声を上げた。
「ちょっと待て、こいつ、まさか事件件数か?」
「……事件件数?」
というと…事件の発生個数のこと?
うなずく辰。
「ああ、たぶんこりゃぁあの野郎の関わった事件がらみなんじゃねぇか? 《十三剣》の関わった事件件数は総数106、43なんて数字があったとしたって、ぜんぜん不思議じゃねぇ」
「でも、それが暗号とどうつながるの?」
私の言葉に答えるようにいったんウィンドウを最小化し、別のファイルを開く。表示されたのはひとつの表。名前と数字と――いくつかの情報が提示されたそれは、見間違いじゃなきゃ殺人事件がらみの情報ファイルだ。
「お前の気づいた『m』と『w』、そいつはたぶん男女の意味だ」
「男女?」
man、woman。確かにmとwで表記できる。
「んでやつの関わった事件の43件目の犠牲者は………女、か」
ファイルを閉じる、再び解析中の文字列を呼び起こす。そしてなにやら数文字打ち込んで画面の端に小さな入力枠を表示、そこになにやら文字列を書き込んで、
「……で、死んだ女、つまり『w』を0に、生きてる男を1に変換すると、だ」
辰のごつごつとした指がエンターキーを鋭く叩く。と、同時に画面が一瞬ゆれ、表記の文字列が若干変化し、
「……チェックメイト」
つぶやきと同時に、再びキーを叩いた。
変換される文字列、今度は0も1もなく、ひたすらに広がるのは理解不能な英単語(っぽい別の何か)の並び。
その画面を睥睨し、辰は無感動な眼を細める。
「……あとは普通に解析できんな……ちょっと待て」
「ええ、いいわ」
高速でタイピングする辰をなんだか異性人のような感覚で眺め……それでもなんとなく暇なので店内を見て回る。
古びた渋い色の棚に並ぶ、雑多な薬品の数々。ビン入りのもの、紙に包まれた古めかしいどころじゃない感じのやつ、かとおもったらこっちは……保管ビンと注射器が一体化した最新鋭のタイプ。ホント、何でもありすぎるわね……。
と、二つ目の棚に面白いものを見つけた。
「……あら」
なんといったか、これは例の………あれだ。振り子みたいに六つほどの玉が紐でつられて並んでて、端っこのひと玉を動かすとそれに押されて反対側の端っこの玉が動いて――を延々と繰り返す、あのインテリアグッズ。永遠に続く玉突き事故、終わることのない徒労が繰り返されるもの。メトロノームとか、しし脅しとかにも似てて、私は結構気に入ってる。
生憎、今は動いていない。もらってもいいだろうか。私の家はちょっと飾り気にかけすぎる。
「……おい、孤実! 終わったぞ!」
早い。複雑精緻なデータ解析なんだから、もっとかかるんじゃないの、普通。
思いながらもカウンターへ戻ると、辰がカードキーを差し出してきた。
「完了だ。中身は、ドアロック解除キー。セキリュティーレベルの相当高い場所だ、段階的にはレベル7」
レベル7、というと……一地方以上の広域にわたって影響を及ぼす施設の、それも重要区域だ。
NASじゃ普通ははいれないような場所、なるほど、《十三剣》が隠れ家にするにはもってこい、というわけだ。
「………この辺でレベル7っていうと……」
「ま、あそこしかねぇわな」
顔を見合わせ、うなずきあう。
そう、この町、硲市にはひとつしか該当する場所はない。
付近の自治体、そのほとんどに機能を提供しながら、その見返りをほとんど求めない有料施設で国営施設、NASであろうとも立ち入りは許可されず、入場の際には完全に銃器を取り上げられる稀有な場所で、テロが起これば取り返しのつかない被害を巻き起こす危険地帯。
硲市、中央発電所。
このあたり唯一の、原子力発電所だ。




