一章 人食イギロチン 第一話
長らくお待たせしました。申し訳ありません。
私立 硲学院NAS養成学科。
それが俺、穂村渚が在籍する学校である。
敷地全面積6平方キロメートル、所有校舎数寮棟含め
16棟、中等部含め総生徒数600名前後、教員数51名、年間卒業時NAS輩出者数平均102名、在学中平均NAS合格者数14名の、全国でも有数のNAS養成学科持ちの教育機関である。学費は至極オーソドックスな値段、しかも入学時に本人が申請すれば拳銃、散弾銃、ライフル、短機関銃のいずれか二つが支給され、学校側に装備の登録をしておけば毎週末に弾丸が二ダース支給されるという嬉しいシステムがある。もちろんこれらは無料で、申請さえ行えばメンテナンスも完璧に行ってくれるというサービスまで付属しているため、全国から入学希望
者が多数現れる人気校となっている。
その人気のほどは年間募集人数中等部含め150名であるのにもかかわらず、受験希望者が600名を割ったことがないことからもうかがい知れるだろう。
その倍率、4倍。
合格者のNAS資格取得率はほぼ100パーセント。つまりこの学校に合格し、卒業すればNASとして生きていくことが可能になるのだ。在学中の種々サービスを含めて、人気校にならないほうがどうかしている。
しかし、この試験にも抜け道があったりするのだ。
募集人数というのは『向こうがこの学校を求めてきた』場合の数である。つまりそうでない場合もあるわけで、どういうわけかこの学科には『学校側がほしがった人員』というものも存在し、そしてその対象になったものは基本的に入学試験を免除され、入学関連の書類を提出
するだけで入学できてしまったりするのだ。
対象になる条件その一。
入学試験当日までに入学試験対象となりうる年齢でNAS資格を取得していること。
通称『NAS特待生』。入学試験を受けることの出来る条件を満たしていて、なおかつNAS資格を取得しており、学校側がその存在を知っている人物は向こうからこちらをほしがり、試験を受けることなく入学することが出来るのである。
もちろんその条件で入学したものは入学後、かなりの優遇措置がとられる。
学費は半額、武器の支給は当たり前のように高性能なものが支給され、弾丸も通常のものばかりでなく、特殊なものも申請すれば通常の生徒よりも大量に支給されるし、学食だって半額になる。単位も普通に登校さえしていれば、普通化科目以外なら留年落第は存在しないし、補習だって受ける必要がない。
これだけの措置をとってまで取り入れがっていることからもわかるように、NAS優待生の数は非常に少ない。もともとNASの資格試験は相当難易度の高い試験になっているため、中学卒業時点までで資格取得してしまうのはほぼ不可能とまで言われているのだ。せいぜい多くて年に二人、学校全体で十人もいれば、全国規模で名前がとどろいてしまうこと請け合いなのである。
ところが、だ。
世の中にはパターンに当てはまるようなことだけが存在するとは、限らない。
今年は何をどう間違えたのか、本来なら入学者の中に一人二人しか存在しないはずの特待生が、なんと二十二人もいるのだ。
通例、かけるところの22である。
10人存在する学校でも異常扱いされるのにここまで多くの数が存在しているとなると、これはもう異常を通り越して冗談の領域である。
もうすでにNAS資格を取得しているものがそのための専門学科に通うのか、という疑問もあるだろうが、案ずる事なかれ。学校側にも生徒側にも、メリットがあるためにこの制度は現在まで続いているのだ。
学校側にしてみれば、学内に保有するNASの数が多くなることによって学校の名が上がり、国からの援助も大幅に大きくなる。
生徒の側にしてみても、学校という名の防壁を得ることで望まない仕事をキャンセルしやすくなり、更には社会へ出るまでの保護期間を得ることによってNASのランクを上昇させるための準備期間を得ることが出来る。
つまり、双方の利害が一致しているのだ。
とは言っても、実際にNAS特待生として通っている者全員が、ランク上昇のために行動に出ているわけではない。大多数のNAS特待生は、社会へ出るための準備期間として、平たく言うとサボるためにこの学校を選択し、今までNASになるためにがんばった分を取り返すかのようにのんびりとした学生生活をエンジョイするためにここを選択している。
まあ、平たく言えばNAS優待生のほとんどはサボるためにここにきているといってもいい。事実、今年のNAS特待生のうち12人はサボり組であり、真面目にランクアップを目指すことなど全く考えていなかったりする。
言うまでもないことだと思うが、俺はサボり組の所属だ。
今日登校したのも、いつものごとく同じサボり組である友人Aとのんびりとした休憩時間のような時間を過ごすためであり、授業を受ける気など毛頭なかった。面倒な射撃訓練なんてサボって、のんびりと訓練用の草原に寝そべって昼寝でも満喫し、優雅な時間を――――
満喫、している――――
してる………はずだったのだが――――
「…………撒いたか、友人A」
「――――恐らくは撒いただろう」
「とりあえず、警戒は続行。油断しないに越したことはないだろ」
「確かにな………」
視覚障害物訓練用の、森の中。平地訓練用の平地(通称 サボり平原)から五百メートルほど離れたそこに、俺達はいる。
警戒を怠ることは、できない。怠ったが最後、俺は隣で息を切らしている友人Aともども、物言わぬ肉塊へと姿を変えてしまうだろう。硲高校の制服は普通科のものであってもある程度の防弾性能は保有しているが、それが通じない相手だ。下手をすればその防弾制服もろとも真っ二つにされてしまうだろう。
あたりをうかがいながら、木に背中を預けて友人Aともに地面に座り込む。
「…………とりあえず、武器はあるか?」
「いつもどおりだ。スローイングがある。そう言うナギのほうはどうだ?」
「LCPが一丁。予備弾倉は――――四つある」
「今の弾倉には?」
「テクニカルリロードしてるから、八発。そっちのナイフは?」
「今の所は温存してある。全て健在だ。しかし如何せん今日は仕事も抜きにするつもりだったのでな、数を持っていない。残りは―――8本だ。で、追手の残り武器は?」
「………何本かグリップで落としたけど、回収してるだろうな。全部健在だよ」
「という事は、残りは27か」
「………の、ようだな」
危機的状況を再認識し、大きくため息をついた。可能性から考えると、敵の所有武器としてもっとも可能性が高いパターンは、戦輪二十五、大型チャクラム二つだろう。あいつは同時に五本まで投げてくることがあるから、五回分はじいて生き残れば、それでこっちの勝ち。
しかし、そう上手くいくかどうか…………
追手の狙いは、恐ろしく正確だ。目的から考えると、恐らくこちらを殺害せずに行動不能に追い込む部位のみを狙って攻撃を加えてくるであろうことが想定できる。
が、同時に五本だ。
何の間違いがあって殺害されるか、わかったものではない。かなり怒りっぽい性格であることを考えると、少しでも怒らせてしまった場合、間違いなくその先に待つものは死だ。まったく油断する事は、できない。
「なんとかなるかどうか……」
俺はらしくもなくため息をついた。
「なんだ? らしくもない。あの程度の追っ手なら、何とでもなるだろう」
いつもどおりの尊大な口調で友人A。微妙に神経を逆撫でされる。
「面倒なんだよ。あいつを相手にするのは」
「相手にしなければもっと面倒になるのは目に見えているだろう。ここはとっとと追手の満足するような行動に出て、お帰りいただくのが正論だ」
「仕事以外で斬った撃ったはごめんだ。お前がやれ」
確かにこの逃走劇を終わらせようと思えばいつでも終わらせられる。しかし当然、終わらせようと行動する間は追っ手と交戦することになるのは確実だし、そうなった場合待っているのは仕事とまったく変わらない斬った撃ったの立ち回りだ。
サボるために登校していると言うことを忘れないでほしい。学校に来てまで仕事はごめんだ。
しかし、
「残念ながらその提案は却下させてもらう」
「………なぜだ、友人A」
お前なら相手にまったく触れることなく一発の弾丸も放つことなく追手の扱う戦輪を一枚も残さず粉々にする事だって出来るはずだ。なのに、何故………
「なぜなら――――眠いからだ!」
無駄に大声で言いやがった。近場の木の上に止まっていたのだろう小鳥たちがその大声におどろき、いっせいに飛び立つ。ごめんね、やかましくて。追っ手に聞こえていないことを願います合掌。
けどこいつ――――
「………眠いから?」
「そのとおりだ。自慢ではないが……俺は四日寝ていない!」
またも大声。ああ、頼むからもうちょっと静かにしてくれ。
「このところ学業の時間外である夜間の仕事が多くてな、眠る暇などなかったのだ」
「……NAS労働法違反だぞ…」
学生に限らず全てのNAS資格を持つものは特別な事情が存在しない限り二日以上の夜間勤務を禁じていたはずだ。更にそれが徹夜クラスのものの場合は確実にその次の日が休日となる。
悪びれもせず、友人Aは続けた。
「いや、ちゃんと夜休はもらった。が、しかし突発的にプエルトリコに生息する吸血獣、チュパカブラに関する情報を収集したくなり、仕事が終わるなり情報収集を始めたのだ」
「……………」
「最初は一般知識程度が手に入ればいいと思っていたのだが調べていくうちにふつふつと大に第三の疑問が湧き上がり、流出情報の収集、政府主要機関、各種研究施設へのハッキング攻勢を続けていたらいつの間にか夜が明けていたのだ」
「……………」
「仕方がないので登校し、いつものごとく休養期間を取ろうとしたときに同志から連絡が入ってな、それによると我々諜報部の部室に侵入者があったらしく討伐に手間取っていたらしい。諜報部の危機とあれば俺も動かざるを得ないだろう。結局その日は夜まで討伐に追われた」
「―――――」
「その日の夜は当然、徹夜で仕事だ。朝までかかって街中を走り回り、武器やら『魔眼』やらを使いまくって徒党を組んで動こうとしていた殺人者連中を全員殺害した」
「…………………」
「一応今日も夜休なので仕事の必要がなかったからな、登校してサボり平原でいつものごとくのんびりやろうと思ったところに……これだ。睡眠時間がここに至るまで存在しえたと思うか?」
「………の、割には元気そうだな」
「うむ、一見するとそう見えるらしい。が、実を言えば今こうして座っているだけでも半ば意識がぶっ飛びそうになっているのだ。こんな状態でのなか、いつものやり方で追っ手を止めてみろ。その場で昏倒、夜が明けるまで目覚めることはないだろうな」
「…………………」
相も変わらず無茶ばかりする男だ。
友人Aこと、隆生寺小春、その能力は俺と同じNAS特待生に名前を連ねていることからもわかるとおり、非常に高い。相手が単数であろうが複数であろうが完璧に相手にし、近接武器であろうが遠距離武器であろうが何でもかんでも相手にするこ
とが出来、扱った際の腕も一流で、顔だってまずくはないし、頭のほうも相当なものだ。
しかし、
その能力を使う方向性が、ねえ…………
やる気がなければそれがどれだけ多くの人命に関わることであろうとも絶対にやらない、やる気があれば卵を垂直に積み上げる単純作業だってやってのける、知りたいことがあれば財力は惜しまず法を犯すこともいとわないし、逆に興味がなければどれだけ莫大な利益を生むことでもやらない。
隆生寺小春、我が友人Aとは、そういう奴なのである。最優秀クラスの頭脳、数多の修羅場を潜り抜けた実力、並よりも頭一つ抜けた人望を持ちながら、そのくせ傍目からはどうでもいいことにしか用いない、しかし決して他人に迷惑をかけることはあっても破滅させることは
仕事以外ではやらない人間なのである。
しかし、弱った。
学校生活を人並みにエンジョイしている間は斬った撃ったの大立ち回りはやらかしたくはない、だがそうなったときの頼みの綱である友人Aの助力はまったく望めない、そして追っ手はかなり近付いていると見て間違いない、となると、とるべき手段が必然的に限られてくる。
一つはこのまま追っ手に発見されることを待ち、素直に向こうの要求に従うこと。
もう一つは――――
「よし、友人Aよ」
「何だ? 我が友ナギよ」
「さっさと逃げるぞ。サボり平原じゃなくても、屋上でだってのんびりは出来る」
「ふむ、悪くない判断だ。しかし、その行動をとるためにはとことんまで巨大化した問題を解決していく必要がありそうだ」
なんとなしに面白がっているかのような表情で、立ち上がった俺を見上げてくる小春。
………なんだろう、果てしなくいやな予感がするんだけどな〜
この予感も無視し続ければなかったことになってくれるんだろうか。そうなるなら、ぜひとも無視し続けたい。
しかし、現実は非情だ。無視し続けていても、そこにその存在がちゃんと実在している以上いろいろこっちに対して行動を起こしてくるものなのだ。
「……………友人Aよ、」
「何だ、我が友ナギ」
「いやな予感が現実になる前に、逃げるぞ!」
立ち上がるのを渋る小春の腕をつかみ、無理やり引きこして走りだ――
「逃がすと思う?」
………そうとしたところに、 いやな予感が現実に昇華した証拠たる声がすぐ右、つまり俺たちが追っ手に追われて逃げてきた方向から聞こえてきた。
「………………」
意識していないにもかかわらず、恐る恐るといった風な首の動きになってしまうのはご容赦いただきたい。俺だってちょっと怖いのだ。この現実を認めてしまうのが。
ぎぎぎぎぎぎぎ、と効果音が付きそうなぎこちのない動きで、声の方向を振り返る―――
肩口で切りそろえられた色素の薄い髪、意思の強そうな目、割と整った顔立ち、見本のように校則を遵守して着こなされた(つまりスカートから拳銃のホルスターがチラってる)制服。
それだけで少し目立ってもおかしくなさそうなその少女の印象を決定的にしているのが、両手に四枚ずつ構えられた、戦輪。
鬼風紀、都坂京。
俺たちの、追っ手である。
規則に関しては非常に細かいところまで熟知し、それを破るものを視界の端にでも捕らえれば容赦のない戦輪をお見舞いする、鬼風紀。
同じNAS特待生であるのだが京の場合は俺たちと違い、れっきとしたランクアップ組である。そのせいなのかこいつは何かにつけて俺たちのサボりを見咎め、追っかけ、戦闘し、斬った撃ったの乱闘沙汰に持っていってしまうのだ。
早い話、俺にとっての天敵。
「やあやあ、風紀委員殿。俺たちのようなただのサボり相手にここまでの行動、ご苦労なことだ」
「ええ、だいぶ苦労したわよ隆生寺。鬱憤も溜まってるから勢い余って殺されても文句言わないことね」
「おや……? その様子だと見せていただけるのかね? 学生NAS最高性能といわれた対複数遠距離戦術の数々を」
「ええいいわ。命捨てる覚悟があるなら、見せてあげる」
剣呑な会話を横で展開せんでくださいお二人さん。聞いてるこっちは気が気じゃないんだから。
(小春………逃げるぞ――)
(まあ待て、ナギ。仮にこのまま走り出したとしても、あの両手の戦輪でしとめられるのが落ちだ。ここは上手く向こうを誘って戦輪を無力化するのが先だろう――――)
意外と冷静な小春の戦略。
そういえば、京ってかなり乗せられやすい性格してたっけ。
「――――なにこそこそ話してんのよ……」
かなり不機嫌なのか、怒りを押し殺した声で京。そういえば心なしか、いつもよりかなり殺気が濃いような気がする。
「ふん、何、ナギとここから逃げる算段を、な――――」
「逃げる? 私から?」
「そのとおり。俺かナギの片方だけならまだしも、二人そろっているのだぞ? この硲高校高等部NAS養成科の三大問題児が二人、しかもこちらが歩きなれたホームグラウンドで、だ」
挑発するように、小春が胸を張る。
「それで逃げ切れない由縁があると思うのかね、都坂」
「……っ、言ってくれるじゃない――――」
京の目が、剣呑に細められる。
「ねえ、そこの傍観者」
「はい?」
条件反射的にほうけた声を返してしまった。
「『死神の鎌』って、何のことか知ってる?」
「『死神の鎌』?」
「そ、死神のイメージによくある身の丈以上の長さのある鎌のこと――――」
答えを待たず、京は右手に構えられた戦輪の中から一枚を残し、残りを左手に持たせた。
「本来は西洋の農業用の大型の鎌。人の命をまるで農作物であるかのように収穫する、『命の収穫者』たる死神の所有物。全てを刈り取る魔性の鎌――――」
その一枚を、京は軽く放り投げ、
「それってね、」
空中で器用にキャッチして、
「こういうのを言うらしいのよ」
人の眼には絶対にありえない目の輝きと共に、その一枚の戦輪を投じた。
戦輪は俺たちから大きく外れた、しかし視界に収まっている樹齢二十年程度の葉を大きく茂らせた木の幹に深々と傷を刻み、
たったそれだけでその若木を、まだ若々と葉を茂らせていた枯れることなどまったく考えられない様子の木を、たったそれだけの動作で『枯らせた』。
風に乗って一気に舞い落ちてくるのはその若木が枝に茂らせていたであろう新緑の若葉。
本来ならばもっと厚みを増し数を増し色を変え成長していくはずだった可能性を、たった一枚の戦輪がつけた傷で、失った。
いや、
正確には『刈り取られた』と表現するほうが正確かも知れない。
「いまだ! 逃げるぞ我が友!」
「わかってる!」
しかしそれがどんなものであろうとも、京がすぐに投げられる体制にあったはずの八枚を一枚まで減らし、その一枚をこちらから遥か遠くの位置に投げてしまったことには変わりない。
若木には悪いが、逃げるチャンスとして利用させてもらう!
小春と並んで、全力疾走。
「逃げるなバカタレ!」
後ろから京の怒鳴り声と、何かが空を切る音が飛んでくる。空を切る音はかなりの高速で接近し、そして俺たちの脇を駆け抜け―――
「おっと!」
「―――ぬっ!」
正面まで回りこみ急襲してきたその四枚の戦輪を、減速することなく俺たちはかわした。
「相も変らぬ技の冴だな…………」
「感心してる場合か! とっとと逃げるぞ!」
一枚一枚では単なる切れ味の鋭い薄い鉄の輪、戦輪。
遠距離武器として使うには全ての点においてスローイングナイフにさえ劣るような戦力しか有さないはずの武器であるにもかかわらず、仕事の際に京が用いるそれは文字通り、『必殺』だ。
魔眼『伐採』。
二十年前、丁度血の十二月の終了時から全国に蔓延し始めたわけのわからない超常の能力、『魔眼』の一種である。とは言ってもこの世には同一の種類の魔眼は存在しないはずなので、実質あれは京限定の特殊能力であるといえるだろう。
遠距離にせよ近距離にせよ、あの魔眼を展開している間、その展開主が放った『斬撃』によって切りつけられたものは、何かを刈り取られてしまう。それは命であろうが意思であろうが、肉体であろうが運であろうが、とにかく『存在していると定義付けられるもの』全てを刈り取ることが出来るのだ。
つまり、あの戦輪に斬りつけられたものは自分の中に存在する『何か』を伐採される。
恐らくあの戦輪にかすり傷でも負わされようものなら、俺たちはたちどころに『逃亡する意思』を刈り取られ、素直にお縄に付くはずだ。
そんなことになってたまるか、といわんばかりに逃走を続行する。
きゅん、という音。
そして前方から戦輪。
「くっ……」
「ふん――――」
きゅん、ひゅん。
今度は横方向――――
「あまい!」
「ぬるいな――――」
かがんで回避………
きしゅん!
「下から?!」
「やるな!」
ぎりぎりで横っ飛びして回避する。足を狙ったところでこちらが回避することを見越したようだ。さすが鬼風紀。俺たちのことをよくわかっている。
が、よくわかっているのはこっちも同じだ。大体のタイミングは体にしみこんでいるし、どの段階でどんな行動をとれば回避できるのかもほぼ完璧に判断できる。
つまり、延々つづく逃走劇になるわけで――――
「小春! 何とかしろ!」
三分も走り続ける頃に、俺は小春に泣きついた。
「無茶を言うなナギ。いつものやり方は無理だといっただろう」
「ナイフ投げはどうした!」
「気ままな八方軌道で撃ってきている。どうも振り向きながらの迎撃を警戒しているようだな、これではナイフはあたらん」
「畜生――――」
「しかし、この逃走劇もそろそろ飽きが来た…………」
いって何を考えているのか、その場で伏せる小春。
どうしたんだこのやろう、というその寸前に………
「うお!」
正面から七枚の戦輪が飛来した。
ぎりぎりでかがみこみ、かわす。
まずいことになった。あの鬼風紀、なんとこっちのほぼ全力疾走についてきたらしい。戦輪投げながらなのにどうやったらそんな速度を出せるんだ、と思わないでもないがそれは後にとっておこう。
とにかく今は、逃げるのが先だ。
「小春! やばい逃げるぞ!」
「ふむ…そのようだな………」
といいながらも起き上がろうとしない小春。いや、起き上がろうとしてはいるのだろう。しかし、身を起こそうと地面に両手を付きはするのだが、そこから先動こうとしないのだ。
………まさか、小春―――
「食らったのか?」
「ああ、不覚だった……」
憎々しげな表情になる小春。
「先ほどの七輪、そのうちの一本が脇の辺りを掠めたらしい。身を起こそうと行動はできるのだが、そこから先、いざ力を入れる段階になると入れる気が起こらなくなる」
「………完全に、やられたな」
「そのようだ――不覚だったな」
地面にはいつくばったまま小春。やっぱりその表情は憎々しげそのもので、恐らくは相当悔しいのだろう。しかしそんなとこ、俺には関係ない。こんな大男放置して、さっさと逃げよう。でないと俺まで捕まってしまう。
「………まあ、せいぜい授業を楽しめよ、友人A」
「―――はて、わが友ナギよ、一体何をしようとしている?」
「見てわからないか?」
「俺の目にはわが友であるところの穂村 渚殿が行動不能状態に追い込まれているこの俺、隆生寺 小春に背を向け、今にも走り出そうとしているように見える」
「そう見えたんなら、それが真実だろ?」
まあ、ちょっとは悪いと思うので視線だけは送ってやる。
………あ、生意気なことにいつもの余裕たっぷりの顔に戻ってやがる。
「アディオス、わが友。またどっかで会おう! いざ――――」
「さらば、なんていわせると思う?」
うげ。
「まったく、ちょろちょろ逃げ回るなっての………おかげで二十枚もなくしちゃったじゃない。結構値段張るのよ、私の戦輪」
地面に伏せたまま動けなくなった小春の向こう、俺たちの走ってきた藪の方からゆったりとした足取りで人影がやってくる。
ああ、もう逃げられない。
逃げようと思い立って後ろでも向けたときには、刈られる。
「で、」
宣告するように、藪のがさがさが停止する。
しっかりと、鬼風紀が藪の外へ出てくる。
彼我間距離、10メートルってとこか………
「その戦輪は、一体どっちが弁償してくれるのかしら――――?」
くるくると右手人差し指の中で戦輪を回転させながら、こちらに目をやる京。こっちを見ているようでこっちを見ていないような目……って事は、こっちの逃走の可能性を図ってるってことか。で、逃走を敢行した瞬間にきゅん・すぱっ…ってわけだな。
「弁償も何も、それは一撃でこちらをしとめることの出来なかった風紀委員殿の過失ではないか。自費かもしくは公社からの支給を頼むべきだな」
這い蹲りながらも、いつもどおりの口調だった。
「しかし、なかなか上達せんなぁ我々専属の風紀委員殿は。春から数えて、これで何枚目かね? 俺たちを相手にして紛失した戦輪は。俺の記憶だと、おそらく三桁は突入しているはずなのだが――――」
癪に障ったのか、京の眉間に険が生まれた。
「――――この状況でよくそんな舐めた口きいてられるわね……あんたの命なんて、私の一存でどうとでもなるのよ? そこのとこ、わかってる?」
「重々自分の置かれた状況なら把握してあるとも。そこで一つ、提案がある」
「なによ。言っとくけど、見逃してくれなんていったらその瞬間にあんたのわけのわからない意欲の根っこ刈り取ってやるからね?」
「何、そんな事はいわんよ」
俺の目の前でそんな剣呑な会話を展開せんでください。
と、いうかやっぱり小春ってすごいなぁ……こんな状況であの京と普通に会話してるよ……
「ナギ、頼む助けてくれ」
「「はぁ?!」」
京と俺の素っ頓狂な声は、等しく同時だった。
いや、何言ってんですかこいつ。この状況で京の足元へ走りこんでって担いで走れと?
「ナギほどの実力があれば、この状況をひっくり返すことぐらいはできるだろう。手段は問わない、俺を助けてくれ」
「いや、俺は――――」
二人の会話の中に隙が生まれれば走って逃げようとか、そんな算段してるわけで。
さっきの会話の中に逃げられるような隙間が存在しなかったからここにいるってだけのことで。
ホントウだったら、もうとっとこ逃げ出したいような心境なわけで。
そんな状況で鬼風紀の足元にいるお前を助けるなんて、できるわきゃねんだろ!
「言っておくがナギよ、逃げる事はもう不可能だと考えたほうがいい」
「何でだ?!」
「風紀委員殿がもうすでにお前とやりあう気満々だからだ」
………………。
あ、ホントだ。なんか指でくるくるやってる戦輪の回転がレベルアップしてる。というか一枚から四枚になってる。
アレ、とんでくるんだろうなぁ――――
「…………そうだったわね、逃げてたのは隆生寺だけじゃなかったんだった。隆生寺、教えてくれてありがとね」
「な〜に、礼には及ばんよ」
「いい機会だし、今まで散々手間取らせてくれた分の鬱憤晴らしもやらせてもらいましょうか。最近全力出してなかったから、なまってないか心配だし――――」
「いや、京がNAS特待生でも七人しかいないLevel77 B級NASだってことは知ってるけど、そっち、俺たちのランク、知ってる?」
「知ってるわ。Level59 C級NAS、でしょ?」
「知ってるならどうしてC級の俺たちなんかに全力での鬱憤晴らしを………って!」
こちらの言葉を最後まで言わせぬように、京は両手に二本ずつ持っている戦輪を投じる。
狙いは――全部ばらばら。首と、腹。残りの二枚は脇によけられたときの追撃用。
右斜め下にしゃがんで、かわした。
対象を捉えることのなかった戦輪は、そのまま弧を描いて持ち主の指へと返っていく。
「………で、どうしてC級であるところのあんたがB級であるところの私の、それも殺す気で投げた『死線』をかわせるわけ?」
「知るかよ!」
身を起こしながらとりあえず文句は言っておく。
「ってか殺す気だったのか今の! 上手いことよけられたから良かったけど、最悪今ので死んでましたって?!」
「ナギよ、早く助けてくれ。いくら運動の直後で軽度の興奮状態にあるとはいえ、このままでは眠気の限界が来る。その場合、ちゃんと保健室まで運んでくれるのだろうな?」
「っ………」
いい加減鬱陶しくなってきた。この京との戦闘じみた行動も、勝手な依頼飛ばしてくる小春も。
さっさと終わらせたい。
「まったく――――――」
いつもの仕事のごとく、一瞬で頭を冷やし制服内側のホルスターからLCPを抜く。
「後でなんか奢ってもらうからな、小春」
小春が顔の半分をゆがめるかのような、それこそ悪魔のような笑みを浮かべる。
「承知仕った。して、一体何を所望する?」
「アシハラ屋の海鮮丼だ。妥協はしない」
「了解だ。特上のものを用意させてもらおう」
交渉成立。
後はいつもどおり、それこそ机の上からこぼれたペンを拾い上げるような単純さで、事を行うだけ。
「とまあ、こういうわけだ。お前の足元に転がってるその依頼主、返してもらうぞ」
指先でLCPの安全装置を探り、外れていることを確認する。
「へえ……そんなちっさい拳銃一丁で私に勝てるとでも思ってるんだ?」
「勝つか負けるかなら…多分勝つだろうな」
京がいつものごとく、剣呑に目を細める。
「ふん、そんなこと言ってられるのも今のうちよ」
いつの間にか返ってきていた四枚の戦輪を、両手の指二本でくるくると回転させる。
「見たものは確実に刈り取られるとまで言われた、この都坂京の『死神の鎌』――――」
回転は見る間にどんどん増していき、ついには第一関節程度の高さの上で自立浮遊しているかのような状態となる。そして京はその両手をぶれるほどの速さで後方に振り上げ、
「――――かわせるものなら、かわしてみなさい!」
戦輪を、投じた。
瞬く間に眼前に迫ってくるのは鉄の刃。その高速回転から生み出される切れ味は日本刀にも匹敵し、正面から弾丸を飛ばしたとしてもその軌道を数ミリと狂わせることなく両断され、狙われたものは成すすべなく刃の餌食となるだろう。
加えて、その狙い。放たれた四枚の戦輪が狙うのは首の両脇、逃げ場封じの下方、後退回避封殺の直線の四つ。かがんで上方向三枚をかわしても下からの一枚が回避を赦さず、後方に飛びずさっても正面からの一枚にやられる。そして横に回避しようものなら、左右の二枚が戻る際に切り裂かれてしまう。
まさに『死神の鎌』。運命によって決定付けられた死を与えるために振るわれる、必殺の草刈鎌。その異名を正面から肯定できるほど、その刃は死を簡単に思い起こさせる。
しかし、だからといって。
抵抗の手段が、ないわけではない。
戦輪の放たれたその瞬間、俺は正面から迫る一枚に狙いをつけた。
そして一瞬の後、手がグリップからはみ出るほど小さなその銃を握り締め、
引き金を絞った。
一瞬、一瞬、一瞬、一瞬。
四度の一瞬に対して、放たれるのは四発の弾丸。
その四発は弾道をまったく狂わせることなく、それぞれが戦輪に対して正面から戦いを挑み――――
そしてその四枚を撃ち落した。
「………うそ…………」
ほうけた声を上げ、立ち尽くす京。
硬質な金属が激突する特有の甲高い音の後に、LCPから廃莢された空薬莢と戦輪が重力に続き、
カシャッ
かなり軽い音と共に、地面に同時に落下した。
戦輪。
その武器の持つ切れ味は、確かにすさまじい。元来武器が持つ薄さに対し、打ち上げられた鋼の丈夫さ、回転によって生み出される高速の斬撃はまさに飛来する日本刀のごとき切れ味を生み、突撃してくる弾丸程度なら軌道をぶれさせることもなく両断することも可能だ。
しかし、それはあくまで刃の部分に命中した場合の話。
戦輪は、その名が示すとおり『輪』なのだ。そしてその扱いから推察できるとおり、内輪に指をいれ回転させるためにそこに刃は取り付けられていない。つまり、薄い金属に過ぎないのである。
「Don`t move………って言ってわかるよな?」
京にLCPを突きつけ、俺はそう宣言した。
一気に憎々しげな表情になる京。
「何よあんた………なんでそんな芸当が出来るくせに…まだC級? なにそれ? 性質の悪い冗談?」
「単なる相性の問題だろ。お前、七鳴と殺ったって負けるだろ?」
「拳銃戦が本職でもないくせに、なにいってんのよ!」
「いや、一応要からレクチャーは受けてるし」
俺はそれだけ言うと、LCPの構えを解いた。
そしてのんびりと歩いて、小春を拾いに行く。
「大丈夫か? 友人A」
「ああ、大丈夫だ。掠めた程度でそれほど深い傷でもない、単に起き上がる気が起こらなくなるだけだ。起こしてくれれば、それだけで大丈夫だろう」
「ならさっさとやるぞ。……よっ…こい――しょっ! 案外重いな…お前」
「まあ、平均程度に体重はあるが………うむ、予想は当たりだ。一度起き上がってしまえば、そこから先に支障は出ぬようだな」
「って…あんた、何和やかに会話してんのよ――――」
すぐ脇から風紀委員殿の困惑の声。
「なにって、頼まれたことをやってるだけだけど?」
言いながらLCPの換装を行う。残り弾数が四発の弾倉を落とし、満タンな弾倉を入れてスライドを引く。
「まだ勝負は続いてるでしょう…? まだ私はあんたに一発も入れてないし、あんたも私に一発も入れてない。なら、さっさと勝負つけなさいよ」
う〜ん、そんなこといわれてもなあ………
LCPに入れてあるのは、当たり前だが実弾だ。しかし硲学院の制服は完全防弾仕様のため、征服の上から弾丸を入れる分には何の問題もないのである。
けど、
「撃たねえよ」
「はあ?!」
「そこまでする必要があるようには思えねえし、面倒だ。行くぞ小春。屋上が空いてるだろ、昼までのんびりやろうぜ」
「うむ、それもいいな。確か屋上には緋鹿生徒会会計殿がいるはずだ、ゆったりとした時間を、すごさせてもらうとしよう」
LCPをホルスターに収納し、歩き出す。
さて、屋上でのんびりやるとしますか
「ふふふふ……なら、私が一撃入れてもいいわけよね………」
――――ねえ…?
「そうよね、そっちがこっちにとどめの一撃入れなかったんだから、こっちが入れても文句は出ないはずよね……これは勝負なんだから――――」
後ろからなにやらものすっごーく怖い声がする。
ああ、神様………
「おい、小春……」
「ああ、ナギよ…」
小春と顔を見合わせ、
「「逃げるぞ」!」
走り出したのと、俺のすぐ脇にあった木にクレーターが出来たのは同時だった。