一章 エド・ゲインの憂鬱 第二話
更に戻って、狐実ルート。
××××
「七鳴、こっちはクリアよ。そっちは?」
『はい。現在第二倉庫一階部分の探索中ですが、特にこれと言ったものは発見できません』
「了解。私も休憩室終わったらそっち行くわ。待ってて」
『なるだけ早くお願いしますね。ここは――ちょっと落ち着きませんから』
「はいはい」
わずかに微笑みながら、私は意識をインカムマイクから室内へと移行させる。
屋根と言わず壁と言わず床と言わず備品と言わず人と言わず焼け焦げた、休憩室。山積みになっていた弾丸の箱はいまやただの残骸と化し、元は立派なガンロッカーであっただろう壁際のロッカー郡は完全に塗装が剥げ、単なる金属の箱としか言いようのないよくわからない物体になっている。まったく、修繕しようと思えばどれだけのお金がかかるんだか……
ま、壊した本人が言うことじゃないけど。
思いながら一人で苦笑し、塗装の剥げたガンロッカーの鍵穴へピックとプレシャーレンチを挿入する。鍵穴の下側をレンチで押さえ、ピックを奥へ手前へ弄繰り回し手ごたえの有無を判断しつつ、カチカチとやり――――手ごたえがなくなったあたりでシリンダーを回転させる。
するり、と手ごたえなくガンロッカーの扉が開いた。
「単純ね……」
微笑みながら私はガンロッカーを物色する。フランキ・スパス12が二丁、2.75インチの弾丸が30発入り箱で散弾4、スラッグ5。なかなかスラッグ好きな支部なのだろう。が、私には無関係。体格の関係上、散弾銃なんて撃つどころか構え続けることも難しい。それにスパスなんて一メートルもある大型散弾銃なんて、身長が11歳平均よりちょっと低い程度しかない私にとっては大砲も同然で、使うこともない。
「………ないわね」
ガンロッカーに収納されている書類類の有無を確認し、隣のロッカーへ移る。30秒ちょっとでピッキングし、開錠。内側にある書類の類の有無を確認し、次へ移る。
行程を繰り返すこと、十四回。
時間にすれば、大体20分くらいだろうか。
「七鳴、確認終わったわ。 そっちはどう?」
『えっと………いま工場二階へ上がって、事務室です。資金流通ルートを示す書類が出てきました。日時、企業名、暗号名、流通金銭等、すべて網羅されてますから、証拠能力は十分でしょう』
「いいわ。もって行きましょう。公社が喜びそうね………」
《DDD》と言えば《集団》を名乗りながらも、その根本的な目的がNASを統括管理する機関、《殺人公社》と180度異なるのだ。普段は能力的な高さと挙げている成果から迂闊に公社も動けないだろうが……それが公的機関との違法なつながりともなれば話は別。最低でも内部調査、最高では、その場での組織解体もありうるだろう。
「連絡、どうする? そっちがまだ探索中なら、私が入れるけど………」
『なら、そちらにお願いいたします。先程、事務所の奥から気になる物音が聞こえましたので……。あと、そちらにある銃器を一丁、お願いできますか?』
「スパスしかないけど………弾は?」
『そちらにあるのでしたら、12ゲージのスラッグを。数は30もあれば、十分です』
「了解。連絡入れながらだと、到着遅れるからそのつもりで」
『わかりました』
インカムマイクへ手をやり、耳元で操作、一度七鳴との接続を切断し、クルクルと指先の感覚でダイヤルを回していく。
指がたどるのは、八桁の番号だ。一桁ごとにインカムのスイッチを押し、携帯電話で連絡するように操作していく。
連絡は、一発でつながった。
『はい、殺人公社NAS事務局』
一番面倒で、一番連絡を取りたくない場所。
それが、ここ。殺人公社NAS事務局。
私たちNASが、自らの居場所とするところである。
「登録番号D835―2271、Level89 A級NAS、夜陵狐実。ID5642150、パスワード『ハナノサカリハチリマウサマニアル』」
『――――――紹介しました。お疲れ様です、夜陵A級NAS殿』
「何度も言ってるけど、夜陵って呼ぶのは禁止よ、オペレーター」
『はい、申し訳ありません。して、本日のご用命は?』
時代がかった話し方をする、妙齢の女性が、殺人公社における私のオペレーター。仕事はきっちりしているのだが、その特有の雰囲気と年齢不詳本名不明通称なしという事実が『公社の犬』という印象を強くし、はっきり言って長い間話したい相手ではない。
「ええ、今日の依頼設定、どうなってるの? 集団殺人死亡の民間人の決起阻止って聞いてたけど、いざ蓋を開けてみたられっきとした《集団》、それも《DDD》なんて大物だったわ。公社の難易度設定、どうなってるの……?」
会話が長くならないように祈りながら、一番手近にあったガンロッカーからスパスを一丁拝借する。ついでにスラッグ弾も一箱頂いていき、ロッカーを閉めた。最近は安値になってきたとはいえ、銃はやはり高い。こういうところで拝借するのを忘れる用であれば、一流のNASとはいえないだろう。
『《廃楽園渇望者》……ですか?』
「ええ。無訓練の民間人どころか、専門の訓練を受けて本格的な近距離装備に銃器まで持った、れっきとした武装集団よ。これで単なる民間人なんて名乗られたら、NASも商売上がったりなんじゃないかしら………?」
ストックを畳んだままベルトを肩に引っ掛け、奥へと向かう。鉄扉を開け、廊下へ。
『………その点に関しては、謝罪を。経理部、および依頼管理部へ今回の一件は報告させていただきます。それに伴い、報酬の増加を』
「いらないわ、そんな処置。いまさらちょっとお金がもらえたところで喜ぶほど、貧乏じゃないのよ。私も、七鳴もね」
『…………はい。――――では、依頼の完遂報告の際に、詳しい条件変更を行わせていただきます』
「了解よ、オペレーター。それと………公社に手土産があるわ。私たちが持ってても仕方ないし、公社に買い取ってもらうのが一番いいかしらね………」
『手土産……と、いいますと?』
インカムの向こうから、困惑した声。ええ、と私は自らが優位に立っている感覚に酔いしれながら、
「《DDD》の、資金調達ルートを示した書類よ。七鳴の話だと、関連企業とその暗号名、関係日時に流通金銭額まで完璧に示されてるらしいから、証拠能力としては十分でしょう」
『!』
明らかに、インカムの向こうの空気が変動する。まあ、当然と言えば当然だろう。このご時勢に公社のアンチとして作られた、『殺害者の排除』ではなく『保護』を行う《集団》の存在など、公社にとって見れば目の上のたんこぶどころか脳に出来た腫瘍のようなものでしかない。それを一網打尽に出来る可能性を秘めた書類ともなれば、公社としても喉から手が出るほどほしいものに違いはなく………
『………わかりました。金銭に糸目はつけません。近々、硲学院へ視察へ向かう予定がありますので、取引はその際に』
「ふふ、素直なのね………」
廊下を横断ならぬ縦断し、第二工場への鉄扉を開ける。
「まあ、私たちとしてもこんな書類に価値は見出せないから、結構な安値でもいいわ。でも……それなりの値段は覚悟しておくのね」
『ええ。それでも結構です。書類が本物とわかり、真偽が確認できたうえで査察に入るようなことがあれば、その際にはまた依頼が行くかもしれませんのでその点はご承知願います』
「勘弁願いたいわ」
言いながらも笑み、工場を奥へと進む。
「それで、頼んどいた情報なんだけど………」
『はい。すでに用意は出来ています。口頭で結構でしたら、今からでも説明いたしますが………』
「それでいいわ。説明を」
『はい』
インカムマイクの向こうで、書類をめくるような音。
『硲学院NAS特待生、長白優。Level98 A級NAS、認定は今から4年前に発生した大惨劇、《×××の大葬儀》の直後ですね。登録銃器はシグ・ザウエルP239、およびスコーピオンが二丁。魔眼の保有は確認済みですが、本人からの協力が得られなかったがため詳しい能力は不明です。しかしながら、長白氏が能力を使用した際、その対象となった物体はほぼ間違いなく全壊している、との報告を受けました。そのLevel、年齢から推察して並大抵のものでない事は確かです』
私がこの依頼を受ける際に、金銭とは別に要求した一つのもの。
それが、これ。
硲学院NAS特待生、№XXI、『The World』長白 優の情報だ。
別に何かの因縁があるとか、そういう話ではない。ただ単純に、『入学直後から登校している姿を一度も見せておらず』、『仕事を請けたという話も聞かず』、『本人の姿を見たという者が存在せず』、『実際に会った者はおろか書類上でもその性別が判別できない』という、異様な要素の塊である人物に単純な興味が沸いたという、ただそれだけの話だ。
「そのあたりの情報は把握してるわ。私が知りたいのは、公社の登録書類に付随してるはずの顔写真のほうよ。戸籍にも関連してる情報なんだから出生届けの性別が明記されてるはずでしょう……?」
『いえ……それなんですが……』
「?」
歯切れ悪くオペレーターが言葉を濁した。
珍しい。このオペレーター、愛想はなくとも仕事は確かなのだ。こんな風に言いよどむなんて……大葬儀のとき依頼かもしれない。
『NAS登録書類に明記されている性別は………紛れもなく女性です。旧住所、現住所硲市ですが、我々が《シティ》より回収した出生届の中に『長白 優』の名前は確かに存在しており、またその背別は女性でした………』
「……? なら、女性でいいんじゃないの?」
出生届に判断された性別は誤魔化しようがない。《夜陵》の家のように、あえて出生届を出さないなどと言う鬼畜な所業を日常的に行う家庭と言うなら話は変わってくるが、私の知る限り《恐れ名》にも《忌み名》にも『長白』の名前はないし、それにそもそも『性別を男女逆に登録する』ことに何かメリットがあるとは思えない。
『いえ、確かに書類上の登録は女性です。ですが、公社で受けた長白氏からの連絡、およびNAS登録書類に付加されている顔写真、そのどちらもの性別に、一貫性がないのです』
「え?」
『平たく言えば、長白氏の性別は不明である、ということに、なります………』
ちょっと、ちょっと待って。
「――――一貫性がないって、どういうこと…?」
『はい。長白氏は常に書類更新の際、自らの手で写真を持ってこられます。ですが、その際に渡される写真は常に別人としか思えないほど異なった顔であり、また依頼完遂報告の際、連絡は肉声で受けますが、その声も常に男女が移り変わります。試験の際には女性でしたが、三つ目の依頼完遂の際には男性、四つ目には女性に戻り、以降依頼一つごとに男女が入れ替わります。別人の可能性を疑い、一度公社のほうでも調査を行いましたが………』
「………どうだったの?」
はい、とオペレーターは前置きし、
『顔写真を頼りに捜索を行ったところ、姿はおろか生活の痕跡すら発見できませんでした。が、依頼を指定された住所に送付したところ、数日後には常に完遂されていますのでNASであると言う事は事実であり、また《集団》との接触の様子も見られないため、現在公社では長白氏の所在を捜索すると共に情報収集する方針となっています』
「……………」
性別が、完全に一貫しない。
通常なら別人の存在を疑うところだが、得体の知れない魔眼が存在している以上一概には確定できない。それに他人の関与があるのだとすれば、そこに何かしらのギブ・アンド・テイクが存在しているはずだ。
だけど、NASを、それもLevel90を超えるA級NASを利用することに何のメリットがあるのだろう。
私に考え付く限りで自らにとって都合のいい依頼の完遂、もしくは己の力の誇示のために飼い殺しにしておく、といったところ。だけどその両者にしたところで魔眼もちで、NASなら問題にならない。
NASと一般人を隔てる究極的な差、それは『殺人の許容』である。
依頼を受けていない状況であろうとも、自らを中枢とするトラブルに巻き込まれた場合であろうとも、そこに自らの意思での殺人を介入させられるようにするためにNASである人間が殺人を犯しても、それが状況から最善であると判断できる場合、罪には問われないのだ。
つまり、拘束しておくことが不可能に等しく、犯罪に関与させていた場合自らの命まで危うい。
なら、考えうる可能性は一つ。
長白 優の保有すると言う、わけのわからない魔眼。
その作用によって、長白 優は性別を変えている。
そう考えるのが、妥当だと思う。
「………情報は、それだけ?」
『はい。公社においても全力で長白氏の所在を捜索していますが、その雲行きは芳しくなく――――』
「そう……、わかったわ。こっちはもう少し現場探索してから撤退するから、死体の後処理はお願いね」
『了解しました』
プツッ。
軽い電子通信の切断音を立て、公社との通信を切断した。
………結局、収穫はなし…か………
あきれたように、内心で私は呟く。
長白、優。硲学院NAS養成科で、恐らく一番私に近い存在。
《夜陵》と言う醜悪な大家に白子として生まれ、惨劇に関わることで更なる死を宿しすべての害悪の支配者となった私。
戦いにおいて敵うものはなく、
殺戟において勝るものもなく、
死を持つにおいて上回るものもない。
それが、私。
だから、もしかしたら。
もしかしたら、NAS特待生の中でトップクラスの実力を持ち、一切姿を見せないと言う謎めいた要素を保有し、あのナギでさえ敵わないと宣言したあの人なら。
私に、近づけると。
私を、超えてくれると。
そう思っていたのだが………
……見つからないんじゃ、しょうがないわね…
内心でため息をつきながら、第二工場へ足を踏み入れる。
七鳴の姿は、ない。工場二階部分の張り出し、事務室の引き戸が全開になっていることを考えると、恐らくはその中だろう。そういえば気になる物音が聞こえた、とも言っていた。あの七鳴がそう簡単に敗北するとは考えられないが、一応急いで――――
――――バガン!!
「!!」
耳を貫いた火薬の破裂音。
その音に、私は散弾銃を放り捨て一気に駆け出していた。
紛れもない、NAS特待生ならあの音に反応しないわけがない。それに私は七鳴と長く付き合ってるから、その手の音はよくわかる。間違いない、あの音は七鳴の持つ柊工房特製五連銃身多目的ライフル、《アルテミス》の第三銃身、その発砲音だ。
狙撃手というよりも多目的制圧手である七鳴が愛用する、五つの口径、五つの目的に対応した、ライフル銃の傑作ともいえる一品。遠距離からは5.56mmと7.62mmの銃弾を、多人数を相手にはグレネードを、遠距離に存在する遮蔽物には12.7mm弾を、と言った具合に、たとえどんなものがどんな場所に存在していようとも攻撃できると言う特徴を持っている。
そしてその第三銃身の目的は、『中距離』。
使用している弾丸は、散弾だ。
………発砲した、ってことは……
さび付いた鉄製の階段を駆け上る。
………誰か、残ってたってこと……!
踊り場を一歩で飛び越え、更に上へ登る。一歩ごとに足元がきしむが、七鳴の体重に耐え切れた階段だ、私の体重で崩れたらそれはそれで驚きとしかいい用がない。
………それに、あそこは…………
スカートの中から高速で愛用のナイフを二本抜き出し、階段を上りきって事務室へと疾駆する。
………『いる』かも、しれない場所。
誰なのかははっきりしない。が、少なくとも魔眼使いであるはずの人間が。
《DDD》がやっている事は、何も殺人者の容認だけではない。殺人者を自らと同じ人間と信じ込み、増えすぎた人間を淘汰することこそが自らの務めと信仰するものでさえ庇護することでさえ厭わず、保護するべき人間を殺害していく殺人公社の解体を目論んでいるとまことしやかに囁かれてさえいる。
そして、その目的の一環として行われているのが『魔眼の研究』である。
いかなる目的で魔眼は発現するのか、いかなるメカニズムでその現象は発生するのか、副作用はなぜ生じるのか、人工的に発現させる事は可能なのか。
それらのすべてを、『科学的に』解明することをも、《DDD》は目的としているという。
故にこそ、彼らの研究機関には多くの場合魔眼使いが残されている場合が多い。
七鳴の発砲、および連絡がないと言う事実、それらが意味する自体は、
………魔眼使いからの、急襲!
そうでないことを祈るしかない。七鳴は確かに強いが、接近戦の初手は常に銃器だ。接近戦に熟練したもの、あるいは攻撃的な魔眼を持つもの、そのどちらかが相手となった場合、七鳴の武器ではあまりにも不利だ。
事務室直前で疾駆していた体の重心を操作し、滑り込むように事務室へ侵入する。
七鳴の姿は、ない。事務机が並んでおり、その上に書類が放置されているところを見ると例の書類を発見したのはここ。となると本人は事務室の奥、事務机の先の、扉の向こうのはず。
「っ」
事務机に飛び乗り、一気に机の列を踏破、その先の木製ドアを跳躍して潜り……向こう側にあった壁に両足をついて二歩で方向転換、その先にある階段を、一気に上る。
―――― ドゴン!
また。今度は7.62mmのライフル弾。何発も撃っているところを見ると、向こうはまだ存命……!
「無事!?」
階段を踏破し、左にある部屋へ一声と共に飛び込む。
木製の簡素な部屋。部屋の端にはベッドと木製テーブル、それと小型のクローゼットが存在し、短いながらも生活していた誰かの存在を疑わせる内装だった。
「………はい…」
そして部屋の奥、割れたガラス窓の正面には狙撃モードの七鳴。視線と銃口は割れた窓ガラスの向こう側に向けられ、その先に存在した誰かを、あるいは何かを狙っていたことを簡単に理解させてくれる。
「………申し訳ありません。一人、逃がしました……」
言いながら銃口を窓の外から部屋の天井へと向け、手の中の巨大な鉄の塊のスライドを引き、廃莢する。
「いいわ、七鳴……」
言いながら私もスカート下へナイフを納刀し、部屋の中を見回す。
……机の正面に散弾の弾痕、その下に飛び散った金属片に――ペン一本。なるほどね、七鳴が部屋に来た瞬間、壁のあの位置にあった銃取ろうとして、阻止するために散弾発砲、そのままそいつは窓割って逃走して、逃げる背中を追っかけてライフル………ってとこか。
「随分と素早かったのね、そいつ……。七鳴の弾丸から逃げ切るなんて………」
NAS特待生№XVII、『The Star』の放つ《星屑》は正確無比で有名だ。どれだけ早かろうとも、どれだけ距離をとっていようとも瞬きの間にその体に《星屑》は正確に着弾し、その命を奪う。
それから逃げ切るなど、どれほどの腕の持ち主なんだろうか。
「………いえ。逃げ切られた、わけではありません」
「え?」
腰に付随したポーチから散弾を取り出し、三つ目銃身脇の廃莢口から装填しながら、
「協力者が、いたんです。――――見てください」
言って七鳴が指し示すのは割れたガラスのあたり。先程まで七鳴が銃口を突き出していた割れ目、その周辺。
その箇所は、斬られていた。
「………………」
工場の二階、そこに存在する、事務室の外壁。
その箇所が、なにやら巨大な爪をもつ生物によって一撃されたかのような爪痕を残している。深々と壁に刻まれたその痕跡は残された窓を切り裂くだけに留まらず、壁を破って天井を切り裂いてクローゼットを壊して………その末に床を切り裂いて引き抜かれている。
「………何? この斬撃痕……」
私の疑問の声に、七鳴はライフルを背負いなおし、表情を穏やかな平常の元へとシフトさせて、
「西洋剣、でした。背後を狙撃しようとした瞬間、いきなり上空から」
「上から?」
はい、と七鳴。
「恐らく……《Xⅲ剣》かと」
「《Xⅲ剣》……ね」
思わず笑みとため息が同時に漏れた。
魔眼使い確保出来そうになってまさかの妨害、しかもその妨害がかの有名なる《Xⅲ剣》。
なんだか、妙に出来すぎているような気がする。まさかとは思うが………
「《御涯公爵家》……じゃないわよね? 《儚梨雑技団》も否定できないし、あるいは《恐れ名》かしら……」
「そのあたりはなんともいえませんね。でも――――」
言いながら、七鳴はにっこりと笑みを浮べる。
「逃がすつもりは、ないんでしょう?」
楽しむような微笑み、挑戦的な口調。その口調は明らかに、回答がわかりきっている問いに回答をゆだねるものの言い方だ。
「……当然」
同様の笑みを浮べながら、私は呟くように言う。
くるり、と身を翻し、
「でもとりあえず、」
「とりあえず?」
くるり、と白髪を翻し、七鳴に笑みを見せる。
「今は、帰りましょう」
「………そうですね」