始まりのメロンソーダ
俺はある喫茶店にいた。テーブルには水の入ったコップが一つだけ置いてある。
何か注文をするわけでもなく、俺は通路を挟んだ向こう側の席に座っている女性が、メロンソーダを飲むのをじっと見つめていた。
俺は家の近所ということもあり、この喫茶店に昔からよく行っていたが、彼女をここで見るようになったのはつい最近であった。
艶やかな黒髪、白く透き通った肌、そして憂いを帯びた目――
彼女を初めて見たとき、俺はその美貌に一目惚れをした。そこから俺は彼女に会いたいがために、毎日この店に通うようになった。そのおかげで、彼女がこの店に来るのはだいたい、毎週火曜日の16時から18時の間、または金曜日の17時から19時の間が多いことがわかった。そして、彼女はそこでメロンソーダを毎回頼み、本を読みながら時間を過ごしていた。
そして今日も彼女は火曜日の17時22分に来店し、メロンソーダを頼んで本を読んでいた。
俺はいつも以上に彼女をドキドキしながらその様子を見つめていた。今日は、彼女に対するある計画の実行日であった。その計画とは、彼女がトイレで席を離れた瞬間に、テーブルに置いてあるメロンソーダに口をつけ間接キッスをするというものだった。そして、そのことを知らない彼女は、席に戻ると再びメロンソーダを何くわぬ顔で飲み、その様子を見て俺は一人悦に入るというものだった。そのため、俺はそれを実行するために彼女が席を立つのを待っていたのだった。
「まだだろうか……」焦燥感が俺を襲った。もしかしたら、計画は延期になるかもしれない。
しかし、神は俺の味方であった。彼女は読んでいた本にしおりを挟むと、その本だけテーブルにおいて、カバンを持って席を離れた。
彼女が店の奥にあるトイレに入っていくのを確認すると、俺は早速計画を実行しようと席を立ち、通路に足を一歩踏み出した。しかし、その時だった――
突然、体全体が重くなり、俺は立っていることができず片膝をついた。
「何だこれは……」重さはどんどん増すばかりで膝を立てることすら困難になり、俺は地面に突っ伏した。
「はっはっは、惨めだな」横から笑い声が聞こえた。
「だ、誰だ!」
「ふふっ……僕かい? 僕の名前はジューシロウ。君には僕の能力『重力操作』によって動けなくさせてもらっているよ」
「じゅ、重力を操られるのか。つまりこの俺は通常の重力よりも強い負荷がかかっている状態なのか……しかし、何故そんなことをするんだ」
「何故? それは君がライバルだからだよ」
「ライバル……?」
「君も狙っているんだろ? 彼女のメロンソーダを」
俺は、驚きを隠せなかった。この計画は誰にも話しておらず俺以外に知っているものはいるはずはないのだ。
「何故、そのことを知っているんだ……まさか、心を読むこともできるのか!」
「ふふっ、残念ながらそれは違うよ。これは……何て説明すれば良いんだろうか。言ってしまえば勘かな」
「勘だと……」
「そう、だけど勘と言っても決して当てずっぽうなわけではないんだよ。君を一目見て感じたシンパシー……そうだね、これは彼女のメロンソーダを狙うものとしてその本能が同士の存在を嗅ぎ取ったんだろうね」
「そうか……だが、まさか俺と同じことを考えている人間が他にいたとはな。お前とは良いメロンソーダが飲めそうだ」
「そうだね、でも残念ながら彼女のメロンソーダはただ一つ。君はそこで這いつくばって、僕と彼女が(間接)キッスをしている間、地面とキッスをしているんだね」
俺は目の前を彼の靴が通るのを見た。その一歩はゆっくりであったが自信に満ちあふれていた。
「……すまないが、俺にそんな趣味はないんだ。もう少し足掻かせてもらうよ」
俺は思いっきり右腕に力を込め、彼の足首を掴んだ。
「ば、馬鹿な! この重力の中で腕を動かせるなんて……常人には不可能だ!」
「そうだな……しかし、俺は毎日この喫茶店に通い、あの開きの悪い入り口の扉を開け閉めしてきたことで、常人以上に腕の筋力が発達したんだよ!」
「あ、あの扉を自力で……! 普通の人では開けられないから、扉の前についている呼び鈴を押して、中にいる店員さんが二人がかりで開けてもらうのにそれを自分1人で、しかも毎日……!!」
「まあ、一般人だと思って油断したのが運の尽きだったな」
「くっ、だがそれでも腕をやっと動かせた程度じゃないか。まだ僕の負けでは……」
「しかし、その右足は俺に掴まれているから、俺の身体の重みが加わり動かせることはできないだろ? このままではお前も彼女のメロンソーダにたどり着くことはできまい」
「……確かに。くそっ、仕方ない。一旦お前に加えている重力を解除する。しかし、そこで変な真似をしたら今度こそ容赦しないぞ」
「……わかった」
しかし、俺は彼の言いつけを守るつもりはなかった。自分の体が軽くなるのを感じると即座に立ち上がり、ジューシロウが『重力操作』の能力を発動するよりも早く、彼のあごを目掛けてアッパーを打ち込んだ。その衝撃で彼の頭は少し揺れ、そのまま白目をむいて後ろへ倒れた。
「強力な能力だったな……」俺は再びメロンソーダを取ろうと、彼女のテーブルに目をやると、そこにはメロンソーダがなかった。
「な、何!」俺がうろたえていると目の前で
「おいおい、お前の探しものはこれかい?」と声がした。
俺は声のする方を見た。そこにはメロンソーダの入ったコップを右手に持った、一人の男が立っていた。
「お前も彼女のメロンソーダを狙っているのか!」
「ああ、この蔓崎様もメロンソーダハンターさ。ただお前らとは違い、俺様はちょっと過激でな。彼女のコップに口をつけるだけではなく、そこをさらに舐めるのさ」
「な、それは(間接)ディープキス! この外道が!!」
俺は怒りに駆られ彼を殴りかかろうとした。しかし、
「おっと、動くんじゃないぜ。下を見てみな」
俺はとっさに下を見た。そこには丸い魔法陣が書かれていた。
「な、何だこれは!」
「俺様は召喚師でな。今から、その魔法陣でスーパークールなモンスターを召喚するぜ」
そして蔓崎は左手を天に掲げ叫んだ。
「現われろ! 絶対にして最強、最強にして絶対の存在、大魔神トール!!」
すると魔法陣が光だしそこから、両腕は大木のように太く、白い髪は逆立ち、目は銀色にギラギラと光った巨躯の化物が現れた。
「こ、これが召喚術……」
「まあ、これほどのレベルのモンスターを呼ぶにはかなりの技術とそして完璧な魔法陣が必要だがな。まあ、お前らが一悶着している間に魔法陣がかけたわけだからそこはラッキーだったな」
「ふん、だが愚かだな。それならば俺達が戦っている間にこっそりメロンソーダを飲んでしまえばよかったんじゃないのか」
「おいおい、それじゃあつまんないだろ。どうせ飲むんならお前のような同じメロンソーダを狙っていた人間の前で、そいつの屈辱にまみれた可哀想な表情を見ながら飲んだ方がいいに決まってんだよ。ケケッ」
蔓崎は悪意に溢れた薄ら笑いを顔に浮かべて言った。俺の怒りはついに頂点に達した。
「お前みたいなクズに彼女のメロンソーダは渡さない!」
「ケケッ。じゃあ、どうするって言うんだい? まさかこのトールとやり合うっていうのか? いくらお前が人間界で強くてもな、こいつは異界の存在。こちら側の常識は通用しねえぜ?」
「俺もそこまで馬鹿ではない。無謀と勇気は違うのだから」
「じゃあどうするんだ?」
「その怪物自体には弱点はないのかもしれない。しかし、その怪物が存在するにはその地面に書かれた完璧な魔法陣が必要なのではないのか……!」
「ま、まさか」
しかし、蔓崎が気づいたときにはすでに俺は、テーブルにある水の入ったコップを持っていた。
「冷や水浴びて少しは反省しろ――外道が!!」
俺は、コップの水を魔法陣に向けて掛けた。魔法陣の線が水で滲んだ。すると、あの大きな怪物がみるみる形を失い、最後は泥粘土の塊のようになった。
「俺様のトールが! くそ、だがメロンソーダは俺様のものだ!」蔓崎は手に持ったメロンソーダに口をつけようとした。
「させるか!」俺はテーブルの上の爪楊枝を一つ取り、蔓崎目掛けて投げた。爪楊枝は見事彼の眉間に刺さり「ぐぎゃ」と変な声をだすと蔓崎はコップを手放し倒れた。そしてコップもそのまま地面に落ちてしまうかと思われたが
「危ない」
「…………あなたは」
既の所で拾われた――俺ではなく、あの美女に――
「どうやら、私の作戦は成功したみたいね」
「な、作戦……?」
「そう、優秀な間接キッサ-をスカウトするための作戦がね」
「間接キッサー? 何を言っているんだ!?」
「……あなたの間接キッスへの情熱は本物よ。どう、私と一緒に宇宙を旅しない?」
「……はあ?」
こうして、俺の平穏な日常は終わりを告げたのだった。
続く
次回予告(内容は予定と変更される場合がございます)
黒髪の美女、イチコによって主人公のエイタは半ば強引に、宇宙を股にかける、間接キッスのハンター集団の仲間入りをする。そんな彼に早速仕事が言い渡される。初仕事のターゲットは金星女王、ラヴァ女王の間接キッス。いきなり難易度マックスのこの仕事をエイタは果たして達成できるのか!?