きっと明日は晴れるから
中途半端な終わり方です。続編を投稿する予定ですが、まだ出来ておりません。その旨ご了承の上でお読みください。
――仕事が決まらない。
これは、一体どうしたら良いのだろう。
私は現状の不安定さに目眩を覚えつつ、喫茶店から曇天の空を見上げた。
今の自分の気持ちのように鬱々とした空を見上げていても、全く気分は晴れない。
反らすように下げた視線の先には、ハローワークで印刷してきた求人票と求人誌の山。
――仕事が決まらない……。
切迫した問題にまた戻っただけで、目眩の次は頭痛までしてきた。
「どうしたら、良いのかしら……?」
こめかみを押さえながら、これまでにおこった怒濤の日々を振り返る。
「栞奈。すまないが、しばらく距離をおいて欲しい」
「はい?」
寝耳に水とはこの事だ。私こと、水宮時栞奈はこの時、口をただ開けて文字どおりポカーンとするしかなかった。距離って、心の距離の事よね? 物理的な距離って事では無いわよね……? そんな馬鹿な事まで確認してしまいたくなった。
「あああ、あの、私何かお気に障った事でも致しましたでしょうか……?」
マンションの一室に設けられた豪華で広大なリビング。私と目の前のソファーに腰掛ける内藤海――海様との共通の住まいだ。そこに優雅に腰かけたまま、海様は表情を曇らせて話を続けられる。
「お前と俺は親同士が決めた婚約者だ。俺より五つも年下で……お前は今、二十歳だったな?」
「は、はぁ……」
なぜ今更、事実確認をしているのだろうか? 海様はとても優秀な方だから、私には思いもつかないような事をお考えなのかしら……?
「俺たちは、お前の大学卒業を待って結婚する。いわば許嫁同士だから、両家の親の強い要望もあって今は住まいも一緒にされている。……そうだな?」
「え、ええ」
確かにその通りだ。本来なら、正式な結婚まで別々に暮らすのが道理だが、大学やら会社やらとお互いが離れている間に、心の距離が開いてしまう事を危惧した両家により強制的に同棲させられる事になった。だって、帰ったら、部屋と荷物が無くなっていたんだもの!! その時の驚きは二年経った今でも忘れない。どんだけ結婚させたかったのかしら、両家の両親達は……。私はいつもニヤニヤ私たちを眺め回す両親×2を思い出してウンザリした。
「……それで、だな」
「は、はあ」
まだ話が続いていた。それはそうだ。肝心な事は何一つ聞いていないのだから。
「それで……」
海様が、ゴクリと喉を鳴らした。
「しばらくお互いの存在を見つめ直すために、俺はこの家を出ていこうと思う」
「………………えっ」
晴天の塀歴とはこの事だ。
私は部屋と荷物が無くなった時以上の衝撃を身体全体、精神全体に受けていた。
そもそも、内藤家と我、水宮時家の父親達は学生時代からの親友同士だった。時勢を読むことに長け、一市民から大企業の社長へと成長し莫大な財産を築き上げた内藤家。古くは平安時代まで遡るという公家の血を引いた水宮時家。
金はあるが、財界や政界で披露できる血族が居ない。一方、由緒ある血はあるが、金がない。
双方の思惑もあって、私達の父は幼い頃から、同じ環境で育てられ、協力関係を結ばされていた。それが功を奏したのか、現在までその関係は良好に保たれている。
しかし――しかしだ。
互いが男同士ということもあって、どうしても血縁関係には結び付かない。残念ながら、お互いの家で男児にしか恵まれなかったからである。そこで、回ってきたのが次の代。
それが私達。
年齢に五歳ほど開きはあったが、両家が待ちに待った男女の一対。私はこの世に生を受けた時から、海様と結婚することを定められていた。
――それでも私はこの幸運に日々感謝していた。
普段からおっとりと穏やかで、声を荒げる事の無い海様。色素の薄い茶色の髪はきらきらと光を跳ね返して、いつ見ても神々しい。少し細目の瞳は真顔だとキツくも見えるが、微笑んでいる事が多いのでホッとさせてくれる。
一緒に居ると、安心できる。ここが自分の居場所だと、帰る場所だと思わせてくれる。――そんな存在だった。
だから、それほど抵抗もなく同棲生活を送ってきた。結婚生活が少し早まっただけ。むしろ一緒に居られる時間が増えて嬉しい。
私はそう思っていたのだけれど……。
どうやら、海様にとってはそうでは無かったらしい。
「はあああ。早く仕事を探さなきゃ……」
思考を現在に戻し、頭を抱える私。机に腕を乗せた拍子に求人雑誌がバサバサと落っこちてしまった。
『大学を休学して、就職?! はっ、はははは……。今時そんな方を受け入れてくれる会社は皆無だと思いますが……』
ハローワークの職業相談で、そう言われてしまった。
大学を休学して就職。
これが私の下した結論だった。短い話し合いのあと、海様は本当にマンションから出ていってしまった。残されたのは広すぎる室内と私。海様は『しばらく』と言った。
『しばらく』
これは一体、どれ程の期間なのだろうか? そもそも、海様は私との結婚に納得していないのではないか。そう思ったら、ショックも受けたが、何故だかストンとその考えを受け入れてしまっていた。
五歳も年下で、海様と比べるとごくごく平凡な私。真っ黒な黒髪に小さな背。海様と並ぶとまるで飼い主と犬のようではないか。血脈は立派かもしれないが、内藤家の支援が無ければ没落してしまうかもしれない実状。
海様にとって、私との結婚は喜べるものでは無い。――それも当然である。
ストンと納得した後は、そんなに思い悩むことも無かった。正式な婚約解消となるまでは、とりあえず大学を休学して就職活動をしよう。そして一刻も早く、内藤家からの支援を脱し、一人立ちをするのだ。
――海様の負担や重荷を減らすために。
「……でも、職が、職が無いのよねぇ……」
結局はふりだしに戻り、頭を抱えるしかない。やはり、大学を辞めてから活動するしかないのだろうか。それとも、『アルバイト』か『パートタイマー』なるものか。今まで生きてきて、お金を稼ぐために働いた事は無い。だからなのか、現実がこんなに厳しいものだとは思わなかった。
事務職に就くには、簿記と呼ばれる資格等を取得していると優遇されるらしい。
介護職に就くには、介護士養成研修と呼ばれる研修を受けると優遇されるらしい。
接客業に就くには、レジ打ちとお客様への対応能力があれば優遇されるらしい。
このように、『~に就くには』という項目が働く上で必要だとは一切思いもしなかった。私の想像上では、
『働きたいです!』
『はい、どうぞー!』
……このような感じだと本気で思っていたのだ。
「私は、何も知らないのね……」
大学では、作法や行儀など、主にマナーについて学んでいる。所謂、お嬢様の花嫁修行を行う学校だ。簿記も、介護士養成研修も、接客もどれもこれも知らない。経験がない。
未経験でも可能だという求人もあるにはあった。そこで、今日の午前中に一社面接を受けてきたのだが……。
「接客の経験も無いし、資格も……無い、ねぇ。趣味はお花を活けること……」
「は、はははい」
「で? うちの求人に応募してきた理由は何ですか?」
「……はい?」
「だから、志望理由ですよ。どうしてうちの会社に応募されたんですか? 未経験にも関わらず」
「え、……えっと」
――何も無かった。
ただ、未経験でも可能だという項目を読み、住まいのマンションから近かった為に選択した会社だ。仕事内容すら確認していない。それらは決まった後に教えて貰うことだと思っていたから。
「ああああの、あのあの」
「……もう、結構ですよ」
涙ぐんだ私を見て、初老の男性はため息を吐きつつ面接を終わらせてくれた。
「あなたねぇ」
「は、はい」
「……もう少し、世間というか……その、常識を学んでから出直してきなさい」
「……………………はい」
深々と頭を下げながら、私は再び泣きたくなった。私の通っている大学は行儀作法を学ぶ大学なのに。ここでは、社会では微塵も通用しないのか。
自分の不甲斐なさで、倒れてしまいたくなった。
こうして、初めての面接に惨敗し、今に至るというわけだ。
「早く、早く海様を解放してあげなきゃ……」
この思いだけが私の胸を占めていた。