野球部
七回にさらに三点を追加され、いよいよ苦しくなってきた。
ヒット数が明らかに少ない我が高校が五点差をひっくり返すのは決して楽ではないはずだ。
ここでメンバー交代が発生した。
川越君に代わり、ライトにいた澤村君がマウンドに立った。
大太鼓が打ち鳴らされ「澤村ー!」という歓声が文系クラスからわいた。
知美はテンションが上がり
「うーたん!うーたん!」
と叫んでいるが、唯は身動きひとつしない。
スカートを握りしめて目を真ん丸にすると歯を食いしばったまま呼吸すら忘れているように見える。
澤村君が投球練習をはじめた。
彼はサイドスローの選手のようだ。
球速は川越君と比べると大分劣るようだが、コントロールはよさそうだ。
彼の放るボールは初見では打ちにくいようで、ピンチを広げる事なく残りの三回を守り切る。
唯は涙を流しながら微動だにしない。
敏腕マネージャーは度々彼女の顔を拭いてやる。
九回裏、我が高校の攻撃が始まる前に円陣が組まれた。
主将の外崎が何か言っていて、皆はそれに反応しているのが見える。
円陣は一際大きなかけ声の後に解かれ、バッターボックスにこの回の先頭打者澤村君が向かう。
未だ五点差のまま。
澤村君は粘りに粘ってフォアボールで一塁へ走った。
相手チームのピッチャーも疲れているのだろうか。
それとも勝ちを意識してしまったのだろうか。
その後アウトを一つとられたが満塁になる。
ここで四番外崎。
前方にいる幸がうつむいて手を組んでいる。
ボール球の後に一球見送って三球目。
快音と太鼓の音と歓声がわき幸が顔を上げた。
澤村君ともう一人の選手が帰ってきて笑顔でメンバーにハイタッチをし、外崎は二塁でガッツポーズをしている。
三点差でランナーは二塁三塁。アウトは一つ。
相手チームがタイムをとり、ピッチャーを囲んで何やら話しはじめた。
彼等も負ける訳にはいかないのだろう。
熱い展開にすっかり忘れていた唯の顔を見ると涙と鼻水が溢れて酷い事になっている。
知美はそれを見て喜んで写真をとっている。
しかし我が高校の反撃はここで終わってしまった。
最後のバッターだった男子は空振りをするとバットを持ったまま蹲って泣いてしまった。
素人目に見てもあの瞬間は辛いものだろうと思う。
チームの皆は彼を迎えにいき、肩を抱きながら試合終了の挨拶へ連れていった。
その後応援団の前に一列に並び、外崎の号令にあわせて帽子を脱ぎ皆頭を下げた。
その頃には唯も動き始め知美と共に
「うーたん!」
と泣きながら手を振っている。
澤村君は笑っていたが、外崎は頭を下げたまま動かず他の選手に促されると下を向いたまま帽子で顔を隠してベンチに入っていった。
こうしてテニス部以外の三年生の部活動は全て幕を閉じた。
その後日私は学校を抜け出し、一人で横山の試合を見に行った。
三年生になってから復帰をした彼はベンチにいた。
上手い選手だったが、長い間練習をしていなかった彼と皆の間には差ができてしまっていたのだろうか。
対戦高校は今年の優勝候補である強豪校だった。
コールドとまではいかないが実力差は明らかで、勝ち目は無いように思えた。
すると九回表の守備から横山がショートとして出てきた。
彼は笑顔で皆に声をかけている。
皆も笑顔で横山を迎える。
ヤバい。唯が泣いた気持ちが少し分かってしまった。
これが彼の高校野球最後のプレーになるのかもしれない。
一瞬も見逃すものかと集中して彼の姿を目で追った。
彼の動きはやはり華麗だ。
反射神経もさる事ながら、私はこの姿を見て彼に惚れたのだと嫌でも思い知らされる。
指を立てながら後ろを向いた時、ついに我慢できずに涙が出てきてしまった。
そして正面を向いた時の顔は帽子の影になりあまり見えなかったが、中学の頃の彼の姿を思い出させる。
追加点は与えなかったが、もう少し見ていたい私は不謹慎にも少し名残惜しく感じてしまった。
九回裏、横山まで打順がまわる。
しかし場面が良くない。
アウトを二つとられてランナーは無し。
最後のバッターとなる可能性がある。
バッターボックスに入って足場をならす姿を見ていると胸が潰れそうになった。
ここで打てなければ彼の高校野球は辛い思い出になってしまうのではないだろうか。
幸もこんな思いで外崎を見ていたのだろう。
しかし彼もまた唯と同じ「今を生きる」人だった。
九回裏二アウトでピッチャーが振りかぶって投げた初球
横山は綺麗なフォームでバットを思い切り振りぬき球場に快音が響いた。
ライナー性の鋭い打球は野手も反応しきる事ができずレフト前の2ベースヒット。
ベンチからは歓声がわいた。
彼は笑顔で手を上げた。
しかし彼がホームベースを踏む事が無いまま試合は終わってしまった。
彼は試合後の挨拶をすると強豪校の選手と笑顔で少し会話を交わしてから、自分の高校の応援団席へ走り皆とお辞儀をした。
皆が顔を上げてもその姿勢のまま中々動かない彼の頭やお尻などを野球部の皆が叩いて笑っている。
その後その人達に仕返しと言わんばかりに笑顔で追いかけていった。
その後横山は泣いたはずだ。
球場から出てきた彼の目と鼻が真っ赤だったのだ。
「意地はらないで野球続けるべきだった。」
少し口を歪ませて頭をなでながら彼はそう言った。
彼が九回まで出なかったのは、三年間真面目に練習してきた仲間を思って辞退したかららしい。
バッターボックスに入った時は、誰もしたくない仕事が自分にまわってくるのは因果応報であると考えていたそうだ。
「あの時の横山はかっこよかったよ。」
素晴らしい選手がこうして埋もれていくのは凄く寂しいもので、しかしそれを感じたのだろう地元のテレビ局は彼の打席をハイライトシーンの一つとして放送し、さらに翌年以降から地元の高校野球番組のオープニングシーンの一つにも使われるようになる。
私は心から嬉しかった。
やはり彼は野球をするべきだったのだ。
最後に言葉を交わした強豪校の選手は横山の知り合いで、彼は後に甲子園から持ち帰った土を横山に少し分けてくれた。
自分達と対戦して散っていった友人達に甲子園の土を少しずつ分けるというのは、この地域の伝統でもあるらしい。
こうして横山の高校野球生活も幕を閉じた。




