長谷川
今年の文化祭は総体がまだ終わらないサッカー部と、夏の大会予選真っただ中の野球部以外は参加する事が出来た。
G組がフランクフルトの店を出していて、唯はたこ焼きを片手に物々交換を何度も申し出て
「買えよ!」
と幸に怒られていた。
我がクラスは唯が作ったエイリアンの看板の下でたこ焼きを作った。
こういう作業も不思議女子に任せると大変な事になる。
唯は手が不自由なために基本仕事を任せられていないのだが、知美が絶好調で踊りが止まらない。
彼女は材料を切る係なのだが、包丁を持ってくるくる回るもので危なくて誰も近寄れない。
「危ないからやめな。」
と言っても5分後には忘れて動きだす。
近年ダンスを習っている小学生が学校で突然踊り出すという話を聞いた事があるのだが、恐らく近い状態ではないだろうか。
そして唯も何かしたかったのだろう。
たこ焼きの中に入れようと隣のクラスのたい焼きに使われる餡を調達してきたり、チョコバナナを調達してきたりなどの活動をせっせと行っていた。
暗に「この二人をどこかへ連れて行ってくれ」という気配を感じ、私は店の手持ち看板とチケットを持って体育館に行く事にした。
体育館では軽音部がバンド演奏を入れ替わりで続けている。
その様子を見てテンションが上がってしまった不思議女子二人を置いて私は逃げた。
間違いなく踊り始めるはずだ。
その後は滞りなくたこ焼きも完成し、無事に販売をする事もできるようになった。
しかしこう見えて二人は嫌われているわけではない。
どちらかと言うと好かれている。
ただ化学反応するととんでもない事が起きるのは前夜祭で皆学んだため、注意をしているのは確かだ。
文化祭は二日間続き、私はマネージャーとして彼女達を引き連れながらチケットと手持ち看板を持って宣伝係をした。
野球部はこの頃は夏の大会の予選で忙しく、前夜祭しか参加ができなかった。
それが気の毒だという事で、後日唯は自宅でたこ焼きを作り澤村君に食べさせたそうだ。
正直怪しげなものが入っている気配を感じたが、恐らく彼なら喜んで口にした事だろう。
文化祭が終わるとすぐに、また野球部の試合の応援団に参加した。
これも含めてあと三つ勝つと甲子園の切符が手に入る所まできているのだが、相手チームは昨年甲子園に出場を果たした強豪校だ。
四回までは両チーム無失点だったが、打者一巡した後の相手チームはしっかりと球を捉えはじめる。
そしてついに五回で二点をもぎとられた。
ピンチの状態が長く続き、ピッチャーの男子の背中が辛そうに見える。
調子が悪いのか、それとも相手が強いからか。
「きつそうだね。」
と言うと唯が
「あのピッチャーの男子の名前なんだっけ。」
後に彼の名前は川越君と知るが、この時は分からなかった。
ここは豪華な球場ではなく、得点の横に選手の背番号と名前が出るなどというバックスクリーンでは無かったため、すぐに確認する手段も無い。
そして私は基本的にクラスが同じか部活が同じにならないと、自分達の生活も忙しいものだったためにただでさえも知らない人が多い。
彼は文系クラスの人で比較的大人しいイメージはあるのだが。
すると知美が
「あの人たまに長谷川歯科にいるよね。」
いや知らんけど。
しかし唯は素敵な笑顔で
「そうなのか。わかった!」
この会話の流れで名前を思い出したのだろうか。
だが考えてみると唯の彼氏は野球部だから名前を聞いた事があってもおかしくない。
六回アウト一つで相手チームのランナーが満塁になった時、マウンドにいる彼へ向かって唯が叫んだ。
「長谷川がんばれー!」
少し時が経っていたため、あのピッチャーの名前なのだろうか?などと一瞬思ってしまった。
そのすぐあとに知美も
「長谷川ー!」
と叫んだ。
その瞬間にようやく気付いた。
彼の名前が長谷川君というわけではない。
長谷川歯科のくだりからこの二人が勝手に命名したのだ。
するとピッチャーの彼の名前を知らない周囲の人達が
「長谷川ー!」
「長谷川頑張れー!」
と声援を送りだした。
次第に長谷川コールが大きくなっていく。
ベンチ入りしなかった野球部員は何事かと不思議そうな顔をしている。
恐らく名前を知っているはずの文系組の人達も、長谷川コールに参加しだした。
長谷川という人物が本当にいて、何か頑張っているとでも思ったのだろうか。
訳が分からない長谷川コールの中、ピッチャーの川越君はこのピンチを凌ぎきった。
よく頑張った。辛い中の応援コールは「長谷川」という名前を呼んでいるし孤独だった事だろう。
きっとこれ程心が強いから彼はエースなのだろう。
今回も導火線だった二人はピンチを凌いだ事を喜びキャッキャしている。
自分が悪かったわけではないのだが、川越君に対して申し訳なく思った。




