十七話目 甲冑の王子様
外は土砂降りだった。
安佛は気怠げに開け放たれた扉を眺める。
どうも今日は調子が出ない。スヌーズ機能を使って二・三度寝した後のような気分だ。眠りすぎて眠い。
それは彼に限ったことではなく、教室内全体に充満している空気でもあった。
阿戸鳴は机に突っ伏して寝ているし、場木は先生のジャケットを頭から羽織ったまま顔を見せない。無量は人の形をした左腕でほおづえをついて、時折気になるのかちらちらとカニばさみの右腕を確認する。
そして神部は、早朝の一悶着以来パソコンのモニタをがっしり掴んで、睨み付けたり胸に押し当てたり。よほど双子座の力を失った事が不安だったのだろう。
雨雲が重さに耐えきれず地上まで降りてきたような、限界まで湿気の含んだ空気は、気力を大いにそぎ落とし、気力を無くした生徒達は各々自分の世界に閉じこもっている。
いつものように外に出る気力さえない。
けれど雨が降り出した時に、これでこの不快感とも決別できる気がして少し元気が出た。
急に降り出した雨は夕立のごとき勢いで、みるみる外は暗くなる。
鈍色の雨が激しく降り注ぐので、安佛は教室に湿気が入らないように扉を閉めた方が良いと思い、立ち上がった。
腕を伸ばしたはずだったのだが、その右手が跳ね上がる。
「なにさ!」
がんっと派手な音を立てて、扉のサッシを掴む何者か。
外にいたそいつは安佛の右手を手に持つ棒で突き飛ばし、扉を閉めないように両手で出入り口を確保していた。
暗がりでよく見えない。この土砂降りを浴びたのだろうか長い髪が貼り付くようにして隠しているせいもある。
安佛が後退ると、扉から手を放し一歩進む。足音は華麗な金属の擦れる音。そして、その姿が蛍光灯に照らされる。
直感で同い年くらいだと分かった。
やせた腕は女性的で、白さと相まって美しい。
細い体はこれまた細身の衣装で上品に着飾っているが、雨に濡れたせいで幾分みすぼらしかった。そのみすぼらしさは気品を失った俗物的な色気ともとれる。顔立ちが分からないので美人かどうかは言い切れないが、身に纏うものは目を奪われる程度には美しかった。
ずぶ濡れの貴族が顔を上げる。鉄の仮面が蛍光灯の明かりを反射した。
視界を確保するために開けられた穴の奥に見えるその目は、影に隠れながらも怒りにまみれ、憎悪に輝いていた。
その燃え上がるような目で一人一人視線を合わせる。目線の高さは同じだというのに、上から品定めをしているような、神の目線というか人ならざるものの目をしている。
そうして、もう一度安佛に焦点を当てたそいつは、口を開いた。
「僕の妹を、王女を消した輩は誰かな」
くぐもった声が響く。
ゆっくりとその手に握りしめた、彫刻の施された棒の先を持ち上げながら尋ねる。
安佛も相手の気迫に負けじと、しっかりとにらみ返した。
「お前がさ、あの子どもが言ってた兄貴っすね」
「質問をしているのは僕だ。答えなさい」
語気を荒げて罵るように叫ぶ。
「まあまあ、ちょっと落ち付けって」
先ほどのやりとりで起きたらしい、未だ寝ぼけた様子の阿戸鳴が止めに入る。
「あの王女様のお兄さんなんだろ? 言いにくいんだけど、あの子自分から消えてったぞ」
阿戸鳴の言葉に仮面の下で目を見開く、そして少しの間目を閉じるときっと強く睨み付けた。
「本当だな」
「嘘じゃない」
疑っているようではあるが、彼の怒りは一時的に怒りは下火になっている。
「椅子を用意しろ」
突然の命令に思わず聞き返す。
「話を聞きたい。僕の椅子を用意しろ」
早くしろと急かすので、安佛はころころとコマ付きの椅子を引っ張ってきた。
いつの間にやらぞろぞろと女子群も机の向こうに揃っている。
ずぶ濡れのマントを翻し、椅子が濡れるのも構わずそのまま座る。
手足を覆う小具足が視界に飛び込んできた。
かすかな金属音はこの体に沿った少しばかりの鉄の甲冑が鳴らしていたようだ。
甲冑の若者に襲ってくる気配はない。ただ単に今は会話の場を欲しているらしい。
けれど、その装備品から漂う物々しさから、誰も正面に座りたがらない。
「それでさ、話って何っすか」
座りはしないが、正面から尋ねる。
若者は一つ、手に持つ棒で床を叩いた。水気を吸ったカーペットが鈍い音を立てる。
「決まっている。我が妹が何を思い、何を考え、自ら消えていったのか。僕はそれが知りたい」
王女のことを知った上で、全てを判定する。彼はそう告げた。
「アンタ、アタシ達のこと食べるんじゃないの?」
甲冑の若者は鼻で笑った。
「な、何よう」
嘲笑が気に障った無量は若者を気味悪がって神部にひっつく。
「生憎だが、僕は太陽にも陽幸にも興味がない。そんな事より妹だ」
ダンッと今度はまた強く床を打ち付けた。
ひいいと畏怖の声が上がる。
場木が相手に聞こえない程度の声でシスコンと呟いていた。
「ええっとさ、その妹がさ夜、サソリに化けてたんだけど。サソリが先にさ俺らに仕掛けてきたんっす」
安佛が昨日のことを思い出しながら話す。一番最初からだ。
しかし怒りにまかせ、床を叩く音で中断される。
「貴様に妹呼ばわりはふさわしくない。君のような一般人にとっては王・女・様に値する。言ってみろ、王・女・様」
沈黙がおり、問いかけるつもりで阿戸鳴と顔を見合わせる。
お互い理解できないといった様子で、ひん曲がった顔をしていたが、阿戸鳴があごで促すので腑に落ちないまま繰り返す。
「王女様」
「よろしい。良い子だ」
鉄の覆いを被っているので表情が分からない。それがこの若者からにじみ出る異常さを増幅させていた。
王女の兄ならきっと、いや、間違いなく王子であるはずだが、とんだ変態王子だ。この教室内の誰もが同年代でありながら彼の行く末に心配を抱く。
そんな感想をつゆほども知らない王子は、先を急がせる。
内心、一般市民でもお前らの支配下のものではないと毒づいていた説明下手の安佛に変わり、神部が続きを引き受ける。
「その王女様に有ること無いこと吹き込まれて、仲間内で暴力沙汰になっちまってよ。王女様捕まえてちょっと大人しくしてもらったんだ」
「捕まえた?」
面の奥で鋭い眼光が光る。
重度の変態である以前に、王族としての素質がそうさせるのか。強要力のある目だ。
「君がか」
勢いに負けながら神部はどもりがちに肯定する。
「貴様、見たところ陽幸を纏っているようだが、その時もその手で妹に触れたのか」
若者の言い方に違和感を感じながらも、返答する。
「どちらかというと、足?」
場木がバカと囁く。安佛も頭を押さえていた。
「足?足蹴にしたのか」
カタカタと杖のように握りしめられた飾り棒が震える。
危険は察知したようだ。神部はしどろもどろになりながら、それでも答える。
「そうだ」
「貴様あああ!!」
神部の行動は怒髪天を衝いた。
それまでの落ち着いた様子は立ち上がった瞬間に失せ、ただならぬ殺気を放つ。
放ったのは殺気だけではなかった。
手に持つ細い棒が鉄色に輝いている。
左手に飾りの付いた鞘を持ち、右手には鋭い切っ先をもつ剣を現した。
「許されざる行いであると判断した」
パフォーマンスのように剣をしならせ宙を裂く。風切り音が耳に残る。
「償いは、死あるのみ」
ぴしっと神部の目前に切っ先を向ける。
戸惑う神部。
「どういうルールな……」
最後まで言葉にする前に危険を察し体をのけぞらせた。
素早い動きで一歩踏み込み、伸ばされた剣は神部の上を通過する。
若者の動きは相当に速かった。けれど、神部の方が上回っていたようだ。
神部と王子の立ち位置は入れ替わっていた。
扉は開け放たれており、今も雨風が部屋の中に侵入している。
じりじりと神部は扉の位置を確認しながら後ろに下がる。
対する王子は一瞬の隙も見逃すまいと、剣を構え急所を突く瞬間を狙っていた。
そうして二人の動きは一瞬完全に止まった。
それを頃合いと見て取ったのか、神部が溜めに溜めた瞬発力で外へと飛び出した。
安佛達、応援の機会を計っていた身としても驚きだ。
飛び出して逃げていく姿はこの視界の悪い豪雨の中一瞬で消え、足音すら判別できない。
圧倒的な暴力を前に味方を見捨てて逃げたようにも映った。
しかし、王子は教室内の誰にも目もくれず暗い雨の中に飛び出した。