十六話目 蓮村先生の趣味趣向
蓮村に付き添いながら、階段を下りる。
城自体は二階建てのようだ。上向が通っていた大学の、四階建て校舎並に大きく見えていたのにも関わらず、二階より上に階段がなかった事が意外だった。
雁瀬先生は、気分の悪そうな蓮村を気にかける様子など無く、さくさく先へ進んでしまった。
ふらついた足取りの蓮村を支えるようにしていると、その、うっかりカンテラを落としてしまいそうだ。
それに、わざと落とさずとも図書室を出てから、どうも光が弱まる傾向にある。
そもそも燃料とか、どんな仕組みかで点っているかもわからない。カンテラは灯火が消える前に早く図書室に返した方が良さそうだ。
注意しながら隣を見る。壁にもう一方の手を付くことで、何とか自力で降りていますという意地を張っているらしい蓮村。後になればきっと、上向の手を借りていること等記憶の外に飛んでいることだろう。
カンテラより先に、小脇に抱えていた薄い本が落ちた。
「……何、それ」
暗がりの中、壁伝いにするするとしゃがみ込む。
「図書室で見つけた。肖像画が綴じてある」
拾い上げるとちょいちょいと指を曲げ、明かりをよこせと要求してくる。
暗闇でそんな野良猫を呼ぶ様なことをしないで、口で言って欲しいと思いはしたが、上向はそんな彼女の上から被さるように身を屈め、光を近づける。
静かにページを開く。
「立派なおひげ」
一人たたずむ男性の肖像画を見て感想をこぼす。
確かに将棋の駒みたいな輪郭でもしているのかと疑うほど、あごひげが綺麗だ。ついでに言うと、眉毛も立派。
「雁瀬先生より年上ぐらいかしら」
言われてみればと考える、上向が思うに、友人の親が今、この男性に近い顔つきだった気もする。五十歳半ば……より年寄りだったのではなかっただろうか。
「私、結構オッサンスキーなのよ」
誰もそんなこと訊いていない。
「好みですか」
「結構」
ハートマークでも語尾についていそうな返事だ。
いつ描かれたか分からないような肖像画に熱をあげるとは。蓮村はきっと彼氏が何人か画面の向こうにいるタイプだろう。
一目惚れを信じない上向には肖像画に惚れる蓮村が理解できなかった。
「妻子持ちみたいだぞ」
「いや、別に、期待とかしてる訳じゃ……」
蓮村が何を言ってるのか分からないが、とりあえず次のページを見るように言う。
「あ、本当ね」
一発見て分かるほどの親子っぷり。両親の要素をしっかり引き継いだ子ども達の肖像。
「奥さん美人ね。なるほど美男美女勢揃いだわ。それもそうよね、あのお父さんの子がイケメンじゃないはずがない」
あまりの眼福にテンションが上がってきたらしい。声の調子にもだんだん本性あらわしていないか。
上向の中でエリートウーマンのイメージが何となく崩れてくる。
蓮村の方もこんな事している場合では無いと自覚したのか、こほんとわざとらしく咳払いをし、自ら仕切り直しをする。
「ところで、この子、昨日の子よね」
彼女が指さすのは王女の肖像。
「こうしてみるとやっぱり天使よ。可愛い。可愛い。王女たん、マジ天使」
せっかく冷静になったと思ったらすぐ戻ってしまった。しかも悪化している。
またもや、はたと我に返る蓮村。
そして俯きながらお願いする。
「ごめん、今の忘れて」
「どこからどこまで?」
からかうと、手で顔を隠した。かすかに見える口元には悔しそうな線が増える。
上向にしてみれば少し、いや、結構、良い気分だ。
ばっと本を持つ手をニヤニヤと笑う上向に突き出す。
「王女がここに居るってことは、ここにいる人たちが、その……この城の王様達?」
「そうだろうな、そのおひげの立派なイケメンダンディーが王様だろうな」
ランタンの薄明かりでも分かるほど蓮村は耳まで真っ赤にさせる。
自分でべらべら喋ったときは何でもなかったくせに。
小学生みたいな反応を見て、なんだか楽しくなってきた。
「蓮村、実は彼氏いたことないだろ」
ぴくりと蓮村の背中が反応する。
「……やかましい。そっちこそどうなんですか」
これ以上の深追いは我が身に返ってくると気づき、上向は黙秘権を闇に振りかざした。
「なにをしていたんだね」
階段を下りると、雁瀬先生が待っていた。
そんなところで待たれているとは思わなかったものだから、蓮村の手を引いていることを忘れて、後退りするところだった。
意味ありげな笑顔は嘲笑に見える。
「上向くんと一緒にこれを見ていたんです」
薄い冊子を雁瀬先生に渡す。
「それ、図書室で見つけました。初めは雁瀬先生に見せようと思って持ってきたんですけど、先生先に行っちゃいましたから」
ふうんとあごを撫でながら受け取った冊子の表紙をめくる。
「肖像だけかい?」
冊子の中身が元々それだけだったと答えると、考え込むようにあごに手を当てた。
「それで、この絵は何所にあったの?」
「図書室ですけど」
「どの棚?」
詰問をするように徐々に声の調子が強くなる。
「一番手前です。返しに行った本を押し込んだとき、隣にありました」
その後は急に大人しくなった。
本棚の中身を入れ替えたことにちくちくイヤミを言われたが、周囲の本を調べてみようと言い残してまた歩き出した。
特に肖像について何も話はしなかったのだが、どうやら雁瀬先生は一目見ただけで言いたかったことは組んでくれたらしい。
二枚目の家族肖像を見て少し目を見開いていたから、きっと王女のことは気付いているだろう。
ぽたりと音が響く。
続いてぼたぼた、ばたたたたた。
雨が降ってきた。
いつ降りだすかと心配はしていたのだが、ついに降り始めた。
酷い土砂降りだ。中庭の向こう側が見えない。
暗い廊下はさらに闇が勢力を伸ばし、不安になってきたところで手元のランタンが消える。
何というタイミング。あまりの間の悪さに舌打ちが聞こえる。
風も強い。足下に水をかぶらないうちに、どこか入れる部屋を探そうとした。
その時、この暗闇の中でも人影と分かる存在が上から降りてくる。
ちょうど上の階から飛び降りてきたように見えた。
派手な水音を立てて着地した影は、まっすぐこの場所唯一の光を目指す。
あの場所は、コンピュータ教室だ。
「先生、今の」
「亡者だね。急ごう」
昼だというのに、雨そのものが鈍色をしていると錯覚するほどの酷い天気。
やはりこんな空では太陽の恩恵が地上まで届かない。
石畳を出来る限り全速力で走る。とはいうものの、上向も蓮村も普段の歩く速度より遅い。
「先生だけでも急いでください」
蓮村が焦りで叫ぶ。
「わかっているよ」
正直、雁瀬先生が走っている姿なんて見たことがない。それでも、さすがに今みたいな緊急事態だと走る。
けれど、水で濡れた石畳は非常に滑りやすかった。
「雁瀬先生!」
滑って尻餅をついた先生の元へ駆け寄ろうとするが、ぬれた足場は歩けたモノではなかった。
焦りばかりが先行する上向達の横を宙から嘲る人影があることにまだ誰も気付かない。