プロローグ -現代世界-
学校教育について、現在方針変換が行われているため、誤った情報が含まれている恐れがあります。
黄道十二宮を一つのテーマにしていますが性格診断を含む差別につながる事は一切意識しておりません。
気になるところがあればご指摘をお願いいたします。
あぁ、まずい状況だ。
弁当をかっこみながら書きかけのタイムスケジュールと散らかした筆記用具とを見比べる。
じっとりとスーツを濡らす汗は6月の気温のせいだけではない。
何とか昼休みまでに、最悪授業に入る前には、手元の学習指導案を形だけでも書き上げて指導教諭に見せなければ。
真っ黒な二段弁当を片付けながら、黒ずくめの男は頭をがりがり掻いた。
眼鏡がなければ、ギャルゲの主人公だなと言ったのは大学で知り合った誰かだ。彼の表情というものは、剛毛が眼鏡の縁ごと隠している。
彼だって実習の前に髪を切ろうとしたんだが、あれやこれやと言っている内に実習が始まってしまった。一週間が経ち、生徒達が影でクロウ先生と言っているのはすでに学級日誌からリサーチ済みである。
誤解を招く前に一つ言っておく、彼は確かに地味だがコミュニケーション障害ではない。コミュ障と言うよりただの意地っ張りだ。けっしてコミュ障じゃない。
コミュ障ならはじめっからこんなとこで焦ってるはずがない。
大学生活も残すところあと半年。今どこにいるかって言うと、彼の母校である県立黄道高等学校。の会議室兼実習生待機室。
要するに彼、上向 獅朗は現在教育実習中。
母の薦めで教員免許を取ることになったが、教科を聞いて驚くなその名も『高校情報』。
……彼自身分かっている。地味だ。しかし、彼の学科ではこれしかとれなかった。
けれどなロリコン共、うらやましがるがいい!高校に出入りできるんだぞ。しかも 教育実習生と言えば、生徒達にとって若い先生だ。若い先生と言えば女子高生に会い放題、話し放題、モテ放題だ。
なんて思っていた時期が彼にもあっただろう。
ふっと遠い目をしてみた。情報の先生に寄ってくる奴なんて限られている。
機械が好きで使いこなす自分格好いい。そんな心配したくなるような輩が多い。かつての彼もそうだったので、身に覚えがある分見ていると心が締め付けられるというか、頭を抱えたくなる。いっそ自分と自分に関わった全ての人の記憶を消してしまいたい。
一緒に実習してる数学科のあいつがうらやましいよなどと心の中で呟く。情報科の彼とは違い、休み時間になれば引く手数多な質問攻めだ。
彼の放課後なんて、丸投げ無茶ぶり先生と翌日の教材準備と今日の反省、そして学習指導案書きなのだ。
「おーい、上向先生。指導案できた?」
会議室の扉が開き、若干ロックな壮年の男が入ってくる。年齢的に言えば壮年の男なのだが、見た目からして言えば、しっくりこない。これがここの情報の先生。名前は……雁瀬。
「次の授業ですよね。本当にHTMLでいいんですか?」
書きかけの指導案を渡す。次の授業は芸術系の選択科目。上向自身どうしてこの授業をすることになったのかよく分かっていない。先週見学してたら「来週、君、やる?」だもの。
通常授業ですら準備が間に合わずヒーヒーいってるのに、追加と聞いて彼は目の前が真っ暗になった。
「まー選択情報って扱いだし。あいつらならメモ帳でもできるんじゃない?」
わざわざ選んできてるような生徒達だから対応も楽だろう。だが、人相手の仕事では多くの場合楽そうなんていう考えは裏切られる。
案にいくらか訂正を入れられたあと、写しを作りすぐにコンピュータ教室へ向かった。
昼休み開始のチャイムはすでに鳴った。
コンピュータ教室は設備が他の教室と桁違いで良い。居心地が良いもんだから5限目の生徒達は集まり出すのが早い。
すでに鍵のかかった扉の前で男子生徒が二人並んでいた。
いくら何でも早すぎる、チャイムなってから10分も経っていない。彼らはいつ弁当を食べたんだ。
「遅いよ先生」
「君たち、早すぎるな。まて、今開けるから」
扉の鍵を開け、室内に入ると電気をつける前に警備会社のロックを外す。
ぱーっと二人は定位置に座り電源ボタンをプッシュ。椅子でくるくる回り出したと思いきやカタカタとプロタイパー並のスピードでアカウント認証を行っている。将来有望だ。
授業開始5分前になって、女子トリオがやってきた。
この授業はこの5人だ。おほほ、すっくねー。笑いが止まらない。
きっとさくさく進むと思って、授業内容は通常の倍ほどみっちり組んでおいてやったぜ。感謝しろよへっへっへ。上向はうっすらと口元を歪める。
まったく。通常授業なら一度見せてもらったお手本授業の内容使い回しだから同じ事をもれなく話せるようにだけ注意すればいいものを。びっくりするくらい用意に時間かかったんだ。
……彼の完璧な計画に隙はないはずだった。
だが、女子の中に伏兵がおりよった。
場木 魚実さん、あなた、魔法の人差し指をお持ちなのね。
両隣も向かいもバコバコやかましく打ちまくってるのに、ああ、おろおろしながら一文字ずつ探すお姿。天使かな。計画を邪魔する彼女はダかなにかがついてそうだけど、天使だね。
ま、仕方ないな。と軽く受け止める。一応作業時間も長くとる予定だったし、彼女には後でゆっくり手取り足取り個人指導だ。
だから今はごめんよ。場木さん。君のおろおろする姿、結構好きだよ。
隣の子に頼るのも良いが、きっと話を半分しか聞けない神部 絵美や想定外のことが起こるとヒステリーを起こす無量 栞沙に聞いたら共倒れするから後で質問してね。
あとでプリント作ろう、反省をしながらも上向は心を鬼にして授業を進めた。
順調にとはいえないが授業が進む中、唐突に、そいつはやってきた。
「せんせー、やばい。ブラウザが邪魔しに来る。閉じない」
自己紹介ページを作れと言う課題を出した隙に完全に出遅れた場木さんの隣に立ち一つ一つ教え直している時、男子生徒が手を挙げて上向を呼ぶ。
「阿戸鳴。また授業中にエロサイト見てたのか? パソコンがウイルスにやられたらこの部屋中ネットワークで大変なことになるって前に言ったぞー」
上向の手が空いてないと見て、補助として後ろで待機していた雁瀬先生がにやにやと対応に向かう。
阿戸鳴 祐馬。お前が勇者か。
先生も今そんな事暴露しないであげて。そんな武勇伝聞いても上向には拍手を送る事ぐらいしかできない。
「今日はまだっす」
はっきりきっぱり爽やかに。
バカめと隣に座る安佛 和人が笑う。
正直だな。阿戸鳴。だが、学校で見るのは良くないぞ、学校によっては教育委員会に履歴が行く。しかし、雁瀬先生の方針でそのような監視はこの学校では行わなっていない。フィルタリングに何度も引っかかると要注意生徒扱いされるらしいが、詳しくは聞いていない。
雁瀬先生が首をひねりながらマウスを行ったり来たりさせている。なかなか解決しないらしい。当の阿戸鳴はというとのんきに椅子で回転してる。お前という奴は。
場木の指導に切りが付いたのでいったん先生の隣へ向かった。
先ほどまで阿戸鳴が使っていたパソコンには真っ黒な窓が画面いっぱいに広がっていた。
画面自体が黒いのかと思ったが、隅っこを見ると確かにブラウザの枠が表示されている。
ブラウザが消えないとか言うからてっきり最近また流行り出したと聞く無限ウインドウ系ブラクラかと思ったがそうでもないようだ。
隣へ行ったところで、上向が思いつく解決策など再起動くらい。一応、後学のために雁瀬先生がどう対応するのか見ておこうと思っただけだ。
だが、雁瀬先生の対応は再起動だった。期待通りだが、裏切られた気分でもある。
阿戸鳴はというと、もう課題は終わっていたらしい。余裕で隣にちょっかいをかけていた。
二人して無言のパソコン画面をのぞき込んでいると、教卓の方から轟音が響く。
教室に置かれたネットワークの親玉、サーバ用コンピュータがガガガと異様な音を立てていた。
思い当たることと言えば、阿戸鳴の踏んだブラウザクラッシャーにコンピュータウイルスがついていたのか。
それでもおかしい。あのサーバには音を立てる部分など冷却用のファンくらいのはずなのに、この音はどこから鳴るのか。
「いったん落ち着いて。みんな、自分のパソコンは動いているか?」
一人を除き、頷きだったり声だったりで動いてるよと返事が来る。
「じゃー、上向先生。続きやっといて。わっしがサーバ見ておくから」
「え、あ。はい」
だんだんサーバの音は大きく高くなる。
爆音に気圧されながらも、授業を続けることになった。
「では、見出しタグの使い方が分かったところで、先ほど保存した自己紹介ページを……」
隣で工事していてもここまで酷くないのではないかと思うほど大きな機械音に負けないように声を張って授業を続けていたのだが、上向の頑張りは一瞬止めさせられる。
雷、だと思った。その場の全員の頭をフル稼働させても、この状況から思いつくものは雷だった。
ブラインドカーテンの向こうが眩しく光った。
外が眩しいと感じたのは、蛍光灯に照らされていた部屋が暗くなったからかもしれない。
停電ではない。なぜなら全員のパソコンが動いているからだ。
轟音が響いた。ずっと異様な機械音に悩まされていたのにそれが際立って聞こえたのは一瞬、機械音が止んだから。
少しして、ぱっぱっと蛍光灯が明滅した後何事もなかったかのように点灯した。
「今の近いね」
「でも雨降ってなかったよ」
「ゼッタイ落ちたって」
女子三人組がかしましい。
授業時間はあと十五分。騒がしい教室内、五人の生徒。
これくらいサッとなだめないと。教育実習生は鬱陶しく思いつつ張り切った。
「光ってからすぐだったな。落ちた場所は近いと思うけど外を確認するのはもう少し後にして」
はーいと阿戸鳴が返事する。お調子者の一声は場の空気を治めた。
「では、自己紹介のページにつけた見出しにタグをつけてください」
残りの十五分で各々スタイリッシュで個性的な自己紹介ページを作ってもらうため、上向実習生は全力を尽くした。