神は世界とともに、世界は神とともに
ルシファーは立ち尽くし、幼い神が消えたその場所を見つめていた。
彼女はただの力の塊となり世界を巡りそれを修復していくだろう。そして彼女も世界が自らうみだすその力を吸収する。世界と神がお互いに力を与え合い傷を癒すのだ。
復活の時はいつになるか分からない。
彼ははるか昔のことを思い出していた。
まだ自分が堕天したばかりのころだ。
あの厄介な神から自由になった。これからは自由に生きるのだと浮かれていたあの時。
自分は混沌の意思に呼ばれ特別な力を与えられた。
今まで混沌から生まれ消えていった数多の世界の記憶をのぞくことができるという力を。
最初は面白いだけだった。あらゆる文化、あらゆる生命がかつて存在していたのを知ることが出来たから。
だがある時、気づいたのだ。
自分と同じように神に創られ、仕え、反逆して堕ちた者が常に世界には存在することを。そして彼らが世界の終わりの時、どんな道を辿ったかを。
それは自分にいずれ訪れる結末。
破壊の本能に支配され、全てを壊し、そして最後に一人で消えていく運命。
その日から自分は運命に抗うことをはじめた。
神が死にその力を手に入れた時にこれで上手くいくかもしれないと思った。
事実、自分の企みは上手くいったのだ。世界は滅ばない。続いていく。
あの神ならば、大丈夫だろう。
いつもいつも考えていた。
すべてを創っておきながら創造主は無責任だと。すべてを滅ぼすのは常に自分のような存在で創造主はその苦しみを知らない。
だがそれもまた創造主の運命なのかもしれない。創造の力しかもたない彼らの。
あの神は創造の力も破壊の力も持っている。破壊の苦しみも理解することだろう。
そしてなにより……自分の生活を愛し失いたくないという気持ちを知っているのだから。
***
ミカエルは上空を見上げた。
眩い黄金の輝きが空を駆ける。通り過ぎたそこは亀裂が消え、美しいもとの青空があった。
セフィロトの樹の跡地。地下へと潜っていたエルフたちは、フレイに従っていたエルフを捉え外へと転移してきた。
ミカエルと会ったあと神の元へと向かったルシファーは勇者を連れて地上に戻ってきている。
ふとミカエルは隣に立つアダムを見た。
アダムは目もない顔で泣いていた。本来ならば瞳がある場所からチョコレートがだらだらと溶けて流れ落ちている。
ミカエルは一つため息をつくとアダムの肩を叩いた。
「アダム、泣いている場合じゃないぞ。神様は必ず戻られる。それまでに我々には天界の者としてなすべきことがある」
ミカエルは周りを見渡した。
一部のエルフによって世界は滅ぼされかけた。
人間界にとってエルフは監視対象となる。確かに今回神とともに戦った者もいた。だがそれが全てではない。
フレイと行動をともにした十人ばかりがここに残っている。
それ以外の行方しれずとなっていた連中の居場所はゼムリヤがヴェルンドを尋問し、知ることが出来た。
いなくなった彼らは賛成したわけでもなく、かと言って積極的に止めたわけでもないらしい。何もしようとせず別の大陸にあるエルフの施設へと避難した。
いつの間に、と呆れてしまう。
フレイに与した者も逃げた者もそのままにはしておけない。エルフと人間の確執は残る。
そして今後同じことが繰り返さないように、天界、魔界、そして今回ともに戦った人間、ハーフエルフ、エルフ達で監視する体制をつくるのだ。
「だれかアルフヘイムに監視役としておかねばならない。俺はお前を監視役にしようと思う。人間やハーフエルフでは荷が重い。エルフは今回ともに戦った者であっても同じエルフだからと他種族から納得されん。魔族を人間界におくのは人間からあれこれ言われる。
そう考えれば天界を代表し、お前がここに残るのが一番良い」
アダムは涙をぬぐった。
「アダム、神様の創られた原初の生命体のお前に相応しい任務だ。神様がお戻りになるその日まで、我々は天界の者として力をあわせ世界を守ろう」
ミカエルの言葉にアダムは右側の四本の手で敬礼する。
そしてミカエルはルシファーの姿を探した。今後の天界と魔界の協力を話し合わねばならないのだ。
『お前変だぞ!』とまた騒ぎ立てるであろう己の双子の兄ルシファーの姿を想像し、ミカエルは笑いをこぼした。
***
ヴェルンドはとあるエルフの姿を見つけ、兄に一言断ってから彼に近づいていった。
自分にはルシファー特製の拘束具がつけられており、どんな手段を使おうとも逃げられない。
この場には神や勇者とともに攻め込んできたエルフだけでなく、ルシファーが引き連れて来た魔族の精鋭達も自分達フレイに与した者を見張りアルフヘイムを包囲している。他大陸へと逃げていたエルフ達も捕らえられ、ここへと送り返されきたらしい。
全ては終わった。
ヴェルンドは見張りの魔族達の刺すような視線の中、目的のエルフへと歩いていく。
自分の接近に気づいて、彼は切り株に腰をかけたまま顔をあげた。
いつもと変わらない笑顔で。
「やあやあ、ヴェルンド君」
「エルヴァンさん」
破天荒な兄の次に苦手な相手だがそうも言ってられない。聞かねばならないことがある。
「聞きたいことがあって」
「なに?」
「フレイにフィアの持つ神の力の事を教えたのは貴方ですよね?」
「そうだよ」
悪びれることもなく笑顔で答えられ自分の方が面食らってしまう。
「そんなことをしたらフレイが正気を失うと分かっていてやりましたよね?」
「もちろん」
ヴェルンドが怒りに任せて言葉を続けようとするのをエルヴァンが手をあげて止めた。
「それ以上何も言わなくていいよ。それに私も罰を受けてる。あのこわーい神様からね」
おどけた様にエルヴァンは言い、己の首に手をやった。その途端彼の首に首輪が現れた。白い光の首輪と漆黒の光の首輪。
ヴェルンドはその首輪の正体に息を呑む。
「それは……」
「そ、死の首輪。可愛い神様にバレちゃってね。神様とルシファーからもらったんだ。
おかげて一生私は監視され、誓いを破ろうとすれば即消滅だ」
「フィアが……?」
エルヴァンは頷くと首から手をはなす。その途端首輪は見えなくなった。
「それに、君から責められる理由はないよね。君にそんな権利はないよ」
ヴェルンドは思わず俯いた。
流されるままに生き、そして罪を犯した友をとめることすらしなかった。
いや、フレイにとっては自分は友ですらなかったかもしれない。彼は孤独に生き、孤独に死んだ。
「僕たちはこれからどうすれば……」
「ん?普通に楽しく生きればいいんじゃない?別に全員死罪って訳じゃないだろ?」
「簡単に言わないでください」
思わず呻いたヴェルンドをエルヴァンは笑う。
「ヴェルンド君、我々エルフはこの世界の居候みたいなもんだよ?わかるだろ?
お情けでこの世界にいれてもらって生かしてもらってる。だから居候らしく生きていかなきゃ。
それに人間も悪くないもんだよ。確かに力はないし短命だ。でも面白い。少しはお兄さん見習いなよ」
ヴェルンドは鍬片手に忙しそうに動き回る兄を見た。
相変わらず変人だ。だがとても楽しそうに見える。
「別に彼は君のこと捨てたわけじゃないんだし」
自分の中の長年のわだかまりをあっさりエルヴァンに指摘されて苦笑する。確かにその通りだ。
捨てられたと思って拗ねているのは自分だけだろう。
そして、何よりも彼女。
フィアレインがあの時言った言葉を思い出す。フィアじゃないフィアレイン。
彼女は死んだけれど、また別の形で生きているではないか。
時間はかかるかもしれない。でも自分もやり直せるだろうか。
そんな事を考えていたヴェルンドの後頭部に激痛が走る。慌てて振り向けば兄が拳を握りしめて立っていた。
「ヴェルンド!お前はいつまで……」
「まーまー、ゼムリヤ。落ち着きなよ」
エルヴァンが笑いながらヴェルンドの兄ゼムリヤをなだめた。
ふとヴェルンドは上空を見上げる。
眩い光が空を駆ける。そうすると空の黒いヒビが消え、青い空へ戻っていった。
***
フィアレインは空から地上を見下ろしていた。
自分はただの力の塊で姿を失っているから、地上の彼らからは気づかれないだろう。
空を駆け、亀裂を修復していく。
ふと下を見ればグレンとルクスが見上げていた。彼らの表情は暗い。
だがそんな二人にシェイドが近づき肩を叩く。そして何か言っていた。
シェイドの言葉を聞いた二人は少し笑い頷く。
フィアレインはその姿にほっとした。自分は必ず戻るのだから悲しまないで欲しい。
ふとシェイドが上を見た。そんなはずはないのに、彼と目が合った気がする。
シェイドは笑いながら上空に向けて親指をぐっと立て、そしてルクスとグレン三人で歩いていった。
視線を動かすとミカエルがアダムを連れてルシファーと何か話しているのが目に入った。
ルシファーはミカエルの話に驚いたのか何か騒いでいる。
あ、ミカエルが笑った。
フィアレインは嬉しくなった。ミカエルが笑う様になったのだ。そしてそんなミカエルを見てなお一層ルシファーが騒いでいた。
そんなルシファーに彼の後ろにいるメフィストフェレスとルキスフグスなんとかが呆れている。
フィアレインは目の前の亀裂を修復する。ふとミカエルとアダムが自分の方を見ているのに気づいた。ルシファーもつられて空を見る。
三人は空に手を振った。
フィアレインは手を振りかえせないのを残念に思いながら移動を開始した。
世界中が傷だらけだ。忙しい。光となって空を駆け抜ける。
ふと地上を見て驚いた。
ルシファーの『おまけをつける』という言葉を思い出す。こういう事か。
地上にある沢山の人間の街、村、集落。大小様々のそれらは皆どこも出来損ないエルフに襲われている。
だがそこに魔族達がおりたっていた。どんな小さい集落にも必ず一人、大きな街には複数の魔族達が。
そして出来損ない達を掃討していく。
ベルゼブブが他の魔王たちが、アスタロトやアザゼルも魔族を率いて出来損ないエルフたちを片付けていた。
彼ら魔族にとっては世界が滅ばなければ良い話であって、人間が出来損ないエルフどもに襲われても関係ない。だから本当にこれはルシファーなりのおまけなのだろう。
それにしても、これでは魔族なのに正義の味方だとフィアレインはおかしかった。
出来損ないエルフ達と戦う彼らがふと顔を上げ、空を見る。そして空を駆ける世界を修復する光を見ると少し笑った。
***
ケイオスは満足していた。
いままで生まれた数多の神。
数多の世界。
そのどれにとっても自分は傍観者である。
だが今は違う。神と一体となり世界を駆け巡る。
もちろんここに至るまで色々とちょっとした干渉はしていた。
たとえばルシファー。あれに混沌の記憶をのぞく力を与えたこと。
たとえばフレイ。あれは本来、創造主が生まれ落ちる前に喰われ一体化するはずだった存在。生まれるはずのなかった存在だ。
創造主となる者は周囲に存在する自分以外の生命の卵を喰らいその力を吸収して誕生する。
だがそれに小細工を加えたのは自分だ。
そういったちょっとしたことに手を加えて今がある。
もちろん自分が手を加えただけではどうなるか分からない。
その後はその者次第。
そしてこの神。
もはやこれはハーフエルフではない。ただのお子様のようだが違う。神なのだ。
これからも自分に面白いものを見せてくれるだろう。
ハーフエルフではない。神の生涯の中で。
***
フィアレインは世界中を駆けながら修復を行い地上を見ていた。
面白い。こうやってずっと世界を見ていられるだろうか。
そう思ったその時、突如内から声が聞こえた。
『やめておけ』
突然の声にびっくりする。
一瞬誰か分からなかったが、なんとか思い出した。混沌の意思ケイオスだ。
『なんで?』
『そのようなことに力を使えば復活が遅れる。世界を修復したらすみやかにルシファーが預かる破壊の力の元へ戻れ。そして肉体の復活を待つべきだ。一日も早く復活したいならば』
『……わかった』
そうだ。世界中をながめるより、早く彼らの元に戻りたい。
フィアレインは世界中を見渡す。どこもかしこも穴ぼこだらけだ。
修復完了まで、どれくらい時間がかかるだろう。
『力を分散しろ。今のお前には肉体の縛りがない。だから可能だ』
『うん』
言われたとおりフィアレインは力を分散する。
必ずみんなの元に戻る、そう心に誓いながら。
無数の光に分散する。そして眩い黄金の輝きを放ち世界中へと散っていった。
次回、最終回