破壊衝動
フィアレインは気まずい沈黙を破り、その場の者達へと笑いかけた。
「せっかくのお薬無駄にしないように明日からフィア頑張るね」
そうだ。誰が悪いだなんて言えない。
もう残された時間は少ないのだから。そして、失われた者は戻らない。
その犠牲が自らすすんでのものだったのか、そうでないのかすら分からないが……いずれにせよ無駄にして良いものではない。
自分に出来るのはなるべく早く回復し世界の崩壊を止めることなのだから。
そう思うようにしよう。この場にいる彼等に責任を押し付けるのは良くない。
「早速で悪いが明日の昼までには人間界へと戻るつもりだから、今日はゆっくり休め」
シェイドに言われて頷く。
今は嘆くよりも罪悪感に浸るよりも前にやるべき事がある。
本当は頭のなかがグチャグチャに乱れているけれど。
自分の命は生まれ落ちるその前から他者の犠牲の元になりたっており、そのくせ神様になりたいとも思わなければ神様として生きることを受け入れるつもりもない。自分は自分の世界を守りたいだけなのだ。人間界を守ろうなんて大きなことは考えていない。
自分のとても小さな世界を守りたいが為に世界を守るのだ。
そんな風にしか考えられない自分は神様に相応しいなど到底考えられない。
結局すべては自分自身の為なのだから。
「フィア頑張る」
今はそれしか言えない。
***
翌日フィアレインはシェイド、ルクス、エルヴァンとともに人間へと戻った。
あの生真面目そうなベルゼブブまでが見送りに来ており、肩の荷がさらに重くなったような気がする。
だが、彼等の気持ちを考えれば仕方ない。自分たちでアルフヘイムへと乗り込めれば一番手っ取り早いのにそれが出来ない。ひたすら魔界でこの騒動の行方を見守るしかないのだ。それが自分たちの命運がかかっていたとしても。
フィアレイン達はいったんアンブラーのエルヴァン宅へ戻り、準備を整えグレンの待つハーフエルフの村へと訪れる予定だ。
ハーフエルフの村まではエルヴァンが転移魔法で連れて行ってくれると言う。
ミカエルとアダムも一旦天界へと戻り、準備を整えハーフエルフの村で合流することとなった。
「あーやっぱり人間界の空気は清々しいねぇ」
魔界から人間界へと出てすぐにエルヴァンは深呼吸して言った。
フィアレインは空を見上げる。青い空に黒い亀裂が無数に走っていた。話では聞いていたが実際に見ると実に不吉だ。
そして何より自分の中で二つの力がせめぎあっているのを感じる。世界の崩壊の気配に暴走しそうな破壊の力、そしてそれを抑え込んでいるのは神の創造の力か。
やはりルシファーの判断は正しいのだ。
自分たちが魔界を出るその時もやはり『人間界へ出兵しフレイをはじめとするエルフを討つべき』と訴える魔族は多くいた。ルシファーへと直訴すべく彼へ話しかけて来た魔族も多くいるらしい。その様な者たちがルシファーとともにいたベルゼブブに一喝される光景を見たとシェイドも言っていたくらいなのだ。
だが、今の人間界は相反する力を持つ自分でさえ暴れだしそうな破壊衝動を感じるほど崩壊の気配が強い。
破壊の力しか持たない彼等がやってくれば……ルシファーの危惧通り破壊衝動に理性が支配されてしまうのだろう。人間界の各地に住む魔物達はすでに凶暴化しているに違いない。
エルフの出来損ないの被害が目立っている影でそういった魔物からの被害も増えているはずだ。
「どうした、フィア?」
シェイドは抱えていたフィアレインを地におろしながら尋ねる。
少し悩んだが、そのままに告げた。今更隠しても仕方ない。
「なんかね、破壊の力が暴走しそうな感じがするの……創造の力がそれを抑えているけど」
「そうなのか……」
「やはりな」
フィアレインとシェイドは思わず顔を見合わせる。シェイドの相槌はとにかく、その後の声は誰の物だろう。
思わずルクスを見るが、彼は首を横に振った。確かに彼の声ではなかった。
その時、エルヴァンが足元を指差しているのに気づく。ちょうどフィアレインとシェイドの真下だ。
そこには蛇がいた。真紅の目の蛇には見覚えがある。
以前に『あのお方の使い魔』と名乗って勇者一行の前に現れた事のある蛇だ。
「今日は卵ないよ」
あらかじめ言っておかねばならない。フィアレインは使い魔の蛇にきっぱりと宣言した。
使い魔の蛇はフィアレインの言葉に怒鳴り返す。
「何が卵だ!あのお方の使い魔であるこの俺をその辺の蛇と一緒にするな!」
「あ……あんなとこにヒヨコが!」
「何!どこだ?ヒヨコー!」
フィアレインの一言に頭をもたげ周囲をキョロキョロと見渡した蛇がその場の四人の視線に気づき、わざとらしく咳払いをして居ずまいを正した。
「そ、そんな事はどうでも良い!俺は人間界の様子を見てこいと言われたのだ。下々にうるさく言われずとも、あのお方もやはり傍観することを良しとされていない。だが二つの力が拮抗する神でさえ破壊衝動を感じるのならば……やはり今回魔族たちの出兵は無理だ。俺はそう報告しよう」
魔界への空間を開き、そこに消える間際まで卵は本当にないのかと念押ししながら使い魔は消えていった。
「ふーん。やっぱり魔族はこれないのか」
「エルヴァンさん、下手に来られて彼等が破壊衝動に狂ったりしたら誰も止められませんし……仕方ないです」
「そうだねぇ。ま、その分外部組エルフが頑張るよ……多分」
「多分って……エルヴァン殿あなたご自身も参加されれば良いでないか」
「いやー私は戦闘苦手だからねぇ。その代わりと言っちゃなんだけど……三番めに生まれたエルフで神との戦争の時に将をつとめた奴を呼んであげたから。それで勘弁してよ」
エルヴァンはどうあっても自分は参加しないつもりらしい。だが三番目に生まれたエルフの件は有難い。
シェイドも表情を明るくし、その話に食いついた。
「へぇ、すごいですね。やっぱりそのエルフは強いんでしょう?でも何故そんなエルフが外で暮らしてるんです?」
「彼……ゼムリヤって言うんだけどね。農業に目覚めちゃったんだよ。それでアルフヘイム出て農業に勤しんでいたんだ。それが今や大農園の主。すごい豪邸に住んでてね。芋御殿って人間達に呼ばれてるよ」
「農業……」
「いや、シェイド殿。農業は重要だぞ」
うんうん、とフィアレインも頷く。お芋は美味しい。正義だ。
「彼はねぇ、凄く強いよ。魔法もいけるし、剣もね。一番得意なのは槍だったけど」
「それは頼りになりますな」
「今回は愛用の鍬を得物に最前線で戦うって意気込んでたよ」
鍬、の一言にシェイドが引きつった。
「あの……エルヴァンさん?」
「何かな?」
「鍬って……あの鍬ですよね、農具の……」
「そうだよ、他に鍬ってないだろ?」
フィアレインは鍬とやらを思い出す。確か畑を耕すのに人間たちが使っていたあれだ。
それにしてもゼムリヤと言うエルフは地魔法も使わずに農業をしていたのか。ずいぶんと地道なことだ。
ふと思い出した。エルヴァンの研究室で貸してもらった本。『美味しい野草』シリーズや『農業入門』の著者の名前が確かゼムリヤだった気がする。
感心するフィアレインを尻目にシェイドが引きつった顔でエルヴァンに詰め寄っている。
「いやいやいや、おかしいですよね?戦場で鍬使用って!鍬ですよ!鍬!今回は地を耕すわけでもないし、芋を収穫するわけでもないんですよ!なのに鍬って!」
「いやぁ……私に言われても……。あ、でも彼の鍬はね。特別製だよ。なんといってもオレイカルコス製なんだ!」
そんじょそこらの剣なんかより強いよ、とエルヴァンは笑う。
だがシェイドは納得しない。
フィアレインからすれば別に鍬でもフォークでも良いでないかと思うのだが。
「いやいや。何ですか?オレイカルコス製の鍬って!鍬ってオレイカルコスで作んなきゃなんないものですか?どんだけ固い地面耕してんだって話ですよ!それに剣も槍も得意なんでしょう、その方は!だったら剣なり槍なりで戦えばいいじゃないですか!」
「確かに……あえて鍬を持ち出される必要はなかったのでは?ゼムリヤ殿にとっても大切な商売道具では?」
「それがねぇ、農業生活が長かったせいかな。剣とか槍の使い方忘れ……あ、なんでもない。聞かなかったことにして」
エルヴァンの言いかけた言葉にルクスも顔がこわばる。シェイドなどは顔面蒼白だ。
「……なあ、俺いろいろ不安になってきたんだが」
「私もだ……」
フィアレインはそろそろ彼らの話にもあきてきた。ぐいぐいとシェイドの服を下から引っ張る。
下を向いたシェイドの顔は明らかに疲れていた。
「どうした、フィア?」
「ねえねえ、そんなことより早く準備してグレンのとこに行こうよ」
「そうだよ、勇者君!アルフヘイムに攻め込む前に打ち合わせもあるしさ。私はいつでも行けるから、早く準備しておいでよ」
「そうですね……フィアいくぞ」
フィアレインの手を引き、家の中へと入りながらシェイドはため息をつく。
ため息をつくと幸せが逃げると聞いたことがある。
大変だ、シェイドの幸せが逃げてしまう。
そう思い慌ててシェイドに声をかけた。
「大丈夫だよ!シェイド!」
「ん?ああ、そうだな」
「ミカエルもアダムも来てくれるって言ってたし!」
「そうだな。ミカエル強いらしいから安心だな」
「そうなの?」
実際ミカエルの強さとやらを自分は知らない。シェイドは誰かから聞いたのであろうか。
シェイドは浮かない表情から一転し明るい笑顔を浮かべた。
「ああ、ルシファーが言ってたぞ。ルシファーと対等に戦えるのはミカエルくらいだってさ」
ほうほうとフィアレインは頷く。
「それにアダムも強いしな。何の攻撃もきかないし。魔法使えない分、前の神が創った神剣やら神槍を持てるだけ持たせるってミカエルが言ってたぞ」
「手が八本あるもんね」
それぞれの手に立派な剣を持つアダムの姿を想像すると心が躍った。なかなか格好がいい。
やはり手を増やしたのは正解だった。
「フィアねぇ、本当はシェイドも手が一杯あったり、目が頭の後ろにあったり……首がちょん切られても心臓潰されても死なないようにしたかったんだけど」
「へ?いや……あの……」
フィアレインはあの時のことを思い出す。そうだ、それをルシファーが邪魔したのだ。
「それなのに……ルシファーが邪魔したんだもん!勇者を人外の生命体にするなって!」
「フ、フィア?」
「特別勇者仕様にしたかったのに!」
ぴたりとシェイドの足が止まる。それにつられてフィアレインも足をとめ、彼の顔を見上げた。
「どうしたの、シェイド?」
「いや、フィア……俺はその気持ちだけで十分だ!それに俺はほら……ただでさえ勇者の力を持っている。これ以上変……いや特別な仕様になんかなったら皆から妬まれるだろ?だから普通でいいんだ、普通で!」
「そうなの?うーん……じゃあ人間みんなそんな風にしてあげた方がいいのかなぁ」
シェイドの手をぐいぐいと引っ張りながらフィアレインは再び歩き出す。早くハーフエルフの村とやらに行きたいのだ。
「いやいや!フィア、人間は誰もそんなこと望んでない!今まで長い歴史の間この姿だったんだ!今更手足やら目を増やされても!」
「そうなんだ……」
「ああ、それにそんなに軽々しく神の力を使うべきじゃない!」
フィアレインは離れへと歩きながら渋々頷く。
神様とやらは難しい。とても自分にはお役目を果たせまい。
やっぱり自分はハーフエルフの魔法使いとして生きていこう。その中で犠牲となった者達に報いる生き方を考えよう。そう心に決めた。