戻ってきた日常と異変の始まり
「シェイド」
フィアレインは手を握りしめ名前を呼んだ。だがその次の瞬間ルシファーの手によって、シェイドから引き剥がされる。
「な……」
何をする、と言い返そうとしたその時転送魔法が発動し、シェイドの身体は消えた。
「ここで目を覚まされると厄介だ……だろ?ミカエル?」
ルシファーは背後に立つミカエルに同意を求める。ミカエルは静かに頷いた。
「ここは人の来るべき場所ではない。もちろんお前もだ、ルシファー」
「はい、はい。折角あたらしい神様を連れて来てやったのに、酷い言われようだな」
ルシファーはフィアレインを促す。
「そう言うわけだ。帰るぞ」
「フィア、みんなのとこに帰る!ここから転移魔法使える?」
「ああ、一応ここも天球の中だからな」
うんうんと頷き、ふと背後のミカエルのことが気になった。自分は仲間たちのもとへ戻る。では彼は?
またずっとここに一人でいるのだろうか……。
アダムという生命も住人に追加されたが、あれは喋ることも出来ない。寂しくはないのだろうか。
思わずミカエルを振り返る。
「神様、行ってしまわれるのですか?」
「うん……みんな待ってるから」
それに自分は神などになるつもりはないのである。
だがここにミカエルを一人残すのは何とも言えない罪悪感があった。
「そうですか。では俺は神様がお戻りになるまで、こちらでお待ちしております」
「でも……フィアは……」
フィアレインの言葉をルシファーが遮った。
「こいつは気の遠くなるような時間をここで一人で過ごしている。あと百年や二百年待たされたとしてもどうということはない。
そうだろう、ミカエル?」
「神様、ルシファーの言うとおりです」
「お前が勇者たちが死んだあとどうするかなど分からんだろ?」
「うん……」
フィアレインは頷いた。
そうだ、いざとなったらミカエルとともに魔界に住めば良いのだ。人間界風に言えば、在魔界天界大使館である。
そんな事を考え、ルシファーとミカエルに別れを告げる。転移魔法で薄れていく景色の中、ミカエルと慌てて走ってきたアダムが手を振っていた。
***
フィアレインはシェイドの枕元へと転移した。
自分が靴を履いていることを思い出して慌てて脱ぐ。
布団の傍に座り、彼が目覚めるのを待った。待つまでもなくシェイドが起きる気配がする。
「俺は……」
ぼんやりと天井を見つめるシェイドにフィアレインは声をかけた。
「シェイド、フィアのこと分かる?」
シェイドがゆっくりと頭を動かしこちらを見る。固唾をのんで彼の返事を待った。
ミカエルの話では成功との事だが……。
「どうした、フィア?あらたまって」
不思議そうに自分を見つめるシェイドに成功を実感する。フィアレインは布団ごしにシェイドに飛びついた。
「シェイドー!無事でよかった!」
「ぐぇっ!く、くるし……」
思わず涙がこみ上げてくる。ぐりぐりと自分の顔を布団に押し付けた。
シェイドは無事だ。生きている。
きっとこの新しい身体で長生きしてくれるに違いない。
フィアレインは大声をあげわんわん泣き、ずっとそうやってシェイドにしがみついていた。
その声を聞きつけたエルヴァンや仲間二人が駆けつけるまで、ずっと。
***
「へぇ、そんな事があったのか」
湯のみ、と呼ばれるカップでチャを飲みながらシェイドは頷いた。仲間二人とエルヴァンも黙ってフィアレインの話を聞いている。
魔界に行き、更に天界へと行ってシェイドの身体と生命の糸を強化した話をした。
そうはいっても全てを話した訳ではない。
特に一度殺したことは伏せておく。ルシファーから本人や周りの者に言うなと言われたのだ。
それに加えて自分の力のことも言えなかった。言えば出生の話もしなければならない。
自分自身は全ての力、犠牲になった生命もひっくるめて自分だと思っていた。だが他人からすればどうなのだろうと疑問に思ったのだ。
他者の命を食い物にして生まれてきた忌まわしい存在だと思われるのでは、と。その疑念は自分の中でじわじわと不安として広がり、真実を口にする事が憚られたのだ。
ルシファーとミカエルに手伝ってもらったとは言ったが、それ以上突っ込まれなかったことに安堵する。
ふと顔をあげるとエルヴァンと目があった。面白そうに自分を見つめている。
フィアレインが口を開こうとしたその時、エルヴァンは視線をシェイドへと移し彼に話しかけた。
「まあ何はともあれ無事でよかったね、勇者君。しばらくは様子見で安静にしておいた方がいい」
「そうですね……とは言え、これ以上こちらに泊めていただくのも申し訳ないのですが」
「そんな事気にしなくていいよ」
いやいやとシェイドは首を振る。
折角泊めてくれると言うのだから泊めてもらえばいいのに、とフィアレインは思った。ただでさえ最近は金欠に逆戻りしそうな雰囲気なのである。
頑ななシェイドを見て、エルヴァンは思いついたように言った。
「じゃあ、勇者君のお仲間三人に私の必要な材料集める手伝いしてもらおうかな」
「材料……ですか?」
そうそうとエルヴァンが笑顔で頷いた。
「自分で行ってもいいんだけど手間がかかるし。錬金術とか魔道具、薬の作成に必要な材料なんだけどね。勿論量に応じてお礼もするよ」
「いいんですか?」
「いいんだ。ギルドか魔法学院へ依頼出そうかと思ってた案件だから」
「シェイド殿は少しゆっくりされるといい。私とグレン、フィアの三人で請け負う」
ルクスの言葉に頷いた。グレンは礼についてエルヴァンに聞いている。
その光景にフィアレインはやっと日常が戻ってきたことを実感して嬉しくなった。
***
灼熱の炎が大地を走る。目標へと辿りつくと、それを巻き込み火柱となって空高く燃え上がった。
その瞬間グレンが怒鳴る。
「ちょっと、フィア!燃やしちゃ駄目だよ!」
「間違えちゃった……」
フィアレインはしょんぼりする。
そうだ、これは敵の掃討ではないのである。エルヴァンの望む材料とやらを得る為なのだから、燃やすのは御法度だ。
「落ち込んでいる暇はないぞ。新手だ」
ルクスの言葉に顔をあげ、頷いた。次こそはちゃんとやるのだ。
「フィア、あいつらの動き止めて!あとは僕たちが仕留める」
剣を手に駆け出したグレンに頷いた。それを見てルクスも駆け出す。
魔法を構築し、こちらへと向かってくる巨大な蛇ミドガルズオルムへと放つ。燐光が躍り、眩い光がミドガルズオルムを捕縛した。
突然身動きを封じられたミドガルズオルムは動ける部分でもがくが、駆け寄ったグレンに首を落とされる。後続のもう一体のミドガルズオルムもルクスに頭を叩き潰されていた。
フィアレインは周囲を見渡す。ここは沼地だ。どこからミドガルズオルムが現れるか分からない。
エルヴァンの話では『大小さまざま、腐るほど住んでる』とのことだが。
「それにしてもこの大陸は強い魔物いない事で有名だったのに。まさかミドガルズオルムがいるとはね」
「エルヴァン殿がこの大陸に住むとき目ぼしい魔物は狩り尽くしたと言っておられたな」
「おっそろしいエルフだよ。実はこの大陸が昔は強い魔物たちが跋扈する一番厄介な大陸だったなんて」
フィアレインはエルヴァンの言葉を思い出した。彼はここに大量に住んでいた魔物達を滅ぼして街を作ったのだ。
『いやぁ、どうせ住むなら新天地でしょ?開拓魂っていうのかな?街作るのに邪魔な魔物は全部片付けて、素材が利用出来そうな魔物だけ一箇所に集めて生かしておいたんだよねぇ。
でも駆逐しすぎたのか魔法学院の野外演出の時困って困って……仕方なく魔法生物つくる羽目になったんだよね』
あっさり笑いながら言われたそのセリフにルクスとグレンは青くなっていた。
それまでこの大陸に住む人間達は魔物の脅威にひたすら怯えるだけだったという。エルヴァンは人間達からすれば魔物を駆逐し、安全な街を作ってくれた恩人である。
研究狂いの変エルフでありながらエルヴァンが先生と呼ばれ尊敬される理由はそこにあるのかも知れない。
いまやこの大陸は世界四大陸のうち最も安全で魔物が少ない大陸だ。
危険な魔物が生息するエリアはエルヴァンの私有地となっている。人が勝手に出入りも出来ないが、魔物たちもここを出る事が出来ない。
「もうちょっと狩る?」
フィアレインはグレンにたずねた。グレンはもちろん、と頷く。
それを確認して、転送魔法で仕留めた二体を指示された通りエルヴァンの家の中庭へと転送した。
「だが……我々に警戒してるのか?最初の様な勢いで現れなくなったな」
「エルヴァンからは十体までは仕留めていいって言われてるし!あと五体!」
全部狩り尽くされたら困る、ということで上限を決められている。グレンは上限ギリギリまで頑張るつもりらしい。
だがミドガルズオルムも愚かではないようだ。
ぱったりと気配が消えた。
やれやれとフィアレインはため息をついて懐から秘密兵器を取り出す。こういう時のためにエルヴァンから授けられた代物だ。
「フィア……?なにそれ?」
「笛か?」
フィアレインは頷くと吹き口を口にし、息を吹き込む。
これは蛇使いの笛だ。
吹き方など分からないが、適当に指を押さえ息を吹き込む。
ピロリーピョロリーピョロリラー
と何とも調子外れな音が周囲に響き渡る。
いでよ、ミドガルズオルム!
必死に吹き続けると地響きがした。
一体のミドガルズオルムが現れた。
「効果あるのかないのか分からないけど、とりあえずもらった!」
お金がかかわると目の色が変わるグレンが足場の悪い中でも構わず疾走する。大蛇が大きく裂けた口を開き、肉迫したグレンへ食いつこうとした。
ギリギリのところでそれを躱し、蛇の頭の横へと出て剣を跳ね上げ首を飛ばす。
「やったか」
「他には?出てこない?」
倒した大蛇には見向きもせずグレンは目を血眼にして周囲を見渡す。
「フィア、もう一回!そのへっぽこな笛!」
フィアレインはむくれた。何がへっぽこな笛だ。頑張って吹いたのだ。
「むりだよ。エルヴァン言ってたもん。これ吹いて出てこなかったら警戒されちゃった証拠だからもう諦めろって」
そう言い放つとグレンはがくりと肩を落とした。
その肩をルクスが叩く。
「一番最初に笛を吹いて大量におびき寄せるべきであったな」
「そうだね……ってエルヴァンなんで僕にその笛のこと教えてくれなかったわけ?」
フィアレインはむくれたままグレンに何か言おうとし、そしてやめた。自分は一体燃やして駄目にしてしまったのだ。あまり彼を責められない。
黙って最後の一体を転送する。
ルクスが落ち込んでいるグレンを伴いフィアレインのそばまでやってきた。
「そろそろ昼食時でもあるし、いったんエルヴァン殿の屋敷へと引き上げよう。そして午後からまた別の材料を狩りに行くとしよう」
「うん。お腹空いちゃった」
「僕も。ドロドロだし風呂にも入らないと」
フィアレインは頷くと二人をつれてエルヴァンの家へと転移した。
帰ったらまず最初に風呂に入った。汚れをおとしさっぱりしてからエルヴァンを探す。
笛を返さねばならないのだ。
午後はマンティコアを狩る予定である。もう笛の必要はない。
家中を歩き回りエルヴァンの姿を探すが見当たらない。
土間にまでやってきたが、そこには子ブタちゃんの姿があるだけだ。
草履を履いて土間へおりる。昼食の準備をしているらしい子ブタちゃんへ近寄った。
「ねえねえ。エルヴァンは?」
「先生は外出中だ」
意外な答えに首を傾げる。滅多に外に出ないと言うエルヴァンが一体どこへ出かけたのか。
「ふぅん、どこに?」
「さあ?」
どうやら子ブタちゃんも行き先を知らないらしい。
フィアレインは今すぐ笛を渡すのを諦めた。いつでも返すことは出来るし、これがないと彼が困ると言うこともあるまい。
笛を仕舞い、手持ち無沙汰になったフィアレインは塩コショウをふられておかれている何かの肉に興味をひかれた。
「このお肉焼くの?」
「ああ、昼食は骨付肉の香草焼きだ」
ほうほうと頷き、そろそろと肉へ指をのばす。むにゅっと肉を押した。感触が面白い。
だが背後で殺気がする。子ブタちゃんが怒っている気配だ。
慌てて手を引っ込め、家の中へと駆け込んだ。脱ぎ捨てた草履を揃えてないが仕方ない。
そして手水へと向かい肉を触った手を洗う。
それにしても本当にエルヴァンはどこへ行ったのだろう。
彼は先日街中に現れたのが何十年ぶりという程の出不精なのである。それも子ブタちゃんに行方すら告げずに。
訝しみながら渡り廊下を歩き離れへと向かう。
昼食前にシェイドの様子を見ておきたい。昨日から見る限り特に異常はなさそうだが、念には念をである。
あの身体がつい昨日までは土人形だったとは思えないが事実なのだ。
こみあげる不安に昨夜嫌な夢を見たのも一因だろうと思った。あんなに苦労して創り上げた肉体が土人形へと戻る夢だ。夢の中でシェイドはもう二度と戻らず自分は泣き濡れていた。
嫌な記憶を振り払うように首を左右に振る。夢は夢だ。
深呼吸をし、気分を落ち着けてから目の前の襖を静かに開けた。
「シェイド?」
呼びかけるが返事はない。布団は敷かれたままだが、そこに彼の姿はなかった。
キョロキョロと見回しながら部屋へ入る。
奥の障子が開いているのに気付き歩み寄った。障子の向こうは縁側なる場所だったはずだ。
のぞきこむとシェイドはそこにいた。縁側に座り庭をぼんやり眺めている。
「シェイド?」
「ん?ああ、フィアか」
自分もシェイドの隣に腰掛けて彼の顔を見上げた。
「どうしたの?」
「いや、ぼーっとしてるってのも久しぶりで……なんか落ち着かないんだよな」
「そう?」
「ああ……自分がまだ勇者だなんて知らなくて、勉強だの剣や魔法の訓練だのの合間に草の上に横になって雲眺めてた時以来な気がする。あの平和な頃にはこうやって世界中まわって……なんて考えもしなかったな」
どこか物悲しくすら聞こえるシェイドの言葉にフィアレインは静かに言った。
「また必ずいつかそうやって暮らせるよ」
シェイドは驚いたようにフィアレインを見て、そして頷いた。
「そうだな。その為にフィアがわざわざ魔界まで行って頑張ってくれたんだもんな」
「うん」
ふとその時、いまなら神の力の事を言えるかもと思った。別に他の仲間の事を信用していない訳でないが、こういう事はシェイドの方が話しやすい。
この機を逃すと永遠に言えなくなりそうだ。
決意を決めてフィアレインは口を開く。
「あのね。フィアね……」
シェイドは黙ってフィアレインの話を聞いてくれた。
拙く要領を得ないような所もある話をフィアレインが話し終わるまで黙って聞いていた。
全てを話し終え、一息つく。
「そうか。じゃあもう神様はいないとか言えないな」
シェイドは軽く笑いそう言った。
「フィア、神様じゃないもん」
「フィアに神様は似合わないよなぁ。でも俺が助かったのはそのお陰だな……ありがとう」
「うん、だってシェイドはフィアのおとうさんみたいな存在だもん」
「お……おとうさん……?おにいちゃんじゃなく……?」
愕然とこちらを見つめるシェイドに力強く頷く。
おにいちゃんではちょっと違うのだ。間違いなくおとうさんである。
肩を落として落ち込むシェイドに首を傾げる。何故落ち込むのか。
不思議に思いながら何気なく空を仰ぎ見て、とまる。
何だろうか。言い表せない違和感を感じる。
「ねえ、シェイド。空、なんか変じゃない?」
落ち込んでいたシェイドがフィアレインの声に顔を上げた。そして空を見つめる。
雲が少ない青い空だ。
しばらくそうして空を眺め言った。
「うーん……俺にはよく分からないが……どの辺が?」
「そう言われると困るけど……何か変なの」
「うーん。やっぱり分からんなぁ。気のせいじゃないか?」
気のせいなのだろうか。だがどこがどう変なのかと聞かれても答えられないから、それ以上はどうしようもない。
渋々と頷いたその時、子ブタちゃんが部屋へと入ってきて昼食だと二人に告げた。